第16話 恋慕舞い上がることを願う①
レンは肩で息をしながらも、なおも逃げ場を探すように視線を泳がせていた。
スレヴァーは一歩、また一歩と間合いを詰める。手にあるのはただの封筒一枚。その紙切れを渡すため、彼は必死に走り回ってきたのだ。
「この、ストーカー野郎が……しつこいんだよ!」
「しつこくて結構、依頼人のためなんだ……」
「依頼人、依頼人っていったい誰なんだよ!差出人の名前を出すくらいしてくれないと、俺も受け取りようがないだろ」
スレヴァーは未来のことを口にしかけて、唇を噛んだ。
それを言えば、手紙を渡す以上の介入になる。依頼人が本当に望んだのは、そんな未来の強制だったのか──。
同時に彼の頭でエアルスの言葉が何度も反復される。
「これ以上は進まないほうがいい。もし進むなら……それなりの覚悟を持つこと」
そう、この依頼でスレヴァーは一歩進み、トリィネはおそらく苦しむことになる。その覚悟──
「……お兄ちゃん」
イヤホンからノイズ混じりにトリィネの声が聞こえる。
「何迷ってんの早く伝えなよ。差出人が誰なのか」
「……そんな簡単に言えるわけないだろ」
トリィネの声はレンに聞こえていない。レンは自分に向けられた言葉だと勘違いしてのか、当たり前のように返事をする。
「……言えない?なんで?」
一方、スレヴァーは彼の言葉に耳など貸さず、トリィネの声に意識を向けていた。
「なんか今日のお兄ちゃんおかしくない?言わなきゃダメに決まってるじゃん」
思ってもみない返答にスレヴァーの眉が鋭くなる。睨む目がないため仕方なくカメラを見つめた。その導線の先にはレンがおり、何か勘違いをしたのか縮こまってしまった。
「お兄ちゃん、未来のレンさんは過去の自分に託すって言ったんだよね。でもね、今ここにいるレンさんにとって、今は過去じゃなくて現在なんだ。だから未来からのものだって伝えなきゃ、託された意味そのものが消えちゃうよ」
自分にはない考えを平然と語るトリィネに、スレヴァーのつり上がった目尻が次第に緩やかになる。
「私達が今回預かったものは手紙だけじゃないんだからね。ちゃんと託してあげないと」
スレヴァーは頭のモヤが一気に晴れるのを感じる。
今、トリィネは俺に納得のいく理由をくれたのだ。いや、正確には言い訳を潰したというべきか。もう迷う理由はない。それにこいつなら乗り越えられる。そう思わずにはいられない。スレヴァーは静かに微笑み、ゆっくりと口を開く。
「未来のお前からだ」
「……は?」
「差出人は未来のお前だよ、レン。俺は未来のお前から手紙を受け取り、今のお前に渡しに来たんだ」
レンはわざとらしくため息をつくと、呆れたとばかりに頭を振った。
「やっと答えたと思ったら、未来って……。ガキ相手だからって馬鹿にしてんのか!?」
スレヴァーはポケットから写真を取り出しレンに向ける。
「この写真、何だかわかるか?」
沈み始めた太陽はあまりにも近い。光のせいでどこか見づらい写真をレンは慎重にのぞき込んだ。
「卒業式……俺とマイ?」
「まだ卒業していないお前たちの卒業写真。それを持つ意味は予想がつくだろ?」
レンは写真から顔をゆっくりと離す。その顔は逆光でうまく確認することができない。
「こんな写真、いくらでも加工できるだろ」
ここまで情報開示をしても逃げようとするレンにスレヴァーは呆れを通り越して感心していた。彼の頑固さは、やはりこの頃から変わらないらしい。だが、その頑固なレンをトリィネは説得してみせたのだ。
スレヴァーは目を閉じて、あの時の会話を思い出す。そして再現するように……。
「……はぁ。本人が言うように、お前は本当に言い訳ばかりだな」
「なんだと?」
