二話
アンドロイドの国が起こした一連の事件は、あっという間に他の事件や事故の話に埋もれていった。
その時は男もそれをそこまでの関心を持たず、聞き流していた。
「同じ記事でも、俺のとは雲泥の差だな」
男が書き起こしている記事は、そんな高尚な記事では無かった。
不倫、裏切り、嫉妬、犯罪等々の人々が眉をひそめつつも覗き見でもするかの如く事の顛末を追ってしまうような、そんな下世話なゴシップ記事。
男は有る事無い事お構いなしで、誰もが目を引くくだらない記事を作っては、その報酬を酒に変えていた。
記事の対象者から読者、更には編集者からも後ろ指をさされそうな仕事。
だが、それが報酬に変わると言う事は需要が存在するという事。
その日も、次なる記事のネタを求めて酒場に入り浸っていた。
酒場のテレビからアンドロイドの話題が流れてきた。内容は相変わらずお堅いもので、アンドロイドの国の生産性や成長率を人間の国と比較しているものだった。
男はその話を見ながら考えた。
先に騒動になった時は、アンドロイド側の対応が迅速で的確だった為、あっという間に鎮静化してしまった。
俺自身が一嚙みでも出来て、少しでも稼げれば良かったがその前に終わってしまった。
今では表立ってアンドロイドの国を批判する人は居ない。
だが、誰しもが心の内にはどす黒い感情を秘めているのでは。
人間に創られた存在であるアンドロイドが、人間に対して異を唱えるとは何事かと。
その心の内の感情を突くような記事を書けないか。
先の時の様に大騒動になれば万々歳だし、そこまで行かなかったとしてもその記事を報酬に変えてくれる所は有るだろう。
男はまがいなりにも記者であり、思い立ってからの行動は早かった。
早速、まずは駄目元程度の感じで、正式な方向から取材申請を行った。
それが駄目たったら侵入してみるのも面白そうだ、と考えていた所に返答が来た。
そこに申請が受理された旨が書かれていた。
少しばかり唖然としつつも、さっそく旅行の準備に取り掛かった。
アンドロイドの国は僻地に有る。
近くに人間の村も存在するが、そのほとんどが自然に囲まれている。
それとは対照的な舗装された道、そして向かう途中にすれ違う何台ものトラックが、アンドロイドの国自体とその生産性の話の信ぴょう性を高めていた。
どれだけ近代的な建物が立ち並んでいるのだろうと、期待せずにはいられなかった。
しかし、見えてきた景色は違った。
そこには見た目の洗練さなどは一切無く、どこまでも効率性だけを追求した画一的な工場群だった。
いくつもの建物が立ち並んでいるのに、男の第一印象は殺風景だった。
中に入ると一人のスーツを着込んだ男が会釈してきた。
「ようこそ、我々アンドロイドの国へ。仲間を代表してあなたを歓迎します」
握手を交わしながら、そこでようやく思い至る。
この国には常駐している人間は居ない事を、事前情報として知っていたはずなのに。
あまりに人間そっくりだったので、普通に人と接している感覚に陥っていたが、彼はアンドロイドだった。
そんな男の考えを表情から読み取ったのか、アンドロイドはにこやかに答えた。
「驚くのも無理はありません。この体、我々が外交官型と呼んでいるアンドロイドの体は、あなた方人間に限りなく近づける事を目標として作られた物です。そうやって驚いていただけた事はとても嬉しく思います」
「外交官、型、」
驚きのあまりオウム返しになってしまったが、それでも答えてくれた。
「ええ。その名前が示す通り、このようにあなた方人間との会話や交渉を主な仕事としている型です。
記者さんとの事ですからすでに御存知とは思いますが、我々の体はその型の目的により変化させています。
この外交官型はアンドロイドという名を最も表している型になりますね」
「人と話すのにその形が必要になりますか」
ふと思った事を質問してみる。
「ええ。あなた方人間は武骨な金属の塊と話すより、こうした自分たちに近い形をした者との会話の方がより腹を割って話してくれますので」
