私の愚かな元婚約者様
「シェリーナ・アンドレア!貴様との婚約、今ここで破棄させてもらう!」
そう王城の大広間で叫んだのは、この国の第二王子であるパトリック・シュタイナー殿下。左腕に赤毛の可愛らしい少女をまとわりつかせ、背後に宰相の次男と騎士団長の三男を従えてキメ顔でこちらを見ている。
ああ、私と殿下軍団の周りから一斉に人が避けていく。そう、私が今殿下から名前を呼ばれたシェリーナである。
今日は王立学園の卒業パーティー。貴族の紳士淑女の為の王立学園は、卒業パーティーだけここ王城の大広間を使わせてもらえる。官僚や侍女として採用される優秀な者や、高位の貴族家以外の者にとっては、これから先ほとんど縁の無い場所。だからこそ、この卒業パーティーは学園の卒業生にとってとても大事で素晴らしい記念になるもののはずだったのに。
「おい、シェリーナ、聞いているのか!侯爵令嬢という身分をかさにきて今まで随分と下位の者たちに嫌がらせをしてきたようだな!特にこのリナリアには一段と非道なことをしていたと聞いている!今までこのリナリア・ユリエール男爵令嬢にした数々の嫌がらせを謝罪しろ!」
せっかくのパーティーなのにバ…殿下のせいで皆様動揺していらっしゃいますわ。
「あら殿下ご機嫌よう。殿下のお話はこの場には相応しく無いようですので、あちらの部屋で続きをお聞きしても?」
「逃げる気か!お前の卑怯な手段はわかっている!この場の皆が証人だ!お前の悪辣な振る舞いを暴いて、お前が俺の婚約者として相応しくないことを皆に証明してやる!」
私の折角の厚意は無下に断られました。
「シェリーナ、お前はこのリナリアに嫉妬して、彼女の教科書を破いたり、制服を汚したり、無視したり、わざとぶつかって怪我をさせたりしたな!」
「いいえ、私は何もしておりません。リナリア様には今はじめてお会いしましたわ」
「何を寝ぼけたことを!リナリアはお前に嫌がらせを受けたと泣いていたというのに!可哀想だと思わないのか!なんてひどい女だ!」
「全くです、シェリーナ様。早く謝罪して下さい」
「見損なったぜ、シェリーナ様」
両脇の殿下の援護要員からも睨まれながら言われてしまった。まったくもうこのアホ軍団は。脳味噌空っぽなら黙っていれば良いのに。もう取り繕うのも馬鹿らしくなってきたわ。下手に位の高い貴族子息たちだからプライド高くて面倒くさいわね。しかし、この状況、どうしてやろうかしら。楽しいはずのパーティーを台無しにされたので今私、機嫌が悪いわよ。
とりあえず、私は事実を相手に告げてみた。
「そもそも、私、殿下の婚約者ではありませんわ」
「…は?」
「二年前までは、確かに殿下の婚約者は私でしたわ。ですけれど、婚約者に手紙も寄越さない、贈り物も花束ひとつない、婚約者としての交流の茶会も無い。そのように私という婚約者を大切にしないくせに王子妃教育に縛り付け、当の殿下本人は全く勉強せず遊び歩いているという状況に心底腹が立ちまして、こちらから破棄させて頂きましたの」
「…は?」
私の突然の暴露に殿下軍団はあっけに取られております。ちなみに今私が暴露した殿下の行動はたいへんに非常識なもので、我が家からの抗議で王家からは婚約破棄の許可と謝罪と慰謝料を頂いており、もちろん婚約破棄されたという書類も頂いております。その書類には殿下のサインもあったはずですのに。
「し、しかし、リナリアに嫌がらせをしたではないか!」
「私は何もしておりません」
「とぼけるな!」
「私がやったという証拠はあるのですか」
「リナリアが貴様にやられたと言っておるのだ!」
「それはいつ頃のお話ですか?」
「…去年から、物がなくなったりとかはあったのですが、シェリーナ様にぶつかられたり無視がひどくなってきたのは、今年に入ってからです!」
