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ラスボスの姉と悪役令嬢の妹

作者: 佐々垣
掲載日:2025/12/27


「アスタルテ・ブランシャール侯爵令嬢! 貴様との婚約は今日をもって破棄させてもらう。そして、ロゼット・ブランシャール侯爵令嬢との婚約を、ここに宣言する!」


 眩い金髪に深い海のような碧眼、真白な制服がよく映える彫刻のような美丈夫。十人いれば十人が振り向き、百人いれば百人が惚れ込む美しさ。そんな目に悪いほどの輝きを持った第一王子フィリップが、離れた位置にいるアスタルテに叫ぶ。アスタルテはそんな輝きを深緑の瞳で睨み返し、ゆったりと振り向いた。

 今は記念すべき卒業パーティーの真っ只中。主役はアスタルテを始めとした卒業生で、在校生は一部のみその参加が許されている。その、会場内では脇役に位置するであろう在校生のフィリップは、しかし第一王子という立場を笠に着て注目を集めていた。何もこんなタイミングでなくても良いだろうに、とアスタルテは顔を顰めつつ尋ねた。


「理由をお聞かせ願えますか? 殿下」


「言わずとも分かった話だろう。貴様は私の婚約者という立場を悪用し、義妹であるロゼット・ブランシャールに執拗な嫌がらせを繰り返した! 貴様のような者は、未来の王妃には相応しくない!」


「怒らないでくださいませ、殿下。わたくしが未熟なのがいけないのです。ううっ……」


「ああ、ロゼット。無理をしなくていい。悪いのは全てアスタルテなんだから」


 金髪を高い位置でドリルツインにした真っ赤な瞳の義妹が、同じく真っ赤なドレスを揺らしてフィリップに抱きつく。愛くるしい顔は苦しみに歪んでおり、まさしく名演と言えた。世が世なら俳優にでもなれたのではなかろうか。

 繰り広げられる茶番劇を他人事のように眺め、アスタルテは自身の長い赤毛を撫でる。そんな態度が逆鱗に触れたのか、フィリップが端正な顔を歪めて叫んだ。


「アスタルテ! 話を聞いているのか!? 貴様が行った所業は、たとえ侯爵令嬢とて許されるものではない! 貴様はブランシャール侯爵家から除籍の上、国外追放とする!」


「ええ、分かりました。謹んでお受けいたしましょう」


「……っ、随分と物分かりが良いな。何か裏でもあるのか?」


「いいえ。気になるのなら、影にでも調べさせてくださいまし。……これ以上の長居は無用でしょうし、ここで失礼させていただきますわ」


 緑のドレスの裾をふわりと掴んでカーテシーを見せ、アスタルテはそそくさと会場を後にした。会場から出てきたアスタルテにしかし護衛は眉一つ動かさず、国外へと向かう馬車にアスタルテを誘導する。

 ───こうして、アスタルテはあっさり国外追放された。


----


「───はあ〜……つっかれた〜……」


 凝り固まった肩をゴリゴリと鳴らし、揺れる馬車の中で器用に着替える。締め付けの強すぎるコルセットを外し、クリノリンを解体して鞄のような魔道具の中に押し込んでいく。見た目に反して馬鹿みたいな容量を持つ魔道具鞄から、特注の着やすいドレスを抜き出して着替えた。

 腐っても貴族だからか、国外追放される身にしては馬車が広い。アスタルテはその中で存分に体を伸ばし、ちらりと窓の外を見た。慣れ親しんだアルク王国から遠ざかり、景色が段々と荒廃していく。今からアスタルテが行くのは、おとなりの帝国。だが帝国とは名ばかりに荒れ果てていて、国境沿いにもそれは現れていた。

 ふわふわの寝床があれば良いなあ、と呑気に考えながら、ぐちゃぐちゃに混ざった魔道具鞄の中身を掻き回す。五分近く掛けてようやく目当ての魔道具を見つけたアスタルテは、中身が更に掻き回されるのも構わず引っ張り出した。出てきた魔道具は、ブランシャール侯爵家の紋章が入った立派な物。見た目は固定電話に似ていて、少し重い。軽量化したら良いのに、と膝の上に置いた刹那、受話器を模した部分がけたたましく音を立てた。


「はあい、もしもし」


『お姉様!! ああもう、何回掛けても繋がらないから不安になっちゃったわ! わたくしからの電話は三コール以内に出てと言ってるでしょう!?』


「ごめんごめん、寝てたの。許して?」


『もう、お姉様ったらいつもそうね! それでわたくしが引き下がると思ってるの!? 全く……』


 電話口の向こうで、義妹のロゼットがぷんすこと頬を膨らませる。リスのように膨らんだその可愛い顔が容易に想像出来て、アスタルテは小さく笑い声を溢した。耳聡いロゼットはその声も聞きつけたようで、更に怒り声を大きくした。

 ボサボサの赤毛を掻き回しながら、アスタルテはロゼットの怒号を聞き流す。暫くして満足したのか、ロゼットは一つ咳払いをした。


『……こほん。それで、お姉様の方は上手く行ってるの?』


「うん。順調すぎるくらい。ロゼットのおかげよ!」


『ふふ、当然よ! 追放においてわたくしの右に出る者はいないんだから!』


 自慢げに胸を張るロゼットを褒めそやし、アスタルテは窓の外を見遣る。既に国境は近く、アスタルテの目的地────マキナ帝国はすぐそばに来ていた。

 そう。これは義妹ロゼットと仕組んだ、壮大な茶番劇だった訳である。婚約者にして第一王子のフィリップ・フラウ=アルクに粉をかけ、それを恨んだアスタルテがロゼットを虐めたという冤罪を捏造し、国外追放させる。随分と手の込んだ、しかし実に分かりやすい計画。それは驚くほど上手く行き、アスタルテはマキナ帝国へ意気揚々と足を踏み入れたのであった。

 身分剥奪からの国外追放。なぜそんなリスクを背負ってまで、マキナ帝国を目指したのか。それを語るには、居眠りしたくなるほど遠い過去から語らねばなるまい。アスタルテは欠伸をかみ殺し、かつての自分に想いを馳せた。


-----


「えっ!? マジで“剣アミュ”の世界に転生できちゃったの!? おっしゃ〜〜〜!!」


 アスタルテが不審者───もとい、転生者と出会ったのは六歳の時だった。

 眠っているうちにアスタルテの体へ入り込み、その主導権を奪った転生者。そばかすの多い顔とボサボサの赤毛を我が物顔で掻き回すそれを、アスタルテは酷く恐れた。目を輝かせ、はしゃぎ回る姿はアスタルテとは程遠い。全く別の何かが、それこそ悪魔が入ったのだと、アスタルテは自身の不幸を嘆いた。

 そんなアスタルテの心情など知らぬ顔で、転生者はひとしきり騒ぎ倒した。そして夜中にも関わらずベッドから飛び出し、カーテンをバッと開くと、


「てか今いつ!? どの子になった!? 絶対貴族だよね! フィリップ様とも会えるかな!?」


『……な、なんなの、コイツ……!?』


「うわあ、庭もすっごい広い! 真っ赤な花の庭園か〜! よく手入れされ……て……」


 ブランシャール侯爵家自慢の庭園、それを見た転生者がたちまち凍りつく。この庭園は庭師が毎日手入れしていて、褒めることはあっても黙ることなんてないはずなのに。

 疑問を抱くアスタルテの前で、転生者はアスタルテの両頬に爪を立てて叫んだ。


「あ……アストランティアの庭……確か、ロゼットが全部バラに変えて……」


『……?』


「ま、まさか、悪役令嬢ロゼット・ブランシャールの義姉になっちゃったの!? 嘘でしょ……!?」


 悪役令嬢ロゼット・ブランシャール。生憎、アスタルテには覚えがなかった。妹なんて居ないし、悪役令嬢なんて単語も聞いた覚えがない。困惑に困惑を重ねるアスタルテの前で、転生者は金切り声を上げた。


