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第30話 天の川に逆らって

「かんぱーい!」

 

 グラスのぶつかる音が鳴り響く。ぼんやりとした意識の中、俺はオレンジジュースを一口飲んだ。

 自分がどうしてここにいるのか、何をしているのかもよくわからない。ただ、隣には父親、斜め前には母親、そして目の前には姉が座っている。その事実だけは理解することができた。


「ジュンコももう大学生か。それと同時に一人暮らし。随分と立派になったもんだ」


 姉さんは恥ずかしそうに頭をかく。赤らんだ頬はお酒の影響か、それとも照れなのかはわからない。

 

「タイガも見習いなよ。来年は高校とはいえ受験なんだから。ちゃんと勉強してるの?」


 俺はオレンジジュースを一気に飲み干し叩きつけるように机にコップを置く。そんな気はなかったのだが、やけに響いたその音は相手を威圧しているように感じられた。

 

「わかってるよ。お祝いの場でそんなテンション下がること言わなくてもいいだろ?」

「まあ、それもそうね」

 

 机に並ぶのは姉の好物ばかり。唐揚げ、ポテトサラダ、グラタン。姉の好物は俺の好物でもあるから自然と箸が進む。家族4人で集まったのはいつぶりだろうか。久しぶりの団らんはいつにも増して楽しく感じられた。


───おかしい


 家族で集まるのが久しぶり。そんな事があるだろうか。俺は中学2年生、姉は高校3年生。それなのにどうして、こんなに懐かしい気持ちになるのだろう。

 どうして姉を見ていると涙が出そうになるのだろう。

 どうして、胸がこんなにも痛いんだろう。

 あ、そうか。


───これは夢だ


 そう思った瞬間、笑い声も照明の明かりも、全てが水の中に沈んでいくように歪んだ。


 

 

 何やら落下するような感覚で私は目を覚まし、目に溜まった涙を拭き取る。けれど胸の奥には、まだ熱いものが残っていた。夢の中の姉の声が、耳の奥でかすかに反響しているようだった。

 座席の上でビクついたところを見て、隣の客はクスクス笑っていた。

 恥ずかしさから窓を覗くが当然外など見えるはずもない。窓にはシャッターが常備されており、時間移動による激しい光からバス内の客を守ってくれているのだ。それでも誤魔化すために私は必死に窓の方を見ていた。


「乗客の皆様、本バスは間もなく目的時へ到着いたします。目的時は2005年。皆様の時代から30年前でございます。この年で1番大きな出来事は間違いなく台風被害でしょう。この中にはまだ生まれておらず───」


 観光ガイドの説明を聞き流しながら荷物を整理する。と言ってもする準備など特にない。観光客は支給された服を着る決まりになっている。観光客とすぐわかる白Tに、胸元には砂時計のマーク。ポケットのないズボンは持ち込み、持ち帰り防止のためだ。

 座席にどっかりと座り込む。膝にのせた手が、激しく振動していた。

 これから自分がしようとしていることを考えると、足の震えが止まらなかった。隣の客など気にすることなく、私は必死しに震えを止めようと足をたたく。


「それでは皆様窓の外をご覧ください」


 窓のシールドが開き、一気に光が差し込む。


「こちらが2005年の景色でございます」


 やっと見えた景色に意味もなく歓声が上がる。

 乗客の反応は様々だが、その反応は大きく2つに分けられた。当時を懐かしむものと過去に来た喜びを表現するもの。私は前者だった。

 

 2005年、ここは中学3年生の私が遊び回った街だ。こう見ると私の地元も随分発展したものである。当時は街で一番高いと言われたタワーも未来のマンションと比べるとやけに小さく見える。


「皆様この景色にそれぞれ思うところはあると思われます。しかし、これで終わりではありません。今日は有名な七夕祭の開催日でもあります。多くの観光客の皆様は、この祭りを目当てに本ツアーをお選びになりました。屋台や浴衣姿の人々、当時ならではの風景をぜひお楽しみください」