おお、リナリア様の声、はじめて聞いたわ。可愛らしい声ね。
でも。
「無理ですわ」
「何がだ!」
「私がリナリア様に何かすることは不可能です」
「言い逃れをするな!証拠はあるのか!」
「だって私、二年前の二年生の新学期からつい先週まで隣国に留学しておりましたもの。帰国してからも一度も学園には入っておりません」
「………は?」
私が留学生として隣国に行くという話はとても有名で、なんなら平民の方たちも知っているくらい。当時新聞にも連日載ったし、学園でも話があったのに。むしろ何故知らないのかしら。流石、稀代のバカと言われているだけのことはありますわね。私の姿を二年前から見ていないはずですのに。そこを不思議にも思わず私が犯人だと決めつけるなんてどんだけなの。
「それで?この国にいない私がそこのリナリア様にどうやってぶつかったり嫌がらせをしたとおっしゃるの?」
「だから、それは貴様がリナリアに嫉妬して…!誰か貴様の仲間にでもやらせたんだろう!卑怯な手を使いやがって!お前のような悪どいやつは王都から追放してやる!」
私にやられたって言ってたじゃないの…ツッコミどころが満載過ぎてもはや何も言えな…いや、もうホントどうしてくれようかしら。
「私、殿下のことは大嫌いですけれど」
「……は?」
「あんなひどい扱いをされて好意を抱くことなど万に一つもございませんわ。なので殿下のことはもう顔も見たくないほどに嫌いですの。それに私には別の最愛の方がおりますので、リナリア様に嫉妬するはずがありません」
「…」
とうとう、は?すらも言わなくなってきたわ。ちょっと軍団全員顔色が悪くなってきたわね。遅いわよ。
「というわけで、二年前から隣国に行っていた私はリナリア様とお会いしたこともない。なので私がリナリア様に嫌がらせやその他の危害を加えることなど不可能。そもそも前提として私は殿下に興味が無くむしろ嫌っているので仲間を使ってということも有り得ない、というのはお分かり頂けまして?つまり、リナリア様の訴えはすべて虚偽ですわ。一方的にこんな雑な作り話を信じて私が悪いと思い込んでこの様な糾弾をして…視野が狭いにも程がありますわ。後ほど、我が家から厳重に抗議をさせていただきますわね」
「………」
「さて、殿下たちがそういうおつもりでしたら、私からもお話がございますが、よろしいでしょうか」
私も丁度、殿下方にお聞きしたいことがあったのです。
「殿下、私との婚約は二年前に破棄されたことを思い出して頂けたかしら」
「…そうだった、かも、しれない…」
大分勢いが削がれてきておりますね。けれど後ろの擁護要員もリナリア様も何も言えずにいるけれど、まだこちらを睨んでおります。きちんと精査もせずリナリア様の虚偽の申告を鵜呑みにして、さらに自分達が勘違いしていたのにまだこちらをそんな目で見れるなんてなかなか凄い神経ね。
「けれども、何故か我が家に、未だに届くんですの」
「…何がだ」
「請求書ですわ。殿下達が使われた交遊費や服・宝飾品の請求書が、婚約者でもない、他人の我が家に、何故か、届くのです」
ヒュッと誰かが息を呑んだ音が響いた。一気に軍団の顔色が目に見えて白くなったわ。
「婚約者時代に殿下はお前と結婚するならお前の家の財産はいずれ俺のものだと仰って我が家に請求書を回してきたことがございましたが、まあ飲食代などの可愛いものでございましたので、我が家が払っておりましたわ。しかし、婚約破棄した後は赤の他人でございます。もちろん、我が家には払う謂れはございませんので、内密に王家の皆様にご相談させて頂いておりましたが、全く改善されないどころか悪化していく一方でしたので、どういうことかとちょっと調べさせていただきましたの。そうしたらば、殿下だけで無く他の皆様も便乗して我が家に請求されていたようで…」