「やだやだやだ! 無理だよ! ロゼットの義姉なんてすぐに毒殺されるモブじゃん! あんな悪役令嬢なんて手に負えない! 転生するならヒロインが良かった!」


『……わ、私の体を乗っ取っておいて何を……っ!』


「頼むから転生ガチャやり直させて! お願いします! 神様仏様デウス様!!」


 窓の外を恨めしく睨みつけ、転生者が両手を組んで祈り───刹那、光が落ちた。

 直後、アスタルテは体の主導権を取り戻した。しかしその喜びを噛み締める間もなく、膨大な情報がアスタルテを襲った。


 どうやらこの世界は、『剣とアミュレット』と呼ばれるゲームの世界と酷似しているようだった。

 乙女ゲーム、剣とアミュレット。神から加護を授かった者が尊ばれる剣と魔法の世界にて、あらゆる生き物から愛される寵愛の加護を持つヒロインを中心に描いた作品だ。そのヒロインは転移者であり、類稀なる才能から聖女として教会に保護される。そして、加護を持つ者だけが入れるアミューズ魔法学園にて、さまざまなイケメンと恋に落ちるのだ。

 その攻略対象(イケメン)の中の一人が、アルク王国の第一王子フィリップ・フラウ=アルク。彼はあらゆる者を従わせる命鳴の加護を持ち、将来を期待された王太子だ。そしてその婚約者が、悪役令嬢ロゼット・ブランシャールなのである。

 ロゼット・ブランシャール。ブランシャール侯爵家の娘であり、言わずと知れた極悪令嬢。わがまま、高慢、傲岸不遜。人の悪意を見抜く心眼の加護を持ちながら、すべての悪意を煮詰めたかのような存在。まさに悪役令嬢という言葉が似合う彼女の生涯は、ブランシャール侯爵家に引き取られたその日から始まる。

 ロゼットは、ブランシャール侯爵とその愛人の間に生まれた子だった。早くにして夫人を亡くしたブランシャール侯爵は、王都に囲っていた愛人とその娘を屋敷に迎え入れる。そこでロゼットは義姉であるアスタルテに出会うのだが────出会って数日で、ロゼットはアスタルテを花の毒で毒殺してしまうのだ。


「……私、殺されるの……?」


 六歳の幼子には酷な話だ。

 しかし、転生者が唯一残していった記憶はあまりにも鮮明で、事実をありありとアスタルテに突きつけてきた。アスタルテは実の母を失って間もない。だが記憶によれば、母の葬儀から間もなくロゼットはやってきて、邪魔者であるアスタルテを毒殺する。それだけは事実だった。

 元々、両親はそこまで仲が良くなかった。母の赤毛と緑の瞳は、アルク王国の美的センスとは致命的に合わないようだった。だからブランシャール侯爵は夫人のことを愛していなかったし、夫人によく似たアスタルテを忌み嫌っていた。だからこそ王都に愛人なんて作って入り浸って、母の死後すぐに連れ込むなんて荒技を成し遂げたのだろうが。


 一体、どうすればいい。

 どうしたら、アスタルテは無事に次の誕生日を迎えられる。

 分からない。

 分かるはずもない。

 まだ六歳の、分別もつかない幼子に分かるはずもなかった。


 アスタルテは転生者の残した記憶を辿り、ヒントを求めて彷徨った。一日ぼーっと天井を眺めるだけのアスタルテを使用人はひどく心配したが、生憎心配させないように振る舞うだけの余力は無かった。ただ辿り、彷徨い、求めて。それでも見つからないまま、ついに当日を迎えてしまった。


「今日からお前の妹になる、ロゼットだ。仲良くしてあげるんだぞ」


 ご機嫌な父が連れてきた少女は、あまりにも見すぼらしい姿をしていた。眩いはずの金髪はぐしゃぐしゃで、纏っているのは薄汚れたワンピース一枚。側に立つ母親が平民らしくない豪奢なドレスを着ているのも、ロゼットの薄汚さを際立たせている。それでも、まるで鮮血のように真っ赤な瞳だけは爛々と輝いて獣のように見つめてくるのが、アスタルテには恐ろしくて仕方なかった。

 その後、積もる話があるとか何とかで、アスタルテはロゼットと二人きりにさせられてしまった。しかも場所はアストランティアの庭園。数日後に、アスタルテが毒殺されるその場所である。


「……あの、えっと……私、アスタルテ。よろしくね」


「────……」


 会話が弾むわけがなかった。

 庭園の椅子に黙って座り込み、ロゼットはじっとこちらを見つめている。その瞳の真意が分からなくて、アスタルテは今すぐ逃げ出したくなった。だがここで逃げて、父やロゼットの機嫌を損ねたらどうなるだろう。ただでさえ短い命が、風前の灯火になってしまいかねない。故にアスタルテはその場から一歩も動けず、ぎこちない笑みをロゼットに返すことしか出来なかった。

 二人の間に沈黙が落ちる。重くのしかかる無言の圧が、そのままアスタルテの魂ごと押し潰してしまいそうだった。アスタルテは拳を握りしめ、恐怖に耐える。何か、何か策はないか。毒殺なんて未来を変えるための一手はないのか。この、庭師たちが丹精込めて作り上げた、アスタルテお気に入りの庭の花で毒殺されるだなんて。そんな悪夢を回避する方法はないのか、


「……ぁ」


 ───木々が揺れている。

 小鳥が上機嫌に囀って、朝日が差し込んだ。


「ね、ねえロゼット! 私ね、未来が分かるの!」


「……え?」


「見てて! あのガゼボから鳥が飛んで……ほら! それであっちの噴水に水浴びにやってくるの!」


 アスタルテの叫びから半歩遅れて、ガゼボに止まっていた鳥がはばたく。小鳥たちはそのまま噴水に着水し、全身をぶるぶると震わせた。突然のアスタルテの奇行に、ロゼットは目を丸くしている。ようやく人らしい表情が見えた、とアスタルテは密かに安堵した。

 ───今しがたやったのは未来予知でも何でもない、ただのカンニングである。

 剣とアミュレットでのロゼットの過去回想で語られた、義姉アスタルテの毒殺。その話には前日譚があり、アスタルテとの初対面も書かれていた。その時のセリフやロゼットの様子は、今この状況と瓜二つ。そして周囲の光景も、地の文のようなナレーションで説明されていた。木々が揺れて、鳥が鳴いて、朝日が差し込んで。その鳥がガゼボから飛んで、噴水で水浴びをする、と。

 要するに、ただ地の文を読み上げただけである。タネが分かってしまえば何でもない、子供騙しのトリックだ。だが幼いロゼットを驚かせるには十分だったようで、ロゼットは静かにこちらを見上げていた。まだこのトリックが効くうちに、とアスタルテは言葉を続ける。


「それであっちの花が散って、雲がお日様を覆い隠して、冷たい風が……さむっ!」


「……なんで、わかるの?」


「えっ? あ、あはは、小さい頃からこうなんだ! ロゼットと同じ! だからほら、仲良くなれると思うの!」


「……わたしと、おなじ……」


 加護を見透かしたような発言に、ロゼットが再び目を丸くする。驚くのも無理はない。少なくともゲーム内において、ロゼットが自身の加護を明かすのは学園に入学する直前なのだから。それまでは誰にも明かしていない。恐らくは、言えなかったのだろう。

