第9話 領収書作戦
「そりゃそうだ。だが領収書を入手させた直後のラウンド一つだけに限って言えば、凰沢が高額のキャッシュを選ぶ可能性はいちじるしく低くなるはずだ」
「……まあ、どうせ何もしなかったら凰沢さんがどのキャッシュを出すかなんてわかりっこないからね。なら、成功する保証はないけれど試行する価値はあるか。
でも、どうやって取得させるの? いや、たとえ首尾よく取得させたところで、落とし主が束くんだとわかるかな? 領収書には氏名は記されていないでしょ?」
「入手させる方法はもう思いついている。落とし主がおれだとわかるか、についても大丈夫だろう。領収書には銀行名は書かれているからな。
凰沢は毘汰銀行のインターンシップに参加したことがある。ということは、頭取――おれの父さんについて知っているだろう。顔や下の名前は覚えていないとしても、矗野真田という苗字は印象に残っている可能性が高い。珍しい漢字だし、四文字だし。なら、同じ矗野真田という姓のおれは頭取の息子だと考えるはずだ。
まあ永寛も苗字は矗野真田だが……父親は歌手の小笠原フミヒサだからな。永寛は雑談のネタとしてよく父親の話をしていた、頭取の子供ではないことは凰沢もわかるだろう」
ふと財布を見たところ、いつもマイナンバーカードを収納しているスペースが空っぽになっていることに気づいた。一瞬、紛失したのかと焦ったが、すぐにそういえば自宅の箪笥の上に置きっぱなしだったと思い出して安堵した。
「話を戻そう。凰沢は『矗野真田くんの父親が毘汰銀行の頭取なら、とうぜん矗野真田くんは口座を所有しているでしょう』『せっかく銀行の新規顧客を獲得できるのよ、父親としては息子に口座を作らせない手はないわ』と考えるはずだ。
なら、毘汰銀行ATMの領収書を入手すれば、落とし主はおれだと思うに違いない。毘汰銀行はマイナーな地方銀行で、はっきり言って利用者は少ない。キャッシュデュエルの関係者の中におれ以外にも毘汰銀行の顧客がいるかもしれない、とは想定しないだろう」
白テーブルのモニターに視線を遣った。シンキングタイムの残り時間は少なくなっていた。
「さて、そろそろこのラウンド5で出すキャッシュを決めないとな。別に何であったところで作戦には影響しないが、かといって捨てるつもりは毛頭ない」
「じゃあ一〇〇〇円札はどう? 今、束くんと凰沢さんの所持ウィズダム数には2WDの差がついている、これ以上リードを広げられるのはさすがに不味いでしょ。一〇〇〇円札ならそれなりに勝つ可能性があるよ」
「そうだな、五〇〇〇円札はまだ温存しておきたいし。そうするか」
束仁は財布から一〇〇〇円札を取ると小さく折り畳んで右手に握った。若葉とともに竪琴の部屋を出る。王冠の部屋に入り、茶テーブルの手前に立った。雉子が来たのはまたしてもシンキングタイムの制限時間が尽きる直前だった。
(再び何か企んでいるのかもしれないな。警戒しないと)
「それでは、キャッシュを提示してください」
束仁は右手を開いた。一〇〇〇円札が白鳥の器に落ちた。
雉子も右手を開いた。小さく折り畳まれた紙幣が狗鷲の器に落ちた。
(く、紙幣か……。これじゃあよくて引き分けだ)
束仁は狗鷲の器に目を遣った。一〇〇〇〇円札だった。
「矗野真田さまのキャッシュは一〇〇〇円札、凰沢さまのキャッシュは一〇〇〇〇円札。よって凰沢さまの勝利です」
灰テーブルのモニターの表示内容が更新され、「矗野真田束仁:1WD」「凰沢雉子:4WD」となった。
雉子は片手で小さく拳を握った。「また勝てたわ。これで3WD差よ、順風満帆ね」得意顔になって視線を向けてきた。「あら、今回は『勝負はまだこれからだ』なんて言わないのかしら?」
