第十四話 『避けられぬプロセス』 5. 牽制
教室から出て来た楓が一人の女子生徒とすれ違う。
その顔を楓は知っていた。
「霧崎君、いますか」
別の生徒が受け答えると、女子生徒はぺこりと頭を下げ、教室の中へ入って行った。
その行動に楓は注目し続けていた。
机に突っ伏して寝入る礼也の前で女子生徒が二言、三言告げる。
すると礼也はむっくりと起き上がり、眠そうな顔を向けた。
「わかった、わかった。こんなとこまで来んじゃねえって」面倒臭そうに追い払おうとする。「んなの、光輔に言っとけばいいじゃねえか」
「人にばかり頼らないでたまには自分でやれば」
「うっせえな、わかったっつってんだろ。はい、おしまいだ」
礼也にいなされ、その女子生徒、夕季がムッとなり肩を怒らせた。
「礼也!」
「でけえ声出すな。まわり、びくってんだろが」
周囲を見渡し、夕季が口をつぐむ。恥ずかしそうに顔を伏せ、ギッと礼也を睨みつけた。
「てめえ、殴り込みに来たようにしか見えねえぞ。なあ、大村」
礼也に睨めつけられ、柔道部のエースがビクッと体を縮ませる。
怯えるように顔を伏せた大男をちらと見やり、夕季が口をへの字に曲げた。
「そういうことばかり言ってるから、みんなから相手にされないんだよ」
「んだ! てめえ!」今にも食いつかんばかりに礼也が身を乗り出す。「どのツラ下げて、んなこと言えやがる!」
そんなことなどまるでおかまいなしに、手に持った書類を礼也へ突きつける夕季。
「とにかく渡したから」
「なんだ、こりゃ! ふざけんな!」
「いらなかったら捨てれば。後で怒られても知らないけど」
「んだ、てめえ、その言い草は! なんでてめえは、上から目線なんだって!」
「上から目線じゃない」
不機嫌そうな礼也に対して、一歩も引くことなく押し切ろうとするその下級生の勇姿を、級友達は恐れおののくように眺めていた。
礼也が立ち上がり、噛みつくように夕季を睨みつける。
そこへ夕季がカウンターを合わせた。
「綾さん、言ってたよ」
「!」勢いをそがれ、ぐっと顎を引く。「……なんて?」
「……」
「……」
「……」
「言えって!」
「言えない」
「言えないってな、てめえ、どういうことだ!」
「かわいそうだから」
「ああーっ!」
「礼也はああ見えて結構いいところがあるって」
「! ……お、おお……」
「用もないのに毎日お見舞いに来てたけど、必ずなんかかんか言い訳してたのは、照れ隠しだって」
「ちょっ、おま……」
「本当は根が優しくていい奴だって。でも、やんちゃで見ていて危なっかしいから、ほっとけない」
「……やめろってえの……」
「かわいくて抱きしめたいくらいだって。……気持ち悪い」
「……」
「……」
「……。おい、てめえ!」ギッと睨みつける。「本当に綾さんがそう言ったのか!」
礼也の目を見据えたまま、夕季が首を振る。
「てめえ! どういうつもりだ!」
「おもしろかったから、つい」
「てめえは!」
「全部違うわけでもないけど」周囲の注目をざっと見渡し、夕季が口を結んだ。「どれが正解か、ここで発表してもいいの?」
「やめろ、てめえ……」夕季と睨み合う礼也がふいに失速する。胸焼けするような表情で顔をそむけた。
不思議そうにその様子に注目する夕季。振り返ると、楓の厳しい顔があった。
「あなた、もう自分のクラスに戻ったら」ジロリと夕季を睨めつける。「授業始まるよ」
表情もなく楓を見つめ返す夕季。
その迫力と無言のプレッシャーに、楓の心がわずかに後退した。
「すみません」
神妙な様子で夕季が頭を下げる。
ほっと気持ちがゆるむのを見透かされないよう、楓は気丈な態度をキープしてみせた。
おもしろくなさそうに礼也が割って入った。
「なんだ、なんだ、てめえ。なんでこいつにゃ、んな簡単に謝りやがる。俺にも謝れ」
「うるさい」
「んだあ!」
「霧崎君!」
「ああ!」
「いい加減にすれば」
夕季の静かなる一喝に教室中が驚愕のまなざしを向ける。
楓も含めて。
「んだ、てめえ!」
「みやちゃん連れて来るよ」
「何!」
「後で綾さんに言いつけるから覚悟しといて」
「……。てめえ、ちょっと来い」怒り心頭に発する。ただし、半分泣きっ面。「それはちょっとやりすぎだろ。とにかく落ち着け。な」
「触るな」
「いいから来いって」夕季の手をつかみ強引に連れ出そうとした。「ジュースおごってやるから」
「離せ!」
「お!」
礼也の手を振り払い、夕季がプンスカと歩き出す。
その後に礼也が続いた。
「おい、待てって……」