 悪意を見抜く心眼の加護。それを明かせなかった悪役令嬢ロゼット・ブランシャールの苦悩など、アスタルテにはこれっぽっちも分からない。だがアスタルテは死ぬわけにはいかないし、世界を滅ぼすラスボスが生まれるのを黙って見ていられる度胸はない。だからそのためには、自分の命を守るためには何だって利用する。嘘だって過去だって加護だって、命の前には全て霞むのだから。

 返事を待つアスタルテに対し、ロゼットは何故か目を伏せる。黙り込んでしまっては何を考えているのかも分からなくて、アスタルテは焦った。まさか、アプローチをミスったか。どうか助かりますように、とアスタルテはひたすらに祈って────、


「────おねえさま」


「…………えっ!?」


「……おねえさまって、よんでいい?」


 突如としてロゼットが抱きつき、アスタルテをじっと見上げてきた。アスタルテは訳も分からぬままその顔を見下ろして、真っ赤な瞳に大粒の涙が溜まっているのを見てしまった。


 悪役令嬢、ロゼット・ブランシャール。そう呼ばれるようになったロゼットが、どれだけの悪行を働いたのか知っている。どれほど傲慢で、高慢で、救いようのない悪に成り果てたのかを知っている。

 だが、それが何だと言うのだ。

 今、目の前で泣いているこの子は───まだ悪役ですらない、ただ一人の幼き義妹なのだ。

 気づけばアスタルテは、今にも泣き出しそうなロゼットを固く抱き締めていた。


「っ……ええ、もちろん! すっごく嬉しいわ、ロゼット!」


「! ……ありがとう、おねえさま……!」


 こうして、アスタルテは無事に毒殺を回避することに成功した。だがそれでめでたしめでたし、とは行かないのが現実である。

 愛人であった義母と父、ブランシャール侯爵は上手くやっているようだった。実母の死後間もなく愛人を引き入れたことに使用人たちは冷たい目を向けていたが、仕事が無くなると困るので誰一人口には出さなかった。

 父と娘、義母と義妹で出来た奇妙な家族。金髪赤眼、という華美な義母の特徴をこれでもかと継いだ義妹ロゼットを、父は砂糖漬けのごとく甘やかした。忌々しい赤毛の、実母の面影を残したアスタルテには見向きもせず。それは義母も同じで、アスタルテはそれこそ空気のように扱われた。ドレスも宝石も、道具すらも買ってもらえないアスタルテ。甘い声でねだれば、何だって買ってもらえるロゼット。その扱いの差に、しかし不思議と怒りは湧いてこなかった。なぜなら、


「お姉様、まだそんな小さいドレスを着てるの? わたくしがお父様におねだりしてみるわ! 何色がいいかしら」


「見て、このエメラルド! お姉様の瞳とそっくり! お揃いで買ってもらったのよ! お姉様にもきっと似合うわ!」


「職人に造らせた最高級の櫛よ! これなら、お姉様の頑固な寝癖も何とかなると思うわ」


 他ならぬロゼットが、驚くほどアスタルテに懐いていたからである。

 父も義母も相手をしてくれなかったが、ロゼットだけはアスタルテの味方だった。ロゼットだけはアスタルテのために怒ってくれて、慣れているからもう良い、なんて言うたびに怒髪天を衝く程に怒り狂うのである。


「お姉様は自分のことを蔑ろにし過ぎなのよ! もうっ、わたくしが居なかったらどうするつもりだったの!」


 自分より怖がっている人がいると冷静になる、というのはよく聞く話だが、アスタルテもそうだった。ロゼットが代わりに怒ってくれるのが嬉しくて、それだけでもう十分だった。


 だが、そんな平穏を覆す大きな出来事が起きた。第一王子、フィリップ・フラウ=アルクとの婚約である。

 ブランシャール侯爵家は、アルク王国でも指折りの名家だった。所有している土地も実に広大で、財力は申し分ない。侯爵家としても王家との繋がりは喉から手が出るほど欲していて、トントン拍子に話が進んだ。

 だが流石は第一王子、縁談なんて引く手数多だ。故に、顔合わせの場が設けられた。そこでアスタルテは初めて、フィリップと顔を合わせたのである。


「フィリップ・フラウ=アルクだ」


「……お初にお目にかかります。アスタルテ・ブランシャールと申します」


「ふん」


 短期間で叩き込まれたカーテシーを披露し、アスタルテは挨拶を済ませる。赤毛も深緑の目も王子のお眼鏡にはかなわなかったのか、露骨に不機嫌な顔をして目を逸らした。

 なんたる不遜な態度だろう。

 その驚きを何とか飲み込んだアスタルテの横から、不機嫌を隠そうともしない声が飛んできた。


「お会いできて光栄です、殿下。わたくし、ロゼット・ブランシャールと申します」


「……ロゼットか」


「ええ。ブランシャール侯爵家の末娘ですわ。以後、お見知りおきを」


 アスタルテと同じようにカーテシーを披露したロゼットを、フィリップは何ともご機嫌に見つめる。艶めく金髪を高い位置で二つにまとめ、瞳と同じ赤いドレスに身を包んだ幼い妹。フィリップの目にはさぞかし美しく映ったであろう。

 華美な外見に惹かれたか、フィリップはロゼットだけを凝視する。だがロゼットは、可愛らしい顔の下に激しい怒りを隠して微笑んでいた。隣に立っているから分かる、ロゼットの口角が怒りで震えているのだ。かなり分かりやすい表情だが、これに気付かないなんてフィリップは節穴なのだろうか。


 その後、初の顔合わせは、何故か義妹のロゼットを同席させて行われた。父も義母も止めず、フィリップはどこか上機嫌だ。そして当の本人、ロゼットは────底知れない怒りに爪を白くしたまま、アスタルテにべったりとくっついていた。


「ロゼット。君はとても美しいな」


「とても光栄ですわ。でもそれも当然ですの。わたくしはブランシャール侯爵家の末娘、お姉様の妹ですもの。お姉様が美しいのだから、わたくしが美しいのも当然ではなくって?」


「ろ、ロゼット! 申し訳ありません、殿下。妹が不躾な物言いを……!」


「良いんだ、アスタルテ。愛嬌はあった方が良いからな」


 婚約者を差し置いた言動に、渦中のロゼットが青筋を浮かべる。可愛い顔が台無しよ、とアスタルテはこっそり耳打ちした。


 実のところ、アスタルテはかなり焦っていた。なぜなら、この婚約は────本来、ロゼットが受けるはずの物だからである。

 転生者の残した記憶は、ロゼットが悪役令嬢となって死ぬまでの一生を映していた。その中に、ロゼットとフィリップが婚約する話があったのである。

 アスタルテを毒殺し、ブランシャール侯爵家をものにしたロゼットの元へ、フィリップとの婚約話が舞い込む。そして初めての顔合わせの日、ロゼットは小さな怪我を負ってしまうのだ。痕も残らないであろう、小さな小さな傷。だがフィリップはその責任を取り、婚約話を確定させてしまう。そうしてロゼットは、王太子妃の座を手にするのだ。

 そしてそれこそが、悪役令嬢としての破滅の引き金になる。だからこそ、アスタルテは恐れていた。


 自分の、アスタルテの毒殺を阻止した。義母と父の甘やかしはそのままでも、ロゼットはアスタルテに懐いてくれた。だから、転生者の記憶とは違う未来になったのだ。アスタルテはそう思っていた。

