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No.13 秋風の旗(岩手県葛巻町)

作者: 常時謙仕
掲載日:2026/10/01

『ふるさとに咲く物語』

シリーズ第13作 『秋風の旗』

作者:常時謙仕(とこときけんじ)

第一部 起 ――山の学校


昭和六十年、十月。

岩手県葛巻町の山あいでは、朝の空気がひんやりとしていた。

山の木々は赤や黄色に色づき始め、学校へ続く坂道には、乾いた落ち葉が重なっている。

「かさっ。」

風が吹くたび、落ち葉が坂を転がった。

小学六年生の大地は、ランドセルを背負いながら、坂の下を見た。

小さな集落が見える。

屋根。

畑。

牧草地。

その向こうには、幾重にも山が重なっている。

この町では、牛を飼っている家も多い。

大地の家でも、祖父が牛の世話をしていた。

「大地、遅れるぞ。」

家の前から祖父の声がした。

「今行く!」

大地は坂を駆け上がった。

学校では、来週の「秋のふるさと祭り」の準備が始まっていた。

今年は、学校だけではなく、地域の人たちも参加する。

収穫した野菜を並べたり、昔の道具を展示したり、郷土芸能を披露したりする。

体育館の隅には、古い木箱が置かれていた。

その横に、一本の旗が立てかけてある。

大地は立ち止まった。

「それ、何?」

五年生の洋子が答えた。

「昔の学校の旗だって。」

「昔の?」

「うん。今の学校になる前に使ってたんだって。」

先生がやってきた。

「よく見つけたね。」

先生は旗を見た。

布は少し色あせていた。

けれど、中央には学校の印が残っている。

「この旗は、昔の子どもたちが大切にしていたものなんだよ。」

「じゃあ、祭りで使うの?」

「そうする予定です。」

大地は旗を見た。

自分たちの学校より、ずっと前から、この旗はここにあった。

そのことが、少し不思議だった。


昼休み。

教室のラジオから、ニュースが流れていた。

先生が音量を少し上げる。

「……地方の人口流出について――」

大地は弁当を食べながら聞いていた。

町から若い人が出ていく。

学校を卒業すると、町を離れる人も少なくない。

大地の兄も、高校を卒業したら町の外へ行くかもしれない。

「うちの兄ちゃんも出ていくのかな。」

隣の席の洋子が言った。

「分からない。」

「都会のほうが仕事があるんだって。」

大地は答えなかった。

窓の外を見る。

校庭の端に立つポプラの木が、秋の風に揺れている。

「ざわざわ……。」

先生が言った。

「だからこそ、地域に残っているものを大切にしようという人もいるんだ。」

大地は古い旗を思い出した。

昔の学校。

昔の子どもたち。

今の自分たち。

旗は、その全部を知っているように見えた。


放課後。

大地は先生に呼ばれた。

「大地くん、お願いがあるんだけど。」

「はい。」

「来週の祭りで、この旗を体育館から校庭まで運んでほしいの。」

大地は旗を見た。

「ぼくが?」

「うん。六年生だからね。」

「分かりました。」

大地はうなずいた。

その日の帰り道。

山の向こうに夕日が沈みかけていた。

大地は坂道を歩きながら、古い旗のことを考えていた。

自分が持つ。

昔から続いてきたものを、自分が次へ渡す。

そう考えると、少し背筋が伸びるようだった。


第二部 承 ――受け継ぐもの

祭りの前日。

学校では最後の準備が行われていた。

体育館には、地域の人たちが集まっている。

祖父母くらいの年齢の人もいれば、大地たちと同じ小学生もいる。

昔の写真を並べる人。

野菜を運ぶ人。

机を拭く人。

それぞれが自分の仕事をしていた。

大地は古い旗の前に立った。

先生が言う。

「明日は、開会式でこの旗を掲げます。」

「はい。」

「運ぶときは、二人で持とう。」

「ぼく一人じゃだめですか?」

「大事なものだからね。」

大地は少し考えた。

「でも、ぼく、ちゃんと持てます。」

先生は笑った。

「そうだね。でも、大事なものだからこそ、一人で全部やろうとしなくていい。」

大地は黙った。


その日の夕方。

大地は祖父の家に寄った。

牛舎から牛の鳴き声が聞こえる。

「モオ……。」

祖父が飼料を運んでいた。

「じいちゃん。」

「何だ?」

「昔の学校の旗を、明日運ぶんだ。」

「そうか。」

「昔の人も、この旗を見てたのかな。」

祖父は少し笑った。

「見てたさ。」

「どんな人?」

「いろんな人だ。」

