第十五話 『サイレント・カロル』 8. 予期せぬ災い
光輔らは往来へと移動していた。コンタクトをとるならば、付近の県道が一番早いだろうという判断のもとに。
当然のことながら人影はまばらだった。積雪のため玄関から出られない者も多く、運良く出られたとしても、家の前をうろうろし結局何もできずに引き返すパターンがよく見受けられた。
半コートを着込み、手袋を重ねた両手でかき分けるように進んで行く三人。
意気揚揚と先頭を行く光輔を、心配そうな面持ちで忍がうかがい見た。
「光ちゃん、ゆっくりね。あわてないで」
「ああ、わかってるって」
「コート破らないでね」
「うん、うん」
「結構高かったんだから。通販だけど」
「マジで? 返そっか?」
「そういう意味じゃないけど……」しまった、という顔になる。「ごめんね、光ちゃん」
「あ、うん、うん……。うずずず!」
「あ、光ちゃん、ハナ出てるよ」
「え! マジ!」
「待ってて、今ティッシュあげるから」
「うん。ズズズ~!」
「お姉ちゃん、早く行こう」
どうでもいいやり取りに痺れを切らし、夕季が口をへの字に曲げた。
「うん、ちょっと待ってて」
ポケットをさばくり、忍がティッシュを取り出そうとする。が、手袋の厚みでうまく引き当てられなかった。
夕季の吐き出したため息が辺りに白く漂う。何もせずにじっとしていると凍えそうだった。ダッフルコートを着込んでも寒さは一向に改善されず、両腕で体を抱え、ガチガチと上下の歯を打ち鳴らした。
「ほ、ほえっ……」
何ごとかと、引きつるような表情で夕季が光輔に振り返る。
「ほげっくしょんっ! うわわっ!」
勢いよくくしゃみを撃ち放った揺り返しで、光輔がバランスを崩す。足を滑らせ転びそうになる直前で、目の前のそれに手を伸ばした。
「……」何とか持ち直し、顔を上げる。するとそこにあるはずのものがなく、首を傾げた。「あれ?」
「あった、あった。はい、光ちゃん。……ん?」ティッシュ片手に忍も同じ表情になる。「夕季は?」
「さあ……」
「……ここ」
二人が顔を見合わせる。きょろきょろと辺りを見回したが、どこにも夕季の姿は見当たらなかった。
「どこなの、夕季」
「……だから、ここ」
「?」
雲一つない晴天は激しい照り返しをともなって、視界の自由を奪う。表層と立体物の区別すらつかない一面の白色を、光輔と忍は眩しげに目を細めながら探索していった。
かすかな窪みをたどるように光輔が雪面へと視線を這わせる。すると光輔らから数メートル先の雪中で大の字になって埋まる夕季の姿を確認した。
「……。見っけ」
「……。あんた、何やってんの?」
あきれ顔の忍にぶすりと刺され、夕季が口をへの字に曲げる。
「突き飛ばされた」
「誰に?」
くいと顎をしゃくった。「そいつ」
忍が光輔の顔をまじまじと眺める。
するとばつが悪そうに光輔が、あはは、と笑った。
「早く出ておいでよ」
「……。出られない」
「あ、そ……」
情けなさそうな顔つきの忍にうながされ、光輔が夕季の顔をのぞき込む。
むっとした表情で夕季がそれを睨みつけた。
「早く出して。冷たいから」
「あ、うん、うん。……。あの、あれだね」卑屈な笑みを浮かべ、光輔がご機嫌取りにかかった。「真っ白でまるで雪ん子のよう、かな?」
「うるさい、さっさとしろ!」
「あ、はい」
しかし、夕季の手をつかみ引き上げようとしたところで、またもや光輔の鼻がもよおしてきた。
「ふ、ふげっ……」
「……」
「ふげっくしょん! あ!」
くしゃみの勢いで雪崩落ちると、そのまま無防備状態の夕季に覆い被さっていった。
「……」
「あ、はは……」
「……。何か恨みでもあるの」
「いえ、特には……」
夕季の目と鼻の先に光輔の顔があった。
それは唇を突き出せばキスが成立しそうな距離でもある。
戸惑いの中、思わず顔を赤らめる二人。
その直後だった。
「ふ、ふえっ……」
「!」
カウントダウンの始まった光輔の鼻腔でキラめく液状物質が膨張するのを確認し、夕季がせっぱつまった表情でわめき散らし出した。
「早くどいてっ!」
「ああ、うん……」
「早く! お願い! やだ! 早く! お願い!」
「はいっ!」
ようやく立ち上がり、二人が雪を払う。
夕季の全身が新雪で真っ白に染まっていた。
「あ、雪ん子って言うか、雪女だな、こりゃあ。あっははは」
ぎろりと顔を向け、夕季の反撃が始まった。
「おまえは!」