 なのに、フィリップとの婚約話が舞い込んできた。そしてフィリップは予定通り、ロゼットに惚れ込んだ。最初は愛のある婚約だった、だからこそロゼットは狂ったのだ。

 唯一自分を愛してくれる、可愛く愛しい義妹。それを、悪役令嬢になんてさせる訳にはいかない。

 だが、どうやったら阻止出来るかなど、アスタルテには分からなかった。毒殺こそ阻止出来たものの、あれは運が良かっただけだ。前のような嘘は、フィリップ相手には通じないだろう。でも、どうすればいい。ロゼットに甘い父と義母のことだ、その内婚約相手をすり替えるかもしれない。そうなったら今度こそ、ロゼットは破滅の道を突き進むだろう。それだけは阻止せねばならない。でも、どうすれば。


「我が家自慢の庭園ですわ。美しいでしょう?」


「アストランティアに……バラか。君の美しさには敵わないが、この庭園も素敵だね」


「ええ、そうでしょう? わたくしとお姉様が丹精込めて育てたのですわ」


 不安に目を伏せるアスタルテを置き去りに、二人は会話に花を咲かせる。美しい二人が並ぶとそれこそ絵画のようで、お似合いなのだと嫌でも分かった。

 だが、どれだけお似合いだとしても。それをロゼットが望んだとしても、破滅を導くなら止めねばなるまい。

 記憶では確か、ロゼットは飛び出たバラに足を引っ掛けて転んでしまう。既に庭師に頼んで伸びたバラは切ってもらったから、事故が起こる可能性は限りなく低い。だが、絶対など何処にもない。いつどこの誰かがロゼットを害しに来るか分からない、とアスタルテは上空を見上げて────息を呑むほどの快晴な空が、不機嫌に鳴っているのに気づいた。


「────っ、ロゼット!」


「きゃっ!?」


 本能的に嫌な予感がして、腕をガッシリ掴んでいたロゼットを突き飛ばす。華奢な体が無抵抗に転がり、目を剥いたフィリップが急いで駆け出した。だがアスタルテは、二人を引き離せたことに安堵して─────刹那、光が落ちた。


 アスタルテはその日、右腕と右脚を失った。


 原因は分からない。ただ謎の光がロゼットに落ちてきて、アスタルテはそれを庇って右半身を失ったのだ。突き飛ばされたロゼットと、そこに駆け寄っていたフィリップは無事だった。いつもは無関心な両親も流石に焦ったようで、治癒術師を大量に呼び寄せて延命を図ったらしい。

 王太子の前で人死なんて出せないと思ったのか、それとも愛しのロゼットが助けてと泣き喚いたからか。アスタルテは、奇跡的に一命を取り留めた。


「……ろぜ……?」


「っ、お姉様のバカ! バカバカバカ! 死んじゃったらどうするのよ! お姉様が死んじゃったら、わたし……」


「……だい、じょぶ……ね? ロゼット……」


 ベッドの側で泣き暮れるロゼットに、アスタルテはどうしようもない罪悪感を覚えた。

 その後、責任を取ると言って、フィリップとの婚約が成立した。別にフィリップのせいではないのだから気にしなくても良いのに、王家の尊厳が許さなかったのだろう。

 それに大前提として、傷物の令嬢は貰い手がいない。離婚歴があるとか、足に傷があるだけでも行き遅れるのだ。右腕右足のない令嬢など、引き取り手が出てくるはずもなかった。だからこそ、王家は婚約を成立させたのだろう。王家との繋がりを断ちたいアスタルテにとっては、甚だ迷惑な話でしかなかったが。


 しかし、悪いことばかりではなかった。

 この件をきっかけに、ロゼットのある才能が芽生えたのである。


「うーん……せめて義手でもあれば、出来ることも増えるのに」


「ぎしゅ……? ってなあに、お姉様?」


 きっかけは、そんな些細な会話だった。

 義手。転生者の記憶の中にある、欠けた腕を補う道具である。生憎このアルク王国にはそんな高性能で精巧な物はないが、からくり人形のような物は一部で開発されていた。それに魔石を組み込んで魔道具にすれば、とても便利なのではないか。妄言としか思えないアスタルテの言動に、しかしロゼットは目を輝かせて、


「とっても素敵な案ね、お姉様! わたくし、早速職人にお願いして作らせてみるわ!」


 欲しい物は何でも手に入れて、職人だろうが料理人だろうが振り回すのがロゼットの常。アスタルテの突飛なアイデアに飛びついたロゼットは、一週間と経たずに義手と義足まで作らせた。

 正直言って、素晴らしい発明だった。ブランシャール侯爵家の抱える職人は一流揃いで、領地から取れる魔石は国内でも最高の品質。そこにアスタルテの借り物の知恵とロゼットの工夫が組み合わさり、至上とも言える魔道具が誕生した。


「……すごい……すごいわロゼット! あなたは天才よ!」


「ふふん、わたくしとお姉様の力が合わさったんだもの。当然よ!」


 再び己の足で立つことが出来た、あの日の感動は忘れられない。

 それからというもの、ロゼットは魔道具作りに精を出すようになった。ぼんやりとしたアイデアを纏め、アスタルテの持つ記憶と照らし合わせ、魔道具として形にする。その内設計や魔術の組み込み方まで考えるようになり、一端の鍛冶屋を凌ぐ実力を身につけた。

 その過程で、アスタルテが持つのは未来予知の力ではなく転生者の記憶であると露呈してしまったが、ロゼットは「薄々気づいていたわ」と笑って流してくれた。


 愛しい義妹が、転生者の世界にある道具を魔道具として生み出していく一方。右半身を補ったアスタルテは、ダンジョン巡りに精を出すようになった。

 迷宮(ダンジョン)。それは、この世の穢れが溜まっていると言われる場所。異形の怪物、魔物が跋扈する危険な地下。超古代文明の遺産とも言われているそれは、貧民層が日銭を稼ぐために出入りしている場所でもあった。

 ダンジョンではさまざまな物が手に入る。魔物の体から剥ぐしかない毛皮や、魔力が固まった鉱石。それと超古代文明の物と思わしき遺産。故に資産価値は莫大な物だが、ほぼ無限のように湧く魔物に各地の領主は手を焼いていた。

 各地の騎士は貴族を護衛するのに忙しいし、貴族はそもそもそんな所には行かない。なので、ダンジョンの探索はもっぱら貧民や平民に任されていた。時折国家で編成された討伐隊が出されることもあるが、成果は芳しくない。治癒魔術こそあれど蘇生魔術は禁忌だとされるこの国では、冒険者と呼ばれる貧民や平民を使い捨てる以外に道はなかった。


 その魔境に、アスタルテは身一つで飛び込んだ。理由は単純明快、可愛い義妹の破滅を防ぐためである。

 ロゼットが悪役令嬢(ラスボス)になる。それは再三言った通りだ。だがロゼットはその過程で、ダンジョンに潜む特段凶悪な魔物を次々従えていた。ロゼットは保有する魔力が随一で、加護を応用すれば相手の攻撃を見切ることだって出来る。ロゼットはその力を悪用して魔物を従えまくった挙句、婚約者と懇意にするヒロインへけしかけるのだ。

 ゲーム内では、それもロゼットからヒロインへの嫌がらせとして語られる。どの魔物をけしかけたのか、どのダンジョンから連れ出したのかも容易に知ることが出来た。なので、アスタルテはそれらを全てぶちのめすことにしたのである。


 フィリップとの婚約は阻止できなかった。これがロゼットとの婚約にすり替わるのは秒読みだ。そこにロゼットの意思はない。元より政略結婚なのだから。

 しかし、ロゼットはそれでもフィリップを愛してしまう。愛してしまったからこそ、親しくするヒロインに嫉妬を煮えたぎらせるのだ。義姉としては、婚約者が居るのに別の女にうつつを抜かすような男など、ロゼットには相応しくないと思う。だがそんな個人の感情で左右できるほど、政略結婚は温くない。

