第40話 天の川に飛び込んで②
二人は走る。車と反対方向へ。荒い息の中、タイガが口を開く。
「いま私たちはどこに向かっているんだ?車を追うべきじゃ」
「車はあいつらに任せる。俺たちは弐村山に先回りだ」
「先回りって、車より速くどうやって移動するつもりだ?」
「バイクがある」
その飄々とした態度に、タイガは半ば呆れたように息を漏らす。
「バイクって、おいてきた場所までは距離が─」
次の瞬間、頭上から風を裂く音。
スレヴァーが本能的に身を引くと、踵が目の前をかすめ、地面にひびを刻む。
反射的にタイガが駆け寄った。あまりの突然さに言葉が出ない。
スレヴァーはゆっくり立ち上がり、夜空を見上げる。
月を背に、青髪の女が塀の上に立っていた。見覚えのある、しなやかな姿。
「女がはしたないことするもんじゃないぜ」
「でも、好きでしょ。屋根とか」
その声を聞いた瞬間、確信に変わる。エアルス。前回の仕事で出会った女。
彼女は塀に腰を下ろし、足を組み、月明かりを背負って微笑んだ。
「どうして私の言うことを聞かなかったの?」
「なんのことだっけ?」
「これ以上は進まないほうがいいって忠告したよね?」
タイガは二人を交互に見て、眉をひそめる。
「進むって?俺は何かを進めてるつもりはない」
「……無知とは、罪ね。じゃあ言い方を変えるわ。何もしないで。わかった?」
「うーん。やだ」
「今回ので、本当に後戻りができなくなるわよ」
スレヴァーは月を見上げ静かに笑った。
「俺はそれを願ってる」
「……愚か者」
──ブォォォォォ
「悪いけど迎えが来たみたいだ」
排気音が街の中に響き渡る。段々と近づくその音を連れて、バイクがスレヴァーの前に現れた。
颯爽と駆けつけるバイクとそれに跨る見慣れない男にタイガの鼓動が早まる。
「だ、誰なんだ彼は?」
スレヴァーがバイクに跨ると男は影も形もなくなる。
「ホログラムだ。あんたも知ってんだろ」
どこか残念そうな顔をするタイガにヘルメットを投げつける。タイガはおとなしくつけると、シート後部にケツを乗せた。
スレヴァーはシールド開きエアルスに微笑みかける。
「止めなくていいのか?」
「……きっと彼女が止めてくれる。私の役目じゃないでしょ?」
「……なーんか知ってそうなセリフだな」
エアルスはいやらしく目を細める。それを遮るようにシールドを閉じた。ヘルメット越しにエアルスの声が耳に残る。
「また会いましょう。スレヴァー」
両手、左足を巧みに動かすと、バイクは勢いよく飛び出す。エンジンが唸り、夜の街を裂く風が吹き抜ける。加速は留まるところを知らずに一気に時速100kmに到達した。
「タイガさん、あんたには弐村山までの道案内を頼む。俺は方向音痴だから正確にな」
「わ、わかった!」
轟音を響かせながら、黒い車体は闇に溶けた。風が吹き荒れ、テールランプの赤い残像だけが彼の後ろに残った。
―――――――――――――――――
トリィネは必死に車を追う。というより、定期的に聞こえるクレータの遠吠えを追っているに過ぎなかった。もはやトリィネの目に車は見えていない。
体力に自信はあるが、車に追いつけるほどスピードに自信はなかった。
「無理だよもぉ!」
トリィネの叫び声がこだまする。しかし、言い出しっぺのトリィネに諦めの選択肢はなかった。
ここで逃げたらここまで手伝ってきた意味がなくなる。運び屋をする理由探しという目的すらも……。
トリィネは血の味をぐっと飲み込む。何としてでも追いつく。今彼女の中にあるのはそれだけだった。
「おい!女だ」
コンビニの明かりの下、男たちがトリィネを見てくる。下品な目線に反吐が出そうだった。
「かわいいじゃん」
「今からいいことしなーい?」
それを無視して走るが、男たちは諦めない。自転車で追ってくるとトリィネに執拗に粘着した。