殿下の俺様ぶりと軍団全体の悪質さを暴露しながら周りの皆様にもご説明する。
「代表的なもので言えば、殿下はこの二年間でリナリア様へ高位貴族令嬢のドレスを五着、それに伴う宝飾品を多数。その他花束や小物。そして、高級ホテル三件でリナリア様と宿泊したのが合計十二泊」
まず、殿下が膝をついた。
「クラウス様は、宝飾魔道具を三つ、リナリア様へ平民のドレス二十着、高級化粧品と香水多数…そして、リナリア様とのホテル宿泊八泊」
宰相の次男のクラウス様が次に続いた。しかし、リナリアと!?どういうことだ!という殿下の声が聞こえる。そうよね、自分だけの恋人と思っていたものね。
「フリッツ様は、魔道剣を二本、リナリア様へ花束多数、名店の菓子、フルーツ、プレミア付ワイン…そして、ホテル宿泊九泊」
騎士団長の三男のフリッツ様もそれに加わる。おい、フリッツもか?!リナリア?!と騒いでいますわ。
「そして、今私が指摘したお三方は更に高級娼館にも行かれておりましたわね。夜の蝶の皆様はとても素晴らしいお仕事をなさったようで…それはもう大変な金額をご請求いただきましたわ」
周りで聞いていた皆様も更に引いた気配がしますわ。そうですわよね、ここまでやらかしていたとは皆様思いもしなかったでしょうね。
自分には婚約者がいると思っていたのに、浮気はするわ、婚約者でない女に貢ぐわ、娼館通いで散財するわで、もう本当にクズですわね。そしてそれを隠すことなく婚約者の家に請求するという頭の悪さ。王家の方もやつれるはずだわ、お可哀想に。私は先日お会いした頭髪が寂しくなった国王様と萎れた王妃様を思い出す。
「そして、リナリア様」
周りの膝をついたクズたちから俺が本当の恋人だよな?!とすがられているリナリア様を私は見つめた。俯いてこちらを見ようとしないけれど、容赦はしないわ。
「リナリア様は、中古とはいえ家を一軒、一年前にお買い上げしておりますわね」
はっ!とリナリア様が弾かれたように顔を上げた。
「そして、その家、殿下には二人だけの秘密の隠れ家、なんて仰っていたようですが」
「やめて!」
「平民の男性五名様との逢瀬の場にしていらっしゃいますね」
「…なんだって…?」
「リナリア様は、ユリエール男爵の庶子とわかり、十五歳で引き取られるまで、市井で平民としてお過ごしでしたわね。そのときにお知り合いだった方たちから、その頃からリナリア様は奔放で、複数の方と身体のお付き合いがあったと皆様証言して下さいましたわ。数名減ったようですけれど、今でも五名の方とは続いていらっしゃいますね。これだけ男を手玉にとれるのは素晴らしい才能ですわ。体力もおありの様で羨ましい限り」
「そんな言い方…ひどい…!」
「皆様口を揃えてリナリア様から誘ってきた、こっちは平民の時ならいざ知らず、貴族と関わるのは嫌だったから何度も断った、だけど逢引用の家があるから、そこでなら誰にもバレないからとしつこく誘われてまた会うようになってしまったとおっしゃっていました」
「そんな!うそよ!」
「ポール、ジョージ、エドモンド、アラン、リック」
「!な、なんで名前まで…」
「なんだ、その男たちは、リナリア!」
「もちろん、リナリア様が今でもお付き合いなさっている殿下達以外の五名様のお名前ですわ」
「なんだって…?では本当に…?」
「私は、事実しかお話ししておりませんわ。つまり、リナリア様は殿下達を含め八名の方たちとお付き合いしていらっしゃいます」
軍団はもはや壊滅状態ですわ。リナリア様は、違うの!と言い、他の三人はどういうことだと詰め寄っているわ。ではそろそろよろしいかしら?