 少しずつ未来は変わりつつあるが、それでもロゼットの破滅はまだ確定したまま。それを白紙に戻すために、アスタルテは考えたのである────そもそも、嫌がらせなんて出来ないようにすれば良いじゃないか。


 ロゼットの嫌がらせは一線を越え、やがてフィリップから婚約破棄と国外追放を言い渡される。それによって絶望したロゼットは暴走し、ラスボスになってしまうのだ。

 ヒロインとヒーローが結ばれるための踏み台。ロゼットを、そんな物に成り下がらせる訳にはいかない。だからアスタルテは、ロゼットを悪役令嬢にする全てを排除することにしたのだ。


「お姉様、ダンジョンに行くのね! それなら、この魔道具の効果を試してきてちょうだい!」


 仮にも公爵家の娘がダンジョンに潜るなんて、と流石の父母も苦い顔をした。だがロゼットが魔道具の試作品と共にニコニコと送り出してしまっては、ロゼットに甘い両親は口を挟めなかった。


 幸いにも、アスタルテは大きな怪我を負うことはなかった。転生者の記憶をもってすれば、ダンジョンの攻略など容易いのである。そこにロゼットの魔道具が加わり、アスタルテは無双状態であった。これが、転生者の言うところの原作知識チートだろうか。兎にも角にもアスタルテは目当ての魔物を討伐し、ついでにロゼットの魔道具も試して、充実したダンジョン生活を送っていた。


 フィリップとの婚約はまだ続いている。だが茶会は月に一回しかないし、舞踏会も義手のせいかあまり誘われない。時折ダンジョンに潜っている最中にお呼びがかかることもあって、仕方なくロゼットを代役に立てた。

 フィリップとロゼットは、さながら婚約者のように仲睦まじくやっているらしい。フィリップはロゼットの見た目に惚れ込んだのだろうが、ロゼットは恐らく魔道具の開発資金目当てに擦り寄っている。いくら侯爵家とはいえ、希少な魔石はそうポンポンと買えないのだ。義姉の婚約者として相応しいか見極める、それも目的に入っていそうだ。フィリップはロゼットの眼中にないらしい。哀れな話である。


 そうして、アスタルテはロゼットの破滅の芽を摘みまくり、冒険者の中で知らない人は居ない魔剣士になった。勿論ブランシャールの家名は隠しているが、もはや公然の秘密である。そんな者を義姉に持ち、両親に蝶よ花よと育てられ、数多の魔道具の開発者として名を馳せたロゼットは、


「この国において、わたくしの右に出る者はおりませんわ!」


 原作通りの、傲慢で高慢ちきな令嬢へと成長した。

 その苛烈さも強欲さも、ゲーム内とほぼ変わらない。毎日のようにわがままを言い、ドレスや宝石を取り寄せて贅沢三昧。だが違う点があるとすれば、財源はほぼ自分自身の収益であるという部分だろうか。

 今や、ブランシャール侯爵家の財政を支えているのはロゼットの発明だ。原作では古くから成した財で身を立てていた高貴なる一家であったが、そのほぼ全てがロゼットの収入にすり替わっていた。ロゼットが宝石やドレスだけでなく、魔道具の材料をどんどん仕入れるので蓄えがあっという間に無くなったのだ。だがそれを発明品の収入で賄ったのだから、ロゼットの手際の良さには恐れ入る。


 ロゼットの発明品は、社交界のマダムやご令嬢たちに大人気だった。少し苛烈な性格だけど、発明は天才的。少し恐ろしい方だけど、魔道具は一級品。ロゼットの評価はそんなところに落ち着いていた。そして、自身の魔道具が褒めそやされる度に、ロゼットは高笑いしながら言うのだ。


「わたくしとお姉様の努力の結晶ですもの! 当然ですわ!」


 なんだか過剰評価な気もするが、そんなロゼットのフォローのお陰で、社交界におけるアスタルテの評価は良い感じに留まっていた。茶会にも舞踏会にも殆ど顔を出していないのに、である。


 そんな折、アスタルテの人生を大きく揺らがす出来事が起きた────王立アミューズ魔法学園からの招待が届いたのである。

 王立アミューズ魔法学園。加護を持つ者だけが入れる、王立の魔法学園。ヒロインと攻略対象たちの恋が繰り広げられる舞台だ。

 アスタルテは困惑した。アミューズ魔法学園には、加護を持った者しか入れない。心眼の加護を持つロゼットならまだしも、何の加護もないアスタルテに招待が届くはずがなかった。もしかして、未来予知が出来る加護がある、なんて嘘がまだ生きているのだろうか。アスタルテがやんわりと尋ねると、父はそれを肯定して、


「お前には未来予知の加護があるし……何より未来の王妃だろう? 殿下が学園に通われるから、一緒に通わせろとの王命だ」


 余計なことしかしないな、あの王子。

 アスタルテは思わず顔を覆った。


 アスタルテはフィリップの一つ上、つまり学年が違うので授業は被らない。先んじて入学して勉学に励め、ということだろうか。勉強が苦手なアスタルテにとっては、甚だ迷惑な話である。王妃教育だってダンジョンを盾に拒否しているような令嬢が、由緒正しき学園生活に耐えられると思うのだろうか。

 これに異を唱えたのはロゼットだった。


「何を言っているの、お父様! 学園は寮生活なのでしょう!? 今でさえだらしなくて一人で生活出来ないのに、寮になんて入れられる訳がないじゃない!」


 かなり酷い言い草だが、事実である。

 アスタルテは寝起きが極端に悪いし、顔も洗わなければ髪もボサボサ。義手義足の手入れだってよく怠るし、あらゆる使用人を呆れさせる自堕落っぷりだ。ロゼットなりに義姉のことを心配したのだろう。


 だがアスタルテは、寮生活以上に危惧していることがあった。シナリオの強制力である。

 アスタルテは毒殺されず生き延び、ロゼットは魔道具で名を馳せた。転生者の記憶とは、すでに乖離している。だがロゼットの性格は苛烈なままだし、学園への入学は秒読み。ロゼットが悪役令嬢にならないよう原因は叩き壊してきたが、それでもまだ幾つか残っている。その最大の懸念こそが────機械神デウスだ。


 機械神デウス。ダンジョンを生んだ超古代文明が残したとされる、最大にして最強の遺産。お隣のマキナ帝国の地下に眠っているとされるそれは、あらゆる願いを叶える力があった。

 転生者の記憶においては、ヒロインに力を貸すのがこのデウスである。異世界から転移してきたヒロインに、万人から愛される寵愛の加護を渡したのもデウス。デウスはヒロインの心に惚れ、ヒロインの強い願いであれば何でも叶えてしまう舞台装置と化すのだ。


 そして、そのデウスが願いを叶えるときは、決まって光が落ちる演出があった。


 それはゲーム内の演出でしか無かったが、似たような光で一時的に体を奪われ、同じような光で右半身をもがれたアスタルテにとっては無視できない物だった。

 もし。もし仮に、アスタルテを乗っ取った転生者が、この世界におけるヒロインだったら。あの転生者に、デウスが力を貸していたとしたら。そうしたら、世界は転生者の望むままに捻じ曲げられてしまう。彼女の思う、剣とアミュレットの世界に───悪役令嬢ロゼット・ブランシャールがラスボスとなる世界に変わってしまう。