 再び拍手が巻き起こる。私も流れに任せ手を叩いた。観光客の笑い声の合間に、どこか機械音のようなノイズが混じっていた。振り向くと、天井の隅で赤いランプが淡く瞬いている。

 誰かに見張られている。そんな感覚が離れなかった。周りが嬉しそうに話す中、私は1人暗い顔をしているだろう。緊張のあまり口が渇く。

 手元の緑茶を飲みながら景色を眺める。目に映るのは、そこかしこにいる浴衣を着た女性。

 そういえば、大学から帰ってきた姉さんも浴衣を着て笑っていたな。

 

 バスが道の途中に止まり扉が開く。前列から順番に外へと降りる。人が降りるたび歓声が上がった。まるでテーマパークにでも来たかのように。

 

 隣の人が立ち上がりいよいよ私の番が回ってくる。手ぶらに不安感を抱きながらも流れに任せ前へ前へ進んでいく。

 扉の前、いよいよ2005年の地を踏めるというところでスーツを着た男に手を引っ張られた。


「な、なんですか?」


 顔に力が入る。まさかバレたのか。いや、そもそもバレる云々の話ではない。これは私が頭の中で抱いていた単なる欲望に過ぎないのだ。突発的な行動。それに気づいているものなど誰もいない。


「身体検査だけさせろ。義務だからな」


 ほっと肩を下ろし額の汗を拭う。男は私の体に何やら道具を向けてきた。棒状のそれは金属探知機に似ている。

 よく見れば男の格好には見覚えがあった。

 全身黒で包んだスーツ姿に胸には特徴的なエンブレム。昔はよく見た針時計の形である。今は電子時計が主流となり、針時計を見ることはほとんどない。針時計=彼らと言っても過言ではない。

 「時衛隊」──プラネテスグループが抱える時空治安維持部隊。

 タイムマシンを独占したあの企業が、今や国家ですら頭を下げるほどの力を持っている。

 そこのエリート部隊ともなれば……まぁ、横暴にもなるというものだ。


「よし、いいぞ」


 男は私から離れてすぐに後ろの人のところに移動する。解放された私はバスのドアから外を眺める。コンクリートの道だけ見ると特に懐かしさは感じない。それでも空気感が伝わってくるのか、心臓の鼓動は速くなる。

 観光ガイドの手招きに誘われ私は一歩を踏み出した。


「久しぶりだ……」


 思わず出た言葉に困惑する。この時代に来て最初に出る感想がこれか。もっと汚く苦しいものだと思っていた。思い出す記憶はどれも辛いものばかりだったから。

 いや、さっきの夢は楽しかったか……。

 

 外はもう夕暮れ。街灯にくくりつけられた笹飾りがオレンジ色に光りヒラヒラと揺れていた。


 七夕祭のメインは夜に打ち上がる花火だ。と言っても隣の市で打ち上がる花火なので少し離れている。それでもここから見えるし、多くの人がこのまま会場に残り花火を楽しんでいた。

 昼から祭りに参加し夜は花火を見る。これがセオリーだ。私も当時そうしたし、姉もきっと………。

 

 バスの外には観光客の列ができている。先頭と後尾には時衛隊が私たち観光客を挟むように立っていた。祭りに向かう列というより、まるで護送の行列のようだった。

 威圧感を覚えながら大人しく列に並ぶ。ソワソワしないようじっくりと車道を眺めながら。


「皆様、ここから会場まで移動しますが、列からはみ出ないようお願いします。それと一般の方との接触も禁止ですのでお気をつけください」


 前の人に続きゆっくりと歩き出す。車通りの具合を観察しながら。

 黒いワゴンを見て決意を固めるように深く息を吸い込む。あれが行ったらいこう。

 黒いワゴンは法定速度遵守でゆっくりと近づいてくる。そのまま私の横を抜けた時──

 

 ガードレールを飛び越え。バスとは反対方向の歩道に駆け出す。自殺覚悟の一か八か。時衛隊を避けるならこっちしかない。

 突然の出来事に場を混乱が支配する。それでもエリートは早かった。胸に例のエンブレムをつけた男たちが一斉に追いかけてくる。目の前をかすめる車。鳴り響くクラクション。周りはすべて敵だった。

