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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

運命の番の成り立ちについてあれこれ考えてみたシリーズ

「運命の番」に秘められた真実を探る魔女のお話

「魔女さま! 魔女さま! どうかお助け下さい!」


 木々の間に少女の叫びが響いた。

 少女の名はマルケディナ。薄茶の髪に茶色のつぶらな瞳。かわいらしい顔立ちをしている。小さな村なら美人と評判となるが、大きな街に来たら努力しないと埋もれる。そんなありふれた娘だった。

 変わったところがあると言えば、左手だ。怪我でもしているのか、手の甲を覆うように布を巻いている。

 村から小一時間ほど山の方に進んだ森の中。周囲には小屋のひとつもない。その呼びかけに応える者などいないように思えた。

 しかしここには魔女が棲んでいるという噂があった。魔女とは、魔法の発達したこの王国において、王国の認可しない違法な研究をする者たちの総称だった。魔女は常識にとらわれない特殊な魔法を使うと言われている。

 

「やあ、わたしに何か用かい?」


 背後から急に声がした。マルケディナが振り向くと、すぐ後ろに一人の女性が立っていた。

 腰まで届く漆黒の髪。長い前髪の隙間からは銀色の瞳が覗いている。その顔立ちは年若い少女のものだが、纏う雰囲気には年老いた老人のような落ち着きがあった。

 身に着けるのはゆったりとした青いローブ。手にするのは太い木の杖。天辺がとがったつば広の帽子を被っている。おとぎ話に出てくる魔女そのものの装束だった。


 マルケディナはごくりとつばを飲み込んだ。目の前のこの女性は、噂に聞いた魔女に違いない。

 

「やあ、よく来てくれたね。まあ立ち話もなんだ。中に入ってゆっくり話そうじゃないか」


 そう言って魔女が指し示した先には家があった。太い木をくりぬいて作られた、木と一体化したような家だ。これまたおとぎ話にでも出てきそうな、幻想的な佇まいだった。

 マルケディナはこの森に何度も来たことがある。こんなに太い木を見るのも初めてだし、こんな家があるなど聞いたこともなかった。

 しかし魔女はずっと前から住んでいたように、マルケディナを家へと招くのだった。




「わたしは魔女シスサルヴェ。『消え去りし(ロスト・)賢人たち(ワイズマン)』の研究をしている者さ。まあ、古いものを調べてる物好きとでも思ってくれたまえ」


 家の中は意外と普通だった。小さな台所に広々としたテーブル。小さな台所。部屋の隅にはベッドがある。

 書棚には何冊もの立派な装丁の本が並んでいる。隣の棚には見知らぬ植物や魔物の爪や牙らしきものが詰められた瓶などもある。それらはちょっと気になるが、おとぎ話に語られる恐ろしい魔女の家、という感じはしなかった。生活感と温かみがあった。

 

「わたしはタルゲト村のマルケディナと言います。よろしくお願いします」

「そうか、よろしく。それではお近づきのしるしと言うことで、まずはお茶でも飲んでくれたまえ」


 変わった香りのお茶だった。ハーブティらしいが、どんなハーブを使っているのか見当もつかない。口にしないのも失礼かと思い、一口飲んだ。口に拡がる味も香りも初めてのものだったが、不思議と気分が落ち着いた。


「では、話を聞こうか。森に潜む恐ろしい魔女と、君はいったい何を相談したいと言うんだい?」


 魔女は気さくな笑みを浮かべながら、冗談めかした言い方をした。その様子にマルケディナはようやく緊張が解けた。

 そして意を決し、左手に巻いていた布をほどくと、手の甲を見せた。

 そこには奇怪な紋章が描かれていた。全体の形は逆三角形。絡み合う無数の線と様々な記号で構成されている。その複雑にして精緻な作りは、普通の人間に描けるものと思えない。明らかに魔法的な紋章だった。

 

「わたしは竜人の王子さまから『運命の番』に選ばれてしまいました。でも、竜人の国になんて行きたくないのです。魔女様、どうかお助け下さい!」




 今から一か月あまり前の事。マルケディナが家の手伝いで洗い物をしていると。左手の甲に軽い痛みが走った。何事かと見てみると、手の甲に不思議な紋章が描かれていた。

 両親と共に村の教会へ相談に行った。小さな村の牧師でも呪いの判別くらいはできる。だが調べてもらって分かったのは、呪いではないらしいということだけだった。

 大きな街で一流の魔法使いにでも見てもらえば何かわかるかもしれない。だがそれには大金が必要だ。マルケディナの家にそんな余裕はなかった。

 特に体に異常も見られなかったので、当面は様子を見ることになった。余計な詮索を避けるため、普段から左手に布を巻いて隠した。村の者には「怪我をしている」と伝えた。


 それから三週間くらいたったころ。村に馬車がやって来た。四頭立ての立派な馬車だった。細かな装飾がふんだんに施されたその馬車は、御者も立派な身なりをした老紳士だ。どうやら馬車には相当な貴人が乗っているものと思われた。

 外から村に来る馬車と言えば行商人の小さな馬車くらいだ。村人たちは何事かと集まり、遠巻きに馬車を見た。

 

 馬車から降りてきたのは三人の男たちだった。がっしりとした引き締まった身体に、整った美しい顔立ち。その立ち振る舞いから溢れる気品。三人とも高貴な身分の者と思われた。

 だが少しおかしなところがある。彼らは頬や手の甲にうっすらと、半円形をいくつもならべたような規則的な模様があるのだ。

 村人たちが見守る中、彼らのなかで最もたくましく立派な青年が一歩前へ出た。燃えるような赤い髪に、凛とした紅の瞳の青年だった。そして自信に満ちた声で高々と声を上げた。


「我は竜人の国プリムドラグ王国第一王子ファタルブラス! 『運命の番』を見つけるために参上した!」

 

 村人たちは仰天した。

 竜人。村の者たちがおとぎ話でしか知らない存在だった。その腕力はオーガよりも強く、その魔力はエルフを凌ぐ。身体を覆う鱗は魔法を弾き、頑強な身体は刀剣でも容易に傷つけられない。そんな強大で恐るべき種族だ。

 しかも王族である。貴族ですら雲の上の存在である村人からすれば、竜人の王族などどうしていいかわからない。声をかけるどころか身じろぎすることすら躊躇われた。

 

 村人たちが恐れ視線を逸らす中、マルケディナはただ一人、魅入られたように竜人たちを見つめていた。

 彼女が知る鱗のある生き物と言えば、魚かヘビくらいである。だが竜人の鱗はそれらとはまるで違った。ヘビの鱗のようなぬめりとした気味悪さはく、まるで上等な薄絹の織物のように美しかった。