 今まで積み重ねた努力が無に帰して、可愛い義妹はラスボスとして討ち取られてしまう。そんな未来は、何としても跳ね除けねばならなかった。


「……学園入学の話、お受け致しますわ」


「本気なの、お姉様!?」


「ええ。お姉様の決意が受け入れられない?」


 アスタルテの言葉に、ロゼットは口ごもりながら引き下がる。何だかんだ言って、義姉の言うことは素直に受け入れてくれるのだ。本当に可愛い義妹である。


 機械神デウス。奴さえ倒せれば、ロゼットの破滅はほぼ回避出来たようなものだ。だが見て分かる通り、アスタルテがしてきた対策はロゼットの破滅に対してのみ。アルク王国に降りかかる危機や貿易やら政治の部分に関しては、驚くほどノータッチだ。食指が動かなかったのだから仕方あるまい。

 ノータッチということは、まるで対策をしていないということ。転生者の記憶に基づくならば、アルク王国は放っておくと滅びるらしい。内乱やら何やらで。そこを対策するのはヒロインの役目なので、アスタルテは無視を決め込んだ。だがそれは結果的に、ロゼットへ降りかかる危機になった。

 要するに、このままアルク王国にロゼットを置いておけないのである。というか、置いておいたら死ぬ。

 そこでアスタルテは考えた。機械神デウスを討伐し、ロゼットを無事に国外へと出す方法を。それはただ一つ────機械神デウスのいるマキナ帝国に赴いて、国外追放されたロゼットを迎え入れる方法だ。


 マキナ帝国は、代々機械神デウスの扱いに困り果てていた。だから討伐してやれば、必ず恩が売れる。その恩を使ってロゼットの衣食住を確保すれば、身の安全は確実に保障されるのだ。機械神デウスさえ居なくなれば、マキナ帝国も安泰なのである。

 名案だ。アスタルテは本気でそう思った。そしてそれを実現するために、他ならぬロゼットに協力を仰いだ。国外追放されるロゼットに、である。


「お姉様、本気? ……まあ、お姉様が噓を吐くわけないけれど……」


 流石のロゼットもこれには困惑していたが、何だかんだ言って協力してくれた。

 機械神デウスを討ち倒し、国外追放されたロゼットを迎え入れる。言うだけなら簡単だが、実現するためには実に多くの段階を踏む必要があった。その第一段階こそが────アスタルテの国外追放である。


 閑話休題。

 学園に入学したアスタルテは、ロゼットが入学するまでの数年間を無事に過ごした。そしてロゼットが入学した年、早速行動を起こしてもらったのだ。ロゼットが十六、フィリップが十七、アスタルテが十八の時である。

 そこからは冒頭で語った通り。ロゼットは類い稀なる手腕によって、アスタルテに冤罪を被せることに成功した。そしてアスタルテはロゼットから貰った魔道具鞄一つで、意気揚々とマキナ帝国へ足を踏み入れたのである。


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 マキナ帝国は、超古代文明エクシアの面影を色濃く残している国だ。遺産が多く出土し、それらを組み込んだ建物や生活様式が成り立っている。

 だが、遺産というのは良い物ばかりではない。その最たる例がダンジョンだ。

 機械神デウスを作り出した古代エクシア文明は、お察しの通り魔道具と機械で発展した文明だった。歯車と魔力を組み込んだ文明は、何千年もの栄華を誇ったらしい。だがその繁栄は、他ならぬ機械神デウスの手で滅ぼされた。その文明の中心地こそが、今現在マキナ帝国がある場所である。

 そんな立地だからか、マキナ帝国はダンジョンから湧き出る魔物の対策で手一杯だった。古代エクシア文明の遺産の一つである、からくりと罠と魔物を詰め込んだダンジョン。マキナ帝国は特にその数が多く、故に発生する魔物も多い。だからこそ、魔物を討伐してくれる冒険者は、例え他国から放逐された相手だとしても欲しくてたまらなかった。

 アスタルテはそこにつけ込んだのである。


 アルク王国から追放されてすぐ、アスタルテはマキナ帝国にて冒険者登録を行った。冒険者に身分の貴賤はない。ましてやアスタルテは、冒険者の間では名の知れた魔剣士だ。あっさりとダンジョンに潜り込むことが出来た。

 それからアスタルテは、ロゼットの破滅の芽となる魔物をバサバサと切り伏せ、ダンジョン内で寝泊まりして日々を過ごした。魔物は食べるところも多いし、工夫すれば極上の味に変化する。衛生面さえ除けば、ダンジョンは生活に最適な場所だった。


『お姉様、調子はどう?』


「こっちは順調! ロゼは?」


『すっごく大変よ! 殿下は頼りないし、王妃教育だなんだで魔道具にも触れないの! 早くドライヤーの開発に取り掛かりたいのに!』


「まあまあ、あと少しの辛抱よ」


 アルク王国に残ったロゼットと定期的に連絡を取りつつ、アスタルテは着々とデウス討伐計画を進めた。


 魔物を千切っては投げ、千切っては食べを繰り返すアスタルテの元には、自然と仲間が集まった。誰もが言えない事情を抱えた、腕は一流の冒険者たち。アスタルテはその中でも、一際目を引く黒髪の美丈夫に目をつけた。

 漆黒の髪に黄金色の瞳、太く逞しい体。大剣をものともせず振るうその姿は、まさしく神話に出てくる英雄だ。ルーク、と名乗ったその男の素性を、しかしアスタルテは知っていた。

 彼はこのマキナ帝国の皇帝、ヴィンセント・ルークス=マキナだ。


「俺が剣を振るえば、その分だけ民を救える。民に尽くすのは冒険者の務めだ」


 隠し切れない雰囲気と堂々とした物言い、それと転生者の記憶を参照して、アスタルテは彼が皇帝だと確信したのである。


 剣とアミュレットにおいて、ヴィンセントは機械神デウスを巡る戦いの最中で登場した。機械神デウスが起動し願いを叶えるたび、その上に建つマキナ帝国は大損害を被る。政治だけでは民を救えないと考えたヴィンセントは、身分を偽ってダンジョンに潜入するのを繰り返していた。

 最初こそ、機械神デウスの恩恵を受けるヒロインをヴィンセントは酷く嫌悪していた。だがヒロインの人柄に触れ心に触れる内に、ヴィンセントは段々と絆されていく。最終的にはヒロインと共に機械神デウスを説得し、改めてマキナ帝国の皇帝を全うする決意を固めるのだ。

 そう、言わずもがな攻略対象である。


 攻略対象、つまりヒロインと関係を密にする相手と関わることに、アスタルテは少し恐怖があった。いつどこでロゼットの破滅の引き金を引くか分からないからだ。

 だがアスタルテは何年も考え、結論を導き出した。ヴィンセントがヒロインと関わるのは、機械神デウスを巡る戦いが起きてからだ。つまり、それが起きる前にデウスを討伐してしまえば、両者の間に接点は生まれない。転生者がヒロインだという仮定に基づくなら、デウスの起動回数は本来よりも増えている。ヴィンセントはかなり手を焼いているはずだ。確実に恩を売れる。アスタルテはそう確信した。

 なのでアスタルテは、ヴィンセントに恩を売るために、布石を大量に打っておくことにした。


「何でも願いを叶える機械神、なんて恐ろしくてたまらないわ」


「私の腕と足は、あの機械神に奪われたの」


「これはまだ噂だけど……私を追放した国には、機械神すら意のままにする魔女がいるのよ」


「機械神のコアさえ破壊できれば、この煩わしさとも無縁になるでしょうね」


 ヴィンセントがお忍びでダンジョンに来ている時を狙い、さりげなく機械神の話題を出しまくったのだ。アスタルテは言わずと知れた魔剣士、そしてヴィンセントはデウスの居所を知っている。何とかしたくても出来ないヴィンセントにとって、デウスを憎み打ち倒そうと試みる魔剣士など、喉から手が出るほど欲しい人材に見えるだろう。


