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第35話 天の川に身を任せ③

 人波を抜けると周りの温度が一段階下がった気がした。さっきまで耳元でうるさかった騒ぎ声も、提灯の灯りも、少しずつ小さくなっていく。屋台の残り香を身に纏いながら、ようやく夜が近づくのを実感していた。


「早く行こうぜ!」


 リョウが自慢のロードバイクの上から声を荒げる。俺とショウは急いでママチャリのロックを解除する。


「遅えなあ。唯でさえお前らの自転車は遅いっつうのに」

「リョウのが速すぎんの!それに──」


 ショウはカゴを叩き自慢気に「こっちは荷物が乗る」と言い放った。


「別にリュックで十分だろ。ていうか、まずい。場所取られちゃう」


 リョウは華麗なスタートを決めると、自転車の性能を見せつけるように俺たちをぐんぐん離す。俺は必死に立ちこぎをする。鳴り響くチェーンの音を掻き消すように、俺は必死に叫んだ。

 

「そんなに急ぐなよ!どうせいつも誰もいないだろ!」


 俺の声が聞こえているのかはわからない。リョウは返事をすることなく、ただ手を振るだけだった。俺とショウは追いつくことを諦めて、サドルに深く腰をかける。

 ゆったりとペダルを漕いでいると夏の生暖かい風が頬を滑る。俺とショウは特に何もしゃべらず漕いでいたけど、苦痛ではなくむしろその沈黙が心地よかった。



 ペダルを踏むたびに、舗装の継ぎ目が小さく足の裏を叩いた。

 遠くでカブトムシでも飛んでいそうな森の匂いがした。街の明かりはもう背中の方で滲んでいる。

 ショウがふいに空を見上げる。

 

「なぁ、今年も同じだな」

「何が?」

「全部」

 

 それだけ言って、またペダルを回した。

 そう言われると、なんだか胸の奥が少し熱くなる。何も変わらないことが、やけに特別に思えた。 


 山に近づくと小さな光がこちらをチラチラと照らす。山の入り口には、懐中電灯片手にリョウが1人退屈そうに待っていた。腕を組むリョウは口を尖らせる。


「おっせえ」

「だ、か、らリョウが速すぎんの!」

 

 何度やったかわからない会話をして山を登っていく。森の匂いが身にまとった祭りの残り香を消し飛ばした。ついさっきの事が思い出に変わるのを感じる。


 弐村山は低山も低山。中学生でも簡単に登れてしまうほどに。大人にしてみれば散歩と変わりないだろう。それでも、俺達にとってこれは探検に変わりなかった。


「お姉さんって今何歳なんだっけ?」


 ショウが荒い息遣いの中聞いてくる。荒い息遣いの中、何とか言葉を捻り出そうとすると、なぜかリョウが「たしか大学1年だよな」と答えた。


「いいな〜姉がいるって羨ましい」


 ショウの台詞に眉をひそめる。


「姉なんて鬱陶しいだけだぜ。ショウはたしか妹がいたよな。俺は妹のほうが羨ましい」

「お前らはまず、兄弟がいることに感謝しろよな。一人っ子の俺から言わせればどっちも羨ましいっての」


 兄弟など鬱陶しいものだとばかり思っていた。欲しがり屋のリョウが言うことをそれほど気にしても仕方ないのだが、いるのが当たり前の俺にリョウの考えが理解できるはずもない。

 今更あるものをないと考えるのは難しいし、それはリョウが抱く感覚とは違うに決まっているのだ。

 

「よっしゃ。展望台到着〜。今年も誰もいないな」


 時刻は7時32分。花火の開始時刻は8時なので30分ほどここで待つことになる。

 展望台から見える景色はどれも大したことはない。夜になれば尚更だ。加えて、中途半端な街の明かりのせいで星も大して見えない。つまり、微妙な場所なのである。

 その微妙な場所もこいつらといればあっという間に時間が過ぎる。



「お、あと一分だぞ」


 俺達は柵に手をかけて遠くを見つめる。群青の空に一輪の火花が咲いた。赤色の光が俺達を照らす。

 次々と上がる花火に「おー」と声を漏らす。それだけで十分だった。

 花が散る音の中でリョウがぼそっと呟く。


「来年も見れるかな」

「……見るだろ」

「なんかさ、今日タイガの姉ちゃん達見たとき嬉しかったんだよ」

「リョウって年上好きだったの?」


 リョウは「違う!」と言いながら、全力で手を振る。ショウの言葉を振り払うように。


「祭りも同じことの繰り返しでちょっとつまらないな、なんて思ってたんだけど、大人になってもあんなに楽しめるもんなんだと思って」

「たぶん祭りを楽しんでるんじゃなくて、友達と会うことを、思い出を楽しんでるんだよ」


 ショウの確信めいた言動に俺とリョウは首を傾げる。

 

「……思い出、ねぇ」

 

 リョウが小さく呟く。その声は花火の音にかき消された。

 空に大輪の光が広がる。色が変わるたび、ショウの横顔がちらちらと照らされる。その表情はどこか寂しそうだった。


「あ、ラストスパート」


 次々と打ち上がる花火に3人は顔を向ける。たしかに、この花火にもあまり感情を抱かなくなっていた。そういうものなのだろうか。それが成長するということなのだろうか。


「だからさ。来年も祭り行こうぜ。俺達!」


 珍しく意見を言うショウに俺たちは笑いながら答える。


「当たり前だ」 


 花火の音が遠のく。風が少し冷たくなった気がした。



 山を後にして俺たちは帰路につく。マンションのオートロックを開けると帰ってきた実感がわいてくる。

  時刻はまだ22時。普段なら起きている時間だが、今日は昼から遊びっぱなしだったためか、もうフラフラだ。疲れた身体を鞭で叩き何とか歯磨きと風呂を済ます。寝ようと思い自室に入る直前、俺が鍵を閉めようとするとリビングから母の叫ぶ声が聞こえてきた。


「お姉ちゃんまだ帰ってないから閉めないで〜」


 まだ帰ってない……というか今日はもう帰らないのではないか?今日は彼氏と祭りのはずだ。母はそれを知らないのだろうか。

 

 眠気に支配された脳はそこで思考を停止しろと命令してくる。母に大人しく返事をすると、そのままベッドに入るのだった。


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