 おとぎ話で恐ろしさばかり伝えられる竜人が、こんなに美しい姿をしているなんて知らなかった。

 

 竜人の王子は怯える村人たちを、畜舎の豚を品定めする商人のような冷たい目で眺めた。

 やがて、マルケディナと目が合った。その瞬間、マルケディナの身体は震えた。何かがつながってしまった――そんな不思議で取り返しのつかない感覚が湧き上がった。

 途端に竜人の王子の目に熱がこもった。こちらに向けてずいずいと歩いてくる。周囲の村人たちは見えない者に圧されたように道を空けた。マルケディナはヘビに射すくめられたカエルのように動けなかった。

 王子はマルケディナの前に来ると、彼女の左手から布をはぎとった。左手に刻まれた模様を目にすると、王子の目が熱っぽく輝いた。


「やはり君が、我が『運命の番』だ!」


 そう言うなり、ぎゅっと抱きしめてきた。

 『運命の番』についてはおとぎ話で知っていた。竜人は『運命の番』と見初めた相手を、身分や種族に関わらず一生一途に愛し続けると伝わっている。

 まさかあの紋章が『運命の番』の証で、しかも竜人の王子に見初められるだなんて夢にも思わなかった。

 まるで状況が呑み込めない。とにかく離れようとした。


 そしてマルケディナは、自分が身動き一つとれないことに気がついた。


 竜人の王子の抱擁はちゃんと力加減がされている。絞めつけられて苦しいということはない。それなのに、動こうとするとびくともしない。子供の頃、岩の隙間に入って出られなくなった時のことを思い出した。

 圧倒的な力の差に、目の前にいるのが人間ではないことを思い知らされた。相手の気まぐれ一つでトマトのように潰されてしまうことだろう。その想像に背筋が凍った。


「はっ……放してください!」


 そう叫ぶと、竜人の王子はあっさり放してくれた。

 

「ああ済まなかった。いかに愛していようとも、いきなり抱きしめてしまうのは礼節から外れた行いだった。どうか許してほしい」


 そう言って竜人の王子は淑女にするように、優雅な礼を見せた。

 それは貴族の礼法に則った所作だったが、そうした作法など知らないマルケディナからすれば、芝居じみた気障な振る舞いにしか見えなかった。

 

 王子は親しみをこもった笑顔と熱のこもった視線をこちらに向けている。悪びれた様子はなく、こちらの恐れを気にした様子もない。自分に目を向けているのに、他のものを見ているように思えた。

 こんなに近くにいるのに、深い崖の反対側に立つ人を見るようだった。決して埋めることのできない隔たりを感じた。


「心配しないでほしい。人間の王国の民を勝手に連れ去るのは違法だ。認可を受ける手続きには二か月ほどかかる。二か月後、ふたたびここにきて君を迎えるとしよう。どうかそれまで待っていてくれ、我が『運命の番』よ」


 そう言い残すと、竜人たちは颯爽と村を立ち去っていった。

 



「それから数日後、祝い金という名目で村に大金が届きました。村長はこれで10年は安泰だと喜んでいます。でもわたしは、あの竜人の王子が恐ろしいのです……!」


 そう言って、マルケディナは自らの身を抱いて震えた。抱きしめられたときの恐怖が甦る。

 『運命の番』となった者は深く愛されると聞いている。だが相手は王子だ。結婚するとなれば竜人の国に連れていかれることになる。

 人の姿をしながら、人とはまるで異なる存在。その腕力だけで人間をたやすく潰せるような怪物だらけの国に行くなど、想像しただけで気を失いそうになる。マルケディナはあまり村を出たことがない。せいぜい近くの町に買い出しに行った程度だ。竜人の国なんて色々な意味で遠すぎる。

 

「そんな時、魔女さまのお噂を聞いたんです。『運命の番』となった者を救う術を持っていると」


 魔女は大仰にうなずいた。


「わたしは『消え去りし(ロスト・)賢人たち(ワイズマン)』の研究の一環として、『運命の番』を求めていた。何を隠そうその噂を流したのはわたし自身だ。この家も噂を聞いた者を迎えるためにいくつもこさえた拠点の一つだ。君は見事、その噂に導かれて来てくれたわけだ」

「え? ご自分で噂を流したのですか? そう言われるとなんだか罠にかかってしまった気分です……」

「ははっ、それは無用な心配だ。君を救う術はちゃんと用意してある。どうか安心してほしい」


 そう言われて、マルケディナはほっと息を吐いた。


「だが……『運命の番』から逃れるのは簡単なことではない。君は辛い目に遭うことになる。あるいは竜人の国へ行った方が幸せかもしれない。村人として平凡に生きるか、竜人の国に行き王族となるか。君は好きな方を選ぶことができる」


 そうして魔女は、『運命の番』から逃れる方法について説明した。

 手段とリスクについて明確に説明されると、マルケディナは躊躇うことなく決断した。


「魔女様、どうかわたしを『運命の番』から解放してください!」

「承った! それなら私も微力を尽くそうじゃないか!」


 マルケディナの決断を、魔女シスサルヴェは満面の笑顔で受け止めた。




 魔女との相談からおよそ二か月後。マルケディナは竜人の王国『プリムドラグ』に来ていた。

 竜人の王子ファタルブラスは約束の日に、自ら村まで迎えに来た。そして一週間あまりの馬車の旅の後、国に到着した。

 

 当初は王宮に直行する予定だったが、王都を散策することにした。マルケディナが見知らぬ竜人の国がどんな国か不安だと訴えた。そしてその不安を解消するには街を見て回るのが一番と言い出したためである。

 ファタルブラスは『運命の番』からの願いを快諾した。

 

 この国の王子であるファタルブラスは顔を晒して街を散策するわけにはいかない。正体がバレないよう頭にはターバンを被り、目元以外は布で隠している。砂漠の商人のような格好だ。街には似たような装束の者が多く、あまり目立たない。

 お付きの騎士たちも目立たない平民の服を着て、つかず離れずの距離で二人を護衛している。

 

