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第十一話 『シーユーアゲイン』 9. 伏見綾音



 ある夏の日の午後、騒がしさに眉を寄せ綾音が振り向いた。

 小学生の礼也と夕季が取っ組み合いのケンカをしている最中だった。夕季の方が明らかに劣勢だったが、持ち前のメンタルの強さで何とか踏みとどまっている。

 イラつくほどの蝉の大合唱が二人をさらにけしかけているようでもあった。

 はあ~、と嘆息し、二人の間へ割って入る綾音。

 またか、という表情だった。

「やめ、やめ。本当にあんた達はいっつも、いつも」

 キッとなって夕季が振り返る。

「だって礼也がすぐこうちゃんいじめるから!」

 それを受け、敵意を剥き出しにして礼也が噛みついた。

「バーカ! あいつが悪いんだ。いっつもウジウジしてやがって。見てるだけで腹立ってくる!」

「礼也が怖がらせるからじゃない。年上のくせにどうしてお兄さんみたいにできないの!」

「るせえ! おまえこそ年下のくせにナマイキだ!」

「ナマイキじゃない!」

「ナマイキだ!」

 睨み合う二人。

 礼也が夕季の髪をつかみ振り回すと、夕季は礼也の口の両端から親指を突っ込み思い切り引っ張った。

「く!……」

「ぶががが……」

 あきれたようにそれを眺め、綾音がふと表情を和らげた。

「まあさ、ケンカするほど仲いいって言うけど、あんた達よっぽどお互いのこと好きなんだろね。何だか夫婦ゲンカみたいだよ。たぶん、よその人が見てもそう思うんだろうね」

 綾音の言葉に二人がはっとなる。申し合わせたように手を離し、ぷいと横を向いた。

「あははは」楽しそうに綾音が笑う。二人の頭をガシガシと撫でた。「よし、アイス食いにいくぞ」


 雅は駅前の書店へ訪れるたび、いつも同じ本を眺めていた。何度も前を通りかかり、その都度ちらちらとうかがい見る。

 それに気づく綾音。

「それ、欲しいの?」

 じっと綾音の目を見つめながら、首を横に振る雅。

 綾音がにやりと笑った。

「バイト代入ったから、買ったげるよ」

「いいよ」

「遠慮するなって。どうせ千円くらいだろ?」

 ずっしりと重いおしゃれ図鑑のような書籍を手に取り、綾音がレジへ向かって歩き出す。

 不安そうにその様子を見守っていた雅も、頬をゆるめひょこひょこと後に続いた。

 綾音が財布を取り出す。

 雅はカウンターで肘をついて、嬉しそうに本と綾音を何度も見比べていた。

「二千五百円になります」

「い!……」

 恐怖の宣告に綾音が一瞬で凍りつく。

 すっかり固まってしまった綾音を不安そうに見上げる雅。それから小学生らしからぬ表情で、諦めたようにうつむいた。

 横目でちらりと見やる綾音。

 眉を寄せ、震える声を絞り出した。

「……やっすう~」

「……」

 宿舎へ帰る道中、雅はずっとスキップをし続けた。夕暮れの街並みで、綾音に買ってもらった本を頭上へ持ち上げて嬉しそうに笑う。

 くるりと振り返り、それを胸もとで抱きしめた。

「ありがとう、綾さん」

 満面の笑顔だった。

 それを見て綾音も心から嬉しそうに笑った。


 忍は深夜になっても勉強を続けていた。部屋では夕季が眠っているため、共同の食堂で教科書を開く。

 あくびをしながら綾音がやって来た。

「まだやってんだ」室内が暗いことに気づき、照明をすべてともす。「頑張ってるね。でも適当なところできりつけて寝なよ」

「うん、あと少しだけ。……」ふと思い立つ。「ねえ、綾さん、ちょっとわからないところがあるんだけど……」

「無理無理。あんたにわからないものがあたしにわかるわけないでしょ」

 大げさに両手を押し出してみせる綾音に、忍は困ったような顔を向けた。

「そっか。これやったらすぐ寝ようと思ってたんだけど、もう少し頑張ろうかな」苦笑い。「起きてなきゃいけないと思ったら、何だか急におなかすいてきちゃったな……」

 妙なプレッシャーを感じて綾音が口もとをひくつかせる。

「……。ラーメン作ってやるから勘弁しろっての……」

「そう言うと思ってた」

 にやっと笑った忍を見て、綾音はすべて計算づくであったことを理解した。

「おまえ、最初からそのつもりだったろ」

「えへへえ」

「えへへえ、じゃない!」大あくび。「あ~あ、あたしも腹減っちゃったな。一緒に食べるかな」

 二人は向かい合って即席ラーメンを食していた。ズルッ、ズルッと夢中で食べ続ける。

 忍が笑顔を向けた。

「やっぱり綾さんの作ったラーメンはおいしいね」

「ぬかせ。本当は寝る前にこんなもの食べちゃ駄目なんだからね。今日は特別。特別だから……」

 しかめつらの綾音を眺め、忍が嬉しそうに笑った。

「あ、やば、とまんない。もう一杯いこ」

「……」


 夕季はその家の前から一歩も動かなかった。

 綾音が通りかかり、不思議そうに中を覗き見る。

 庭で一匹の大型犬が夕季の方へ顔を向けていた。

「犬、好きなの?」

 夕季が振り返った。吹き抜ける木枯らしもものともせず、何かを訴えるようにじっと綾音を見つめ続ける。

「……子供が産まれたらくれるって」

 ぶるぶるっと肩をすくめ、困ったように綾音が眉を寄せた。

「……残念だけど、うちじゃ飼えないんだよね」

「……」

 夕季は何も言わずに綾音の顔を見続けた。

