第十五話 『サイレント・カロル』 14. 舞
クリスマス大会もすっかり落ち着き、光輔はこたつに突っ伏すように眠りこけてしまっていた。
「光輔、寝たいなら帰りな」
ぶすりと告げる夕季を尻目に、そっと肩に毛布をかける忍。
「いいじゃん、いいじゃん。疲れたんだよ、きっと」
「何もしてないのに」
「地球を救ってくれたじゃない。あんた達と一緒に」
「……」
「う~ん、この野郎、あっち行け……。ぶっとばすぞ……」
むにゃむにゃと寝言を言い始める光輔に二人が注目する。
「どんな夢見てるのかな?」
「……知らない」
おもしろそうに雅が近寄ってきた。
「怖い夢でも見てるんじゃないの? 雪女とか」
「光ちゃんのことだから、夢の中でもあたし達のために戦ってくれてるのかもね」
「……」
光輔の寝顔をじっと見つめる夕季。
忍や雅の楽しそうに笑い合う声が空間を満たしていた。
もし光輔がいなかったらどうなっていたのだろうと、ふと考えた。ほんの半年前まで、何一つ持たなかった己の境遇も含めて。
ここにある一つ一つが、当たり前のように存在するそれらが、決して当たり前ではなく、簡単に手に入るものでもなく、自分にとっては特別なものであることを知っていたからだった。
「う~ん……、なんだちみは……」
「あ、続き。なんだちみはってか?」
「みやちゃん、し~」
光輔の寝言に聞き耳をたてる三人。とりわけ夕季を除いた二人の顔は、赤ん坊を見る時のような薄笑みになっていた。
「……う~ん、来るな」苦しげに眉間に皺を寄せた。「あっち行け、夕季……」
「光輔!」
「うわあっ!」眠ったままの状態で夕季の声に光輔が反応する。目を覚まし、現物が目の前にあることを確認して再度反応した。「うわあああああっ!」
こらえ切れずに笑い出す忍と雅の横で、夕季が不機嫌そうに、ぷいとそっぽを向いた。
わけがわからず、忍達に顔を向ける光輔。
「……なんで夕季、怒ってんだろ」
「なんでだろうね。うっ、くく……」
「あたしも直接見たわけじゃないからねえ~、ゆーき女。……ぷっ、く」
「……何それ。……」光輔が忍と雅をまじまじと眺める。「なんで二人とも涙出てんの……」
「明日でいいのに」
忍の制止を振り切り、玄関先で靴を履き、夕季が振り返った。
「いい。買ってくる」
「そう。外、寒いよ」
「わかってる」
「気をつけてね」
「うん……」
夕季の後ろ姿を見送り、忍と雅が顔を見合わせた。
「素直に送ってくって言えばいいのに」
「ねええ」
二人で楽しそうに笑い合った。
「さてと、もう遅いし、みやちゃん、今日泊まってく?」
「うん」満面の笑み。「夕季の日記全部読まなくちゃいけないし」
「……」
薄暗い街灯の歩道を夕季が歩いて行く。
少し前には光輔の姿が見てとれた。
「へっぷし!」光輔が振り返った。「あれ、何してんの?」
光輔の横へ並び、夕季が顎を引く。
「牛乳買いに。木場さんが全部飲んじゃったから」
「ふうん……」たいして興味もなさそうに相づちを打った。「へっぷし!」
「……。そんな薄着じゃ風邪引くよ」
コートにマフラー、手袋で完全防寒の夕季に対し、光輔はシャツの上にジャケットを一枚羽織っているだけだった。
「昼間は結構あったかかったんだけどな。まさか本当に雪降るとは思わなかった。う~、ぶるるるっ!」
「木場さんに車で送ってってもらえばよかったのに」
「いや、近いからさ。それにあの人達、今日徹夜でDVD観るって言ってたから」微笑ましげに視線を流す。「つき合わされそうで、絶対」
「……。お姉ちゃんのコート借りてくれば」
「いや、さすがにそれは……、う~、ぶるっ!」
綿のように、蝶のように、雪の花びらが風に舞い宙に踊る。
寒さに縮こまる光輔を見かねて、夕季が自分のしていたマフラーを手渡そうとした。
「ん? いいって」
「いいよ、してって」
「いや、本当にいいから」
口をへの字に曲げ、ぐっ、と夕季が身がまえる。
それ以上断る理由が光輔にはなかった。
「……んじゃ、お言葉に甘えて」
「……ん」
「うお、あったけ」
「……」
街灯の明かりに揺れる、花びらのような白雪を二人が眺める。
それが本物かどうか確信はない。だが、たとえプログラムによってもたらされたものだとしても、今はそれを否定する気持ちにはならなかった。
「積もるかな?」
「風があるから積もらないと思う。道は凍るだろうけど」
「え、マジ? 積もったら明日雪合戦やろうと思ってたのに」
「……。誰と」
「え? おまえとだけど」
「一人でやれば」
「……一人で?」
「……」
コンビニエンス・ストアの店内には雪を連想させるデコレーションが施され、クリスマスを彩るメロディが静かに流れていた。ケーキ販売の特設ブースに、サンタクロースの格好の店員達。そこへ集う客の顔もどことなく穏やかに映り、ゆるやかな雰囲気をかもし出していた。
まるで人間達の争い事すべてがなくなった、平和な世界であるがごとくに。
レジ袋を手に、夕季が店の外へ出る。
それを追いかけるように光輔が呼び止めた。
「はい、これ」
光輔が差し出したエルバラコーヒーを夕季が受け取った。
「……ありがと」
「まだやってたんだな。もうほとんどなかったけど」オマケの部分をはずし、夕季へ手渡す。「ダブってたら捨てといて」
「……」
夕季がじっとそれを見つめる。
まだ一度も引き当てていない、色違いのオンドレとパスカルのフィギュアだった。
二人の足もとを、さあっ、と冷たい風が吹き抜けていった。
「うおっ、さみ~!」ガチガチと上下の歯を打ち鳴らし、光輔がマフラーを巻き直す。「んじゃ、俺帰る。これ、サンキューな。帰ってもさみーけどさ。マジこたつ買おっかな、電気ストーブってなんかやけどしそうだし。おまえも気をつけて帰れよ」
「光輔」
背を向けて歩き出した光輔を、夕季が呼び止めた。
「?」
「……」不思議そうに振り返る光輔をじっと見つめ、静かに夕季が告げる。「またね」
すると光輔が嬉しそうに笑った。
「またごはん食べに行くから」
「……ん」
コンビニのレジ袋をぶら下げ、夕季が家路をたどる。時間帯と雪のせいもあり、車の通りはまばらだった。
雪の粒は大きさを増し、風に舞い、街灯の光に妖しく揺れていた。
首筋を冷たい風が撫でていき、ぶるっと震えてコートの襟を立てた。手袋越しに持つ缶へ口をつけ、すする。まだ温かく、もうっとコーヒーの香りの湯気が立ち上った。
先の歩道で何気なく足を止める。
ふと、積もるかもしれない、と夕季は思った。
「……」
車道を隔てた向こう側で、人影を見かけた。
小柄な老人のようだった。風体から男だとわかる。
この寒さの中、彼はコートも着ずに、ただその場で佇んでいた。
老人が雪へ手をさしのべ、穏やかに笑う。
その手のひらの上で、白い華が舞い踊り、淡く光を発したように見えた。
了