二人の視線が楓と合致する。
楓は畏怖するようにそのやりとりを眺めていた。
キーンコーンカーン……
再び夕季が歩き出す。
「おい、待て、夕季。俺も少々調子こいてた節があったかもしれねえと言わざるを得ない面があったかもしんねえ可能性がねえと言えなくもねえかどうかはわからねえ」
「礼也、授業始まったよ」
「んなのどうでもいいって」
「どうでもよくない」
「おい、あのな。雅には黙ってろって。イヤガラセされんだろうが、ぜってえ。あと綾さんにも……」
クラス中の視線が見守る中、二人の姿は廊下の彼方へと消えていった。
放課後、夕季の姿を見かけ、楓が足を止める。
校舎の陰からその様子を観察し始めた。
教室での一件以降、夕季のことが気にかかっていた。
校内の誰からも恐れられる礼也と、対等以上に渡り合う下級生の存在。それも自然体のままで。
噂はちょくちょく耳に入ってくる。優等生であることは知っていたが、他に特別何かが秀でているという印象はなかった。クラブ活動もせず、生徒会に従事することもなく、行動自体が目立たないためである。とは言え、一学期の学期末考査からの連続トップは賞賛に値する。
学園一の有名人であると誰もが口にする楓にとって、興味がわくのはしごく当然だった。
何より二人の関係が気にかかっていた。
「?」
後方から声をかけられ、夕季が振り返る。
サッカー部の練習着を着たその男子生徒に楓は見覚えがあった。
たまに礼也のもとを訪れる、穂村光輔という一年生だった。
「……ってことでさ」
「ふうん」
「あ、そうだ、夕季。そう言えば、綾さん言ってたよ」
「何」
「……」
「……」
「……」
「……。言いなよ」
「……みんなでチャットとかしたいから、雅にやり方教えてやれって」
「……」
「いや、そんな睨まれると言いにくいんだけど……」
「睨んでない……」
二言、三言交わし、夕季が校門へと向かう。
小さく手を振り、光輔が振り返った。目の前の顔を見て、ビクッと体を震わせる。
「ねえ」
楓に呼びかけられ、萎縮する光輔。
「あなた、古閑さんと親しいの?」
「……親しいって言うか」何の前置きもなく切り出され、光輔が困惑気味に答えた。「昔からの知り合いってくらいだけど……」
「そう」表情もなく機械的に相づちをうつ楓。「部活動とかしてないみたいだけれど、何か用でもあるの? アルバイトとか」
「……。家の手伝いじゃないかな。あいつ、お姉さんと二人きりだから」
「へえ」
「あの、あいつになんか用なの?」
楓が光輔の顔をちらと見やる。
それを光輔は、自分が対等の位置にいることで楓の機嫌を損ねたのでは、と感じていた。
「……」
「彼女、かなり優秀みたいだから、生徒会の実行委員に推薦しようと思って。度胸もありそうだし」
光輔の顔も見ずに淡々と発する。
表情の乏しい顔つきは、光輔が持つ楓のイメージとはかなりかけ離れて見えた。その冷たい印象にしり込みする。
「あいつ、そういうのやらないと思うけど」
「……」
「……」
「……。ずいぶん親密な仲みたいね。あなた、彼女とつき合っているの?」
「え! まさか!」
大げさに驚いてみせる光輔とは対照的に、楓はそれをしごく当前のように受け止めていた。
「じゃあ、他におつき合いしている人とかは?」
「さあ、いないと思うけど」
「……」
楓が考えにふける。頭の中で夕季の姿を思い描いていた。
細身なのでスタイルは良さそうに見える。身長は楓の方がやや高く、凹凸では負けていないだろう。顔立ちはかなり違う。ともにメークをするわけでもなく、端正な夕季に比べ、楓の方がはっきりとした構成だった。好みのわかれる部分ではあるが、常に笑顔を心がける自分の方が印象はいいだろうと、楓は勝手に解釈していた。
知らず知らず、己と夕季の容姿を比較していたことに気づいて、楓がはっとなる。
「礼也のクラスの人すよね」
ふいをつかれたように光輔に刺しこまれ、楓が目を見開いて顔を向けた。光輔にとっては何気ない一言であり、楓もそれを理解していたはずなのに、何故か赤面する。
「だから!」
「……だから、って言われても……」
湯気が立ち上りそうなほど顔を赤く染め、楓が光輔に背中を向けた。
その怒りの意味を光輔は勝手に解釈した。
「あの……」
申し訳なさそうな光輔の呼びかけに立ち止まる楓。
「あいつが迷惑かけてすんません」
振り返り、じろっと光輔を睨みつける。そして何も言わずに、その場から立ち去って行った。
悲しげな様子で一人佇む光輔を置き去りにして。
「……そんなに」