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私はここにいる

作者: 晴歌



「かみさま。私は何のために産まれてきたの?」


そのことで毎日私は悩んでいた。


悩むようになったのは小学生になった頃からだ。

親が離婚し私は母親と2人暮らしを始めた。

学校では私が人見知りなせいか友達ができずいつも一人だった。


家に帰ると母は仕事でいなかった。


いつも夕方の6時に帰宅する母。


私は一人で母の帰りを待っていた。


帰って来た母はすごく疲れていた。

だけど

「今からご飯作るから待っててね」

満面の笑みで私に言った。


私はそんな母を見るのがつらくてしかたなかった。

でも、疲れているのに私の面倒みてくれた母が大好きだった。


この生活はずっと続いた。

私がいるかぎり・・・。


私がいなかったら母は仕事が終わって

家に帰ったら自分の好きなことができる。


私がいるから母は仕事が終わってからも頑張るんだ。


ごめんね。お母さん。


小学4年生のときだった。

学校にもなれた私は毎日が楽しくてしかたなかった。


でも、夏休みに入る前。

母が私に「大事な話があるの」っと悲しげな顔で言った。


母はこう言った。

「学校楽しい?」

私は、

「うん!!楽しいよ」

母は私がそういうと少し悲しげな顔になり

「あのね。引っ越ししようとおもってるの」

私はその言葉に理解できず

「どういうこと?」

母は

「おじいちゃんとおばあちゃんが住んでるところに

引っ越ししようと思ってるんだけどそうなると学校かえなくちゃいけないの。」

ようやく理解できた私はただ泣くことしか出来なかった。


それから数日後。

私は引っ越した。

新しく住むところはすごくいいところだった。


だけど、学校にはまったくなれなかった。

学校では居場所がなく家が私の居場所だった。


ある日

学校から帰って来た私は置手紙があることに気づいた。

「おかえり!今日は仕事おそくなりそうだから自分でご飯作って眠たかったら先寝てていいからね」

母からの置手紙だ。


最近は仕事が忙しくいつも帰ってくるのが遅くて

私はいつも家事などをしていた。


そんな生活は中学生になっても続いた。


この生活にたえれなくなったのは中学2年生になってからだ。


私は生まれたときから体があまり強くない。

風邪などになりやすい体質だった。


中学1年のとき私は「バセドウ病」になった。

原因は不明の病気だ。

薬を毎日飲まなくてはいけなくなった。


中学2年のときその病気が悪化し入院をした。

1ヶ月入院することになった。


入院中、母は毎日お見舞いに来てくれた。

仕事で疲れているのに毎日来てくれた。

また迷惑をかけてしまった。


退院した私はしばらくは家で安静にしていた。

というか学校に行きたくなかった。


理由はいじめにあっていたから。

私は女子とは馴染めず男子と喋るほうが多く女子に嫌われいじめにあった。

だから入院をきっかけに不登校になった。


でもある日行こうと思って行ったらみんなが声をかけてくれて

いじめはなくなった。


それから私は毎日学校に行った。


本当に毎日が楽しくなった。


ある日、学校で席替えがあった。

私の隣は喋ったことのない男子だ。

だけど自然と喋るようになり仲良くなった。



私は恋をした。



彼に夢中だった私は告白をした。

だがフラれた。


フラれたショックで私は泣いて泣きまくった。


そして私は物事全てをマイナスに考えるようになった。

毎日、泣いていた。

寂しかった。

自分は生きていないような気がした。

だから私は自分が生きていると実感したくて

リストカットをしてしまった。

そして私は「うつ病」になった。


母にリストカットをしてることがばれ、精神科に通わされた。

週に2回、私は診察を受けた。

だがリストカットは悪化していった。

日に日に回数は増えついには依存してしまった。

止められなくなった。


リストカットだけぢゃ物足りなかった私は睡眠薬を大量に飲んだり

マンションから飛び降りたりするようになった。

医者には「境界性人格障害になっています。」と言われた。

境界性人格障害とは思春期または成人期に生じる人格障害である。


私は死にたかった。


だけど死ねなかった。

何度も自殺行為をした。

なのに死ねなかった。


死にたい。


でもある日、母が私に

「産まれてきてくれて、ありがとう」と言った。

反抗期だった私は母を無視したがすごく嬉しかった。


私は生まれてきてよかったんだ。

そう実感した。


それから私は、カウンセラーにも通うことにした。

入院もして治療を始め、私はリストカットや自殺行為をやめた。


大変だったけど母が一緒に頑張ってくれた。


私は25歳になった。

中学時代に付き合っていた人と私は結婚をした。

彼に私のことを話したとき

「頑張ったんだな。えらいえらい!!」と笑顔で私を受け入れてくれた。

本当に生きていて良かった。


今、私のお腹の中には小さな命が宿っている。

私は改めて命の素晴らしさを知った。


私はここにいる。

生きている。

死ななくてよかった。


お母さん。

私を産んでくれてありがとう。

いままでごめんね。

でも本当にありがとう。








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