第32話 天の川を渡るため②
目線の先には曲がり角。この先に何かいるのか。スレヴァーはゆっくりと角ににじり寄る。
それと同時に何やら足音が近づいてきた。やかましい、普段走り慣れていない人の足音だ。
角を曲がった瞬間、何か硬いものが胸に当たった。反射的に足が止まり、視界が揺れる。
「うわぁー」
中年の男だった。汗まみれで、必死に逃げてきたような顔。
だが、驚く暇もなく、路地の奥から声が飛ぶ。
「いたぞ!」
数人のスーツ姿の男たちが現れる。手には通信端末と拘束具。
逃げてきた男の腕を押さえ、手錠をかける。
そしてゆっくりと、こちらに視線を向けた。胸に針時計のエンブレム。間違いない、時衛隊だ。スレヴァーは唾を飲み込む。
「ありがとう君たちのおかげで捕まえることができたよ」
「はぁ、別に何もしてませんが。その人何したんですか?」
「君たち子供にはちょっと言えないかな」
そう言うと時衛隊はそっぽを向くようにスレヴァーから視線を外した。一人を除いて。
1人の男はタバコを咥えながらスレヴァーをじっと見つめる。
「君たちどこかで会ったことある?」
「……たぶんないと思いますけど。あなたたちみたいな人と関わる理由がない」
「そうだ。そうだな。関わる理由がない」
そう呟いた後、時衛隊は「は!」という号令とともに敬礼をする。突然の出来事に運び屋一行は目を見合わせた。
「失礼ですが、我々はすでに逃走者を捕獲しております。……はい。はい」
報告する時衛隊の面々を眺めていると突如全員がこちらをぎょっと見つめる。その視線に体中の鳥肌が立つ。身体の危険信号に従いスレヴァーはその場を去ろうとする。しかし、時衛隊はそれを許さなかった。
「君たちちょっといいかな?」
スレヴァーはゆっくりと振り返り精一杯無害そうな顔をする。
「な、なんですか?」
「ちょっと聴きたいことがあってね。一緒についてきてくれないかな?」
「……いや~僕ら忙しくて」
「……すまないが君たちに拒否権は──」
別の男がタバコを吸いながら静止する。煙を吐くと白煙の後ろからスレヴァーを睨みつけた。
「キミを見ていると去年仕事中に会った青年のことを思い出す」
「急になんです?」
「雪山で見たイレギュラーの青年。そいつはオレに蹴りかまして逃げてったよ」
男はタバコを地面に捨てると踏みつけた。
「タイキは元気にやってるか?」
男の語りからスレヴァーの記憶が脳を駆け巡る。ため息をつくとリードを手放しストレッチをした。
「オレは後ろで見てる。オマエら2人でやってみろ」
男は宣言通り一人後方にさがる。
「ポイ捨ては立派な犯罪だぜ。まして常習犯とくりゃ──罰が必要だよなあ!」
その言葉を合図に、時衛隊員2人が一斉に間合いを詰めた。クレータが低く地を蹴る。前方の隊員に噛みつく。肉の軋む音、息を呑む声。
左足が引っ張られ、男が前に崩れ込む。いつも通り頭に蹴りをいれる───しかし、空を蹴るだけにとどまった。
隊員は地を掌で押し、軽やかに後方へ宙返りした。
「さすがのエリート様だ。チンピラ相手とはわけが違うな」
細い路地、逃げ場はなく動きづらい。しかし、それは相手も同じだ。地形が一対一を強要する。背後の影が、わずかに揺れた。「いつでも狙ってるぞ」と言わんばかりに。
──奥にはクレータ、周りには室外機。
劣化した室外機を踏みつける。錆と砂埃が雪のように舞い上がり、壁を蹴るたびに散った。細い道は壁登りに有利だ。
「リード寄越せ!」
