第十一話 『シーユーアゲイン』 8. 雅と綾音
綾音は陵太郎の墓の前にいた。暗めの色のスーツを着込み、神妙な面持ちで手を合わせる。小さく首を振り、隣の墓石を眺めて目を伏せた。
そこには『穂村』と刻まれてあった。
「綾さん」
聞き覚えのある呼びかけを背中で受け止める。
深く息を吸い込み、綾音は笑顔で振り返った。
「雅」
「また来てたんだ」満面の笑みのカウンター。「せっかくまたお昼おごってもらおうと思ってたのにどこにもいないから探しちゃった。駄目だよ。もうおなかぺこぺこ」
「おまえ……」
「え? 何かおかしかった?」
「全部な」腕組みしながら見据える。「特にとっかかりがな」
「ええ~!」おおっとびっくり。「そんなことどうでもいいから、早くお昼食べにいこ」
「……」
墓地の近くにある臨海公園のベンチへ腰を下ろし、綾音がそろりと雅の顔を覗き込む。
「あんたも大変だったよね」
そのつつみ込むような微笑みに、雅も安心したように笑い返した。
「大変だったよ。綾さん、急にいなくなっちゃうんだもの」
「そっちかよ!」眉間に皺を寄せる。「でもって、やっぱりあたしのせいかい!」
「?」
きょとんと綾音の顔を見つめる雅。
それを見て綾音が、ぷっと噴き出した。
つられて雅も笑う。
「あっはっは、あんたはさあ、ほんとに……。でも思ったより元気そうで安心したかな」
「綾さんもね」
「あたしは関係ないでしょが」
「心配してたんだよ、みんな。一人でアメリカ行っちゃうから」
「ん? んん。うん……」
「英語話せないのに」
「んんん……」
「日本語だってあやしいのに」
「いや、あやしかねえだろ……」
「お兄ちゃんも」
「!」
「すごく心配してた」
「……」
顔を伏せる綾音。革靴のつま先を見つめ淋しそうに笑った。
それが綾音の地雷であったことに気づき、雅が慌てて取り繕う。
「あ、今、ケイちゃんも一緒なんだよね。元気にしてる?」
「ん、ああ、元気だよ、あのバカなら」
「そっか。久しぶりに会いたいな」
「あいつも会いたがってたよ、あんたにさ。仲良かったもんね、あんたら」
「まあねえ。ある日突然、綾さんのところに行く、って言い出すんだもん、こっちはびっくりだよ。英語、いつも赤点君だったのに」
「あいつこそ日本語もあやしいのにな」
「向こうで綾さんが淋しい思いしないように全部ボケを拾ってやる、って高校卒業するまで一生懸命英語の勉強してたんだよ、ケイちゃん。アメリカンな発音で華麗にツッコンで驚かせてやるって。なんでやねん、って英語でなんて言うのとか聞いてきたから、ホワットイズディスじゃない? って適当に教えてあげたら喜んで使いまくってた」
「だからあいつ、それ連発してやがったのか。間違ってるくせに妙に自信満々でムカつくことこの上ない……」
「うん。しぃちゃんが調べてたぶんこうだよって教えてたけど、あたしが、違うよ、そんなんじゃないよ、ホワッイディ~スだよ、って無理やり説得したの」
「おまえのせいか……」
「ドヤ顔で同じことばっか言っててメンドくさかったから、みんな適当にあしらってたんだけどね。しぃちゃんだけは最後まで親身になって教えてたけど」
「あの子は真面目だからね」
「はは。綾さん、向こうでどんな仕事してたの。メガ・テクノロジーだっけ。何作ってるの?」
「あんまり大きな声で言えるようなことしてないよ」顔を伏せたまま自嘲気味に笑う。「何だかんだ言っても、結局人殺しの道具になるようなものばかりだから」
「違うよ」
芯の通った雅の声に綾音が顔を向ける。
雅は涼しげに綾音を見つめていた。
「みんなのためのものでしょ。綾さんが好きな人達を守るために必要なもの」