「リナリア様の異性関係は後でお話ししていただけますか?ここからが本題なのですが、無事、私が婚約者ではなかったということをお分かりになられたかと思いますので、二年間我が家が立て替えてきたお代をここで全て清算させて頂きたいの。もちろん請求書は細かいものまですべて取っておいてございますし、裏付けの調査も致しましたわ」
一番はじめに気づいた顔をしたのは、クラウス様でした。もはや顔色は土気色ですわね。他の方もうすうす勘づいているようですけれど。私は今日一番の笑みを浮かべる。
「先立って、殿下、クラウス様、フリッツ様、リナリア様のそれぞれのお家に、我が家から、皆様がお使いになった金額を、す・べ・て、請求させていただきましたわ」
立ち上がりかけていた殿下達は今度は先程より深く崩れ落ちた。今まで立っていたリナリア様も流石に膝をついている。どうしたら良いのかと思っておられるでしょうね。結構な金額を使った自覚はあったのかしら。というか、まだ成人前で働いてもいなければ爵位も継いでいない自分には親の許可を得なければ自由になるお金が大して無いということに気づいたのかしら。でももう。
「遅いですわ」
「……?」
「皆様は今、お家の方に対しての言い訳を必死にお考えかと思いますが、請求させて頂いたのはもう三日も前のお話なんですの」
「!」
「もちろん、我が家がお調べした詳細な用途と明細も一緒にお渡ししてあります」
誰かのせいにしたり、商人に騙されたなどといった稚拙な言い訳なども通用しないようにしておきましたわ。それに三日もあれば各家の皆様でしたら十分に裏がとれますからね。我が家が嘘をついていないことはお分かり頂けているはずですわ。
軍団の皆様の顔がもはや虚になってきました。
「そして本日王城のとある部屋で、皆様のご両親と我が家の者が返済についての打ち合わせをしておりましたが、皆様ご自分の子どもがこんなことをするなんて信じられないと仰っていましたので、とりあえず打ち合わせ会場にこちらの会場の映像と音も含めてすべてを転送しております」
「………」
「ということで、皆様お待たせして申し訳ございませんでしたわ」
私がそう言って横に目をやると、従者が扉を開けた。
「父上…!母上まで…!!」
そう、とある部屋とはこちらの控え室のことでしたのよ。映像転送の魔道具って便利ね。近いから映像も音声もバッチリ送れて良かったわ。
四人の両親、つまり国王夫妻含め八人が扉から入ってきて、私の横に立った。
「シェリーナ嬢、すまなかった。うちの愚息がここまで馬鹿で腐っていたとは…本当に申し訳ない」
「シェリーナ様、本当に申し訳なかったわ、うちのクズがごめんなさい」
「陛下も王妃様も殿下に対して色々忠告してくださっていたのは存じております。お二人には謝って頂くことは御座いませんわ。我が家としてはきちんと返済がされればそれで」
私はにこやかに陛下と王妃様に返事をします。陛下たちが私に頭を下げているのを見て、殿下軍団はようやく自分達が取り返しのつかないことをしたという自覚がわいてきたよう。傍目にも震えているのがわかりますわ。これから自分の処遇がご不安でしょうね。そうでしょうそうでしょう。
他のお家の方達からも謝罪を受けましたわ。騎士団長などは泣いておりましてよ。あれが息子とは情けない、と。騎士団長は素晴らしい方ですのに。
「ち、父上、ぼく、いえ私が書類の送り先をちょ、ちょっと間違えただけです…!シェ、シェリーナには謝罪します…!買ったものも返します…!」
