第6章 第6話 蘇る翼
ジークの腹部を重たい衝撃が襲う。
だが彼は、自身の腹部に突き立てられた刀身を両手でつかみ、視線を上げると『ジーク』の両目を真っ直ぐに見据える。
戸惑うような、わずかに歓喜を感じるような、不思議な雰囲気を持つ大きな瞳。
ジークはおのれの仮定に確信を得たようにわずかに微笑み、剣をつかんだ両手を離すとそのまま力一杯『ジーク』へと伸ばし、絞り出されるような声と共にその両腕に力を込める。
二人の距離が近づき、ジークは自分の腹部に突き立つ刃が、さらに侵攻してきたことを悟る。
――だが、それは不思議な感覚だった。
指先に触れる髪の感覚も、腕が触れる相手の身体も、自身を貫く白銀の刃にさえ――
――間違いなく、これは自分と同じものだ――
『ジーク』の握る剣の先がその身を貫き、背中側へと切っ先が突き出す嫌な感覚が彼を襲う。だがそれでもジークは、相手の身体をなおも抱きよせ、我が腕の中へと固く抱きしめるのだった。
「やっと……やっと会えましたね……」
それは懐かしさか、邂逅の喜びか。ジークの目から涙がこぼれ、直後、その喉から、熱いものが塊となってこみ上げてくる。
ジークが一度咳き込み、彼が顎を肩へと乗せる『ジーク』の背中が、今吐き出されたもので深紅に染まる。
「来てください、ぼくの中へ。……ぼくは……あなたの全てを、受け入れます。」
その言葉に何を感じ取ったのか。『ジーク』の両手は剣から離れ、その目がゆっくりと天を仰ぐと共に彼の両手がだらりと下がる。直後、『ジーク』の身体はその内側からまばゆい光を吐き出し、同時にこの地に異変が生じる。
ジークが耳を寄せていた若い大樹から、乳白色の温水が荒れ狂う奔流となって流れ落ちる。膨大な水量は樹上の楽園を濁流となって押し流し、白銀と紅が彩る二人へ向かう。
だがこのときすでに光の欠片となって消えていく、支えとなっていた『ジーク』を失い、ジークの体はその身に剣を飲み込ませたまま前方へと倒れ、しかし濁流は今にも地に伏さんとする彼の姿さえ、そのまま流れの中と飲み込んでいく。
そして生じた大河は今、自らを生み出した大樹の胎内へと音を立てて、その流れを飲み込ませていく。
しかし、中空となった大樹にはもはやそれを受け止めるだけの力はなく、母なる大樹もまたその頂に抱く楽園ごと、驚くべき早さで自らを崩壊させていった。
白い神殿の中ではどれほどの時が流れていたのだろう。
ふとシアルヴィが何かに気づいたように立ち上がり、上方を仰ぐ。
「どうされました?」
たずねようした大導師が直後、何かに気づいたようにシアルヴィの視線の先を振り返り見る。はるか上方より響いてくる、地響きにも似たとどろき。
やがて――
「ああっ!」
女性の叫びとともに祭壇を、大量の残骸を飲み込んだ『奇跡の泉』の奔流が襲う。瀑布と化した祭壇は膨大な湯煙と砂塵を吹き上げ、神殿内は白い霧に占有される。
「ジーク!」
シアルヴィが友の名を叫ぶが、濁る視界は伸ばした自身の指の先さえ確認させない。
やがて瀑布は徐々にその水量を減じ、濁る霧も少しずつ、彼らに視界を許し始める。
そして彼らによって霧の向こうに祭壇が確認できたとき、その手前には右手に剣を携え、こちらへと背中を向ける一人の青年の姿があった。
「……ジーク?」
シアルヴィの呼びかけに、青年は彼らに背を向けたままわずかにうつむいてみせ、そして瞬時に身を反らせるとともに、周囲に風を巻き起こした。
突如として生じたその風に、その場にいた者たちは反射的に各々の目を手や腕で覆い、再度彼らの視界は遮断される。
やがて、彼らが風の収まりを感じ、その視線を祭壇へと向けたとき、そこに彼らは信じられないものを目にするのだった。
銀の髪を風になびかせ、こちらへと背を向けたままの一人の青年。その背には今、一対の白い翼が広がっていた。
「ジーク……なのか?」
今の風で吹き飛ばされたのか、もはや神殿内に霧は残されていない。
そして、友の名を呼ぶシアルヴィに対し、銀髪の青年はその翼越しにゆっくりと振り向くのだった。
「シアルヴィさん――」
シアルヴィへと向かい振り返った青年の、その姿は間違いなくジークのものだった。だが、何だろうか。何か、今までのジークとは異なるものを、シアルヴィはその青年に対して感じ取った。
そしてシアルヴィのその感情に気づいたのか、振り向いたジークはわずかに彼から視線をそらすが、再度シアルヴィと視線を合わせると今度はしっかりとした口調で語り始める。
「俺の名はジーク――翼を隠す者のジークフリード。ご覧の通り――魔族です。」
そして一呼吸置き、言葉を続ける。
「――俺は、ずっとあなたを欺いてきた。自身が人でないことに気づいていながら、自分を人だと思い込もうとしていた。自分が魔族だと認め、あなたに――置いて行かれることが恐ろしかった――
シアルヴィさん――あなたは俺を――軽蔑しますか――?」
直後、大きな体にジークの体は抱きしめられる。一も二もなくシアルヴィは駆け寄り、ジークの体を抱きしめていた。
「――!」
ジークの目が一瞬大きく見開かれる。
だが彼はすぐに目を細め、シアルヴィの腕の中へとその身を委ねる。
言葉などなくとも、その抱擁で充分だった。背の高いシアルヴィの胸の中、ジークは安堵したように微笑みを浮かべ、そして彼もまたシアルヴィの体を抱き返した。
その様子を導師の女性二人もまた、穏やかな表情で見つめている。
数日が過ぎれば彼らはまた戦場にその身を置くことになるのだろう。
だが今だけは、自身の感情に正直である彼らをただ見守っていてやりたいと、そのような感情が彼女らの中には存在していた。