「ただ手紙を渡すだけなのに、未来のことまで話すことになるとは思わなかったぞ。まあ結局、受け取る気はないらしいが」
「……なに、あんた。急に偉そうに……。あ、あんたさては詐欺師だろ。引っかからないとわかって自暴自棄になったんだな」
スレヴァーは煽るように鼻で笑ってみせる。
「詐欺師ねぇ。未来のお前も同じことを言ってたぞ。だが今回のは全くひどいな。金が絡んでないのに詐欺呼ばわりとは、論理も成り立っていない。恥ずかしくないのか?」
「っクソ!」
突っ込むレンを、スレヴァーはひょいと避けてみせる。レンは勢いのまま体勢を崩し、コンクリートに倒れ込んだ。
「この紙切れ1枚の運送に未来のお前がいくら払うか想像できるか?」
スレヴァーの手元でヒラヒラ揺れる手紙を、レンは訝しげに見つめる。
「なんだよ急に」
「直感でいいから言ってみろ」
「……1万とか?」
「60万だよ。それも日々の生活もままならないようなやつが」
「は?」
「驚いたか?でもな、それだけの思いがこの紙にはのってるんだよ。大金はたいて、過去に手紙送るのがどういう状況か、お前に想像できるか?」
レンは答えない。否、おそらく答えられない。スレヴァーも答えを求めていない。ただ、応えてほしい、その一心で言葉を送っている。
「できるわけないよな。これは煽ってるんじゃないんだ。生きている年数も、経験も足りてないんだからな。考えが及ばなくて当然だろう。それでも汲み取るくらいはできるだろ?送り主はお前自身なんだから」
かわらず無言のレンだったが、表情に多少の変化は見られた。目尻が下がっている。
「これを受け取らないのは、お前自身が、自分の覚悟を否定することになるんだぞ」
「……知らねえよ」
「なに?」
「未来の俺の覚悟とかそんなもん知らねえよ。急に押し付けてきて……。俺には関係ないだろ」
スレヴァーは小さく笑った。
「……お前はここから随分と成長するんだな」
「どういうことだよ?」
「今は理解できないだろうさ。これは押しつけなんて乱暴なものじゃない」
スレヴァーは小さく首を振り、言葉を続ける。
「未来のお前はな……信じて託したんだ。今の相生レンに。乱暴でも強制でもない。ただの願いだよ」
スレヴァーはレンの目をまっすぐに射抜いた。
「1つだけ言わせろ。今の相生レンに」
レンは固唾を飲む。喉の鳴る音が、スレヴァーの耳にまで聞こえてきた。
「受け取らないことに覚悟を持て」
「……は?」
「未来の自分を信じるのが怖い。手紙を開けて自分がどう動くか決めるのが怖い。だから受け取らねえって逃げてんだろ」
レンの目線はいつの間にか下に向いている。自信のなさが顕になっているようだ。
「いいか。受け取るのは覚悟じゃない。ただの入り口だ。覚悟を決めるのは、その先でお前自身がやることだ。だから、もし受け取らないって言うなら、その行為に一番覚悟を持つべきなんだよ。その先の選択をすべて潰して後悔の念を抱く覚悟を」
スレヴァーはレンの胸に封筒をそっと押し当てる。レンは顔を上げ、その表情には戸惑いが見られた。
「俺は運び屋だ。お前の手にこれが渡ったのなら、そこで俺の役目は終わり、それをどうするかはお前の自由だ」
封筒を押し当てられたレンは、しばらくのあいだ睨みつけるようにスレヴァーを見ていた。
だが結局、その手を振り払うことはしなかった。封筒は確かに彼の手に残る。
スレヴァーは小さく息を吐き、背を向けるとレンを背にイヤホンへ語りかける。
「トリィネ、手紙は無事渡せた。依頼完了だ」
その声はトリィネだけに向けたものではない。スレヴァーはレンにも聞こえるようわざと大きな声を出す。ここからは干渉しないと告げるように。