「ずいぶんと賑やかですね……今日はお祭りかなにかあるのですか?」


 マルケディナは感心したようにつぶやいた。

 王都の大通りは実に活気に満ちていた。通りには出店が軒を連ねており、行き交う人の数も多い。

 人の流れは早く、熱気に満ちていた。

 『運命の番』の村娘らしい素朴な反応に、王子ファタルブラスは目を細めた。


「いいや、これが日常だ。我がプリムドラグ王国は、歴史の浅い小国だ。生まれたばかりの子供が元気なように、我が王国はいつも活気に満ちているのだ」

「こんなににぎやかな街は初めてです。なんだか目が回ります……」

「はは、それはいけないな。さあ、はぐれないように手をつないでいこう」


 マルケディナの左に立つと、ファタルブラスは『運命の番』の紋章が刻まれた彼女の手を優しく握った。そして意気揚々と街へと繰り出した。




 王都の名所をいくつかまわった後、街の食堂に入った。これもマルケディナの希望だ。街の様子を知るなら、平民向けの食堂でお客を見たりちょっとした会話を耳にするのが一番だと彼女は主張したのだ。

 まるで行商人のような発想だ。どうやら彼女は竜人の国に来るにあたり、誰かに知恵を借りたらしい。

 ファタルブラスは彼女のそうした積極性を好ましく思ったようで、上機嫌で大衆食堂へ入った。

 

「遠慮せずなんでも頼んでくれ。君が望むなら、この店を丸ごと買い取ってもいいぞ」

「そ、そこまでしなくて大丈夫です!」

「ははっ、冗談だ。君はほんとうにかわいらしいな」


 じっと熱い目で見つめられ、照れたようにマルケディナは視線をメニューに移した。

 愛する人の初々しい反応を、ファタルブラスは幸せそうに眺めた。


「……メニューを見た限り、食べ物は人間の王国のものとそんなに変わらないのですね」

「竜人は人間と比べて力が強くて魔力も高い。でも、暮らしは人間と大して変わらないんだ。それに、この王都には普通の人間も少なくないからな」


 昼食時とあって人は多い。客の多くは竜人だ。頬や手の甲に特徴的な鱗の肌が見える。だが普通の人間の姿も少なくない。ざっと見た感じ、客の3割程度は普通の人間のようだった。


「竜人の国でこんなに人間の姿を見かけるとは思いませんでした」

「プリムドラグ王国はまだ小国だ。生活に必要な物資を手に入れるには輸入に頼らなければならない。そのために各国から商人がたくさん来ているのだ。それに、この王都では人間の国民が増えつつある」


 そう言ってファタルブラスの目を向けた先にいるのは竜人と人間のカップルがいた。談笑しながら食事をしている。随分と親密な様子だった。『運命の番』のカップルなのかもしれない。

 

「近年、人間が『運命の番』となることが増えている。竜人の国を恐ろしく思う人間も少なくない。だが、『運命の番』は祝福され幸せになるべきだ。そのためにプリムドラグ王国は『運命の番』となった人間に対し、支援金を出すなどの様々な支援策を施行している。『運命の番』はみな幸せに暮らしている。だから君も不安にならなくていい。何しろ君は我が妻となるんだ。王国で一番幸せになれるに決まっている」

「それはその……ありがとうございます」


 マルケディナはペコリ、頭を下げた。

 彼女の素朴な仕草を目にして、ファタルブラスは顔をほころばせた。

 

「ああ、君は本当にかわいいな……」


 一心に向けられる熱い視線を受け、マルケディナは困ったように笑った。


「どうしてわたしのような村娘が王子様の『運命の番』になんて選ばれたのでしょう? 『運命の番』って、どうやって決まるんですか?」

「神殿で儀式を受けるんだ。そこで『運命の番』がどこにいるかという神託をいただくのだ」

「きっと素敵な儀式なのでしょうね……その儀式って、見ることはできるのでしょうか?」


 マルケディナは上目遣いの潤む瞳で願い出た。『運命の番』からのかわいらしい願いを、ファタルブラスは諸手を挙げて承諾した。




 昼食を終えた後。マルケディナとファタルブラスは神殿を訪れた。

 竜人にとって、『運命の番』を見出す儀式は多くの者に認められるべき誇らしいこととされている。そのため観覧は自由とのことだった。

 今日は儀式を受ける竜人がいるらしい。

 観覧席でしばらく待っていると、やがて儀式が始まった。


 儀式の場は円形のホールだった。祭壇を囲むように観覧席が設けてある。

 祭壇の中央には勇壮なドラゴンの像があり、その周囲を数人の神官が取り囲んでいる。

 像の前には立派な鎧を装備した男の竜人がいる。ファタルブラスによると、彼はこの王国の騎士の一人だそうだ。彼がこれから『運命の番』の儀式を受けるのだ。


 神官たちが聖句を唱えると、像の前にある石製の大皿から真っ赤な炎が立ち上った。

 竜人の騎士は小手を外すと、その炎の中に手を突っ込んだ。

 その顔が苦痛に歪む。竜人は炎に強いと言われている。だがあの炎は竜人であっても相当熱いものらしい。

 竜人の騎士は手をその苦痛に耐え、炎の中から何かを取り出した。ごつごつとした握りこぶしほどの大きさの塊は、どうやら鉄でできているようだった。

 竜人の騎士はその塊を神官の一人に向けてかざした。

 神官は鉄の塊をじっと見つめると、よく通る声で厳かに告げた。


「聖なる絆は結ばれた。そなたの『運命の番』は、人間の王国オヴェルシアの、サルティードの村にいるであろう」


 観客席から歓声が上がった。どの声も新たな『運命の番』ができたことを祝福するものだった。

 竜人の騎士は誇らしげに鉄の塊を掲げた。

 マルケディナはその光景に心を奪われたように見入っていた。ファタルブラスはそんな彼女の肩をそっと抱いた。




 儀式が終わり、神殿を出たところで、マルケディナとファタルブラスは近くの喫茶店に入ると感想を言い合った。


「実に素晴らしかったです。すっかり見入ってしまいました……」

「ふふ、気に入ってもらえてうれしいよ」

「炎の中に手を突っ込むなんて驚きました。すごく熱そうです」

「聖なる炎は竜人の鱗であっても耐えられない。苦痛のあまり『運命の番』を見出す前に諦める者もいる。だが、それではダメなのだ。苦しみに耐えて運命をつかみ取る覚悟。それこそが『運命の番』を得る資格なのだ」

「素敵な儀式ですね」

「ああ。あの儀式は竜人の誇りだ。この『運命の番』という素晴らしい絆を未来につなげていくことが、王族にとって最も大切な責務なのだ!」


 希望に瞳を輝かせながら、ファタルブラスは力強く言った。

 マルケディナは口元に微笑みを浮かべ、そんな彼のことをただじっと見ていた。



 王都の主要な名所を巡っていると、日が傾いてきたので散策は終わりとなった。

 歓迎の催しは明日行う手はずとなっている。旅の疲れをいやすために、マルケディナは王宮に用意された部屋で一晩休むことになっていた。

 

