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第6章 第1話   穏やかな風

 彼らを囲む木々の間を、穏やかな風が吹き抜けていく。

森の大地を覆う落ち葉の上に、一人はうつ伏せに倒れこみ、もう一人は彼に背中を預けたまま、力なく足を投げ出している。


「あの、帝国の魔術師……」

「ああ……」

「ぼくのこと、知ってるみたいでしたね……」

「そうだな……」


 ゆっくりと語りかけるジークに、シアルヴィもまた、穏やかな口調で答えを返す。

否定は、しない。

かの魔術師がジークを知っていることなど、あの態度を見ればもはや否定のしようもないものであったし、彼自身もこのとき、自身の感情をどう表現すればいいのかわからなくなっていた。


「……ぼくは……」

わずかな沈黙を置いて語られたジークの言葉はゆっくりと消えていき、そしてそれ以上続けられることはなかった。

眠るように意識を失った彼に気付き、シアルヴィは彼を静かに自身の脇へと横たわらせる。

手枷の鎖が友を傷つけぬよう片方の手で引き上げながら、彼は一度だけ、友の頬へと優しく触れる。

そして両手に力を込め、上体を起こすと身体を返し、どうにか座った姿勢をとるのだった。


「……ここは、一体……」

風の告げる温度からすれば、おそらくはアルスターと同じぐらいの気候だろう。

だが、アルスターではない。

周囲を満たす自然の香りも、その手に触れる草の感覚も、全てがアルスターとは異なっている。


自分たちが光に包まれる直前、あの魔術師は何かの印を描いていた。

その印が何であったのか、あのとき目視することはできなかった。

だが、今ならばわかる。

それは、空間系魔法の中でも上位に位置する転移の魔法。

だからこそ自分たちはこうして、追っ手の及ばない場所まで届けられている。

あの魔術師は全てをかけてまで、ジークのことを守ろうとしていた――


 シアルヴィは再び、ジークのほうへと視線を落とす。

もしこの世界に運命というものが存在するなら、今ほどそれを恨んだことは無かった。

なぜ、二人を引き裂いたのか。なぜ、我々を出会わせてしまったのか。

そして、なぜ――


 だがこのとき、自分たちに向かい近づいてくる足音、そして人の気配を感じ、彼の表情は戦士のそれへと変化していった。

武器もなく、立つことすらままならない状況で、意識の無い者をはたして守りきれるのか。

だが、それでも守らねばならない。ジークだけは失わせてはならない。

それがジークと出会い、災厄といってもいい事態にまで彼を巻き込んでしまった自身の責任なのだから。

 気配の方向へ視線を向けたまま、彼はその不自由な身体で、それでも気配とジークの間に自身の身体を割って入らせようとするのだった。


 だが人の気配が間近まで近づいたとき、その感情が敵意ではなく慈愛であると気づいたとき、彼の両手は膝へと落ち、その口からは安堵が漏れた。

 そして相手の放った魔法は風のように彼を包み、彼はそのままいざなわれるように、眠りの中へと落ちていった。

現れたのは一人の女性。

白い神官衣に身を包み、その表情には穏やかな笑みがたたえられていた。



 それから、どれほどの時が流れたのだろう。

白い石造りで統一された神殿の中、寝所とおぼしき部屋にはいくつもの寝床が並べられていた。

そのうちの一つの寝床へと腰掛けたシアルヴィが、その傍らに立つ神官の少女へと礼を述べる。

彼の背後の隣り合うベッドでは、瞳を閉じたままのジークから小さく寝息が聞こえている。


シアルヴィの目は、本来の視界を取り戻していた。

それだけではない。

彼を戒めていた手足の枷は取り払われ、あの魔術師に焼かれた脚も、全身に負っていた傷も、すべてはなかったことのように彼の身体は本来の力を取り戻していた。


「回復魔法……不思議な力だ。」

「その者に生きようとする力が残されている限り、たいていの傷なら、回復魔法は癒すことができます。

 それはあるいは奇跡と呼べるものなのかもしれません。ですが……」

