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第7話 落下

 束仁は雉子を睨んだ。「調子に乗るんじゃないぞ、勝負はまだこれからなんだからな」

「ふふ、怖いわね」

 桐竹が言う。「それではラウンド3を開始します。部屋にお戻りください」

 直後、バイブレーション音が聞こえた。雉子がショートパンツのポケットからスマートホンを取り出す。ケースの隅にストラップが付いていた。

 その時、ポケットから端末と一緒に黒い物が飛び出して、落ちた。革製の小物入れだ。床に衝突して大破し、中に入っていた物を辺りにぶち撒けた。

(……ん?)束仁は小物入れを見つめた。フォーマルなデザインで、隅には毘汰銀行のロゴが刻まれていた。(見覚えがあるぞ、毘汰銀行の今年のインターンシップで参加記念として貰える品じゃないか。凰沢は行ったことがあるのか。まあ、大学の工学部を卒業して銀行に就職するというのは、別に変な選択ではないからな)

 小物入れから散乱した物は菓子だった。ポートカリスが二個、シャムロックが一個、未開封のドデカゴンのナツミカン味が三個、イチジク味が一個、ナツミカン味の包装ごみが一個だ。

 雉子は「ああ、もう」とうんざりした声を漏らし、しゃがんで菓子を拾い集め始めた。その光景を眺めている必要性も感じられず、束仁は竪琴の部屋に戻った。

 若葉が聞いてくる。「このラウンド3じゃどのキャッシュにするの? もう2WDの差がついちゃったけれど」

 束仁は財布を確認した。残りのキャッシュは、一〇円玉、五〇円玉、五〇円玉、五〇円玉、一〇〇円玉、一〇〇円玉、一〇〇〇円札、一〇〇〇円札、一〇〇〇円札、一〇〇〇円札、一〇〇〇円札、五〇〇〇円札、一〇〇〇〇円札だ。

「一〇〇〇〇円札だ」と即答した。「ここは一〇〇〇〇円札を選んで確実に一勝しておく。所持ウィズダム数の差を1WDに縮められるし、運がよければ凰沢に高額のキャッシュを無駄遣いさせられる。おれとしても、さっきのラウンド2でわざと負けたのは、このラウンド3で確実に一勝する予定があってこそだ。

 ……ただ、王冠の部屋に行く前にお手洗いだな」

 束仁は竪琴の部屋を出ると適当なスタッフを捕まえ、許可を得てホールを後にした。手早く用を済ませて戻り、若葉と合流して王冠の部屋に向かう。歩きながら財布から一〇〇〇〇円札を取り、小さく折り畳んで右手に握った。

 部屋に着くと茶テーブルの前に立った。雉子が来たのはまたしてもシンキングタイムの制限時間が尽きる直前だった。口をもぐもぐと動かしていて、手にポートカリスの包装ごみを持っていた。

 雉子はごみをポリ袋──小物入れはもう使い物にならなくなったらしい、さきほど目にした菓子が入っているのが見える──に投じようとした。しかし外れ、足下に落ちた。雉子は顔をしかめるとごみを右足で蹴り、部屋の隅に飛ばした。

「それでは、キャッシュを提示してください」

 束仁は右手を開いた。一〇〇〇〇円札が白鳥の器に落ちた。

 雉子も右手を開いた。貨幣が狗鷲の器に落ちた。

(また貨幣かよ……。頼む、五〇〇円玉であってくれ)

 束仁は狗鷲の器に視線を遣った。一円玉だった。

(ぐ、そうとわかっていれば一〇〇〇〇円札なんて出さなかったのに……!)