 マルケディナとファタルブラスは護衛の騎士たちを連れ、王宮の豪華絢爛な廊下を進んでいく。すると宿泊予定の部屋の前に数人の侍女を引き連れた令嬢が待っていた。

 

 腰まで届く長い真っ直ぐな髪は、まるで冬の寒さに凍てついた一筋の滝のようだ。大理石の彫像のように整った顔を彩るのは、白磁のように白い鱗。瞳の色は深い蒼。

 身に纏ったパールで彩られた上品な白のドレスは、彼女を可憐に彩っていた。

 雪に覆われた都を思わせる、しとやかな竜人の令嬢だった。

 

 マルケディナが戸惑っていると、ファタルブラスが一歩前に出て問いかけた。

 

「アンスラーヴァ、なぜここに? 我が『運命の番』を明日お披露目することを、君が知らぬはずがないだろう?」

「殿下の『運命の番』がこちらに訪れると聞いて、一日でも早くお会いししたかったのです。不作法とは思いましたが、ここでお待ちしていました」


 そう言うと、令嬢はマルケディナの前にしずしずと歩み寄り、洗練されたカーテシーを披露した。


「お初にお目にかかります。私は公爵令嬢アンスラーヴァ。あなた様が王妃になった暁には、側妃として支えさせていただきます。どうかお見知りおきください」

「ご、ご丁寧にありがとうございます。わたしはタルゲト村のマルケディナです」


 村娘であるマルケディナは貴族の礼儀など知らない。とにかくぺこぺこと頭を下げた。

 だが、挨拶されたことろで疑問は晴れない。明日に執り行われる宴の席で、ファタルブラスの婚約者として紹介されるはずだった。上位貴族と思しき令嬢が、どうしてわざわざ部屋の前で待っていたのだろう。それに側妃という言葉も気になった。


「あの、ファタルブラス様。『側妃』とはいったいなんなのでしょうか?」

「ああ……平民の君にはなじみのない役職かもしれないな。『運命の番』である君は私の正妻となる。彼女は第二の妻、側妃として王家に仕えることになるのだ」


 公爵令嬢アンスラーヴァは並び立つマルケディナとファタルブラスをじっと見つめている。

 その視線には親しみと愛情があった。しかし同時に、深い悲しみが感じられた。

 

「あの……こんなことを聞いては失礼かもしれませんが、お二人の関係はどういったものなのでしょう?」

「失礼なものか。我が妻となる君が、私の近くにいる女性のことが気になるのは当たり前のことだ。彼女はわたしの婚約者だったのだ。幼い頃から親しく交流を交わしてきた。だが残念ながら、『運命の番』ではなかったのだ」


 アンスラーヴァは悲し気に目を伏せた。

 雪のような令嬢は、わずかな熱を加えただけで、涙と共に消えてしまいそうに儚く見えた。


「あの……この方より、ただの村娘であるわたしを選ぶのですか? 自分で言うのもなんですが、どれだけ着飾ったところで、この人にはとても敵いません」


 マルケディナは平民の娘としてはかわいい方だ。目鼻立ちは整っているし目もパッチリしている。今着ているのは平民の服だが、ドレスを着てきちんと化粧をすればもっと美しくなれるだろう。

 それでも幼い頃から貴族として礼儀作法を教え込まれ、美しさを磨いてきたアンスラーヴァには遠く及ばない。貴族のまとう気品というものは、平民がたやすく身につけられるものではないのだ。


「どうか自分のことを卑下しないでくれ、我が『運命の番』よ。私にとって君こそが、世界で一番美しく、何よりも愛しい存在なのだ」


 ファタルブラスは迷うことなく言い切った。誠実でひたむな言葉だった。

 だが、マルケディナは訝し気な顔をした。彼の誠実さが、かえって彼女に違和感を抱かせていた。


「あなたは幼い頃からこのご令嬢とお付き合いしてきたのでしょう? 何年も仲を育んできたこのご令嬢より、出会ってわずかの私を選ぶというのですか?」

「ああそうだ。愛の深さに時間は関係ない、アンスラーヴァと何百年かけて愛を育もうと、君に対し抱いている愛には届かないだろう。それが『運命の番』というものなのだ」


 ファタルブラスは熱を込めていった。その情熱に対し、マルケディナは心動かされた様子はない。むしろ冷めた様子で、今度はアンスラーヴァに問いかけた。

 

「アンスラーヴァ様……あなたはそれでいいのですか?」

「もちろんです。『運命の番』を最愛とするのは竜人にとって当然の事です。ファタルブラス様は私のことを放逐することなく、側妃としておそばに仕えさせてくださるよう取り計らってくださいました。それだけの愛情を注いでいただいて、私は幸せなのです」


 アンスラーヴァもまた迷うことなく言い切った。

 しかしその瞳は悲しみに満ちていた。ファタルブラスのことを本気で愛している。それでも『運命の番』を前にしては、一番にはなれないと諦めているのだ。


「竜人ではない君には理解しがたいことかもしれない。だが竜人にとっては『運命の番』より優先すべきことは存在しないのだ。君も妃となれば『運命の番』という絆の素晴らしさをきっとわかるはずだ」

「そうですか。竜人とはそういう風に考えるものなのですね……」


 そうつぶやきながら、マルケディナは後ろに数歩下がって、二人から距離を取った。広い廊下の端まで行き、壁を背にして、左手に刻まれた紋章をかざした。

 

「ではファタルブラス様、最後の質問です。あなたはわたしと『運命の番』の紋章。どちらを愛していますか?」


 先ほどまで即答を続けていたファタルブラスも、これには言葉を詰まらせた。その顔を困惑が占めた。

 

「何を言っているのだ? 君こそが『運命の番』であり、紋章はその証。分けて考えることなどできるわけがない」

「それでは、分けて考えられるようにして差し上げます」


 マルケディナはどこからともなく大振りのナイフを取り出した。

 そして、周囲があっけに取られて動くこともできないでいる中、まな板の上の大根を輪切りにするように容易く、紋章の刻まれた左手首を切り落とした。

 手首から噴き出した鮮血が、廊下の白い壁を鮮やかに染めた。

 

「さあファタルブラス様。わたしと紋章、あなたはどちらを選ぶのですか?」

「うわあああああああ!」


 ファタルブラスは叫んだ。愛する人が自らを傷つけたということに恐怖し、驚愕し、声を上げずにはいられなかった。

 ファタルブラスはマルケディナを見た。鮮血を噴き出す手を見た。すぐに止血しなければ命に係わる。彼は誰よりも早く動いた。彼女の元へと走り寄った。

 ファタルブラスはマルケディナの下に着くと、床に落ちた手首を手にとった。この手を彼女の傷口につけ、回復魔法をかければつながるかもしれない。止血を優先すべき状況だが、処置としては間違っていない。