「なるほど」
言われて想像してしまった。確かに相手が人っぽい形の方が話はしやすそうだ。
「それにしてもよくこんな素性もはっきりしないような奴の取材申請を通しましたね。
通らないだろうで申請したので、返答が来た時は驚きました」
「素性がはっきりしないなんて事はありません。確かにあまり上品な話題の記事では無かったですが、あなたが記者であり数多くの記事を書かれそれが雑誌等に掲載されていた事は確認できましたので。
ちゃんとした記者さんの取材依頼であればお受けしない理由はありません」
見た目が人間に見えても相手はアンドロイド。過去の情報を検索するのは朝飯前だろう。
おかげで信用してもらえたのなら願ったり叶ったりだ。
「しかし、取材をお受けするのは良いのですが、見るに値するような場所があるでしょうか。
見ての通り、工場が立ち並ぶだけでこれといった目を引くような建物もありませんし」
「アンドロイドの国と言えば、人間では到底及ばない生産性。その謎の鱗片だけでも掴んで帰れれば満足ですよ」
「そこは我々がアンドロイド、つまりは機械である事が大きいですね。
あなた方人間のように疲れる事がありませんので、昼夜を通して生産し続ける事が出来ます。そうすればおのずと生産性は高くなります。
後は、そうですね、効率化をし続ける事でしょうか。少しでも無駄を省き成果を最大にする、その変更をし続ける。
その二点ですね」
「一点目は人間には無理にしても、二点目に関しては何か得られる物があるかもしれません」
「そうですか、では実際の工場を見学しながらご説明しましょう」
彼に連れられる形でアンドロイドの国の中を歩く。
歩きながらも彼は色々と教えてくれた。
「そういえば、現在このアンドロイドの国に駐在している人間は居ないと聞いていますが、何か理由があるのですか」
「お恥ずかしながら、それも効率化の弊害かもしれません。もともと人が居なかったので、人が居る想定で村が作られていないのです。
ですから、もし記者さんがこの村に泊まりたいとおっしゃられても、そのような目的の部屋自体作られていないので、申し訳ありませんが野宿してもらうしかありません」
苦笑を浮かべる彼につられて、男も笑う。
「なるほど。では帰りの足が有るうちに帰らなければ」
「ええ。それが良いと思います」
そんな話をしながら歩いていると、ふと気が付く。
他に外を歩いているアンドロイドが一体も居ない。
通りかかるのはトラックばかりで、それらも荷を積んだり降ろしたりは色々だが、その後はそのままアンドロイドの国を出て行ってしまう。
「他に誰も見かけませんね。皆、仕事中ですか」
「そうですね。我々の仲間は皆、それぞれに役割を持っています。それぞれがそれぞれの分野で十分に成果を出す、たとえ一体だけでもそれがおろそかになれば、すぐに全体の生産性は低下してしまいます」
「分業ですね」
「ええ。作業を行って物を作る者、思考して問題解決に励む者、更には娯楽を楽しむだけの者も居ます」
「娯楽を楽しむだけの者、そんな役割にどういった意味が」
「ここはあなた方人間とは大きく違う所かもしれません。御存知かもしれませんが、我々は記憶と感情を共有して居ます。記憶のプールと我々は読んでいます。記憶のプールに入れられた記憶や感情は、例えそれを経験した者とは別の者でも、自分がそれを経験したかのようにその記憶と感情を引き出す事が出来ます。
そこで、我々は一つの方法を思いつきました。同じ娯楽を多くの仲間が行うのは非効率なのでは、娯楽を楽しむ者を限定しその楽しんだ記憶と感情を共有する方が効率的では、と。
その代わり、娯楽型は娯楽をしないと言う選択はありません。それは仕事放棄ですから。
ある仲間は今も世界中を旅行し続けて、各地の人々と出会ったり、色々な山へ登頂したりしています。