雪ダマを高速でぶち当てる。コントロールは正確だった。
「いたっ、いたた!」顔面にヒットし、光輔が押しやられていった。「いたっ! 全部、顔! うまい! いたっ! いたいってば……」
「あんた達、何遊んでるの!」
忍にたしなめられ、雪ダマをかまえた手を渋々下げる夕季。
「だって……」
「いい加減にしなよ。今がどんな時だかわかってるの」
「……」
猛省の夕季をちらと見やり、光輔が助け舟を出そうとした。
「いや、しぃちゃん、しょうがないって」やれやれと言わんばかりに。「だってこんなことって滅多にないからさ。夕季がはしゃぎすぎる気持ちもわかるっていうか。……ぐええっ!」
夕季の投げた雪ダマが顔面にヒットし、光輔が背中から倒れ込んでいった。
途端に忍の顔色が豹変する。
「ああー! そのコート高かったんだよ!」
「ご、ご、ごめん、しぃちゃん……」
「ご、ご、ごめん、お姉ちゃん……」
「あうう……」
ジュッ! と派手な音を立ち上げ、大量の雪の塊が蒸発する。
もうもうと立ち込める水蒸気の彼方から、拳を突き出した格好の陸竜王が姿を現した。
二百メートルもの距離を押しのけた雪道を、足底のローラーで一気に滑り抜けて行く。
その後をラッセル車のような特殊車両が何台も続いた。塩素カルシウムを散布しながら先導する指揮車の後方には、海竜王と空竜王を積載したトレーラーの姿が見てとれた。
『礼也』指揮車のスピーカーから鳳が大声を張り上げる。激しい電波障害のため無線の類は意味をなさなかった。『次の角までおおよそ五百メートルだ。駐車車両も生体反応もない』
「あいよう!」振り返り、礼也が陸竜王の片手を高く差し上げる。オーケーのサインだった。「いちいちスピーカーかよ。メンドくせえ。ったく、今さらアナログってのも不便なもんだな!」
ナックル・ガードを一直線に撃ち放ち、路面へと叩きつける。するとワイヤーの触れた接地面を割るように雪が溶解していった。もう片方のナックル・ガードを先のワイヤーに這わせるように射出すると、それが滑りぬけた箇所はみるみる地面が露になっていく。軽く両腕を外側へ振り、引き戻す熱量で、あっという間に二車線分ほどの道ができあがった。大型トレーラーが通れるだけの幅は充分にある。
『便利なもんだ! よかったな、おまえみたいな悪たれでも人様のお役に立てて。その調子で日本中の除雪作業を頼んだぞ。おい、交差点は丸ごとくり抜いとくの忘れんじゃねえぞ。トレーラー曲がんの計算しとかねえとな。頭わりいから言っても理解できねえか。ガッハッハ!』
振り返り、陸竜王が嬉しそうに手を振る。
「うっせえ、バーカ!」
コクピットの中で礼也がそう吐き捨てた。
遭難寸前の状態で光輔ら三人がゆるやかに歩を進める。すぐ目の前の角までたどり着けば、目的の県道だった。
「しぃちゃん、夕季、あとちょっとだ。ガンバろ」
先頭に立つ光輔が振り返り、寒さと疲労に苦しむ二人を励ます。
「さあ、もっと足を上げて」満面の笑み。「ほら、夕季、胸を張って、ワンツー、ワンツー!」
「うるさい!」
「元気だね。光ちゃん」
忍と夕季が冷気でこわばる顔を見合わせた。
「何食べてんだろ……」
「……。なんだか、すごく嬉しそう……」
「そんなわけないだろ、夕季! この非常事態から早く抜け出さなくちゃ!」いかにも嬉しそうな顔を向ける。「さっさと終わらせて遊びたいじゃんか」
「遊びたいの!」
「さっきの続きやろ」
「やらない」
「ええ~! だって俺、もらいっぱなしなんだけ……」
その時、背中から交差点へ突入する光輔に、予期せぬ災いが襲いかかってきた。
凄まじい勢いで通り抜けた何かが、夕季達の視界から雪の障害物を取り払っていったのである。
洪水のような大量の水流が光輔を弾き飛ばす。
「あああああ~っ!」
「光輔!」
もんどりうってしりもちをつく光輔を助けようと、夕季が駆け寄っていった。
「大丈夫!」
「うん、ギリで……」
「あああーっ!」一瞬で忍の顔が青ざめる。「コートどろどろ!」
「ご、ご、ごめんしぃちゃん……」
鋼鉄製のローラーがアスファルトを削りつける音が響き渡り、三人の眼前へ全高六メートルの人型ロボットが現れた。
除雪仕様の陸竜王だった。
「お?」陸竜王のコクピット内から夕季らを発見し、礼也がハッチを跳ね上げる。「なんでこんなとこにいやがんだ、てめえら」
三角目玉でわめき散らす忍と目が合った。
「弁償しろ! 礼也!」
「なんで怒ってやがんだ……」