第8章 第2話 あらわれたもの
「こいつは――!」
それはジークには見知った相手だった。 恐怖よりも自責と後悔の念が押し寄せてくる。
それはあの日、ヨツンヘイムで現れた魔物。
無力だった自分に魔力を暴発させ、兵たちを犠牲にさせた元凶。
しかし今はそれ以外の記憶が自分の中には存在している。
だがジークが口を開き、その名を叫ぶよりも早く、怪物の口の端に光を見たかと思うと、彼の眼前の口には光が溢れ――
「しまった!」
とっさに背を向け、その全身でアーサーを庇う。
しかし次の瞬間、彼もとに届くのは全身を焼く痛みではなく、怪物のあげた激しい悲鳴。
一瞬顔を上げ、続けて地上を見下ろした彼の視界には怪物の足の爪、その付け根へと剣を突き立てるシアルヴィの姿。
――シアルヴィさん!
呼ぼうとするジークにそれより早く、シアルヴィは一瞬正面に伸ばした手を左へ振り抜く。
――行け!
声はない。
だが伝えられたその意志に、ジークは刑場へと背中を向け、人垣の向こうに空を駆ける。
アーサーを抱いた状態で戦うことなどできはしない。
しかし、急がなければ――
空中で静止し、首を振り、視界の端に鋭い光を捉えたジークは時をおかずに急降下する。
彼の正面にはフィアナの姿。
手鏡で彼に合図を送り、ジークが目の前に降り立つとともに、彼の腕からアーサーを受け取る。
フィアナと、その後ろに立つユミルに会釈を送ると、ジークは再び翼を開き、空へと舞う。
――思い出した。いや、知っていた。
自分は、あの怪物を、いやあの竜を!
ヨツンヘイムで再会したとき、自分はそれに気づかなかった。だからこそ魔法を暴発させ、多くの兵の命を奪った。それは間違いなく自分の罪であり、今更申し開きをする気もない。
しかしこのままでは新たな悲劇の幕は開く。
止めるのだ。今度こそ。
焼けた左腕の痛みも厭わず、翼に力を込めると彼は、刑場の中心へと戻っていった。
一方、刑場に残るシアルヴィもまた、目前の巨大な怪物を、攻める術を見いだせずにいた。
黒く輝く鱗に覆われ、三階建ての建物さえも見下ろすそれは、先の攻撃のうさを晴らすが如く、天にも届くほどの咆哮をあげる。
背中に生えた巨躯のわりに小さな翼も、飛行することはないだろうが、どんな力があるのか予想もつかない。
シアルヴィと怪物の間にはいま、大人数十歩分の距離が開いていた。
先の攻撃でジークへの攻撃をそらせることには成功したが、足の爪という急所を刺された怪物の怒りはそのままシアルヴィへと向かい、彼は尾の一撃で弾き飛ばされていた。
剣を盾に、直撃は免れたが、両手のしびれはしばらく剣を握ることも許さないだろう。
また、すでに刑場にいた兵たちの数名はその足や尾をめがけて矢を放ち、魔法を撃ちかけたりもしているが、そのいずれもが効果があるようには見えなかった。
シアルヴィもまた尾撃のおり、剣の刃を尾の当たる側へと向けてはいたが、今その場所には、傷一つとしてついてはいない。
もはやこの牙城とも言うべき怪物を、一体どう切り崩していけというのか。
だが怪物の方も足元で細かく動く羽虫のような存在には苛立ったのか、標的をその足元へと定め、先の赤い光ではなく、黒い炎を口へと灯す。
――まずい!
シアルヴィが周囲を見渡す。
刑場にいた兵たちはほとんどその数を減じていない。
狭い刑場の出口に、大量の兵たちが押し寄せたのだ。止まってしまった人の流れはそう簡単には解消されない。
遥か上で、邪悪な気配が収束していく。
怪物の口に黒く巨大な魔法球が完成する。
「伏せろ!」
そう言うしかなかった。
直後、響いたのは耳をつんざくほどの破裂音と、上空で開く黒い花火。
刑場へ帰還したジークが竜の口元へ魔法を見舞い、その誘爆を引き起こしていた。
「ジーク!」
空を見上げシアルヴィが叫ぶ。
ジークは正面からまっすぐに竜の瞳を見据えていた。