「話にならんな。二年間も間違え続けたとでも言うのか?お前のことだ、最後にシェリーナ嬢を悪役にでも仕立て上げて自分の使い込みを誤魔化そうとでも思っていたのだろう。分かっていないようだから教えてやるが、例えお前がシェリーナ嬢と結婚しても、彼女の家の財産は、彼女の家のものだ。決してお前の個人財産になる訳ではない。家の為になることにしか貴族は家の金を出さない。それ以外は皆、個人で商売をしたり家の仕事をした分の報酬を得て、それで好きなことをしておるのだ。いくら侯爵家が裕福とはいえ、婚約者の家の金をあてにして婚約時代から請求書を回すなど聞いたこともない」
「で、では、もう一度シェリーナ嬢と婚約を…!」
「どうしてそうなる!?例え話だが、お前がシェリーナ嬢ともう一度婚約したとしても、お前のしたことは無くなりはしない。お前の使い込んだ金は一旦私が立て替えるが、お前自身の借金となる。お前自身が働いて返済するように」
「借金…?働くなんて…そんな…アンドレア侯爵に話を…いや、シェ、シェリーナ、もう一度私と婚約を!」
「シェリーナ、もういいかい?」
フッと背後から逞しい腕が私の身体にまわされる。私の頭の上から涼やかな美貌が覗き込んできた。黒髪に美しい額、高い鼻梁、私を見つめる輝くオニキスの瞳。隣の部屋からいつの間にかこちらに来ていたのね。私が頷くと、そっと腕を離して私の横に立った。私の反対側には、お父様が。
「黙れ」
一言で場を制圧する、その威厳。荒げている訳でも無いのにひどく響く。その場のすべての人を従わせる、上に立つ者にしか出せない王者の声。雄々しくも美しいその姿を見ずとも、声を聞いただけで私と軍団以外の人間が一斉に頭を下げた。
「サラゴット帝国皇太子フィリップ殿下…、何故、貴方様が…」
クラウス様が呟くと、殿下達が呆然とこちらを見る。その視線を気にもせずフィリップ様は私の腰を抱いて必要以上に密着させる。その、通常ではあり得ない距離感に軍団の目が見開かれたわ。
「シェリーナは、私の最愛の妻だ。例え話にしても名を使われるのは不愉快だ」
「申し訳ございません」
陛下が頭を下げたまま、応答する。
「皆も知っての通り、シェリーナは二年前に私の婚約者候補となった。そこですぐにサラゴット帝国に留学してもらい、交流を深め一年前に正式に婚約し、つい先日私とサラゴットで結婚している」
そう、私の留学話が新聞に載り平民も知っている理由はそれなのです。隣国のお妃候補!と連日報道されていたのですわ。以前から私を知ってくださっていたフィリップ様は私がパトリック殿下と婚約破棄するやいなや、私を娶りたいと我が家まで忍んで挨拶にみえたのです。その誠実な対応と人柄に私と家族は心を許して、せっかくのお話だからと婚約者候補として留学することになり。私は以前の婚約者とは全く違う対応に徐々に絆されて、一年後改めて婚約を打診して頂いたので喜んで了承した、というのがその後の流れ。
先日、サラゴット帝国の貴族学院を卒業した翌日、もう待てないとフィリップ様に請われて籍のみ先に入れました。なので、正式には私はもうサラゴット帝国の皇太子妃という立場なのですわ。お式は気候の良い時期にということで、半年後に予定しております。
「顔を上げよ。…シェリーナはこちらの国の籍を正式に抜けば今後自由に帰国することはできぬ。家族でも会うことは難しくなる。学園の同級生に会う機会はこれが最後になるかと思い、シェリーナのこちらの国の思い出を作る場として来てみれば、愚かな者がシェリーナを貶めようとしているとの情報が入った」
殿下達、それはそれは楽しそうに学園で計画を練っておられたそうですものね。私の家の者やお友達から沢山情報をいただきましたわ。
軍団の震えは止まりません。心あたりがありすぎるのでしょうね。もちろんそれらの証拠も提出済みですわ。
「シェリーナに対する言いがかり、侮辱、学生のうちだとて許されることではない。しかしここはサラゴットに非ず。沙汰はこちらの国王の判断に任せる」