「矗野真田さまのキャッシュは一〇〇〇〇円札、凰沢さまのキャッシュは一円玉。よって矗野真田さまの勝利です」

 灰テーブルのモニターの表示内容が更新され、「矗野真田束仁:1WD」「凰沢雉子:2WD」となった。

 雉子は満足げな笑みを浮かべた。「負けちゃったけれど、あなたに一〇〇〇〇円札を無駄遣いさせられたわ。わたしにしてみれば、どうせ負けるラウンドでどうせ負けるキャッシュを消費することができた。これも理想的ね」

「だが、あんたが負けたことには変わらないだろう。おれはこれで1WD獲得だ。覚悟しておけ、次のラウンド4でも勝ったら追いつける」

 雉子はくすりと笑った。「負けてまた差が開くかもしれないわよ」

 桐竹が言う。「それではラウンド4を開始します。部屋にお戻りください」

 束仁は出入口に向かおうとしてターンした。その時背後から、どさっ、という音が聞こえてきた。

 振り返る。茶テーブルの向こう側にいる雉子もターンしていて、背を向けていた。

 雉子の前には床に財布が落ちていた。さらには、そこからこぼれたらしい小さな円盤が一枚、転がっていっていた。

 雉子は「ちょっ!」という甲高い声を上げ、素早く左足を右斜め前に差し出した。円盤を踏みつけて隠す。

「ふう……」

 安堵の息をついた後、左脚を軸にして右膝を床につけた。右の靴がずり下がり、アンクルソックスが露になる。かかとに湿布が貼ってあった。

「まったくもう、最悪だわ……」

 雉子はぼやきつつ左の靴の下から円盤を取った。財布を拾って立ち上がり、その場を後にした。

 束仁も竪琴の部屋に戻り、財布を確認した。残りのキャッシュは、一〇円玉、五〇円玉、五〇円玉、五〇円玉、一〇〇円玉、一〇〇円玉、一〇〇〇円札、一〇〇〇円札、一〇〇〇円札、一〇〇〇円札、一〇〇〇円札、五〇〇〇円札だ。

 若葉が話しかけてきた。「さっきのハプニングにはびっくりしちゃったよね。まあ、おかげで凰沢さんが五〇〇円玉を少なくとも一枚は持っていると知れたけど」

 束仁は若葉の顔を見つめた。「そうか、若葉にもあれは五〇〇円玉のように見えたか」

「えっ、どういうこと?」

「いや、たしかにおれにも五〇〇円玉のように見えた。だが、本当に五〇〇円玉なのか? 実は五〇〇円玉によく似た別の、キャッシュじゃないただのコインとかメダルとかの類いなんじゃないか? それをわざとおれに目撃させ、『凰沢は五〇〇円玉を少なくとも一枚は持っている』と誤解させようとしているんじゃないのか? おれに高額のキャッシュを選ぶことを躊躇させるために」

「なるほど」若葉は頷いた。「そういえば、このビルに入っているゲームセンターのメダルの見た目が五〇〇円玉っぽかった気がするね」

「だいたい、相手プレイヤーに自分の財布やキャッシュを目撃されないようにする、なんて当たり前に思いつく注意事項だからな。にもかかわらず財布を床に落として見られ、あまつさえ中から貨幣が転がり出てきて見られるだなんて、出来過ぎじゃないか? わざと財布や偽の貨幣を落とした、と考えたほうが自然じゃないか?」

 束仁は腕を組んだ。手がシャツの胸ポケットに当たり、挿し込んでいたペグシル──午前の部のイラストデュエルで使った物──が飛び出した。落としそうになり、慌てて押し戻す。

 若葉は頭をかいた。「たしかに事実だけを並べれば、凰沢さんがわざと偽の貨幣を束くんに目撃させた気がするね。

 でも現実はどうかな? 束くんの推理によれば、凰沢さんが財布を落としたり転がり出た貨幣を踏んで隠したりしたのは、すべて演技だったってことだよね。けれど、あの時の凰沢さんの慌てっぷりは真に迫っていたよ。というより束くんの話を聞くまで、芝居かもしれない、なんてちっとも思わなかったな」

「おれもその点が引っかかっていてな……」しばし黙り込み、考えを巡らせた。「……もしかしたら凰沢には演技の心得があるのかもな」

「というと?」

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