 顔を上げたら、マルケディナと目が合った。彼女はまるで檻に捕らえたネズミを観察するような目で、ファタルブラスのことをじっと見ていた。その冷たさに、ファタルブラスは動けなくなった。


「なるほど。やはり竜人は、紋章を優先してしまうのですね」


 感情のない冷静な声だった。熱を感じさせないその言葉がファタルブラスを打ちのめした。その顔は後悔と絶望に歪んだ。

 たがそれもほんのしばらくの間の事だった。次にファタルブラスの顔に浮かんだのは、驚愕だった。


「どうして幻術など使っている……? いや君は……君は……誰だっ!?」

「ああ。さすがに紋章なしに竜人の王族の目はごまかせませんか」


 そう言って、マルケディナはふわりと回った。

 すると彼女の身体はかすんで消えて、別の姿が現れた。

 腰まで届く漆黒の髪。妖しく揺れる銀の瞳。その身を包むのはゆったりとした青いローブ。どこに持っていたのか、天辺のとがったつば広の帽子を取り出して被り、右手には杖を持った。

 そして、優雅に礼をした。

 

「私は魔女シスサルヴェ。どうか以後、お見知りおきを」


 ファタルブラスは目を見開いた。アンスラーヴァは驚きのあまり気を失いそうになり、侍女たちに支えられた。

 魔女を除くその場の誰もが驚愕に震えた。

 

「バ、バ、バカなっ!? この私がその程度の幻術に騙されることなど、あるはずがない!」

「普段の王子でしたら、私の幻術程度すぐに看破なされたことでしょう。現にたった一目で見破られました。ですがそれまでのあなたは、『運命の番』の紋章ばかりに気を取られ、私の姿を見ようとしなかった。周りの竜人も王子の『運命の番』ということで疑いの目を持てなかった。それゆえに、今の今まで誰一人気がつかなかったのです」


 それは竜人たちにとって、認識外からの不意打ちだった。『運命の番』とは運命によって選ばれた相手だ。まさかその紋章だけを盗んで幻術で騙してなりすます者がいるなど、竜人たちは想像したことすらなかったのだ。

 

 いつの間にか壁を染めていた鮮血も消えていた。それも幻術だったようだ。しかしそんなことより、ファタルブラスは恐るべきことに気づいた。彼は今、紋章の刻まれた手首を持っている。しかし目の前にいる魔女は、両手共に「手首から先がある」のだ。


「これは、これは……我が『運命の番』の手首なのか……?」

「そうです。マルケディナ嬢を『運命の番』の束縛から解放するために、切り落としたものです」

「なんて……なんて残酷なことをするのだ! 貴様はそれでも人間か!?」

「私は人間であり、残酷な魔女でもあるのです。村娘の手首を切り落とすくらいのことはします。そもそも、これはきちんとマルケディナ嬢に了解を取った上で行ったことです。彼女はそれほどまでに竜人を恐れていました。彼女はたとえ左手の手首から先を失うことになろうとも、『運命の番』になどなりたくなかったのです」

「馬鹿な……! 『運命の番』は魂と血に刻まれる聖なる印! 手首を切り落としたとしても、紋章は彼女の身体の別の場所に移ったはずだ!」

「ええ、確かに『運命の番』は強力な術式です。ですがマルケディナ嬢は運命を受け入れておらず、魂に術式が刻まれる段階には至っていませんでした。だからその手を切り落とし、死霊術で疑似的に生かしておけば、紋章を定着させることも可能だったというわけです」


 魔女シスサルヴェは滔々と自らの成し遂げたことを語って聞かせた。

 竜人たちは驚愕から覚める間もなく今度は恐怖に囚われた。

 竜人たちにとって、『運命の番』とは犯すことのできない神聖なつながりだ。この魔女は、それに干渉して自分の都合のいいように利用したのだ。魔法に長けた竜人から見ても、その技術の高さは驚嘆に値するものだった。何よりこれほどの禁忌を侵しながら何一つ恐れを抱かない姿は、竜人たちの理解を越えていた。

 竜人たちが言葉を失う中、ファタルブラスは立ち上がった。そして地の底から響くような暗く沈んだ声で問いかけた。

 

「いつからだ……? いつから、我が『運命の番』と入れ替わっていたのだ?」

「一週間前、あなたがタルゲト村に迎えに来た時には、すでに入れ替わっていました」

「バカな……バカな……バカな! あの時から入れ替わっていただと!? ならこれまでの馬車の旅はなんだったのだ! 王都での一日は、一体何だったというのだ!?」

「本当はあなたもわかっているのでしょう? あなたは一度としてマルケディナ嬢の名を口にしませんでした。ずっと『我が運命の番』と呼んでいました」

「そ、それが何だというのだ!?」

「あなたがこの一週間かけて愛を注いできたのは、マルケディナという少女ではなく……紋章の刻まれた肉塊だったということです」


 ファタルブラスは崩れ落ちた。床に這いつくばり、苦し気な嗚咽を漏らした。

 泣きぬれる王子を前に、魔女シスサルヴェは悲し気に眉を寄せた。その目には侮蔑の色はない。ただ憐みだけがあった。


「おのれ魔女め! よくも殿下を愚弄したな!」


 主の嗚咽を耳にして、ようやくお付きの騎士たちが反応した。騎士たちは剣を構えると、連携をとって素早く魔女シスサルヴェを取り囲んだ。

 公爵令嬢アンスラーヴァは侍女たちに連れられてその場を立ち去っていく。

 ファタルブラスも騎士の一人が肩を貸し、連れ出していった。

 

「王宮でこれほどの狼藉を働いて、ただで済むとは思うなよ!」

「よくも殿下のお心を傷つけたな、この不埒者め!」

「魔女め! 竜人の恐ろしさを教えてやる!」


 竜人の騎士たちは剣を抜き払い構えた。

 まだ仕掛けてこない。だがそれも一時のことだ。王子がこの場を離れ安全が確保されれば、すぐさま切りかかってくるだろう。

 

「……竜人相手にこの状況。魔女の私でも逃げ延びることはできないでしょう。ですが『運命の番』の紋章を解析し、その儀式を目にした私には、こんなこともできるのです」


 魔女シスサルヴェは帽子を脱いで目の前にかざすと呪文を唱えた。

 取り囲む騎士のうち、数名が素早く切りかかる。他の者は、先発が撃退されたときに備えて構えている。騎士たちに油断はなかった。

 だが騎士たちの剣が届くより早く魔法は発動した。

 