 アスタルテがそうして討伐計画を進めている最中、アルク王国でも動きがあった。


『お姉様! お姉様の言っていた、寵愛の加護を持つ聖女(ヒロイン)がアミューズ学園に入学したわ!』


 ついにシナリオ本編が始まったのである。

 剣とアミュレットにおいて、ヒロインは複数の攻略対象と関わることになる。宰相の息子、騎士団長の息子、第二王子、それから第一王子。どれも名家の息子であり、異世界転移者で身分のないヒロインとは本来関わらない。だが万物から愛される寵愛の加護もあって、ヒロインはその四人と愛を育んでいくのだ。


 王立アミューズ魔法学園に入学した聖女は、サクラと名乗る異世界の少女────アスタルテの予想通り、かつてこの身を乗っ取った転生者であった。なんと、デウスの力を乱用していたのである。光が幾度となく落ちるのを見たと、他ならぬロゼットが証言してくれた。

 異世界転移者ではなく転生者になっているが、その辺りは齟齬にも含まれないのだろう。シナリオ通り成績優秀で上位クラスに組み込まれたサクラは、四人の攻略対象と愛を育んでいた。ロゼットの婚約者であるフィリップも例外ではない。本来なら婚約者のいる男性と仲良くするなど言語道断だが、寵愛の加護と聖女の名に護られているのか、サクラを批判する令嬢は一人も現れなかった。


『あの聖女、礼儀が全くなってないわ! 品行方正って顔をしてるけど、いろんな令息に手を出してるのよ!? あんなのが聖女なんて教会はどうかしてるわ!』


「分かるわ、ロゼ。ソイツは私の仇でもあるの。その怒りをいっぱいぶつけちゃいなさい!」


『……醜い嫉妬を剥き出しにするなんて、淑女のすることじゃないけど……お姉様の頼みだもの。悪役令嬢とやらを演じ切ってやるわ!』


 ロゼットはアスタルテの想像以上に厳しく、そして苛烈にサクラをいじめた。

 教科書を破き、ペンケースを隠し、噴水に突き落とし、人前で紅茶をぶっかける。そして、それら全ての証拠を隠滅出来る実力を持ちながらも、首謀者がロゼットだと敢えて分かるように立ち回った。

 本当に、フィリップには勿体無い、よく出来た義妹である。


 そして、ロゼットが悪役令嬢さながらの大立ち回りをしてくれている内に、アスタルテはいよいよ機械神デウスへ近づく機会を得た。


「元ブランシャール侯爵家のアスタルテ嬢ですね。皇帝陛下がお呼びです」


 ダンジョンから出てきたばかりのアスタルテを捕まえて、皇帝の使者はそう告げた。

 それから見た目を整える暇もなく、アスタルテは皇帝のおわす宮殿へと連れて行かれたのだ。

 豪華絢爛な調度品が設えられた宮殿は、しかし見た目に反して活気がない。魔物の対処で疲れ果て、デウスに手も足も出ない現状では無理もない話だ。そんな中で、ただ一人生きる活力を漲らせたヴィンセントは、玉座に腰掛けたままアスタルテへと語りかけた。


「驚かせてしまったな。俺は第十四代皇帝ヴィンセント・ルークス=マキナ。……ルークというのは偽名だ」


「……お目にかかれて光栄です、皇帝陛下」


「そんなに畏まるな、アスタルテ。俺はただ、貴様と志を共にする冒険者だ。今日は、貴様の真意を問いたい」


「……真意、ですか」


「ああ。……アスタルテ。貴様は何故、この国の地下に眠る機械神デウスを討伐せんとしている?」


 望んでいた通りの質問だ。

 アスタルテは笑いを堪えながら、厳粛そうに答えを返した。


「今もアルク王国に一人残る、可愛い義妹のためです」


「……ほう? それは何故だ」


「陛下も耳にされている通り、アルク王国には今現在、万物を虜にする寵愛の加護を持つ魔女がおります。その加護を魔女に授けたのは他ならぬ機械神デウスだと、私は私自身の加護で知りました」


 半分は嘘だが、半分は真実である。

 ロゼット以外には、アスタルテは未来を予知する加護を持っていることになっているのだ。

 だがその嘘をヴィンセントは見抜くことなく、続きを催促する。


「今は私の義妹が、魔女を排斥するために動いておりますが……旗色が悪く、私と同じように放逐されるのは目に見えています。ですので、これ以上の狼藉を防ぐために、機械神を討伐しようと思い立ちました」


「もし仮にその話が真実だとして、貴様は本当に機械神を討伐できるのか? 我らが何百年と成し遂げられなかった偉業を、貴様如きが為せると?」


「機械神の弱点はただ一つ、起動時に一瞬だけ露出するコアです。いつ起動するかは、魔女の動向を見守れば分かること……機械神のおわす神殿にさえ辿り着ければ、必ず為せます」


「失敗した場合はどうする」


「左半身を失うだけですわ」


 例え残った生身を消し飛ばされてでも、機械神を討ち取る。それが、可愛い義妹のために出来る最大の愛情だ。

 アスタルテの強い意志を汲み取ったか、毅然とした態度に押し負けたか。ヴィンセントは参ったとでも言う風に笑いながら、玉座から立ち上がった。


「相変わらず、豪胆な女だ。───俺の全てを賭けてやる。しくじるなよ」


 こうしてアスタルテは強い味方と共に、遂に機械神デウスの神殿へと足を踏み入れた。


-----


『ロゼット・ブランシャール侯爵令嬢! 貴様との婚約は今日をもって破棄させてもらう。そして、聖女サクラとの婚約をここに宣言する!』


 いつか聞いたのとほぼ同じようなセリフが、魔道具の電話口の向こうから聞こえてくる。今、ロゼットは断罪イベントの真っ最中だった。


 アスタルテがヴィンセントを引き連れ、デウスの神殿に入って間もなく。ロゼットの婚約破棄、つまり断罪が幕を開けた。あれだけ上手く立ち回ってくれたのだ、餌に食いつくのも早かった。音声でしか聞こえないが、恐らく攻略対象たちがサクラを庇いながら、ロゼットがわざと残した証拠を意気揚々と掲げていることだろう。撒かれた餌だとも気づかない辺り、本当にフィリップの目は節穴だ。


「もうすぐ起動します、陛下。ご準備を」


「ああ」


 隣に並び立つヴィンセントに声をかけつつ、アスタルテは義手と一体化した魔剣を引き抜く。いつの間にやら仕込んだのか、義手はビームサーベルみたいになっていた。我が義妹ながら恐ろしい手腕である。

 アスタルテとヴィンセント、それから護衛の騎士団と魔術師たちの緊張が高まる中、魔道具からは場違いに高い声が響く。


『理由をお聞かせ願えますか? 殿下』


『言わずとも知れた話だろう。貴様は私の婚約者という立場を悪用し、聖女であるサクラに執拗な嫌がらせを繰り返した! 貴様のような者は、未来の王妃には相応しくない!』


『わたくしが、そんな下民を? 冗談はよしてくださいまし。彼女のような娼婦に構っていられるほど、わたくしは暇じゃありませんの』


『なっ……未来の国母に何たる物言いを! 証拠だってあるんだ! 悪あがきはやめろ!』


 華々しいパーティの場で、聖女を取り囲んだ攻略対象たちが次々とロゼットの罪を暴いていく。それらは確かに全て事実で、嘘偽りのない証拠だ。だが、全てはロゼットが分かりやすく残したもの。ロゼットの実力を持ってすれば、証拠隠滅など容易だ。それすら分からないなんてあまりにも愚かしい。