祖父は牛舎の扉を閉めた。

「学校へ行く子もいた。学校を出て町を離れた子もいた。家に残って働いた子もいた。」

「じゃあ、みんな同じじゃないんだ。」

「当たり前だ。」

祖父は言った。

「同じ村で育っても、歩く道はそれぞれ違う。」

大地は考えた。

兄も町を出るかもしれない。

それでも、ここで育ったことまで消えるわけではない。

「じゃあ、旗は何のためにあるの?」

大地が聞くと、祖父は少し考えてから答えた。

「忘れないためじゃないか。」

「何を?」

「自分たちが、どこから来たかを。」

大地は、その言葉を覚えておこうと思った。


翌朝。

祭りの日。

空は高く晴れていた。

山の木々が赤く、黄色く染まっている。

校庭には、地域の人たちが集まっている。

大地と洋子は、旗を運ぶ係になった。

「せーの。」

二人で持ち上げる。

布が風を受けた。

「ばさっ。」

大きく広がった旗が、秋の空の下で揺れる。

大地は思った。

きれいだ。

古いのに、まだ力がある。

二人は校庭の中央へ向かった。

そのときだった。

突然、強い風が吹いた。

「びゅうっ。」

旗が大きくあおられた。

大地の手から、旗の柄が少しずれた。

「危ない!」

洋子が声を上げた。

旗が傾く。

大地は反射的に手を伸ばした。

その瞬間――

旗の柄が、

「ごとん。」

と地面に当たった。

大地は旗をつかんだ。

けれど、その勢いで、旗の先が近くに置いてあった展示台にぶつかった。

古い写真が何枚か落ちた。

「大丈夫?」

先生が駆け寄ってきた。

「はい……。」

大地は旗を握ったまま立っていた。

周りの人たちがこちらを見ている。

大地は旗を見た。

布には、少し土がついていた。

「ごめんなさい。」

先生は旗を受け取った。

「けがはない?」

「ありません。」

「それならよかった。」

大地はうなずいた。

けれど、その後の開会式で、大地はほとんど旗を見られなかった。


昼休み。

大地は一人で校舎の裏にいた。

洋子がやってきた。

「大地。」

「何?」

「さっきのこと、気にしてる?」

大地は答えなかった。

「だって、ぼくが勝手につかんだから。」

「でも、倒れそうだったから。」

「それでも。」

大地は地面を見た。

「先生は二人で持てって言ったのに。」

洋子は黙った。

大地は続けた。

「ぼく、一人で守れると思った。」

風が吹いた。

落ち葉が二人の足元を転がっていく。

「かさっ。」


その夜。

大地は祖父に話した。

「ぼく、悪かったのかな。」

祖父はすぐには答えなかった。

「旗を守ろうとしたんだろう?」

「うん。」

「じゃあ、守ろうとした気持ちは悪くない。」

大地は顔を上げた。

「でも?」

「気持ちと、やり方は別だ。」

大地は黙った。

祖父は続けた。

「牛を動かすときもな、力いっぱい引けばいいってもんじゃない。」

「じゃあ、どうするの?」

「牛の様子を見る。」

大地は、昼間のことを思い出した。

旗が傾いた。

自分は「守らなきゃ」と思った。

そして、すぐに手を出した。

「先に考えればよかった。」

祖父は何も言わなかった。

ただ、薪を一本、火のそばへ置いた。


第三部 転 ――秋風の中で

祭りの翌日。

学校では、昨日の写真を整理していた。

落ちた写真の中に、一枚だけ古い写真があった。

今の学校とは違う校舎。

今より少ない人数の子どもたち。

その中央に、昨日の旗と同じ印が写っている。

大地は写真を見つめた。

「この人たち、今はどうしてるんだろう。」

先生が答えた。

「分からない人も多いね。」

「町を出た人も?」

「そうだろうね。」

大地は写真を見た。

昨日、先生が言った言葉を思い出す。

「大事なものだからこそ、一人で全部やろうとしなくていい。」

その意味が、少しだけ分かった気がした。


昼休み。

先生が大地を呼んだ。

「大地くん。」

「はい。」

「来月、地域の集会所に、この旗を持っていくことになったんだ。」

「ぼくが持ちます。」

大地は答えた。

先生は少し笑った。

「今度は、誰と持つ?」

大地は考えた。

「……洋子と。」

「うん。」

大地はもう一度、旗を見た。

「それから、持つ前に、どうするか相談します。」

先生はうなずいた。

「それが大事だね。」


放課後。

大地と洋子は、旗をしまうために体育館へ向かった。

体育館の窓から、秋の光が差し込んでいる。

床に細長い光が伸びていた。

二人で旗を持つ。

「せーの。」

旗が持ち上がる。