 無言のプレッシャーを感じて綾音が口もとをひくつかせる。

「……。んじゃ、ここの家の人に、いつでも触らせてくれるように頼んであげるから、それで我慢しなって」

 夕季は綾音の顔を見つめたまま、黙って頷いた。


 礼也は遠くから宿舎の明かりを睨みつけていた。辺りはすでに暗くなり、通りもまばらだった。

 いつしか雪がちらつき始める。

 アルバイトを終え帰って来た綾音が、礼也の姿を見つけて近寄って行った。

「う~さぶ!」ぶるぶるっと肩をすぼめ、手のひらをこすり合わせる。「どした? また悪いことして陵太郎に怒られたのか」

 礼也が顔をそむける。

 綾音がにやっと笑った。

「ケンカだろ? 一緒に謝ってやるから、行こ」

「やだ。謝るようなこと、してねえ」

「バカ、仲直りしろって言ってんじゃないって。あんたまた飛び出して来たんでしょ。きっと陵太郎や雅、心配してるよ。みんなに迷惑かけてるんだから、そっちはあんたが悪い」

「……」

「何だかよくわからないけど、あんたが大事にしていることがあって、それを守ろうとしてケンカになったんなら謝らなくていい。だったらあたしもそいつ一緒にぶっとばしてやるって。だけどね、もしあんたがそいつに逆のことをしたのなら、ちゃんと謝りな。それで勝手にヘソ曲げてるような奴は、あたしがぶっとばすからね」

「……」

 勢いを失い、礼也が顔を伏せる。

 それを見て綾音は安心したように笑った。

「心配すんな。陵太郎が間違ったこと言いやがったら、張り倒してやるから」

 渋々頷く礼也。

「よし」頭に降り積もった雪を取り払うようにガシガシと撫で、マフラーを礼也の首へかける。肩を抱き、自分の体へぎゅっと押しつけた。「行こ」

 綾音が礼也の手をつかもうとする。

 一度は引いたものの、おそるおそる礼也がそれを握り返した。

 降り落ちる雪が街灯の光に浮かび上がる中、二人が手をつないで歩き出す。

 綾音がバッグの中から何ものかを取り出し、礼也へ手渡した。

 バイト先から持ち帰ったメロンパンだった。

「腹減ったろ。これ食べな」

「……」

 目に涙を浮かべながら礼也がパンにかじりつく。

 綾音はそれを嬉しそうに眺めていた。

「おいしいでしょ。あたしが作ったんだよ」

「……ん」


 綾音は重い足取りで家路をたどっていた。

 疲れ果てた表情で宿舎の前へ立つ。

 すでに他の面々は各自の部屋へ入室している様子で、入り口にも明かりはなかった。

 いつからか自分は必要のない存在だと感じ始めていた。

 ここにいれば多くの人間が笑顔を向けてはくれる。だが他人とのつながりはみな上辺だけで、本当は自分が誰からも必要とされていないのだと、綾音は強く思うようになっていた。

 いつまでもとどまっていたところで結果を残せる見込みもない。このままここにいても、どうにもならないはずだ。自分だけでなく、周囲にとっても。自分はここにいてはならない人間なのだ、と。

 そして綾音は、節目となるこの日にみなに別れを告げるつもりだった。

 眉を寄せドアノブへ手をかける。

 それを開け放ち、心の内を吐露した瞬間に自分はここの人間ではなくなる。ここから解放されるのだ。ここから出ていかなければならなくなるのだ。

 静かに綾音が扉を開いた。

 もう二度と帰ることもないだろう、決別の扉を……


          *


 いつしか綾音は海竜王の中で眠ってしまっていた。

 冷たい体躯に抱かれるようにその身を任せる。

 海竜王の内部から静かに広がる淡い光が、綾音の指先に近づきつつあった。

 しかしそれは綾音に触れることを躊躇するように、何度も満ち引きを繰り返すだけだった。

 綾音の目尻から流れ落ちる涙。

「……ひかる、陵太郎……ごめん……」

 悲しげに眉をゆらす。

 それは懸命に苦痛に耐えているふうにも見えた。

 海竜王から光が退いていく。

 まるで綾音に触れるのをためらうかのように。


 サッカー部の練習を終え、穂村光輔は疲れた表情で下宿の前までたどりついた。

 すでに陽は落ちており、眠そうにあくびをしながら階段を駆け上がる。

 光輔の部屋の前で立ちつくす人影があった。

 振り返り、彼女がにこっと笑う。

「おっす、光輔。元気でやってる?」

 光輔が目を見開く。

 信じられないものを見たと言わんばかりに、それを口にした。

「綾、さん……」

 太陽のような微笑みが光輔を迎え入れようとしていた。





                                     了

 変なところで区切ってしまいました。

 特に大きな展開もないくせに横道だけがどんどこ膨らんでしまい、紹介編なのに一話では収まらなくなってしまったからです。再開一発目からこの展開はかなりインパクト不足で微妙な感じです。

 本来ならば数話にまたがって少しずつエピソードを積み重ねていくのが自然な流れですが、一度に詰め込んだことで非常に慌しくもなってしまいました。見苦しいとはわかっているのですが、やむをえずという感じで……。

 それでも見捨てずにおつきあいしていただける皆様に感謝しております。今後ともよろしくお願いします。

 次回からはリバース(裏面)となります。


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