 帽子の中から何匹ものハトが現れ、飛び立った。

 

 大道芸のような魔法だった。予想外の行動だ。さすがの騎士たちも少しは驚くだろう。それでも、そんなものは一時しのぎにしかならない。

 だが、それだけではなかった。騎士たちは飛び立つ鳩から目を離すことができなかった。

 

「こ、これは……!?」

「バカな! あのハトが俺の『運命の番』だと……!?」

「ああ! 行かないでくれ! 我が愛しの『運命の番』!」


 鳩には『運命の番』の紋章が刻まれており、周囲の騎士たちと結びつけられていたのだ。

 身体の奥底から湧きあがる愛慕の念と衝動に、平静を保てる者などいなかった。騎士たちは『運命の番』を求めて走り回った。

 狂騒は一時間ほどで収まった。魔女の作り出した『運命の番』の紋章は疑似的なもので、短時間しか持たなかったのだ。

 それは魔女が逃げおおせるのに十分な混乱だった。

 

 


「……とまあそんな感じで逃げてきた。今後、竜人の王子が君を求めてやってくることはないだろう。君のことを思い出すたびに、肉塊に愛情を注いだトラウマが甦ることになるからね。だから安心するといい」

「はあ……それはまた、なんともすごいことをしてきたのですねえ……」


 魔女シスサルヴェから竜人の国での顛末を聞き、マルケディナは感嘆の息を吐いた。

 

 魔女シスサルヴェが入れ替わり竜人の国に行っている間。マルケディナはここ、魔女の家で過ごしていた。ここはもともと人払いの結界がかけてある。食料の備蓄も十分にあったので、マルケディナはなんとか無事に過ごすことができた。

 

 二人はテーブルを囲み、ハーブティーを飲みながらお互いの半月あまりのことをお互いに話し合っていた。もっとも、マルケディナの方は退屈なくらい平穏な日々だったので、特に報告することもなかった。せいぜい左手を失って苦労したことくらいだ。

 

 マルケディナの左手は、手首から先がない。『運命の番』から逃れるためには仕方なかった。魔女シスサルヴェによると、上級の回復魔法であれば失った部位を取り戻すことは可能らしい。ただしそうすると、再び紋章が刻まれる可能性があるという。竜人の『運命の番』は、魂と血に刻まれる恐ろしい術式であり、犠牲なしに逃れることはできないのだ。


「それにしても、魔女さまにはすっかり助けられました。どうやってお礼をしたらいいのかわかりません」

「気にすることはない。お礼は既に受け取っているよ。大収穫だ」

「え? それはどういうことですか?」

「ああそうか、まだちゃんと説明していなかったね。会ったときに言ったと思うが、私は『消え去りし(ロスト・)賢人たち(ワイズマン)』について研究している。失われた技術の探求と言うやつだ。学問としては考古学に分類されるものだ」

「はあ、そうなんですか」


 マルケディナは生返事を返した。学校に通ったことのない彼女からすれば、技術の探求や考古学は、遠い国の話のようなものだった。

 

「それでね。竜人という種族は、もともとは『消え去りし(ロスト・)賢人たち(ワイズマン)』が作り出した兵器なんだよ」

「へえ、そうなんですか……って、ええ!? 種族って作れるものなんですか!?」

「そこまで不思議なことじゃないよ。例えば君の村にだって牛や豚がいるだろう。野山で家畜そっくりの牛や豚を見たことがあるかい? 野菜だってそうだ。人間ってのは自分たちの都合のいいように種を作り替えてしまうものだ。『消え去りし(ロスト・)賢人たち(ワイズマン)』の魔法技術は凄かったからね。種族を一つ作るくらい、当たり前にやってのけるのさ」

「ふへえ……」


 身近な例を挙げてもらってもまるで実感が湧かない。あの恐ろしい竜人を種として作り上げてしまうなんて、村娘のマルケディナにとっては途方も無い話だった。


「そもそも竜人というのは、あまりにも都合が良すぎるんだ。剣も魔法も扱えて、戦闘力は異常に高い。大きさも人間と同じくらい。人間の言語を理解し、その思考も情緒も人間とほとんど変わらない。おまけに人間と同様に繁殖して安定して数をそろえられる。人間の国家間の戦争に使うのに都合が良すぎる」

「へ? 戦争? 人間の国同士の戦争に竜人が関わっていたんですか?」

「そうだよ。『消え去りし(ロスト・)賢人たち(ワイズマン)』は傭兵みたいに竜人を貸し出していたようだ。大昔はどこの国も、竜人の部隊をそろえてバチバチやってたらしいよ」


 あんな恐ろしい竜人を何人も揃えて行われる戦争。まるで想像がつかない。ただ、恐ろしい惨状だったのだけは確かだろう。マルケディナはその様を想像してぶるりと震えた。


「おとぎ話では竜人は恐ろしい怪物だと語られていました。それが人間に使われていたなんて、なんだか想像できません……」

「竜人を使用した戦争は被害があまりにも大きくなるから、使用禁止の条約ができた。後世になって竜人を戦争に利用していたことは国の恥とされるようになった。どの国も当時の記録は封印したり焼却したりしてしまったらしい。民間には竜人の逸話がおとぎ話として伝わったようだけど……竜人の強さを考えれば、英雄譚の怪物役になるしかないだろうね。実際、竜人を相手した当時の兵士にとっては、さぞや恐ろしい怪物に見えたことだろうね」


 今回のことがあるまで、マルケディナにとって竜人とはおとぎ話に出てくる怪物と言う認識しかなかった。言い換えれば、お話の中だけの存在だった。

 おとぎ話の存在に、そんな血塗られた歴史があったとは思わなかった。


「竜人の国は守りが固くて魔女の私が入り込むことは難しい。君と入れ替わったおかげで竜人の国に行き、たった一日だったがいろいろなものを見ることができた。今回の件で得た物は、『消え去りし(ロスト・)賢人たち(ワイズマン)』の研究にとても役立つ。仮説の裏付けが取れたし、新しい発見がいくつもあった。君には本当に感謝しているんだ。だからお返しなんて考える必要はないよ」

「それならよかったです……」


 なんだか恐ろしい話になってしまったが、ひとまずマルケディナはホッとした。

 この家で待っている間、どうやったら恩を返せるかと考えていた。マルケディナの家は裕福ではない。お金ではとても返せないだろう。

 一生働いて返すくらいしか思いつかなった。だが左手の手首から先が無くなってしまった。家事をこなすのも一苦労だ。日常生活もままらない。このままでは恩を返しきれないかもしれないと心配していたのだ。