今度は、急がない。

風の向きを見る。

足元を見る。

相手の手を見る。

そして、歩く。

体育館の奥には、古い木箱が置いてある。

その箱には、昔の学校の道具がしまわれている。

大地が箱を見た。

「これ、いつからあるんだろう。」

「先生に聞いてみようか。」

「うん。」

大地は、手を伸ばしかけた。

しかし、止めた。

「……先に聞こう。」

洋子が笑った。

「うん。」

二人は先生を呼びに行った。


その日の帰り。

大地は校門のところで立ち止まった。

空が赤く染まっている。

山の向こうから、冷たい風が吹いてきた。

「ひゅるる……。」

校庭の旗が、静かに揺れている。

大地は昨日のことを思い出した。

守ろうとした。

だから、手を出した。

でも、大切なものだからこそ、自分一人の判断だけで動かしてはいけないこともある。

誰かに相談する。

役割を確かめる。

相手の動きを見る。

そして、自分にできることをする。

大地は、古い旗を見上げた。

その旗には、昔の子どもたちの時間が重なっている。

町を出た人。

町に残った人。

牛を育てた人。

山で働いた人。

学校で学んだ人。

そして、今ここにいる自分たち。

風がまた吹いた。

旗が、

「ばさっ。」

と広がる。

大地は、その音を聞いた。

不思議と、昨日とは違って聞こえた。

旗は、誰か一人のものではない。

だからこそ、

一人で守ろうとしなくてもいいのかもしれない。

大地はランドセルを背負い直した。

そして、坂道を下り始めた。

秋の夕暮れが、山の向こうへ少しずつ沈んでいく。

校庭では、古い旗がまだ風の中にあった。

大地は一度だけ振り返った。

その先にある明日のことを、まだ知らないまま。

――。


All Rights Reserved.

2026©tokotokikenji

とことき文庫

『ふるさとに咲く物語』シリーズ第13作

『秋風の旗』(岩手県葛巻町)

教師用虎の巻


作者:常時謙仕(とこときけんじ)


1 作品の基本情報

舞台:岩手県葛巻町

時代:昭和60年(1985年)

季節:秋

主人公:小学6年生・大地

聖書的モチーフ:歴代誌第一 13章9~10節・ウザ

主題:善意だけで動くのではなく、自分の役割と方法を考え、周囲と相談しながら行動すること


本作では、歴代第一13章に登場するウザの物語を、そのまま宗教的な教訓として扱うのではなく、現代の児童が自分自身の経験と重ねられるように再構成している。

ウザの行動には、「大切なものを守ろうとする」という善意があった。しかし、善意があることと、その方法が適切であることは同じではない。

そこで本作では、主人公の大地が「旗を守ろう」としてとっさに手を出した場面を中心に、「よいことをしようとしたのだから、それでよいのか」という問いを生み出す構成とした。


2 この作品で考えたいこと

本作の中心となるのは、「気持ちと、やり方は別だ。」という祖父の言葉である。

大地は、旗を倒さないようにした。行動そのものだけを見れば、「助けようとした」と評価できる。

しかし、その結果として展示台にぶつかり、地域の古い写真を落としてしまう。

ここで教師が、「大地は悪かったのでしょうか」と単純に問うと、道徳的な正解探しになってしまう。

むしろ、

大地は何を守ろうとしたのか。

なぜ、とっさに手を出したのか。

「助けること」と「正しい方法で助けること」は同じなのか。

自分一人で判断することと、誰かに相談することにはどんな違いがあるのか。

善意があれば、方法は問わなくてもよいのか。

という問いへ広げたい。

本作では「正しい行動」を一つ提示することよりも、自分の行動を一度立ち止まって考える習慣に価値を置いている。


3 ウザとのつながり

歴代第一13章9〜10節では、契約の箱を運ぶ途中、ウザがそれを支えようとして手を伸ばす。

本作では、この場面を直接的に描写せず、「大切なものを守ろうとして、とっさに手を出す」という構造だけを取り出した。

これは、ウザを単純な「悪い人物」として扱わないためでもある。

大切なのは、「ウザは悪かった」と結論づけることではなく、「大切なものを守るためなら、何をしてもよいのだろうか」という問いを残すことである。

児童に聖書本文を紹介する場合も、ウザの行動について教師が一方的に解釈を決めるのではなく、本文を読んだ上で、「ウザは、何をしようとしたのだろう」「もし自分がその場にいたら、どうしただろう」と考えさせると、本作とのつながりが見えやすい。