つぶやくように口にしたシアルヴィに対し、少女が穏やかな口調で答えを返す。

そしてその視線がちらりと、彼の目の高さへと向けられてくる。


「――気にすることはない。もう、取り戻せないことなどわかっている。」

「す、すみません!」

その行為に何かを感じたようにシアルヴィが答え、女性があわてて顔を下げる。

 白いフードに見え隠れする金色の髪と神官衣のようなローブに身をつつんだ若い女性。

年齢的にジークとほとんど変わりはしないだろう、少女と言ってもいい年齢のその女性は、神官らしい穏やかさを持ちながらも、その表情にはあどけなさが残されている。

加えて、子供のように首をすくめたその仕草は、彼女を実年齢よりもさらに幼く見せた。


 奇跡の魔法とも呼ばれる回復魔法。

その魔法には傷を癒すだけでなく、解毒など、体内の不浄を取り除くことができる魔法も存在している。

だが、万能ではない。

その力をもってしても、どうすることのできないもの。それは――『死』。


 生命そのものの『死』のみならず、その生命の一部。

たとえば手や足といった身体の一部に対しても、それがまだそれとして機能できる状態ならば回復させることはできる。

だが欠損などにより完全にその機能を失っている場合、それは回復魔法でもどうしようもない。

『死』はあくまでも『死』なのだ。



「しかし、なぜ――」

ややあって、シアルヴィはおもむろに少女へと質問を投げかける。

「なぜあなたは、我々を助けてくださったのですか。」

「えっ?」

「私に嵌められていた枷には帝国の印が刻まれていた。

もう、おわかりなのでしょう。私たちは帝国の脱走者です。

 そして帝国よりの脱走者はその本人のみならず、それを手助けしたもの、かくまったものにさえ、厳しい処罰が科せられている。

 それなのになぜあなたは私たちを助けてくださり、しかもこうして休める場所まで与えてくださっているのですか。」

「それは……」

神官の少女が答えに詰まる。


「それに、何よりも不思議なのはこの場所です。私は今、この場所に奇妙な既知感を感じている。

 ここはまるで――」

「やめてください!ここは、世界樹なんかじゃ……!」

「――今、世界樹と?」


 少女が慌てたように口元を抑え、よろめくように数歩下がる。

だがどうしたところで、一度口から出てしまった言葉を取り消すことなどできるはずもない。

その時だった。


「教えて……ください……」

シアルヴィの声ではない。

振り向いたシアルヴィの視線の先にはいつから目覚めていたのか、ジークがその目を開き、今、身体を起こそうとしていた。


「教えてください、先の……世界樹とはどういうことなのですか?」

ややあって、シアルヴィの力を借り身体を起こしたジークが彼と共に少女の目をまっすぐに見据え、彼女に対して問いかける。

「そ、それは……」

少女はいよいよ言葉に詰まる。

下を向いたまま両手を組み、わずかに指を動かしてはいるものの、彼らと視線を合わせようとはしない。


 どちらとも言葉を発せないまま時は流れ、そして、

「フィアナ、いいのですよ。」

寝所の扉の向こうより聞こえたもう一人の女性の声に、ジークとシアルヴィ、そしてフィアナと呼ばれた少女が顔を上げる。

やがてゆっくりと扉が開き、顔をのぞかせたのは、フィアナの母親といってもいい年代の、彼女と同じ神官衣をまとった女性だった。


「大導師様……」

フィアナがその女性へと呼びかける。

大導師と呼ばれた女性はゆっくりとフィアナ、そして二人の男性へと近づく。


「もう隠しておく必要もないでしょう。ジークさん、そして、シアルヴィさんでしたね。」

名乗っていないその名を呼ばれたことで男二人は互いに顔を見合わせ、そして大導師の方へと視線を戻す。

「あなた方がここへ導かれたのは偶然ではない。

 あなた方の中に宿る世界樹、それこそがあなた方をここへと導いてきた力なのですよ。」

そう語る大導師の顔には相変わらず、穏やかな微笑が浮かんでいた。

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