帝国の皇太子妃となった私にこれだけの人目のある場で冤罪をかけたのです。子どものしたこととして誤魔化すこともできません。陛下としても甘い判断をする訳にはいきませんわね。
「パトリック、お前の王位継承権を剥奪する。子どもを作れぬように処置をした上で、北の王領地の一角を其方に下げ渡す。そこで一代男爵となって領地を治めて生きてゆけ。…何を言っても貴様はもう王族として置いておけぬ。権力を持たせてはならぬ人間だと自分で証明してしまった以上、下手な貴族家にも出せぬ。王籍からも抜く。ただの一代男爵のパトリックとして生きろ」
「そんな…!」
「そこの女狐に唆されたとしても、良くもまあこれほどまでに王族としての品位を落としてくれたものよ。学園での評判もひどいものだった。二年間どれだけ言ってもこちらの忠告を聞かなかったうえ、最後の最後までこの様な愚かな振る舞い…もはや更生の余地は無いとみなす。…連れて行け」
陛下の溜息と共に近衛が動いて、殿下が連行されて行く。他の皆さんも同じように縁を切られて連れて行かれます。お父様は各家との返済契約書を持ってにこやかにしております。
「お父様、調査して頂いてありがとうございました。ご迷惑おかけしました」
「お前のせいでは無いよ。本当に婚約破棄にもお前の留学にも気づいていなかったのなら、貴族としても人としてもどうかしている。いずれ同じようなことになっていたさ」
「皆のもの、騒がせたな。卒業の宴は本日延長することが決まった。今から改めて楽しんでくれ。卒業おめでとう」
陛下が宣言して、卒業生の皆がようやく動き出す。フィリップ様は陛下の言葉を待って、私の腰に回した手を離し、私と向かい合い手をとった。
「シェリーナ、私と一曲踊ってくれないか」
「喜んで」
先程までとはうって変わった優しい微笑みで、フィリップ様は私をダンスに誘う。音楽隊が奏でる旋律にのって、私たちは踊り出した。その後、私と幼い頃から仲良くして頂いたお友達に祝福されたりして楽しい卒業パーティーとなった。
「シェリーナ様、本当におめでとうございます」
「ありがとう」
「シェリーナ様とフィリップ様は本当にお似合いですわ」
「本当に素敵なお二人ですわね。フィリップ様がシェリーナ様と見つめ合っていらした時など、もう一枚の絵画のよう」
もう皆、元王子軍団のことは忘れたようだった。
その後の取調べで、私が退いてから空位だったはずのパトリック殿下の婚約者の為の予算が二年分使われており、その承認書類をクラウス様が偽造していたり、パトリック殿下の護衛計画をフリッツ様が担当を脅して自分達の都合の良いようにしていたことも発覚。そして身体検査の結果、皆同じ性病にも罹っており、全員子どもの望めない身体となっていたそう。結局これがリナリア様が皆と関係を持っていた紛れもない証拠となったようね。花街で遊んだだけなら、娼館の規約で予防薬を先に飲むはずなので、この病にはかからないのだ。にも関わらず、全員罹っていたということは娼婦以外の者と関係を持ったということで…。流石に皆項垂れて大人しくなり、この際だと全員纏めて北のパトリック元殿下が治める予定の領地に送られた。ちなみにこの病の治療薬は副作用で精力減退というのがある。これで少しでも真面目に生活すると良いのだけれど。そしてこの国の監視員のみならずサラゴットの兵も囲むその領地から彼らは一生出ることはできないといつ知るのでしょうね。
私は一月ほど祖国に滞在し、昨日サラゴット帝国に帰ってきた。卒業パーティー以後、私の籍を正式にサラゴットに移したり仲の良かった令嬢たちとお茶会をしてきた。皆、分かっていたとはいえ悲しいと別れを惜しんでくれた。お別れの時に貰った手紙や細工物を眺めて少ししんみりしていると、フィリップ様がやってきて隣に座った。