 断罪は続く。提示される証拠と次々出てくる証言、あまりの辛さに泣き崩れる聖女。あっという間に令息令嬢は聖女の味方となり、ロゼットを排斥しようとする空気が会場に満ちた。

 だがその空気をものともせず、ロゼットは高らかに言う。


『ええ、そうですわ。わたくしは確かに、聖女サクラにさまざまな嫌がらせを行いました』


『罪を認めるのだな。ならば今、ここで! 聖女サクラに頭を下げて謝罪しろ!』


『お断りしますわ。なぜ、そんな娼婦にわたくしが頭を下げねばなりませんの?』


『ひ、ひどいわ、ロゼット様! わたしはただ、謝ってくださればそれで良かったのに……!』


『サクラの慈悲を無碍にしたな。衛兵! コイツを国境の外に連れて行け! 貴様はもう、このアルク王国の一員ではない!』


『……そう。それならわたくし、最後に一矢報いさせて頂きますわ!』


『な……ッ!?』


 会場を魔力が包み、瞬く間に攻略対象を絡め取る。アスタルテがダンジョンで効果を試していた、攻撃系の魔道具である。この時のために準備していたのだ。

 即座に攻略対象が無効化され、衛兵たちは動けなくなる。聖女を守る盾が居なくなり、ロゼットは武器を構えて相対した。凶悪な魔道具の矛先を向けられ、聖女が顔を青くする。彼女が祈るように手を組んだ刹那、アスタルテの立つ宮殿が揺れた。

 デウスが動き始めたのだ。


「動きます! 構えてください!」


 アスタルテの指示に、ヴィンセントと騎士団、それと魔術師たちが武器を構える。その臨戦態勢の中アスタルテは駆け出し、地下に横たわるデウスの上を駆け抜けた。

 コアがあるのはデウスの天辺、光が発射される場所のすぐ下である。露出してから光が放たれるまで、猶予は僅かしかない。アスタルテは魔剣に魔力を漲らせ、勢いよく剣を振り切る。


 直後、電話口から甲高い声が響いた。


『その命、頂きますわよ』


『やッ、やだ……! 助けて! 神様仏様────デウス様ぁッ!!』


 サクラの悲痛な叫びに呼応し、デウスが起動する。天辺が開き、発射口が構えられ、光が放たれる───その間隙を縫って、アスタルテは露出したコアへ魔剣を振り抜いた。


「やッ!!」


 攻撃は一瞬。崩壊は刹那。振り切った剣はものの見事に、デウスのコアを真っ二つにした。


 機械神の体に、大きな亀裂が走る。溜め込まれた光はしかし放たれることなく、ガラガラと音を立てて崩壊した。アスタルテは部品を飛び移り、ヴィンセントの待つ場所に戻る。崩壊は止まらず、アスタルテの背後で土埃を立てながら崩れていった。

 何千年を誇ったとされる、古代エクシア文明の象徴の崩壊。そんなことを知る由もない聖女に、ロゼットは矛先を突きつけた。助け舟が来ず、命の危機を感じた聖女は目を見開いて固まる。ロゼットはその顔をしかと目に焼き付けると、魔道具を解除しつつ言った。


『いつでも誰かに助けてもらえる、なんて───傲慢にも程がありませんくて?』


 ここに、機械神デウスを巡る戦いは密かに決着した。


-----


「お姉様! あのデータは持ってきてくれた?」


「はいはい、これでしょう? それと……はいこれ。ロゼの気になってた、グリフォンのロースト」


「わあ……! 流石お姉様、大好き!」


 機械神デウスを巡る戦いから早半年。アスタルテは、マキナ帝国の第四夫人となったロゼットの元でのんびりと働いていた。


 機械神デウスの討伐により、狙い通りヴィンセントに大きな恩を売ることが出来た。黒髪の美丈夫はあれでいて義理堅いらしく、後始末が済んだ後でこう言ったのだ。


『此度の事は、感謝してもし切れん。……アスタルテ。俺の妻になってはくれないか?』


 ヴィンセントには既に妻が三人いる。マキナ帝国の名家の生まれの皇妃、お隣の国から来た第二夫人、第三夫人。どうやらこの皇帝は、アスタルテへの返し切れない恩を返すために娶ると言っているらしい。国外追放された身には余る光栄に、アスタルテは平然と返した。


『それなら私ではなく、可愛い義妹のロゼットを妻にしてくださらない?』


 その要望はすんなりと通り、聖女を虐めた罪で国外追放されたロゼットはあれよこれよと第四夫人の座を手にしたわけである。

 肩書き上は皇帝の妻だが、これと言って政務に関わるわけではない。そこら辺はヴィンセントと皇妃、それと第二夫人がやってくれている。既に世継ぎは合わせて十人くらいいるらしいので、特段子を産む必要もない。それでいて帝国のお金はある程度自由に出来る、ロゼットにとっては最高の環境だった。


 そうして第四夫人の座を手にしたロゼットは、自身が開発した魔道具とそのロイヤリティを連れて帝国へと輿入れした。既にブランシャール侯爵家とは縁が切れているので、これと言ってアルク王国には恩恵がないのである。

 帝国に来てもロゼットは相変わらずで、宝石やドレスを買い込んでは贅沢三昧している。だが王妃教育から解放された反動か、魔道具作りにも精を出していた。帝国の民を支える便利な魔道具がどんどん開発されており、ロゼットの評価は鰻登りである。


 かくいうアスタルテは、相変わらず冒険者を続けている。衣食住は気にしないで、と言ったのだが、流石にそれくらいはさせろとヴィンセントが聞かなかった。今はロゼットの住んでいる離宮に、一緒に住まわせて貰っている。


「ちょっとお姉様、いい加減起きてちょうだい! ああもう、髪がボサボサ……って、なんで義手をそこら辺に放置してるのよ! 仕舞ってって言ったでしょう!」


「んん〜……あと五分……」


 屋敷にいた時のありふれた日々が戻ってきて、アスタルテは心底安堵していた。


 ロゼットは、悪役令嬢にはならなかった。

 世界を恨み、滅ぼすラスボスにはならなかった。

 ヒロインのために討伐される、不遇な踏み台にはならなかった。


 その真実だけでもう、十分だ。


「もう、毎回わたくしに迷惑かけて……! 何度言えば分かるのよ!」


「ごめんごめん、ロゼ。今度……ミノタウロス狩って持ってくるから、許して?」


「お姉様ったらいつもそうね! 今回は……まあ、許してあげても良いけど……」


 アスタルテの頑固な寝癖にお手製の魔道具櫛を通しながら、ロゼットが笑う。


 そういえば、アルク王国が混乱状態に陥っていると風の噂で耳にした。

 機械神デウスが討ち取られ、聖女が寵愛の加護を失ったからだろう。あの加護が無ければストーリーが進められず、国のさまざまな問題を解決できないのだ。レベルを上げようにも、アルク王国のダンジョンは殆どアスタルテが潰してしまっている。聖女と攻略対象たちは、手をこまねく事しか出来ないわけだ。


 だがそんなこと、アスタルテには関係ない。支援も特にしないと、ヴィンセントは早々に決断してくれた。今更アルク王国が滅びようが、こちらには関係のない話なのだ。

 自分にはただ、ロゼットが───世界で唯一の、愛しい義妹が健やかにいてくれたら。それ以外は、何もいらないのだから。


「? どうしたの、お姉様。まだ寝惚けてるの?」


「……ううん、何でもないわ」


 呆れた顔をしているロゼットに寄りかかり、アスタルテは二度寝を試みる。

 意識の外から響く義妹の甲高い声が、今はただただ愛おしく思えた。


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