元気の意味と看病と
「おかーさん、おとーさんがかぜでたおれたの?」
ダイニングで女の子が父親を心配している。
「そうよ。昨日の雛ちらしで張り切りすぎたから」
「きのうのひなちらしおいしかった!またたべたい」
「昨日はひな祭りだったからね」
「だからおとーさんはりきりすぎちゃったの?」
「そ。もう少し赤が欲しいってエビをボイルしてね」
母親はそっとキッチンのごみ袋を見る。
黒酢入りのちらしずしの素の箱が入っていた。
その下にはベジタブルミックスの袋もある。
(あとはシーフードミックスでよかったのに)
「保育園に入って初めてだからってのもあるのかな」
「かぜぐすりは?のんだらはやくよくなるよ」
「大丈夫よ。もう飲ませてあるから」
母親は女の子をそっと抱きしめる。
「わたしもっとてつだう!なにかやることある?」
女の子は顔を綻ばせながら母親に言った。
「そうね。リンゴむくからお父さんに持ってく?」
「うん!」
女の子が見つめる中母親がリンゴを手に取った。
(風邪薬の本当の効果、ちゃんと教えておこうかな)
頭の中によぎる雑念を母親はかき消す。
(まだ早いわよね)
母親は親から教えられたことを思い出していく。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「風邪薬は湿布やコーヒーと同じなんだ」
「一緒なの?」
「そう。病気やけがや眠気をごまかす話があってね」
「どんなお話?」
「ごまかしてる間に人が本来持つ治癒力で治すのさ」
☆ ☆ ☆ ☆ ★
ダイニングの棚の絆創膏が母親の目に入る。
(昔は消毒してからばんそうこうだったよね)
今は一定の湿度を保つために絆創膏を貼ると聞く。
(時代も人も変わるものね――っと)
リンゴを切り分けると母親はつまようじをさす。
「おいしそう!たべていい?」
「お父さんがいいって行ったらね」
リンゴの乗ったお皿を母親は女の子に手渡した。
☆ ☆ ☆ ★ ★
(風邪はいつぶりだろう?最後は学生の頃だったかな)
父親はベッドで横になりながらぼんやりと考える。
そこにノックする音が聞こえた。
「リンゴもってきたよ。はいっていい?」
「ありがとう」
「ねてていいよ。わたしがあーんするから」
女の子は起きようとした父親をベッドに寝かせた。
「はいあーん」
「ありがとう」
父親は心配そうな女の子のまなざしを感じ取る。
それと同時にリンゴを食べたい気配もわかった。
「あーん」
父親はリンゴをもぐもぐと食べる。
「ごちそうさま。お父さんはひとつでお腹一杯だ」
「ホント?ならあとはわたしがたべとくね!」
「風邪がうつるからダイニングでね」
「はーい。はやくよくなってねおとーさん」
「ありがとう。お休み」
☆ ☆ ★ ★ ★
父親はバタバタと部屋を出ていく足音を聞く。
(嵐の前の静けさだったな……)
女の子の動きを思い浮かべ父親は仰向けになる。
(心配をかけちゃったな。早く元気になろう)
自責の念が心を満たす中父親は行動を省みた。
(完璧を目指しすぎた。65点でよかったか)
母親が雛ちらしを簡単にした意味を父親は悟る。
(適度にできていればいいんだ。育児も仕事も)
それがみんなのためと思い、父親は瞳を閉じた。
☆ ★ ★ ★ ★
翌日、父親は快復し母親と女の子にお礼を言う。
それと同時に保育園の年長組でコロナが出た。
「マスクと手洗いとうがいしとこうね」
「昔はうがい手洗いだったな。いつ変わったんだ?」
「せっかちさんが手を洗う前にうがいしたから?」
母親と父親が女の子の前で手洗いとうがいをする。
さらに翌日、年中組にもコロナ患者が出た。
「保湿液入りの消毒液買ってきたぞ!」
「帰ってきたらこれでみんな消毒しようね」
バタバタと親が走る中女の子は元気に返事をする。
そして三日後、隣のクラスでコロナが発症した。
「怖いな。これは」
女の子を抱っこしながら父親がポツリとつぶやく。
★ ★ ★ ★ ★
やがて女の子もコロナにかかり家で横になっている。
「大丈夫よ。私が看病するから」
母親は元気な声で女の子の世話に向かう。
「気をつけてね」
父親はそう言うのが精いっぱいだった。
母親の看病の中、女の子はコロナから快復する。
「ほら。大丈夫だったでしょ?」
「よかった。ふたりともよかった」
「おとーさんしんぱいしすぎー」
安心感に包まれた中で家族の楽しそうな会話が響く。