第十一話 『シーユーアゲイン』 5. 現した本性
「綾さん」
夕暮れ時のメガル本館で夕季に声をかけられ、綾音が振り返る。まるでそれを待ちかまえていたかのように口火をきった。
「あ、夕季、晩飯一緒にカツカレー食わない? 食堂ってやってるんでしょ」
「……」
「あれやっぱりクセになるね。なんでだろ。あんなにぼそぼそのカレーなのに。あ~、ハラ減った……」
ポンポンと腹を叩いたところでようやく夕季の横に桔平の姿があることに気づき、慌てて綾音が口もとを引きしめる。キリッとしたまなざしを向けた。
「柊副局長、お疲れ様です。夕季、あなたも用がないのなら早く帰りなさい。ここは遊ぶところじゃないのよ」
「……綾さん、もう遅い」
「……」
恨めしそうに夕季を眺める綾音。
そんなことなどおかまいなしに桔平は綾音に笑いかけた。
「おう、綾っぺ。これから夕季とバイキングに行くんだけどな、一緒にどうだ?」
綾音が一歩退く。
「あたしは……。すみません、今ダイエット中でして……」
「ダイエットってツラじゃねえだろうが」
「……いったい、どんなツラなんでしょう」
困惑するような様子の綾音を見かねて夕季が助け舟を出した。
「言ったじゃない。綾さん、ケーキバイキングなんて行かないって」
「ケーキ……」
そのかすかな変化を桔平は見逃さなかった。
「お」にやりと笑う。「いま目つきが変わったな」
「いえ、そんな……」
「いや、甘いものならドンとこいって顔だぜ」
「どうしてそうなるんですか」
「俺にはわかるんだよ。殿方ごときにゃ負けませんわよ、おほほほ! って目してるぜ」
「それ、誰ですか……」
「やめなよ。綾さん嫌がってるじゃない……」
「とぼけんな!」
突然の怒号に夕季が口をつぐむ。顎を引いて二人の顔を見比べた。
「騙されねえぞ。その目は百戦錬磨のつわものの目だ。飢えた野獣の目だ。獲物を狙う獰猛な鷹の目だ。イーグル・アイだ」
「イーグルは鷹じゃなくて鷲ですね」
「そう、そのアイだ。隠したってそのちょっとエロい眼鏡の向こうで殺気が横モレだぜ。夜も安心できねえ」
「何気にデンジャラスな言いがかりはやめていただけませんか。私は争い事は好みませんので。でもどうしてもとおっしゃるのなら」
綾音の眼鏡がキラリと光を放つ。
二人の間にバチバチと火花が散り始めた。
「八時スタートだから、先にファミレスあたりで軽くイッちまってから戦地に赴くわけだが、ハンデはどうしとく?」
「でしたら、私のライスは大盛りで結構ですけれど」
「なろっ、俺のはてんこ盛りプラス、サラダバーで結構だ!」
「なら私は超てんこ盛り二皿と一ポンドステーキで……」
「上等だ、この野郎! 今日のメダマは紫芋のミルフィーユだ、覚悟しとけゴルァ!」
「のぞむところですわ、おほほほ!」
「てめえ、おほほほ!」
「……」夕季は一人、淋しそうにそのやりとりを眺めていた。「誰……」
翌日、メック・トルーパーの事務所に、一人暗い顔で考えをめぐらせる桔平の姿があった。
木場が入室したことにも気づかない。
「どうした、桔平」
木場に声をかけられ、ようやく桔平が重い口を開いた。
「……おまえの言ったとおりだった」
そのただならぬ様子に、木場が神妙な顔で桔平に向かい合って座る。
「何があった」
「いや、あの女、とんでもねえタヌキだ」
「伏見のことか?」
「ああ、危うく騙されるところだった。愛想がいいのはそとっつらだけだ。ちょっと信用した振りしたら、途端に牙を剥いてきやがった……」
桔平の表情がかげる。
心配そうにそれを眺め、木場が眉間に力を込めた。
「何があった!」
「負けた……」
「……」嫌な予感につつまれる木場。ようやくことの真相に近づき始めていた。「……とりあえず、何が、と聞いておくぞ」
