第十三話 『グッバイ……』 OP
「ひかる」
名を呼ばれ、穂村ひかるが振り返る。
それが綾音であったことを確認すると、ひかるは少しだけほっとしたような表情になった。
「綾さん」
ひかると向き合い、真剣なまなざしをぶつける綾音。廃墟と化したメガル本棟をちらと見やった。
「……ひかる、あたしが行く」
「綾さん……」
「あんたはここに必要な人間だ。でもあたしは必要ない。あたしが行くから、あんたは……」
「必要だよ」綾音の声を遮り、ひかるが涼しげに笑う。「駄目だよ、綾さん。わかってるくせに。私や光ちゃんだけじゃなくて、みんなが綾さんのことを必要としている。ここにいてほしいって思っている。もし綾さんに何かあったら、あたし、みんなに顔向けできないよ」
「あたしは……」ひかるの顔を正視できずに目を伏せる。憤りのように拳がわなわなと震えていた。「あたしなんか、そんな……」
「綾さんがいてくれたからみんな頑張れた。綾さんが私達を支えてくれてたから。少なくとも私はそう思っている。綾さんは私達の……」鳴り渡る警報サイレン。「……だから」
はっとなって顔を上げる綾音。
柔らかくつつみ込むような笑顔が、すべてを受け入れようとしていた。
「ありがとう、綾さん」
「ひかる……」見開かれたままの両眼から一筋の感情が流れ落ちる。
凛としたまなざしがひたすら聡明で眩しかった。
かすかな物音に反応し、二人が振り返る。
礼也だった。
礼也は幼さの残るその顔に不相応な鉄パイプをしっかりと握りしめ、睨みつけるようにひかるを直視していた。
「礼也……」
「光輔助けに行くんだろ。俺も行く」
「何言ってんの、あんたは!」
「俺も行く」綾音の声も届かず、礼也はひかるだけを真っ直ぐに見つめていた。「俺が光輔を助けてやる。絶対に」
悲しそうに礼也を見下ろしていたひかるが、ようやくその口を開く。
「礼也君、ありがとう。でも駄目だよ。私に任せて。お願い」
優しげな瞳は、決して折れることのない礼也の心を抱きしめるように輝き続けていた。
「……。絶対帰って来いよ」
「絶対光ちゃんは連れてくるから」
礼也はじっとひかるのまなざしを受け止めていた。まばたきもせず、ひたすら真っ直ぐに。
ひかるが嬉しそうに笑った。
「必ず帰って来るから心配しないで、礼也君」
その強さは礼也の激情すら退かせていった。
「絶対だぞ、絶対に帰って来いよ」
「約束する」
腰を落とし、ひかるが礼也に小指を差し出す。
指切りの合図だった。
戸惑いながらも、それを受け取る礼也。
「やぶったら、承知しねえからな……」
目に涙を浮かべ口を一文字に結ぶ礼也に、ひかるがにっこりと笑いかけた。
「わかってる。ありがとう、礼也君」
綾音は何も言わずにそれを眺めていた。
ただ淋しそうに眺めていた。
後悔だけがその胸を際限なく締めつける。
『あの時、私は何故、彼女を抱きしめてあげられなかったのだろう……』