4 葛巻町という舞台の意味

岩手県葛巻町は、北上山系の山間部に位置し、広い森林や酪農など、自然と地域の暮らしが密接に結びついた町である。

本作では、単に「岩手県の田舎」を描くのではなく、「山・風・旗・地域の人々」を一つのまとまりとして描いた。

特に「風」は重要なモチーフである。

旗を動かす風は、大地が予測できない出来事の象徴でもある。

人間は、風そのものを止めることはできない。しかし、風を見て、旗の持ち方を考えたり、誰かと支え合ったりすることはできる。

この構造によって、「自分の力だけで何とかする」から「周囲と状況を見ながら対応する」という大地の変化を表現している。


5 昭和60年という時代背景

昭和60年は、地方の人口流出や過疎化が社会的な課題として意識されていた時代である。

本作では、この問題を説明的に語らず、「兄が町を出るかもしれない」という大地の身近な出来事に置き換えた。

ここで重要なのは、都会へ出ることを「悪いこと」として描かないことである。

地域から若者が出ていくことには、それぞれの進学や仕事、人生の選択がある。

したがって授業では、「町に残ることが正しい」という方向へ誘導しないことが大切である。

むしろ、「自分が大切だと思うものを、誰か一人だけが背負わなくてもよい」という本作の主題につなげたい。


6 授業で大切にしたい場面

① 旗が傾く場面

大地がとっさに旗へ手を伸ばす場面では、「大地はなぜ手を伸ばしたのだろう」と問いたい。

「先生に怒られるから」だけではなく、「旗を守りたかった」「みんなの大切なものだと思った」「自分が何とかしなければと思った」など、複数の読みが出てくることが望ましい。


② 祖父の「気持ちと、やり方は別だ」

本作の中心場面である。

「気持ちが正しければ、やり方も正しいと言えるか」という問いにつなげられる。

これは学校生活にも、

友達を助けようとする

忘れ物を届ける

掃除を手伝う

班の仕事を代わる

トラブルを止めようとする

など、さまざまな場面で応用できる。


③ 最後に大地が木箱に手を出さない場面

ここは非常に重要である。

大地は、以前なら「自分が何とかしよう」と手を伸ばしたかもしれない。

しかし今回は、「まず聞いてみよう」と立ち止まる。

ここに主人公の変化が表れている。

「何もしなかった」のではない。

「考えてから行動する」という新しい行動を選んだのである。


7 授業で避けたい扱い

本作では、「善意でも失敗するから、勝手なことをしてはいけない」という結論だけにしないことが重要である。

それでは児童の自主性を抑える教材になってしまう。

また、「何でも先生や大人に相談すればよい」という結論にも限定しない。

本作が目指しているのは、「自分で考えること」と「一人で決めること」は違うという理解である。

考えた上で相談することも、自分で判断することの一部である。


8 編集委員による評価

総合評価 ★★★★☆ 4.5/5


第13作は、シリーズ第12作からの主題の発展が明確である。

第12作では「自分の見方を見直す」ことが中心であったのに対し、本作ではさらに一歩進み、「自分の判断だけで動くのではなく、周囲との関係の中で行動を考える」という方向へ展開している。

特に評価できるのは、ウザという聖書人物を「罰を受けた人物」として単純化せず、物語の構造として取り入れた点である。

「大切なものを守りたい」という善意を出発点にしたため、児童が大地を一方的に批判しにくい。その分、「善意とは何か」「適切な行動とは何か」という二つの問題を切り分けて考えられる。

また、葛巻町という舞台選択もシリーズの方向性に合っている。山間の町、風、森林、地域の祭り、古い写真、旗という要素が互いに結びつき、「地域に受け継がれてきたもの」という作品の背景を自然に形成している。

一方で、編集上の注意点もある。

最大の注意点は、作品の主題を教師が説明しすぎると、物語の余白が失われることである。

特に、「ウザのように勝手に触ってはいけない」「何かするときは必ず相談する」という単純な教訓にまとめてしまうと、本作の持つ奥行きが小さくなる。

本作の価値は、「行動すること」と「立ち止まって考えること」の両方を肯定している点にある。

また、昭和60年の過疎化という社会背景についても、児童に「地方は衰退している」という印象だけを残さない配慮が必要である。

兄が町を出る可能性と、地域に残る人々の姿を対立させず、「地域を大切にする方法は一つではない」という読みを可能にしたい。


■ 編集委員総評

第13作は、シリーズ前半の「自分と他者」の関係から、後半へ向けて「自分と地域」「自分と役割」へテーマを広げる作品として有効である。

特に、「気持ちと、やり方は別だ。」という一文は、本作を象徴する言葉として強い。

児童に「正解」を与える作品ではなく、「自分が正しいと思ったときほど、一度立ち止まって考えてみる」という姿勢を残せれば、本作は道徳教材として十分な力を持つ。

第13作は、シリーズ全体の中でも「行動する前に考える」という重要な転換点となる作品として位置づけたい。


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