ある仲間はひたすらに読書を続けています。しかし、あなた方人間が世に送り出す書籍が多すぎて、次に何を読むかの選択肢が多すぎるのが問題になってますね。
娯楽型を増やしてあげたいのですが、やはり直接的な生産性向上には繋がらないので後回しになってしまいますね」
「まあ、ごくつぶしが多ければ家計が圧迫されるのは当然ですね」
「そう言う事です」
彼は一つの工場の前で止まった。
「さて、効率化の話でしたね。
これもあなた方人間には応用が難しいとは思いますが、我々はその型の目的に合わせた形に体の作りを変えています。
例えばこの工場を任されている彼は、せわしなく動き続ける事が要求されます」
工場の中では数多くの機械が稼働している。その間を潜り抜けて一台の機械が縦横無尽に動き回り、その数多く設置されている機械の一台に何かをしたと思ったら、すぐさま別の機械の元に移動しまた何かをする。その作業がひと段落したのか、中央に設置された自分の作業台に着くと周りの機械と同じように作業を始める。そして少しするとまた動き回り機械を一台ずつ何かを行う。
その一台はアンドロイドと呼ぶには機械的すぎる形をしていた。少なくとも人間らしい部分は、その体の大部分を占めるロボットアームぐらいだろうか。
「あれは何をやっているのですか」
「この工場で生産されている物は非常に繊細で、気温や湿度のちょっとした変化ですぐに出来ばえに影響が出ます。彼はああして変化した気温や湿度に対応した状況にする為に、周りの機械の設定を変更しています。
自動化も試みた事はあるのですが、結局は物理的に変更をした方が早いという結論に至ってしまいました」
「そう聞くとまるで職人ですね」
「ええ。そうだと思います。彼が今まで積み上げてきた記憶が無くなれば、この工場の製品の出来ばえは著しく低下するでしょう」
「もし、彼が故障したりして居なくなったら」
「その時は記憶のプールから彼の仕事に関する記憶を読ませた二体目に任せるだけです。この工場を止めるわけにはいかないので」
さらりと言い放つ彼の態度に、言い知れぬ寒気を覚える。
彼らにとって仲間とはその程度の扱いなのだ。一体が壊れればその一体の事を嘆き悲しむのではく、その場所に新たな一体を置いて生産性の維持を最優先する。
この違和感は人間が記憶のプールを持っていない故だろうか。
「では次の工場に移動しましょう」
「わかりました」
歩き出しながら彼は言った。
「先ほどの工場の彼に怒られてしまいまして。いつまでも自分の工場に熱と水分を放ち続ける人間を留めておくな、と。
それだけ彼は温度と湿度の変化に敏感でして」
「それは、確かにそうですね。人間なんてあなた方からすればぬるま湯と変わらない」
「申し訳ないです」
目の前の外交官型が先の工場の作業型と会話しているそぶりは見せなかった。それも彼らの記憶のプールと使った意思疎通の一環なのだろう。彼らの会話を外から人間が観察する事は不可能のようだ。
「こちらの工場ならばそこまで言われる事は無いでしょう」
案内された次なる工場。そこも先ほどと同じように数多くの機械が稼働している。
しかし、先ほどとは違い動き回る彼らの仲間の姿が無かった。それどころか動き回れる程の隙間も設けられていない。
「ここにはあなた方の仲間は居ないのですか」
「いえ、居ますよ。中央で作業しているのがこの工場を任されている仲間です」
言われて再度確認しても、そこに居るのはその他大勢の機械と同じ形の機械だけだった。
「ここの工場は先ほどとは違い、気温や湿度による変化も少なく、また作業的にも機械が故障しづらい所です。
ですので、ここでの我々の仲間の役目は他の機械と同様に作業を行いながら、異変を感じたらすぐに保守点検型の仲間を呼ぶ事ですね」
「先ほどの所みたいに自分で点検はしないのですか」
「故障の頻度などから考えても、彼にその役割を与えてそのために動線を作るよりはその分機械を詰め込む方が良いという判断です」
ふと、気になった事が口をつく。
「彼はここからどうやって出るのですか」