 

「それにしても、そんなすごい竜人の王子様が、わたしみたいな村娘を『運命の番』に選んでしまうなんて……運命の神様もなにか間違えてしまったんですかね?」

「間違い? いいや、誰も何も間違えていないよ。竜人の王族が人間を妃に迎えるなら、平民でなくてはならなかったんだ」


 話題を変えよう思って言ったちょっとした冗談に対し、魔女シスサルヴェは実に真面目な顔で返答した。

 冗談に合わせてくれたのかと思ったが、そういう様子でもないようだった。


「え? なんで平民じゃないといけないんですか?」

「それはね。竜人の国が小国だからだよ」


 小国だと何がいけないのだろう。貴族を目にすることすら少ないマルケディナには想像がつかなかった。

 マルケディナが首をひねっていると、魔女シスサルヴェは説明を続けた。


「竜人はとても強い種族だ。だから当然、周辺の人間主体の国家からものすごく警戒されている。竜人がいくら強くても、世界の全てを敵にして勝利できるわけじゃない。それに彼らが強いのは戦闘に関することだけだ。竜人の国は軍事面こそ他国を圧倒しているが、経済基盤は脆弱で、農産物の生産も国土の広さに相応。これと言った特産品も目立った産業もない。だから未だに小国にとどまっているんだ」


 ついさきほどまで、竜人はおとぎ話に語られるほど強くて恐ろしい種族だと思っていた。

 だがその竜人の国は、周囲の人間の国家からの圧力にあえいでいる小国なのだ。

 竜人をめぐる状況の目まぐるしい変化についていけず、マルケディナは目を瞬かかせた。

 

「そんな竜人の国の王族が、うっかり人間の国の貴族を『運命の番』にしてしまったら大変だ。国を隔てた貴族階級の婚姻は、国家間の結びつきとなる。竜人の国に与する国は周辺国からは敵として認定される。色々な国から様々な圧力を受けることになるだろう。戦争に至ってもおかしくはない。でも竜人としては人間とのつながりが欲しい。竜人の国に人間が増えれば周辺の国の態度の軟化も狙える。優れた人間を迎えれば竜人の不得意な経済や農業といった分野を補ってもらえる。そのために優遇政策をとっているくらいだ。そんなわけで、王子の『運命の番』は平民でなくてはならなかったんだ」


 そう言われてマルケディナはさきほどの話に出てきた竜人の国の事を思い出した。『運命の番』選ばれた人間には国から支援金が出るという。竜人は人間と相容れない怪物だと思っていたのに『運命の番』になったら国からお金が出るなんて、妙な話だとは思っていたのだ。

 だがそれには理由があった。竜人は人間が必要だったのだ。

 その話を聞いていると、ふとした疑問が浮かび上がり、口からこぼれ出た。

 

「……まるで竜人が自分で『運命の番』を選んでいるみたいな言い方ですね」

「ああそうだよ。竜人たちは自分で『運命の番』を選んでいる。もともと、『運命の番』という仕組みは、『消え去りし(ロスト・)賢人たち(ワイズマン)』が竜人に植え付けた機能の一つなんだ」

「えっ!?」


 マルケディナは今日何度目になるかわからない驚きの声を上げた。だがこの事実は、今までで一番の衝撃だった。

 人は信じられない幸運や、その身に振り抱える恐るべき理不尽を運命と呼ぶ。神の定めた巡り合わせだから仕方ないのだと耐えるのだ。

 辺境の村の暮らしは楽ではない。嵐で丹精込めて育てた農作物がダメになったり、毎日一生懸命働いているのに世の不況のせいで困窮したこともある。お腹が空いて眠れない夜もあった。

 それもそうした運命だから仕方ない。そう思ってきた。

 『運命の番』に選ばれたことも、そうしたことの一つだと思っていた。

 しかし、そうではなかったのだろうか。


「竜人たちはどうやって『運命の番』を選び出しているのですか?」

「先ほど話した神殿の儀式だ。聖なる炎から焼けた鉄の塊を取り出すという儀式。一度見ただけだから詳細まではわからないが、あれは明らかに魔法的な儀式だ。だが見た限り、あまり精度は期待できない。さすがの竜人たちも『消え去りし(ロスト・)賢人たち(ワイズマン)』の魔法技術を完全には再現できなかったらしい。指定できるのはたぶん相手のいる大まかな場所と性別、年齢程度だと思う」

「場所、性別、年齢……」

「竜人の王族は人間の貴族を『運命の番』とするわけにはいかない。だから王都や街ではなく、孤立した辺境の村を指定したのだろう。君が選ばれてしまう確率はそれなりに高いものだったんだ」

「なんですか、それは!?」


 マルケディナは叫び立ち上がった。声を上げずにはいられなかった。


「運命なら仕方ないと思ってました! 竜人に抱きしめられて怖い思いをしたのも、そこから逃げるために左手を失ったことも、神様が定めた運命なら我慢できると思っていました! でも、でも! それが誰かの意志でやったことだっていうのなら、許せません!」


 辺境の村に住むマルケディナは、理不尽な運命を耐え忍ぶ術を知っていた。だが、人の悪意で理不尽を押しつけられることには慣れていなかった。まして彼女は今回のことで左手の手首から先を失っているのだ。

 魔女シスサルヴェは目を伏せた。


「そうだな……理不尽な話だ。君が怒るのも当然だ」

「魔女さまのお話を聞いて、彼らがおとぎ話の怪物とは違うことはわかりました。竜人の国がどういうところなのかも、少しはわかりました。でも、わかりません。結局、『運命の番』とはなんなんですか? 賢人とか言う人たちは、どうして竜人にそんな定めを与えたんですか?」

「『運命の番』とは、一言で言えば、交配を促進するための催淫道具のようなものだ。もっと砕いた言い方をすると……『強制的に子作りをさせる道具』だ」

「なっ……!?」


 あまりのことにマルケディナは言葉を失った。

 先ほど、魔女シスサルヴェは新たな種を作ることを、牛や豚に例えていた。

 もし、牛や豚を増やしたいとき、『強制的に子作りをさせる道具』なんてものがあったらどうなるだろう。

 誰だって使うに決まっている。発情期に関係なく好きな時に家畜を増やせるのなら、絶対に儲かる。

 だが、それを物言わぬ家畜ではなく、意志を持つ存在に使うとしたら……。

 マルケディナは思わず口を押さえた。自分の想像してしまったことがあまりにおぞましくて、吐き気を覚えたのだ。

 

