3・奇行に走るカモ
赤い太陽が見えると噂される目的の山は、地形こそ上下に激しくあっても、地図上に線を引っ張ればほぼまっすぐいったところに存在していた。
村からなだらかな雪道をずっと下へ下へと下ってきた二人は、やがて麓へと到達する。そこから先は、崖下の小川を超えて、ひたすら灼子山の斜面を登っていけばいい。案内役なんて本当は無用なくらいの、とても単純な経路といっていいだろう。
プールはこの事実を知るだけで、実のところ、村の外へ出た試しがない。しかし余所から来たロウは知る由もないのだから、いいカモであって。自分を同行させる利点として使わない手はないと、プールは内心ケラケラ笑っていた。
そのカモが奇行に走るまでは。
「ちょっとちょっと! おーい! おじさんてば、どこ行っちゃうの。そっちの方角じゃないってば!」
焦った様子でプールはロウに呼びかけた。
「その道は殺風景であまり面白くなさそうだ。だったら何があるか、先の知れない道を行く」
道っていうか、おもいっきり崖なんですけど。
「遠回りだよ! あたし、そっちの道知らない! きっと行き止まりだよ!」
「目に余るようなら、大人しく村に帰って、別の赤い太陽目当ての旅人を待っていることだな」
言ってる間にも、すいすい登っていく。戻るという絵は、今の彼には浮かんでいないことだろう。
「……上等じゃん。クソッ!」
三メートルはあろう崖を見上げて、ごくりと生唾を呑む。プールはこの先彼についていく上での身の危険や苦労など、いろいろと覚悟をしつつ、岩肌にかじり付いた。
「ッハー! ハー! ハアアアアッ!」
「なんだ。もうへばったのか。なよっちい娘だ」
「うる、っさいな! 崖を登る、なんて、頭になかった……オエッ! ……だから、仕方ないじゃん!」
苦しそうに息を吐き散らしながら、プールは言った。雪につっぷして、命があることを身に染みている。一方のロウはというと――疲れを感じたかどうかはさておき、とっくに息を整えていた。
それにしても、今の状況はプールにとって非常に困ったことになった。案内すると言った手前、崖の上から道案内をしなくてはならない。何となくで通していたのが、完全に分からなくなってしまった。
プールはつっぷしたままの状態で、どうしよう、と沈んだ。その間にも、ロウは独りでに動く。
地面と空虚のすれすれに立って、景色を眺めた。ここへたどりつくまでに要した時間はざっと三時間。時刻は寅の刻に突入している。出発当時からすれば、自分の存在が認識できるほど、見通しが良くなったと言える。
崖から見えたのは、浩々とした雪原だった。白い雪と、黒い陰影を作り出す自然物と、その二色を呑み込む、海のような色をした空が織りなす光景。遠くに見える峰は全体に霧がかって、ぼかしが入れられている。
それは決して温かさを感じさせない、寒々しいもの。雪にうんざりしている者からすれば、自分を取り巻く背景にすぎないのだろう。しかし。ロウにはその背景こそが主役で、自身は筆から滴り落ちた一滴の墨汁の染みであると感じた。
白く息を吐いて、呟く。
「絵になるな」
高所から視点を変えたのは正確だったようだ。広大な大地を写し取るのにいい。近くに見えていたものも縮小されて、すんなりと枠に収まる。
うろうろと歩いて写し取る角度をここと決めたロウは、背負っていた荷物をおろして解き、道具を引っ張り出した。
「美しいものだ。一口に雪原といっても、同じ景色は一つとして存在しない。……うん? あの木の枝先で揺れているものはなんだ?確認しなければ」
ぽつりと口にすると、荷物を置いたまま、三メートルの高さから飛び降りる。そこに一切の躊躇はなかった。雪をクッションにして着地すると、風でプラプラ動く折れた枝を視認して、また崖を登った。一連の動作を見ていたプールは、ロウを人の皮を被った化け物なんじゃないかと思ったとか。
右の手袋を取って、素の肌で筆に触れる。ようやっと描き出すのか……と思いきや、今度は。
「今何か、向こうの木に止まったな。あれは鷹か? 絵になるな」
突然現れた絶好の画題に、ロウは目を光らせた。鷹が飛んでいった先の真下には、自分達の足跡が残されている。
「ねえ、待ってよ! あんた来た道戻ってるって理解してる!? あー、もうっ!」
崖から身を乗り出して叫ぶプールを尻眼に、ロウは蓑と羽織の袖を揺らして飛び立つ。黒い鳥を思わせる身軽さに関心を寄せつつも、すぐに現実に引き戻された。
プールは首を横に動かす。ロウは筆記類と紙だけを持って、他の荷物は置いてきぼりにしてしまったのだ。
同行者である以上、放っておくわけにもいかず。これらを背負って、自分は崖を降りなくてはいけないのかと思うと……憂鬱どころの話ではない。プールはがっくりと肩を落とした。