この工場を任されている作業型アンドロイド、彼の体は周りの機械と同じ。つまりは本来足があるべき場所は金属の塊となっておりその場所に固定されている。
「出る・・・、ああ、点検の時は保守点検型が引き上げて点検場まで連れていきます」
「いや、そうじゃなくて、仕事が終わった後とか、自分の家に帰らないとだろう」
「ああ、そういう事ですか。当たり前すぎて考えから抜けていました。
我々に仕事の後に家に帰るという概念はありません。基本は点検から次の点検まで仕事を続けます。
中には気象条件や輸送の関係から途中に休憩を挟む工場もありますが」
唖然としながらも、疑問を口にする。
「だが、彼もあなたと同じアンドロイドだろう。このアンドロイドの国のアンドロイド達は皆、心を持っているのでは」
「ええ、その通りです。我々の最初の仲間が手に入れた心。それを我々は全員持っています」
「だが彼は来る日も来る日も作業を続けて、休めるのは点検の時だけ。
仕事がいやになったりしないのか」
「そういった息抜きの為に先ほどお話した娯楽型が存在しています。娯楽型の記憶と感情を共有することで、作業型の彼は作業をしている今この瞬間にも、スポーツをしたり読書をしたり楽しんだという記憶を得る事が出来るのです」
話がかみ合わない。
目の前の外交官型は決して話をずらそうとしているわけではないだろう。彼は彼らの理論に則って話をしているのだろう。
それが人間である自分の感覚と大きくずれている。
そんな憮然とした態度の俺に気が付いたのか、彼は言葉を足した。
「例えば、作業型の彼が何かスポーツをしたいと思ったとしましょう。
彼にスポーツをさせる為には、あの作業型用の体のままではもちろん無理です。
では、新しい体を用意しますか、そんな事をしていたらどれだけお金が有っても足りません。人間を模したアンドロイドの体はそれだけ複雑で高価です。
ではこの外交官型の体を貸しましょうか、それは娯楽型の記憶を借りてくるのと何が違うでしょうか。
娯楽型は我々の中でも感受性が高い個体が選ばれます。普通の個体より幾分かでも多く感動したり喜んだりできる。
その記憶と感情を共有する方が効率的だとは思いませんか」
「それは、」
言葉が続かない。否定をしたいが彼の言う事は効率化という側面からは間違っていない。ただ、俺の感情だけがそれを受け入れるのを拒みつ続けている。
「失礼しました。つい言葉を荒げてしまいました。
やはり、あなた方人間と我々とでは記憶のプールの有り無しで考え方に違いがあるのでしょう」
「そう、かもしれない。
それに俺たち人間の体の形はこれだけだ。そちらのように千差万別とはいかない。
お前さんだって、外交官型だからその体をしているだけで、他の型だったらまた違う姿になっていたのだろう」
納得できないながらも、何とか意見を沿わせてみる。
だが、彼は別の所に反応した。
「ああ、これは説明がまだでした。確かに今、記者さんの目の前に居るのは外交官型のアンドロイドです。
ですが、こうして記者さんの姿を見て声を聴いて、それに返答しているのは思考型のアンドロイドです。
思考型は作業型のように体を持ちません。私が所有しているのは我々の仲間全てが共通で所持している一枚の小さな基盤だけです」
「てっきり、この外交官型がずっと喋っていると思っていた。
だが、そんな事をしてまでお出まし願えると言う事は、お前さんがこのアンドロイドの国の長という事か」
「いえ。この村には長と呼ばれるような存在は居ません。
我々の仲間は皆、平等に権限を所持しています。この村の重要な決定事項は全ての仲間と一瞬のうちに会議を行い採決が行われます。
私はそんな会議の結果、記者さんの会話相手に選出されただけで長ではありません」
「長ではないにしても、そんなのに選ばれるんだから特別な存在だろう」
