第四章 家族
久々
あれから少し経った現在、僕は退屈だった。
なにせ、記憶はないものの知識などは大人顔負けなくらいにあるのだ。同い年ぐらいの子供たちが受けている教育などはっきり言って暇つぶしにもなりはしない。
唯一、困ったのは文字の読み書きくらいだったがそれも今は昔の話。簡単だったこともあって、覚えようとすれば簡単に覚えられてしまったのだ。もちろんまだまだ習っていないものはあるだろうがそれは成長と共に覚えていけばいい。
という訳で改めて言うが、僕は退屈だった。
気晴らしに外で体を動かそうにも目覚めたばかりの体では激しい運動なんてもっての外。正直、十秒走ったら前のように倒れる自信があるくらいに今の僕は虚弱だった。
なので、暇潰しは必然的に室内でやれることに限られた。数少ないその中で僕が選んだのは本を読むことだ。
もちろん子供向けの絵本など見る気も起きないので、それ以外の本をエメリアに要求。何冊か出された中で興味を持ったのはやはりと言うべきか魔法関連の物だった。
なにせ専門的などを除けばかなりの知識があるこの頭の中にまったく情報がないのだ。当然ながら興味が湧くし、知的好奇心を刺激される。もちろん他にも歴史書などの本もあったが、それも魔法の歴史が入っているから熱心に読めた部分は否定できない。
そうして他の子が外で遊んでいる間も僕はずっと本を読んでいた。
ちなみに僕は一人部屋だった。どんな魔法が宿っているかわからないので、他人に悪影響が出ないとも限らないかららしい。賢明な判断だと思う。
そう言うわけで誰にも邪魔されることなく僕は書庫のようなところにある本を自分の部屋に運び込んでは読むのを繰り返していた。
そう、今日までは。
「相部屋?」
「そうよ。今日からだから用意しておいて」
そうして半年が経過した時に急にエメリアからそう告げられ、僕の部屋は二人部屋になった。未だに僕の固有魔法は分かっていないのだが、半年もの間色々な人と接しても以上が現れる人が出なかったため安全と判断されたらしい。
正直、一人でいる方が気楽だったのでこれは拒否したかったが世話になっている身で断れるわけもないのだった。
「それで、この子が同居人ですか?」
「この子ってあなたより二つも年上よ。名前はクレア・レイジェニア、八歳よ」
「こ、こんに……ち、は」
人見知りをするのかエメリアの服を掴んで半ば体を隠しながらの自己紹介だった。挨拶も最後の方は掻き消えてしまったし、相当シャイなようだ。
「僕はアッシュ。よろしくね」
年上と言ってもお互い子供なのだし敬語を使う必要はないと判断した。
「よ、よろしく、おねがいします」
クレアの方はそうは思わなかったようだが。本当にこれで僕より年上なのかと疑う気持ちすら浮かんできた。
(まあ、僕が変なんだろうけど)
同年代の子供を見る限り、どう贔屓目に見たって僕は異常だ。大半のこの施設の子供はそんな僕のことを迫害はしないものの気味が悪いのかあまり近寄ってこない。
そして、それを仕方ないこととして強がりでなく受け入れてしまえる自分はやはりどこかおかしいのだろう。
「クレアはまだここに入ったばっかりだからいろいろ教えてあげてね」
「よし、クレア。まずは職員に向かっての皮肉と嫌味の言い方について教えてあげよう」
冗談だったのにエメリアは容赦ない鉄拳をくらわせてきた。虚弱体質の人間にこんな暴力を振るうなんてひどい大人もいたものだ。
「僕はか弱いんだから、もう少し優しくしてくれてもいいんじゃないかな? 年齢三十二歳のエメリア先生」
「あらあら、死にたいのかしら?」
眉間に青筋たてたエメリアに僕は両手を上げて降参を示す。だというのにもう一発の制裁が下された。まったく暴力女とはエメリアのためにあるような言葉だろう。
「まったく、これだからまだ独身なんだよ」
ここで引かずにもう一歩先へ進むのが男ならぬ漢というものだ。僕は聞こえるかギリギリの声量でそう呟く。
「あらあら、何か言ったかしら? とってもお利口なアッシュ君」
「あはは、何も言ってないですよ。空耳じゃないですか? とっても綺麗なエメリア先生」
一言一言区切るようにして発せられたエメリアの言葉に死の恐怖を感じて僕は直立不動の態度で反省を示した。声に本気の殺気が込められている。
これを踏んだら即死はまぎれないので流石に回避するしかない。僕は地雷原に突っ込んで隙間を駆け抜けるのは好きな方だが、断じて死にたがりではない。地雷を踏みたくはないのである。