待ってましたと言わんばかりに直ぐに鎖が飛んでくる。リードを掴みスレヴァーは空中に留まる。まるで悪魔のように。
落下し始めると同時にクレータは鎖を引っ張った。
体が弾かれるように前方へ加速する。風を切る音が鼓膜をたたいた。
奥の男の首元へ飛び蹴り。その反動で体をひねりながら、手前の男に絡みつく。倒れ込みながら羽交い締めをし首を絞め上げた。鼓動が腕の内で暴れる。
瞬間奥の男が突如倒れる。後ろを振り向くと麻酔銃を構えたトリィネが立っていた。
「いっつもいいところを持ってくな」
「銃はトドメを刺すもの。使った時は終わりの合図だよ」
暗い道の中拍手の音が響き渡る。隊長の口にはいつの間にか火のついたタバコがあった。タバコを地面に落とすと細く濁った目をスレヴァーに向ける。
「タバコ1本吸うくらいは時間がかかると思ったが……。無駄にしちまった」
隊長は懐からサラリと拳銃を取り出す。その瞬間、場の空気がひりつくのを感じた。
「ズリいぞ拳銃なんて」
「そっちの嬢ちゃんも使ってるだろ」
隊長が銃を構えるより先にスレヴァーとクレータは駆け出す。裏路地とは言え周りに人は大勢いる。そう簡単には撃てな──
──パン
スレヴァーの足元に銃痕が残る。咄嗟に壁へ身を投げ、室外機の裏に隠れた。
「次は当てるぞ」
「スレヴ、気にすんな!当たらなきゃどうってことねぇ!」
クレータが堂々と真正面から突っ込む。パン、と銃声。弾丸は頬をかすめ、火花が散った。だが本人は眉一つ動かさない。まるで風に当たっただけみたいに、すれ違う弾道の中を駆け抜けていく。
「な、何してんだアイツ……」
クレータの鎖が宙を走る。スレヴァーは反射的にそれを掴んだ。
「来い!」
スレヴァーは勢い任せに低い姿勢で飛び出す。瞬間、引っ張られる。体が勝手に前へ引きずり出された。低く、速く、地を滑るように。
スレヴァーは勢いそのまま、片手で体をひねって両足で蹴りつける。
隊長もただでは倒れず、空中で体勢を立て直し、反射的に銃を構えた。
その刹那、鎖がもう一度引かれた。スレヴァーの体がわずかに逸れる。
次の弾は、ほんの紙一重で彼の頬を通り過ぎた。
隊長はすかさず銃を構える。トリィネは息を止め、静かに狙いを定めた。
──パン
彼は眼を細め、ゆっくりと地面に沈んでいった。倒れるというより、眠り込むように。
スレヴァーは直ぐ様立ち上がる。
「お前ら急げ!」
「ちょっと休憩しない。心も体も落ち着けたいよ」
「バカ言ってんじゃねえ。きっとすぐこいつの仲間が来る。それに、銃声で一般人が寄ってきたら面倒だ」
渋りながらも再び走り出す。路地を抜けると、案の定、祭りの群衆がこちらを覗き込んでいた。警察のサイレンが遠くで断続的に鳴る。視線と話し声を縫いながら、三人は交差点を曲がって人混みを切り抜ける。
少し開けた場所で、やっと立ち止まる時間が来た。息を整え、胸の奥の震えを引きずり出すようにスレヴァーは空を見上げる。まだ心臓は速い。手に持ったリードが微かに震えていた。
「つ、疲れたね」
「流石にな」
「やっぱり人間は遅いな」
「皆さん速すぎますよ」
言葉はぼそぼそと出る。だが頭の端に小さな違和感が残った。今、確かにもう一人いたはずだ──。
視線を戻すと、そこに立っていたのはトリィネとクレータ、そして手錠を嵌められた一人のオッサン。汗を拭い、こちらを怯えた目で見る。
「誰だ!?」
「ダレだよ」
「誰!?」
三声がほぼ同時に放たれ、路地の空気を震わせた。男はただ、腕をぶらつかせたまま固まる。答えはなく、三人の疑問だけが、しばらくの間残った。