この街はこんなのばかりなのか?ジュンコさんもどうせこういう連中が攫ったのだ。トリィネに苛立ちが募る。
「おい、聞けよ」
伸びてきた手にトリィネは悲鳴を上げ咄嗟に蹴りを入れてしまう。自転車ごと倒れた男は頭を押さえる。
トリィネはそれを見て、申し訳なさそうに手を伸ばした。男ではなく自転車に。これに乗れば追いつける。思い浮かぶや否や、体が動いてた。
盗んだ自転車で走り出すトリィネを、男の仲間が追いかける。彼らから放たれる雑音に耳をふさぎ、必死にクレータの遠吠えを探した。
必死に走っていると正面から犬が走ってくる。
「ク、クレータ?何してんの!?」
トリィネの声にクレータの耳が立つ。そのまま急旋回すると自転車と並走した。
「遅いから心配になっちまって」
「バカ!ジュンコさん見失っちゃうよ!」
「大丈夫だ。匂いは覚えた。……それよりコイツら誰?あとなんで自転車乗ってんの?」
追ってきた男は目を見開くと、「犬が喋ってる」と呟いた。
トリィネは少し考えたあと言い訳することなく端的に事情を説明する。
「自転車盗んだら付いてきた」
「はあ……なんでもいいけどよ。このままじゃ到底追いつけやしない」
「だ、だよね~」
「それでよぉオレ様は自転車を見てピンときちまったぜ。いかした作戦を思いついた」
そう言うとクレータはピョンと飛び跳ねうまくハンドルにリードを掛けた。
「……なにする気?」
「振り落とされんなよ」
クレータは急激にスピードを上げる。義足がコンクリートを強く叩く高い音が鳴る。
引っ張られて自転車も加速を始める。
タイヤの焦げる匂いが鼻を刺激する。風を切る音が耳を刺し、砂埃が目に入った。
男たちは追いつくこともできず呆気にとられる。
「すげえ。ドリフトしてる」
砂埃を上げながらトリィネはカーブを曲がる。
「うっひょーーー!」
彼らを置き去りにトリィネとクレータは一気に車との距離を詰めた。車はすぐ目の前。
その瞬間、車がスピードを上げる。自転車に乗った少女とそれを引っ張る義足の犬。異常なコンビが自分たちを追っていることに気がついたようだ。
クレータも負けじと足を動かす。地面を蹴る金属音が車に反射する。
あっという間だった。トリィネは車と並走する。運転席をのぞき込みニヤリと笑うと、片足で車体を何度も蹴った。
「オラオラ止まれ!」
呼応するようにクレータも吠える。
トリィネの目に、白いワンボックスカーのハンドルを握る手が小刻みに震えて見えた。運転手の顔が強張る。何かやばい奴らに追われている。その恐怖が、車内に充満した。
「まずい……」
運転手の声は小さくても、トリィネには確かに届いた。
トリィネは何度も車を蹴る。しかし車が止まることはなかった。
「今のトリィネを見て確信した。スレヴァーとオマエは本当に兄弟なんだな」
「……なんで今思うのよ……。オラ!止まれ!」
前方には小さな山。何としてでも山に入るつもりらしい。次第に道は狭くなり、路面も荒れ始める。
――ギュルルル……。
直後、タイヤから嫌な音が鳴った。空気が抜けていく。無理をさせすぎたようだ。
自転車が傾き、ハンドルを必死に握る。
──ここまでか……。
胸の奥で何かが折れかけた、その瞬間。
不安を掻き消すように後方から排気音が鳴り響く。振り返る間もなく、黒い影が砂煙を上げて迫る。
颯爽と現れたバイクはトリィネを追い越し、車の前に滑り込む。タイヤが火花を散らし、黒い車体が横滑りしながら止まった。路面に描かれた弧が、まるで残光のように輝く。
砂埃が舞いバイクを月明かりから隠した。
砂煙の奥から、黒いシルエットがゆっくり立ち上がる。
その輪郭を月光が縁取った。
「遅いよ!先回りするんじゃなかったの!?」
「英雄は遅れてやって来るものだろ?」
視界がひらけヘルメットからスレヴァーの眼光が光る。その安心感にトリィネは肩を撫で下ろした。