一通りのイタズラを終えた後、オロオロしているクレアに向かってこっそりウインクをしておいた。
それで向こうもイタズラを仕掛けていたのが分かったらしく、
「……ふふ」
小さく、けれど確実に笑った。こうして改めて目にすると思うが、やはり子供はやはり笑顔が一番だ。
もちろん自分のことは除くが。
僕が無邪気に笑ったところを想像しても寒気と怖気を生む気しかしない。我ながら可笑しな話だが納得できてしまうのだから仕方ないだろう。前にエメリアもそんなようなこと言っていたし。
クレアが笑ったのを見てエメリアも仕方ないといった表情をすると、パンっと両手を叩く。
「それじゃあ、これから一緒に過ごす仲になるんだし私は退散させてもらおうかしら。大人がいると色々と話しづらいでしょうし」
「その心は?」
「後は全部任せたからよろしく」
この人もやはり大概だ。普段、子供たちの前では優しいお姉さんなのにその本性ときたら研究熱心なめんどくさがりだから質が悪い。対処しきれないことなどは他の同僚などに押し付ける面を何度も目撃したし、僕もこうして何度も被害にあっている。
まあ、それでいて適任の人物を指名して一度もトラブルに陥っていないのだから優秀だし、子供の事情を気遣う情もあるのだろうけど。
僕はわざとらしく大きなため息をついた後、首を縦に振った。
わざわざあまりほかの子供とうまくいっていない僕を指名しているところを見るとクレアに何か問題があるのは間違いない。それを僕ならどうにかできるとエメリア判断したのならそれに従うことに異存はなかった。
拾われて世話になっている身だ。それくらいの恩返しはしない罰が当たるというものだ。その分、皮肉や嫌味は三割増しにさせてもらうけれど。
「それじゃあよろしくね。クレアのアッシュなら大丈夫だから安心しなさい。まあ、いきなりは無理かもしれないけど、じきにあなたにもわかるから」
クレアは躊躇っていたようだがエメリアの目をじっと見つめるとやがては頷く。信頼しているようで何よりだ。
「それじゃあ、またね」
そう言ってエメリアが部屋から出ていくと、僕とクレアの間には沈黙が降り立った。まあ、先程からの様子からして積極的に話しかけるタイプでないのはわかっていたから予想通りだけれど。
ともすればこちらから行動するしかない。そして僕は、必要な時は除くが、回りくどいことははっきり言って性に合わない。
なので単刀直入という言葉を実践することにした。
「さて、クレア。君は何を抱えているんだい?」
「え!? ……あの、えっと、その」
いきなりこんな風に尋ねられると思っていなかったらしくクレアは動揺を隠せずにいた。目があっちこっちに行ったり来たりとよく目が回らないものだと感心するくらいに。
どんどん涙目になっているし、このままでは泣かれかねないので助け船を出すことにした。
どんな問題を抱えているにせよ、言ってくれなければこちらは対応できない。放置していいならそれで構わないが、そんなことを望んでエメリアは僕の元にこの子を連れてくるわけがなかった。
それにこれから一緒に過ごす内に嫌でもわかってしまうはずだ。こんな子供が自分の秘密を隠し切れるとは思えないし、それを推測で知ってしまうのは些か卑怯な気もする。
「そんなに怖がらなくてもいいよ。僕だって色々とおかしいところはあるし、気持ちはわかると思うよ」
「……ほんとに? ……怒ったりしない?」
「うん、約束するよ」
僕はそう言って小指を伸ばす。この行動にクレアは目をキョトンとさせていた。
(あ、そうか。僕の常識が通じるとは限らないのか)
ほとんどの常識や知識はこの世界でも通じたとはいえ、例外がなかったわけではない。こうして指切りげんまんを始め、ところどころ大人ですら知らないことを僕は知っていたりするのだ。もちろん、僕が間違った知識を持っている可能性も否定できないけれど。
「小指同士を繋げて約束をするんだけど、一種のおまじないみたいなものかな」
「おまじない?」
「そうだよ。おまじないは嫌いかな?」
クレアは首を横に振る。このぐらいの齢の子はそういうのが好きなものだったと記憶しているが、それは間違いではないらしい。
クレアはしばらく迷っていたが、やがて決心したのかゆっくりと小指を伸ばしてくる。
そして小指同士が絡まった。その時クレアは少しだけ嬉しそうにしているのに違和感を覚えたが、今は気にしないことにした。
今はおまじないをしっかりとやること。子供相手だからといって手抜きはよくない。
「これでおわり?」