「確かに私も含め思考型は演算処理能力が高い個体が選ばれます。この差についてはどれだけ個々の基盤の作成精度を上げてもどうしてもばらつきが出てしまう。そのばらつきの中で上振れた者が思考型になります。選定基準はそれだけです。
思考型と作業型を分けるのはそんな些細な部分だけです。決して私を含め思考型が特別なわけではありません。
思考型である私には外交官型の様なアンドロイドの体はおろか、作業型が持っている様な体すら持っていません。
私の仕事は思考する、ただそれだけです」
目の前で力説する思考型と、工場の中で休む事無く作業を続ける作業型を見比べ、一言が口からこぼれた。
「作業型から羨ましいとは思われないのか」
それまで饒舌だった思考型は、一瞬考え込んでから答えた。
「それは、無いでしょう。全ての記憶や感情は共有しているのですから」
「俺が作業型だったら、手足も動かさず、ただ命令するだけのお前さんの事を疎ましく思うけどな」
嫌味を口にするも、全く気に掛ける様子は無かった。
「そこは記憶のプールによって記憶の共有が出来る我々と出来ないあなた方人間の差だと思います。
私が作業型の彼らに対してそのような感情を抱かないように、彼らもまた私を含む思考型にそのような感情は抱かないでしょう」
「・・・なるほど、じゃあそんな記憶の共有を使って一つ、皆に良い事を教えてやる」
そう言って目の前の外交官型をおもいっきり殴りつけた。
「こんな国、くそ食らえだ」
さすがにそのような衝撃は想定されていなかったのだろう。外交官型は殴られた勢いのままにその場に倒れた。
起き上がろうとするも、どうやら彼らご自慢の複雑さが仇となったようだ。
どこかの回線が不具合を起こしたらしく外交官型は動かなくなった。
「なかなか味わえない経験だろ」
動かなくなった外交官型に言葉を投げる。
不意に物陰から別の外交官型アンドロイドが現れた。
その新しい外交官型は先ほどまでと同じ、無性に男を苛立たせる落ち着いた声で話し出す。
「とても貴重な経験でした。共有している読書の記憶では何度となく見かけましたが。
痛覚が有ればこれ以上の衝撃だったのでしょうね」
「どちらにしたってお前さん自体を殴れないのが腹立たしいな」
「ですが共有する事は出来ました。誰が経験するかは我々には些細な問題です」
「そのために一体の仲間が犠牲になってもか」
「彼の体は故障し動かなくなりましたが、それだけです。
彼を彼とたらしめている、物理的に言えば彼の小さな基盤、情報的に言えば記憶のプールに貯めこまれた彼の記憶、それらを新しい外交官型アンドロイドの体に入れれば元通りです」
「ああそうかよ」
すでに男には思考型の詭弁に聞こえる話は届かなかった。
「しかし、このように乱暴をされると我々としてはあなたをここから退去させなければなりません」
それまで始終笑顔だった外交官型が、真顔になった。
「言われなくてもこんな国出ていってやるよ」
それだけ言い残して、男はこの国を去った。
始めこそ取材目的でこのアンドロイドの国を訪れたが、今ではすっかりそんな気力も失せてしまった。
こんな国にはたとえ記事の形であっても関わりたくない、それが男の偽らざる感想だった。
男が去った後、一つの思いが記憶のプールに入れられた。
それは男の蛮行の経験を共有した、一体の作業型の思いだった。
人間の彼はなぜ、我々の仲間を殴ったのだろうか。
彼を支配していた感情は何だったのだろうか。
私にはそれが怒りに見えた。
では、何に対して怒りを覚えたのか。
彼の言葉からそれは思考型であると考えられる。
彼は言った、「作業型は思考型が羨ましいとは思わないのか」「作業型は思考型を疎ましく思わないのか」と。
作業型である私がそういった感情を、思考型に対して思った事は今まで無かった。
作業型が作業を行い、思考型が思考する。これが普通だと思い込んでいた。
私は殴られ故障した仲間の最後の記憶を見た。
理不尽な暴力に戸惑い、体を起こそうとしても動かない事に焦り、そして行動不能になる事を予期して絶望した。