「あんたねえ……」雅の顔をまじまじと眺め、ふっと笑う。「やっぱ陵太郎の妹だわ」
「そうかな」
「そうだろ。でなきゃ、そんな恥ずかしいこと、ぬけぬけと言えないって」
「ひどいよ、綾さん」ぷっぷくぷう。「いじわるすぎ!」
「おまえが言うな!」
「まあねえ」
「あっはっは」
綾音が楽しそうに笑った。
公園からは港を通して海が一望できた。幾隻もの船が通り抜けるたびに、音を立てて波が打ち寄せられる。
ぼんやりとそれを眺める二人。
綾音がちらりと雅の横顔を見て言った。
「あんた、痩せたんじゃない。前に写真で見た時はもっとふっくらとしてたよ」
「そう?」
「気をつけなよ。もともとそんなに丈夫な方じゃないんだから」
「うん。綾さんも……」綾音の顔をまじまじと眺め、不思議そうに首を傾ける。「あれ? 太った?」
「もしもし、雅ちゃん……」
「でも、そのメガネかけてるとよくわからないよね」
「……」
何かに気づき、雅がポンと手を叩く。
「あ、なるほど」
「何がなるほどだ! てめえ!」
「どことなくエロい感じでごまかそうとして……」
「ああ! 何言ってんだろなあ、この子は!」
「ねえ、お昼、食べちゃっても大丈夫かな」
「はあ! ふざけんな、てめえ! 大丈夫かなって、どういう意味だ、おい!」
「だって心配だよ。もうなんだかダイエット失敗しちゃってる感じだし……」
「ちょっと待て! 失敗しちゃってるってどういう意味だ、コラ!」
「あ、すごい、綾さん、メガネ曇ってるよ。このままじゃ電柱にぶつかっちゃうかも。バンソウコウ持ってる?」
「容赦なしか、おまえは!」
「べたべたのメガネキャラだ。じゃあメガネ取るとやっぱり……」
「なんねえなあ! 期待を裏切って悪いけど、さすがに数字の『3』とかは不可能だわ! そこまで器用じゃねえからなあ、あたしも! 頑張ってもたぶん無理だから勘弁しろ! ありえねえから!」
「なんだ……」
「マジでガッカリしてやがるな、てめえ! あー、もー!」
「だってさ」
「だってさ?……」
雅の顔がほころぶ。そこに六年の歳月は感じられなかった。
ふいに綾音の表情がかげる。声のトーンを落として雅に問いかけた。
「どうしても、あんたじゃなけりゃいけないの」
「……」綾音の質問の意図をくみ取り、雅も同じ表情になる。「今のところ、その適正があるのはあたしだけみたいだから」
「ふうん……」心配そうに雅を眺める綾音。「国防省でもプロジェクトが進行中らしいけどね。こればっかりは努力してどうこうなるものでもないみたいだし。早く他に適正のある人が出てきてくれるといいね」
「あたしは今のままでもいいかな」
「どうして」
「やっとみんなの役に立てることが見つかったから、かな。ずっと役立たずだったから」
「誰もそんなこと思ってないって」
「でも……」
「でもはなし。二度とそんなこと言ったら承知しないからね」
「……。綾さんっていつもそうだよね」
「?」
「最後はそうやって力わざでさ。強引すぎ。心配してくれるのは嬉しいんだけれど」
「当たり前だろ」にやりと笑う。「あんたらはあたしの大切な家族なんだから」
綾音は一人、人影のなくなった格納庫の中にいた。
薄暗い照明のもと、三体の竜王の輪郭がひっそりと浮かび上がる。
陸竜王と空竜王を横目で眺め、海竜王の前で立ち止まった。
海竜王は保護具を付けたままのいでたちで、他の二体同様、四点フックで天井から吊り下げられていた。
ステップを登りコクピットの中を覗き込む。そのまなざしに決意を宿しながら。
綾音は海竜王に乗り込むと、シートへもたれかかり静かに目を閉じた。
深く息を吐き出す。
何かを思い返している様子だった。
やがて海竜王の全身が淡い光を放ち始める。
優しく綾音をつつみ込むように。