「いや、最後に魔法の言葉を言って終わりだよ」
定番の言葉を教えて、二人で一緒におまじないを唱える。最初は戸惑ってほとんど声を発してなかったが、徐々に声を出してきていた。
そして最後の部分を二人で、
「「ゆーびきった!?」」
と言い終えた瞬間、手に熱と痛みが同時に走る。それに対して反射が働いたようで、少々勢いよく手を放す結果になってしまった。
一応、掌をじっくりと観察してみるが怪我はない。いったい何が起こったのかと思ってクレアの方を見ると、
「ご、ごめんなさい。ごめんなさい!」
今にも泣きそうな顔して必死になって頭を下げていた。
どうやらクレアはこれに対して心当たりがあるらしい。しかもこの様子だとこれこそがクレアが僕と同室になった理由なのだろうことは容易に推測できた。
とにかく理由がなんだろうとこのままクレアを泣きそうなまま怯えている状態にしているわけにもいかなかったので、僕はそっと手を伸ばすと下げていた頭の上に乗せてゆっくりと撫でる。
身長は向こうが高かったから若干やり辛かったのはここだけの話だ。
「……え?」
一瞬、ビクリと身を震わせたクレアだったが、自分が頭を撫でられているとわかったのか目を丸くして顔を上げた。
「そんなに怖がらなくてもいいんだよ。だって僕は怒ってないんだから」
「な、なんで?」
「なんでって、わざとじゃないんでしょ?」
「……うん」
「だったら怒る理由なんてどこにもないよ。だからそんな泣かなくてもいいし、謝らなくてもいいんだよ」
ゆっくり、安心させてあげるように頭を撫でながらそう言い聞かせる。しばらく母線とこちらを見てされるがままだったが、
「っつ!?」
またしても痛みと熱が走り抜ける。どうやらこの痛みは触れていると起こるようだ。
それに今度はしっかりと目撃もしていた。一瞬だが、電気のようなものがクレアの体を走っているのを。
どうやらこれがクレアの固有魔法らしい。コントロールできていないのか触れている相手にある程度の電気を流してしまうようだ。まあ、わかっていれば耐えられないものじゃない。
ただそれなりの物だし、これが他の子どもだったら痛みで泣き出してもおかしくはないのもまた事実。僕が選ばれたのも納得がいくというものだった。
かくいう僕も決して痛みに強いわけではないが弱くもなかった。あえて言葉にするなら慣れているというべきか。まるで経験したことがあるかのようにどうしたら耐えられるか、気を紛らわせるやり方などが何となくわかるのだ。
(まったく、僕の方が異常だね)
「あの、痛くないの?」
それから何回か痛みが奔っても手を放すことなくずっと頭を撫で続けているとクレアがそう尋ねてきた。どうやらクレアも電気が奔っているのはわかるらしい。
「いや、痛いことは痛いかな」
どうせなら痛みに対して物凄い耐性でもあればよかったのだが、そう言う物はないらしい。なんとも中途半端な恩恵である。
まあ、何度か繰り返してきている内に慣れてきたけど。
「じゃあ、なんで離れないの?」
「うーん、なんでだろう?」
言葉にするのは簡単だが、それは些か陳腐が過ぎるというものだ。
「こうしたいから、じゃダメかな?」
「ダメじゃないけど……へんなの」
「もしかして頭を撫でられるのは嫌い?」
されるがままな時点でそれはないことはわかっていたが一応尋ねる。万が一という場合もあるし。まあ、案の定というか首は横に振られたけど。
そのまましばらく互いに無言で僕だけが頭を撫で続けるという、傍から見ればわけのわからない光景が続いた。
だが、それも長い間ではない。
次第に顔を伏せていったクレアの口から少しずつ嗚咽が漏れ始める。そしてそれはどんどん大きくなっていった。
怒らないでと言ったことや、こちらに触れること怖がりながらもそのことに嬉しそうにした態度からこの子がこれまでどんな扱いを受けていたのかは何となく想像がつく。そのことを今は聞いたりはしない。
「大丈夫だよ」
身長的に厳しかったがどうにかクレアの体を抱きしめて背中を優しくあやすように叩く。そんなこと気にしなくてもいいと教えてあげるために。
少なくとも僕はそんなこと気にしない。本心からそう思っていた。
ますます泣き声は大きくなっていくが、クレアの手は僕の服をギュッとつかんで離そうとはしなかった。どうやら少しは信頼を勝ち取れたみたいだ。
「うああああああああああああああああん!」
「ああ、鼻水で顔がぐじゃぐじゃないか」
その後、泣き疲れて寝入るまで僕はクレアをずっと抱きしめ続けた。