束仁は眉間を険しくした。「今のうちに好きなだけ調子に乗っていろ、じきに笑っていられなくしてやる」
「あなたはもうすでに笑っていられないようだけれど」
桐竹が言う。「それではラウンド6を開始します。部屋にお戻りください」
束仁はスラックスのポケットからスマートホンを取り出し、適当に操作し始めた。時間稼ぎだ。
さいわい雉子はすぐに退室してくれた。スマートホンをポケットに戻し、財布から毘汰銀行ATMの領収書を引っ張り出す。床の上、茶テーブルの向こう側に置いた。
(こうすれば、うっかり落としてしまったような演技をせずとも、凰沢に領収書の存在を気づかせて入手させることができる。『何かの拍子に矗野真田くんの財布から落ちたのでしょう』とでも解釈してくれるだろう)
床から手を離したところ、シャツの胸ポケットにしまっていたペグシルが滑り落ち、領収書の縁に当たった。「おっと……」と呟きながらペグシルを摘まみ上げ、腰を伸ばす。再び胸ポケットに挿し込み、桐竹に目を遣った。
「あの、桐竹さん。この領収書は片づけないでくださいね、作戦なんで。あ、凰沢には何も言わないでくださいよ。お願いしますね」
桐竹は軽い困惑の様子を見せたが、すぐに頷いてくれた。「わかりました」
束仁は竪琴の部屋に戻り、財布を確認した。残りのキャッシュは、一〇円玉、五〇円玉、五〇円玉、五〇円玉、一〇〇円玉、一〇〇〇円札、一〇〇〇円札、一〇〇〇円札、一〇〇〇円札、五〇〇〇円札だ。
若葉が話しかけてきた。「凰沢さんが束くんの領収書を拾うのは、このラウンド6で王冠の部屋に入った時だよね。つまり作戦が効果を発揮するのはラウンド7。このラウンド6じゃ手がかりなしでキャッシュを選ばないといけないわけだけど……何にする?
さっきのラウンド5じゃ一〇〇〇円札を出したのに負けちゃったよね。もう所持ウィズダム数には3WDの差がついちゃっているし……ここは五〇〇〇円札で一勝しておく? いや、凰沢さんが二〇〇〇円以下のキャッシュを選んでくれればの話だけれど」
「いや、一〇〇〇円札にしよう。ラウンド5じゃ一〇〇〇円札を出して負けたが、裏をかいて同じキャッシュにするんだ。勝つ可能性も低くはないしな」
束仁は財布から一〇〇〇円札を取ると小さく折り畳んで白テーブルの上に載せた。シンキングタイムの残り時間が尽きる直前になったところでその紙幣を右手に握り、若葉とともに竪琴の部屋を出た。
王冠の部屋に入り、茶テーブルの前に立った。すでに雉子は来ていて、床に置いておいた領収書はなくなっていた。
(ちゃんと拾ってくれたようだな)安堵の溜め息をつきそうになり、堪えた。
「それでは、キャッシュを提示してください」
束仁は右手を開いた。一〇〇〇円札が白鳥の器に落ちた。
雉子も右手を開いた。貨幣が狗鷲の器に落ちた。
(やった、貨幣だ!)口笛でも吹きたくなった。(おれの勝ちは確定だ……!)
束仁は狗鷲の器に視線を遣った。一〇円玉だった。
「矗野真田さまのキャッシュは一〇〇〇円札、凰沢さまのキャッシュは一〇円玉。よって矗野真田さまの勝利です」
灰テーブルのモニターの表示内容が更新され、「矗野真田束仁:2WD」「凰沢雉子:4WD」となった。
束仁は胸を張った。「どうだ、さっそく勝ったぞ。これで2WD差だ」
しかし雉子の態度からは余裕は欠片も失われていなかった。優雅な笑みを浮かべる。「こんなことで喜ぶなんて、可愛らしいわね。まだ2WDも差がある、それどころか次のラウンド7でまたわたしが勝てば3WD差に戻るというのに」