「竜人を作るにあたって、『消え去りし(ロスト・)賢人たち(ワイズマン)』は交配で徐々に変化させるという方法を取った。魔法で少し改造した者同士を交配させ、産まれた子孫をさらに少し改造して交配させる……そんなことを繰り返して竜人を生み出したんだ。その流れを加速させるために、『運命の番』という仕組みを竜人に植え付けたんだ」

「狂ってます……! でも、『消え去りし(ロスト・)賢人たち(ワイズマン)』なんてもういないんでしょう!? だったら『運命の番』など選ばなければいいじゃないですか! 儀式なんてやめてしまえばいいのに!」

「いや、それもできないんだ。伴侶のいない竜人は、一定年齢に達すると、種の保存のためにまったくのでたらめに『運命の番』を選び出す。それは多くの場合、混乱と悲劇を生む。他国の貴族を『運命の番』にしてしまった竜人は、秘密裏に殺されてしまっていたらしい。それを思えば今はまだマシなんだ」


 魔女は淡々と恐ろしいことを語る。

 それは理にかなっていることなのかもしれない。仕方ないことなのかもしれない。それでも感情が受け入れることを拒んだ。


「そんなおぞましい定めを、なんで『運命の番』なんて呼ぶんですか!? そんなのが運命だなんて、バカみたい! もっと相応しい言い方があるでしょう!」

「いいや、おぞましいからこそ綺麗な呼び名が必要なんだ。『運命の番』という仕組みは、竜人の魂と血に刻まれた、決して逃れることのできない定めなんだ。歴史と文化を積み重ねてきた人間が、性欲に向き合うために、愛という美しいものを生み出したように……竜人にも、救いが必要だったんだ」


 その時に初めて、マルケディナは魔女の瞳が悲しみに満ちていることに気づいた。

 思えば彼女は、竜人について、侮蔑したり見下したりはしなかった。ただ冷静に、中立の立場で語っていた。

 自分で望んだわけでもないのに、『運命の番』というおぞましい定めを植え付けられた竜人。あるいは彼らも、運命に翻弄される悲しい存在なのかもしれない。


「でも、許せないんです! 竜人のことを許すことができないんです!」


 でも、マルケディナは彼らを憐れむことができない。抱きしめられた時の恐怖が、左手を失ったことが、『運命の番』という仕組みのおぞましさが、それを許さない。この世にこんな悪意があるなんて、とても受け入れられなかった。

 マルケディナは泣いた。どうして涙が出るのかもわからないまま、ただ泣いた。

 魔女シスサルヴェは、そんな彼女をそっと抱いた。


「ああ、許さなくていい。君は被害者だ。怒る権利がある。その怒りは、私が受け継いでやる」

「受け継ぐ……?」

「ああそうだ。だって君は……全てを忘れるのだから」




 ふと気がつくとマルケディナは森の中にいた。

 じっと左手を見る。布が巻かれている。左手の手首から先はない。痛みは感じない。

 竜人の王子に『運命の番』に選ばれた。竜人の国に行くのは恐ろしいので。森に棲むという魔女に助けを求めた。紋章の刻まれた手首を切断すれば逃れられると聞いて、受け入れた。

 そこまでははっきりと覚えている。だがそのあとのことが思い出せない。魔女は記憶を消すと言っていた気がする。思い出せないのは、きっと魔法で記憶を消されたのだろう。

 とにかく、マルケディナは助かった。もう竜人の王子が村に来ることがないことだけは、なぜだかわかっていた。

 

 助かった。それと引き換えに、左手の手首から先を失った。

 理不尽な話だ。だが、辺境の村に住むマルケディナは、理不尽と言うものに慣れていた。こんなことで気落ちしていては生きていけない。

 マルケディナはひとまず家に帰ろうと、力強く一歩を踏み出した。

 

 

 

 森の奥で魔女シスサルヴェはマルケディナの立ち去る様子を観察していた。

 記憶はちゃんと消えたようだった。

 魔女シスサルヴェはこれから竜人の国から追われることになる。マルケディナの下にも捜査の手は伸びてくるかもしれないが、記憶が無ければ手荒なことはされないだろう。

 安全とは言い切れないが、これ以上干渉することはできない。近くにいる方がかえって危険だ。

 

 記憶を消す前提だったとはいえ、マルケディナに色々と話しすぎた。だがそれは、シスサルヴェにとって必要なことだった。

 人里を離れて『消え去りし(ロスト・)賢人たち(ワイズマン)』の研究ばかりしていると、何が正しいことなのかわからなくなる。彼女のような普通の者の意見を聞くことは大事なことだった。普通に生きている人間が抱く、当たり前の怒りこそが、世界を正しく保つために必要なものなのだ。

 一般の人間が『消え去りし(ロスト・)賢人たち(ワイズマン)』ついて知ることは、不幸を招く。記憶を消すのも必要な措置だった。

 だからと言って彼女を傷つけたことは変わらない。そのことは心の中に刻みつけておく。犠牲を当たり前だと考える者は人でなしだ。それでは『消え去りし(ロスト・)賢人たち(ワイズマン)』と変わらない。


 『消え去りし(ロスト・)賢人たち(ワイズマン)』の研究を止めるわけにはいかない。彼らが残した恐るべき遺産は、竜人だけではないのだ。

 その過程で『運命の番』から竜人たちを解放する方法も見つかるかもしれない。

 

 忌むべき遺産を封印し、悲劇を止めなければならない。

 そのことを改めて心に誓うと、魔女シスサルヴェはその場を立ち去った。



終わり

※本作の『運命の番』の設定は、本作の中だけで通用する設定です。

 これきりの設定で他意はありません。

 大丈夫とは思いますが少々アレな設定なので念のため。


「運命の番」という設定を最近になって知って、それをテーマにした恋愛系のお話を作ってみたいと思いました。

せっかくだから「運命の番」がどうやって生まれたのかを考えてみることにしました。

ストーリーに直接書かなかったとしても、そういう設定を考えておくといい方向に作用することが多いのです。


そうしたらなんと言うか、えげつない設定になってしまいました。

当初は恋愛ものにするつもりでしたが、途中で諦めてこういう話になりました。

色々とままなりません。


2024/8/15

 誤字指摘ありがとうございました! 読み返して気になった細かなところもあちこち修正しました。

2024/8/16

 誤字指摘ありがとうございました! 修正しました!

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― 新着の感想 ―
[良い点] 面白かったです。 シスサルヴェの話をもっと読みたいと思いました。
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