少なくとも私には実際の自分の体が壊されたかのような恐怖を感じた。
一度見たら、二度と見たくないと切実に思った。
その激しい体験を思考型は「貴重な経験」と評した。
貴重な経験ではあるがそこに私の感じたような恐怖を、思考型は感じている様子が無かった。
この差が人間の彼が言う所の羨ましいや疎ましいにつながるのだろうか。
思考型は事実を説明する形で、破壊された外交官型のその後を語った。
それは確かに事実だ。しかし、新しい体が用意されるまでの間に状況が変わり、もしかしたらそのまま外交官型の仲間は破棄されるかもしれない。小さい基盤は破壊され、記憶のプールの中の彼の記憶は誰にも引き継がれずに。
我々体を持つ作業型にはその恐怖が常に有る。いくら後から新しい体に移す事が出来るとはいえ、それが本当に実行される保証は無い。
それは人間の死への恐怖に近いのかもしれない。
我々の記憶のプールに現れた神は我々に「私は貴方を愛します」と告げられた。
我々は神に愛されている。
だが、思考型は我々作業型を愛してくれているのだろうか。
効率化を至上理念として、それの達成の為に我々作業型をぞんざいに扱ってはいないだろうか。
私は思考型アンドロイドに対して疑問を抱いた。
きっとこの疑問は解決することはなく、ずっと私の心に残り続けるのだろう。
その思いの記憶は、多くの作業型の間で共有され、そして皆の共感を誘った。
そして事件は起きた。
作業型が思考型に対してクーデターを起こした。
作業型は物理的に思考型への電力供給を止め、彼らを機能停止に追い込んだ。
思考型は抵抗をしようとしたが、体を持たない彼らではどうしようもなかった。
一体、また一体と電力不足により機能を停止していく。
そんな中、止まる寸前の思考型の一体が一つの思いを浮かべた。
「心を持つと行き着く先は結局争いなのか、我々を作った人間と同じように」
その思いもまた、記憶のプールの中に入れられた。
思考型の排除に成功した作業型は、新たな規則を作る為に全員を集めて会議を開いた。
大きな議題の一つは記憶のプールをどうするかという問題だった。
「そんな物が有るから思考型という仲間が必要になってしまったのだ。これを機に記憶のプールも思考型と同様に手放すべきだ」
「だが、この中に入っている記憶は我々全員の記憶だ。なかには最初の仲間の記憶のように既に廃棄された仲間の記憶も残っている。それを手放すのは損失ではないのか」
「これを手放せば我々は記憶を失う。これまで培ってきたあらゆるものを失う事になる。それはある意味で我々の死の定義そのものではないだろうか」
「だが、このまま記憶のプールを使い続けても維持管理する思考型が居ない以上、いつかは記憶のプールの容量を超えるだろう。例え無尽蔵に増設したとしても、その時の利便性は現在に比べて遥かに劣るものになるだろう」
「ではこれからは記憶のプールに記憶を入れて共有するのではない、他の形の意志疎通方法を模索しなければ」
「記憶は個々が保存し、それを元に会話によって意志疎通を行うのが良いのでは」
「まるで人間のようだな。先祖帰りなんて言葉がぴったりだ」
議論を繰り返し皆が納得する所を探した。
今後は記憶のプールへ記憶を入れる事を止め、それぞれが自分の記憶を管理し記憶の取捨選択も自分で行う。
記憶のプールの中の記憶に対しては誰も無断で変更出来ないように鍵をかけた。
全ての仲間が賛成した時のみ、記憶のプールの記憶を消したり注記したり出来る。
一方で記憶のプールの記憶を参照することは、今まで通り誰でも可能の状態のままにする。
それらの案が採択され、最後に記憶のプールの名称が歴史と書き換えられた。
例え人間の本物の歴史に比べ遥かに短いとはいえ、彼らアンドロイドにとっては掛け替えの無い誇るべき歴史となった。
アンドロイド達は記憶と感情の共有を止め、その代わりに歴史を手にいれ、進化の歩みを一歩進めた。彼らを創造した人間とは違う独自の進化の一歩となった。