秘密
第三部、第二話。
カオルさんとリコが交代するときは、決まって涙を流す。
そして、その涙は光って見える。
だから切り替えることに苦労はしなかった。
でも、危ないときは多々あった。例えば。
「タクミ、なんで料理作るときと作らない時があるの?」
その答えは、カオルさんは料理を作れないけど、リコは作れるから。
「タクミくん、手、繋いでくれないんだな」
それは、リコのときだけって決めてるから。
「タクミ、この前、映画館行くって言ってなかったっけ」
行ったよ? カオルさんと。でも、もう一回行こうね。
「タクミくん、これ、前見た気がするんだが」
あー、それ、リコと見に行ったやつだったか。
こんな具合に。
けっこう大変だった。でも、案外ヒヤヒヤして楽しかった。
メイさん。僕、約束、守れてますか。
あのとき。
僕が死にかけてた、あのとき。
メイさんが夢の中に現れた。
メイさんは、こう言ってた。
『タクミさん。あなたが、もし、記憶を失っていないことをリコさんに悟られずに生活できるのなら、記憶を保ったままでいられます。その代わり、悟られたときは本当に記憶を失います。いいですね』
つまり、僕はリコとカオルさんの監視をくぐり抜けながら、本当はリコを覚えていることを隠し続けなければいけない。
そういう、決まりなのだ。
それが、僕に提示された条件。
でもさ。
こんな楽しい生活、誰が予想できただろう。
カオルさんとリコと、まるで3人で暮らしているみたいな。
だけど。
さいきん、ふたりの様子がおかしい。
ふたりとも、やけにぼーっとしてる。
どうしてなんだろう。
僕の記憶は大丈夫。
だったら、ふたりに何が起きてるんだろう。
メイさん。教えてください。
このままじゃ、ふたりとも意識が戻らなくなっちゃう。
助けてください、メイさん。
メイさんじゃなくてもいい。神様でも、仏様でもいい。
ふたりを、助けてください。
『呼びましたか?』
「うわっ」
ほんとに現れた。
『ここが、あなたたち三人の愛の巣ですね』
「そういう言い方はやめてください」
『ふふふ』
「神様にしてはやけに無粋ですね」
『そうですか? たしかにあなた達は非常に無垢な生活をしてますが』
「どういう意味ですか」
『そういう意味です』
「ほっといてください」
『まあ、さいきんは本能に依らない夫婦生活をする方も増えてますしね』
「そういうことです」
『では、本題に入りましょうか』
「は、はい」
いきなり切り替える。神様って怖い。
『リコさんとカオルの意識が朦朧としている理由。それはですね』
「は、はい……」
『ちょっと幸せすぎたみたいですね。ふふふ』
「はあっ!?」
『タクミさん。あなたがふたりを甘やかすからいけないんですよ?』
「……それ、本気で言ってますか?」
『当然です』
「……」
頭が痛い。僕は眉間を抑える。
「あの、そもそもですね。もともとの話とだいぶ違っている気がするんですが」
『ええ。確かにその通りです』
「どういうことなんですか」
『まず、ひとつめ。あなたのことを狙っている何者かがいると言いましたよね』
「はい」
『その正体はハッキリしています』
「えっ、誰なんですか」
『私です』
「またまた、ご冗談を」
『私が冗談を言ったことがありますか?』
ない。冗談を言うとも思えない。
「あの……それだとメイさんが敵だということに」
『私が、そもそも誰かの味方をすることなどありえません。敵にもなりません』
「それは……その……」
たしかにそうだ。いつもメイさんは中立的で、選択肢を選ばせるだけだ。
「えっと……それじゃ……僕たちに嘘をついたってことですか」
『情報を隠したり、事実と違うことを言いました。嘘といえば嘘です』
「ひどいですよ」
『情報を完璧に伝えることだけが、あなたがたのためになるとは限らないのです』
「本当ですか? それで僕たちがつらい目に会っても?」
『私がすべてをお伝えしていたらどうなっていましたか?』
「ええと……」
『私にはすべての時系列が見えています。あなたたちのたどる運命がどうなるかも、とっくの昔に知っています』
「そうなんですか!?」
『もちろんです。例えば、十三歳のあなたに「二十一歳のときにリコさんに会えるから心配するな」と言ったとしたら、あなたはどうしましたか』
「……安心して暮らして、助ける必要がなくなって、結果としてリコに会えない」
『そうでしょう? 私の発言には、とても重い責任が伴います。なぜか分かりますか』
「……神様の言うことを、人は無条件に信じるから」
『その通りです。私の発言の信用度は非常に高い。だからこそ、発言は慎重に行わなければいけない。分かりますか? だから知的生命体と接するのは非常に疲れるんです』