「ケーキの大食いに決まってんだろが」あきれたように木場を見下し、それを口にする桔平。「甘いものには絶対の自信を持つこの俺に、奴は初めて土をつけやがった。しかも完敗だ。俺の得意ジャンルの早食いでも話にならねえ。あんな恐ろしい女、見たことねえ。情け容赦もねえ。とっくに臨界点突破でタップ寸前の俺を置き去りにし、紫芋のミルフィーユがあのでっけえ口の中へ次から次へと。ああ、恐ろしい。あいつの目には俺も夕季も映らねえ。手当たり次第に目の前の敵を食らいつくすバーサーカーみたいなもんだ。ケーキ大食いマシーンだ。うっ! 思い出しただけで吐きそうだ、ぷ……」
「……夕季はどうした?」
「ネコ娘みたいなツラで黙々とプチケーキをたいらげていやがった。あいつもあの歳で数々の修羅場をくぐり抜けてきただけあって、さすが肝が据わってやがる。そして一ミリでも動いたらリバースしそうな俺の目の前で、二人で楽しそうにおしゃべりなんかを……、ぷ……」
頭を抱える桔平をまじまじと眺め、木場が脱力する。だと思った、という顔だった。
「俺のプライドはズタズタだ。あんな醜態晒しちまって、これから俺はあいつらの前でどう振る舞えばいいやら。俺のつちかってきた尊厳が、イメージが……」
「安心しろ。おまえのイメージは何一つ変わっていない」
「何! 他になんかコメントはねえのか」
「何を言ってほしいんだ、俺に」
「俺がこれだけ落ち込んでるのに、かける言葉もねえのか。てめえ、それでも親友か」
「……」立ち上がり、茶を入れ始める木場。どうでもよさげに吐き捨てた。「だったら今度は激辛勝負でもしたらどうだ?」
「何だと!」ギリギリと歯がみしながら桔平が怒りをあらわにする。拳を握りしめ、立ち上がった。「ナイスだ、木場! それだ!」
「……」
「おはようございまーす」
綾音の声だった。
弾かれたように振り返る桔平。
「おい、綾っぺ、あのな」
「……」
「礼也」
夕暮れ時のメガル本館で桔平に声をかけられ、礼也が振り返る。
「今からメシ食いに行くんだが来るか?」
「俺はいいす」即答だった。「ハラ減ってねーし」
「そうか。せっかく綾っぺも一緒に行くんだけどな……」
「……」
「ほら来ねえって言っただろうが。こいつはこういう奴なんだよ」
礼也が顔を向ける。桔平の隣に綾音の笑顔があった。戸惑うように注目し続ける。
それを微笑ましげに眺め、綾音は言った。
「礼也、今から柊さんと激辛勝負するから、用事とかなかったら立会人としておいで」
「行くっす」即答だった。「しかたねえし」
ぽかんと口を開ける桔平。すぐに気を取り直した。
「言っとくが、激辛と大食いは別物だからな。大食いのセオリーは一切通用しねえ」
「大食いにセオリーってあったんですか……」
「俺みたいなバイセクシャルならともかく、いくらスイーツに強くても腹が減ってるくらいじゃ激辛はクリヤできねえ。腹ペコのおまえさんが泣きべそかきながらヒーハー言ってる様子が目に浮かぶぜ」
「向こうで友人達と飲みに行くと、たまに調子にのってヒーハーって言ってますけどね」
「そのエロ眼鏡がアハンアハン言いながら無様に悶え苦しむ姿が目に浮かぶぜ」
「私はまったく違う光景が目に浮かんでしまいましたが……」
「ハンデをくれてやる気はさらさらねえ。プライドごとカンプなきまでに叩き潰してやる所存だ。おまえさんが血反吐をまき散らかしながらのたうち回る様を眺めながら、一杯やらしてもらうぜ」
「完全に小悪党のセリフですね」
「だがもし俺が負けたら、俺のこと好きに呼んでもらってもかまわねえぜ。絶対負けねえがな」
「え~。だったら、ひいらりんって呼んじゃいますよ」
意地悪そうに綾音が笑いかける。
それを睨み返して桔平。
「好きにしろい!」
「公私問わずにですがよろしいですか」
「望むところだ!」
「おほほほほ!」
「おほほほほ!」
「……」礼也は一人、淋しそうにそのやりとりを眺めていた。「誰だってえの……」
翌日、メック・トルーパーの事務所に暗い顔で考えをめぐらせる桔平の姿があった。
綾音が入室したことにも気づかない。
「おはようございます」
桔平がうつろなまなざしで振り返った。
「ひいらりん」
「……。ひーはー……」