 逃げ切れる可能性は少ない。普段から訓練をしているとはいえ年齢が年齢だ。エリートから逃げ切るのは至難の業だろう。

 それでも一度でいいからこうせずにはいられなかった。正攻法はダメかもしれない。それでも、もし姉を救える可能性が一%でもあるなら…………。



 少し走り、路地に入り込む。換気扇が並び、道幅は狭い。クモの巣を突き破りながら必死に進む。

 背後から迫る足音が、壁に反響して近づいていた。


「今なら罪はそう重くならない!待つんだ!」


 時衛隊の声が、わずかに私の判断を鈍らせた。

 自然と視線が下がる。時空犯罪の罪は重い──私は警官だ。その重みを誰よりも知っている。

 この時代の他者と関わっていない今なら、減刑される可能性もある。

 それでも、この体に鞭打ってでも、諦めるわけにはいかなかった。


 ごちゃごちゃした裏道を、記憶を頼りに駆け抜ける。

 ここは中学時代によく使っていた抜け道。ここを抜ければ──。



 


───カチッ。

 無線のスイッチが入る音が、静寂を切り裂いた。

 スーツの男は、獲物の進行方向を見つめる。


「B、C班は祭り会場を囲むように待機しろ」

「隊長、あいつは……どこへ……」


 遅れてやってきた男は、息を切らしながら膝をつく。


「必死に走ってもらったところ悪いが向こうを見ろ」


 隊長と呼ばれる男は道の先を指さす。

 その指の先には、祭り会場である商店街。往来する人々の影が、灯りの中でゆらめいていた。人混みに紛れられては探すのも困難だ。


「これって……逃げられたってことですか?まずいじゃないですか!」

「……とりあえず会場の出入り口に班を配置して──」


 直後耳元でノイズが鳴る。その場にいる全員が整列をしてインカムを耳に押し込んだ。雑音交じりの声はだんだんとクリアになる。


「こちら司令部、聞こえるか?2番隊部隊長鎌瀬応答せよ」


 聞き覚えのある女性の声に、男たちはその場で敬礼をする。

 

「はっ!」

「2番隊に告ぐ。貴様らの状況はこちらも把握している。現時点をもって貴様らは観光客の警備及び監視に戻れ」


 鎌瀬隊長は指示への不満から眉をひそめる。何度噛み砕いても命令をうまくのむことができず、遂に口を開いてしまった。

 

「はっ!失礼ながら質問よろしいでしょうか?」

「……許す」

「感謝します。我々が逃がした男はどうなるのでしょうか」


 少しの沈黙。ノイズが右耳の鼓膜を叩いた。再びクリアな声で返事が届く。


「その男が逃げるのは現行時間軸の規定通りである。その末路がこの世界に何ら変化を及ぼすことはない」

「末路……ですか」

「……貴様らが気にすることではない」


 隊長は少し考えたあとほくそ笑む。それ以上の会話はお互い必要ない。「了解。失礼します」と言葉を添えると無線を切った。

  

「司令部は地獄耳ですか?……なんで知ってるのやら」

「ここまで規定ルートなんだろう。組織に隠し事は不可能だな。だが良かった」


 部下達は頷くと内の一人がほっと息を漏らす。


「ホントですよ。評価に影響しなさそうで安心しました」


 彼らを横目に隊長は歩き出す。その後を部下たちは列をなしてついていく。

 

「そうじゃない。あの男がどんな目的を持ってるかはしらんが、あれは立派な時空犯罪だ。その末路が無様なら許される」

「男がどうなるか言ってましたっけ?」


 隊長は部下の方を振り向きながらタバコを咥えると不敵な笑みを浮かべた。


「良い結末に末路なんていうか?」


 隊長の笑みが闇に溶けた。七夕の灯りが遠くで瞬いている。

 願いを託すには、あまりにも残酷な夜だった。

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