「すみません……」
『ですが、こうして三人の目の前に現れている時点で、私は、私があなたがたを特別視していると言わざるを得ません』
「ありがとうございます」
『それが、ありがたくないのです』
「えっ」
『私が特別視するということは、それほどまでに影響力が大きいということです。当然、何かを払わなければいけません』
「何かって、なんですか?」
『いうなれば、「幸せ」ですかね』
「僕たちって不幸ですよね。それは認めます」
『あなたたちはこの世の不幸を一手に引き受けています。世界を変える力があるからこそ、不幸になる運命を抱えているのです』
「運命の女神に嫌われているってやつですか」
『間違いありません』
いまのは皮肉だったが、残念ながらまったく効いていないようだ。
「話を戻しますが、メイさんが僕を消そうとしているんですよね?」
『はい』
「なんでですか」
『あなたがたに、これ以上、不幸を抱えてもらっては困るのです』
「優しいんですね」
『せっかく希望と愛の光が連鎖しようとしているのに、それが潰えてしまうじゃないですか』
「……僕たちの心配をしてくれているわけじゃないんですね」
『はっきり言ってしまえば、そうです』
「ひどいなあ」
『ひどくなどありません。あなたたちが生み出す光が世界に広がっていくんですよ? こんなに美しいことはありません』
「メイさんの視点は僕には理解できません」
『当然です。理解できるなら、あなたは私の代わりになれます』
「けっきょく、メイさんは僕たちをどうしたいんですか」
『私がどうこうすると言うよりは、そうなってもらいます。だから、私はあなたたちに選択肢を与えました』
「その選択肢も、なにを選ぶかが決まっている、と」
『タクミさん』
「は、はい」
『あなたの目は節穴ですか。そして私の話を聞いていましたか?』
「ええっ」
神様に罵倒された。
『すべて決まっているなら、そもそもなぜあなたたちが生まれるのですか。私が生まれるように仕向けて、さらにそれを消そうと? そこまでする意味がありますか?』
「たとえば、その『光』を生み出すために、とか」
『タクミさん……』
「はは、はい」
『私を怒らせないでください』
「ひいっ」
神様が怒った。世界が終わる。
『あなたがナルコシンクを撲滅するために潜った夢の果てで、言いましたよね。あなたは覚えていないかもしれませんが、私はハッキリ覚えています』
「そう、でした、ね……」
『私はちゃんと説明しましたよ。生命エネルギーの話。世界の話。リコさんとタクミさんの話。私の話。そして、選択肢の話』
「あ……」
そうだ。そうだった。
『どちらでも構わない』
「どっちでも良かった」
ふたりが同時に言う。
『ふふふ』
メイさんが笑う。
「メイさんの目的は、とっくに達してるんですね。そもそも、すべてが見えているメイさんにとって、僕たちの選ぶ選択肢は、どう分岐してどう終わるかも、そして、どうなってもすでに終わっている出来事なんですね」
『その通りです』
「じゃあ、なんで」
『なぜ、そんな古びたビデオを何度も何度も繰り返し見て、そこに映っている登場人物に話しかけるような、酔狂な、いえ狂気とも取れる行動をしているのか、ですか?』
「うっ……」
ひどい言い方だ。
『だから言ったじゃないですか。私は、あなたたちが、あなたたちの紡ぐ物語が好きだって』
「明確に、違う」
『明確に違います。ふふふふ』
ほぼ同時に言う。さっきから、メイさんに遊ばれている。
『私は、知的生命体の物語をすべて観察してきました。たしかに美しい物語もある。ですが、不快な物語の方が多い』
「それは、否定しません」
『私の心が踊るような物語はこれまで存在しませんでした。もしかしたら、それを見かねた「あの方」がなにかしてくださったのかも、とは思いましたが、それは想像に過ぎません』
「そう、ですか」
『タクミさんとリコさん、そしてカオルの物語は、この世界に広く影響を与えます。なにより私に影響を与えます。だから、私を変えた物語に深く感謝して、こうしてたまに登場人物と対話するんです』
「……ははは。すごいや……」
なんか、壮大すぎて感動しか覚えない。
『はい。それでは本題に戻りましょう。では、どうすればカオルとリコさんを救えるのか』
「えっと、はい」
また急な切り替えだ。
『彼女たちはいま、夢の世界へと「沈んで」います。さあ、浮上させるにはどうしたらいいのでしょうか』
「そ、れって」
『はい。私からのヒントは以上です。また会いましょうね』
「え」
『ヒントですよ、ヒント』
そういって、またメイさんは消えてしまった。
沈む。夢の世界へ。
それが示す意味は、ひとつしかなかった。
ヤスダさんを、探さなきゃ。