「シェリーナ、大丈夫か」
「ええ、本当にありがとうございました。皆に直接別れの挨拶ができて嬉しかったですわ」
「すまないな、シェリーナには沢山のものを捨てさせてしまった。しかし、私は帝国の皇太子の前に貴方の夫であると思っている。私は貴方に対し誠実であることを誓う」
そう言ってフィリップ様はソファに座った私の前に跪き手を握った。煌めく瞳に間近で見つめられ、ときめいてしまう。いつ見ても素晴らしい男らしい美貌ね。慣れることはあるのかしら。
「シェリーナには、笑っていて欲しい。何かあったらすぐ教えてくれ。そしてもし私が間違えそうになったら教えて欲しい」
「…わかりましたわ。もし貴方の選択が災いとなりそうな時は私がお止めします。そして私も貴方に誠実であるようつとめますわ」
「ありがとう。本当に君が私の妻になってくれて嬉しい。愛しているよ、シェリーナ」
フィリップ様は微笑みながら私の頬に手をうつし、そっと触れるだけのキスをくれる。あぁ本当に私こそ貴方と結婚できて良かったですわ。そっと手を取られソファから立ち上がると優しく長い腕で囲われる。私は目の前の逞しい胸板に頬を寄せて眼を閉じる。
私は十歳からパトリック元殿下の婚約者だった。パトリック殿下はその頃から不真面目…というか易き方に流されやすい方だった。だから側近や婚約者はお固い家柄の者で固められるはずだった。ただ、優秀と評判の宰相の長男や騎士団長の次男は王太子殿下の側近となっていたので彼らの兄弟にお鉢が回ってきたのだった。学園に入るまでは大人の目があったから、そこまで彼らの行動が逸脱することは無かった。婚約者に対しての行動だけはマイナスに逸脱していたが、それは恐らく側近の二人に婚約者がいなかったからだろう。婚約者に対して何をしたら良いのかわからなかったということが恐らく正しい。だから婚約者に対する茶会の誘いも贈り物も無かったのだ。ただ、他の常識的なことに関しては、側近二人が時折り殿下の行動を諌めていた。だが、学園に入って三人ともが自由を覚えてしまったら、もう殿下一人の暴走ではなくなってしまった。彼らの行動に歯止めが利かなくなってしまったのだ。そう、殿下以外の二人も高位貴族の家柄故にそれまでの不自由さは殿下と近しかったのだ。そして嫡男ほど厳しく扱われなかった弊害で、何かあっても「謝れば済む」ということを学習してしまっていた。彼らは学園を抜け出し護衛をまき、街遊びを覚えてしまった。私は王城での王子妃教育にほとんど全ての気力を奪われており、むしろ学園が休息の場であったくらい。私は学園に入るまでは毎日朝から晩まで王子妃教育を受けており、学園に入学してからも、放課後から晩まで教育を受けさせられた。そんな私の横で、王子教育も学園もさぼって遊びに行く計画を聞かされた。何度も。何回苦言を呈そうとも彼らの行動が変わることは無かったわ。自由を履き違えて奔放に振る舞う彼らのことが次第に憎らしくなっていった。そして極めつけに学園に入って半年を過ぎた頃に殿下が言った。
「いいよな、女は。きれいな服着てニコニコ笑ってるだけでいいもんな」
私がとっくに出し終わった提出物を嫌々解きながら、自分の立場がどれだけ辛いものかを語り出したのだ。
なりたくもない殿下の婚約者になって五年、私は生活の全てを犠牲にして王子妃教育を受けて来たのに?語学も周辺国の文化や貴族の情報も何もかもを貴方の分まで覚えさせられてきたのに?王子妃がニコニコ笑ってるだけで勤まるわけないこともわからないの?
私の心が完全に殿下から離れた瞬間だったわ。
ある日、殿下のサインの入った、街のカフェの請求書が我が家に来た。それを見た瞬間、これは使えると思った。きっと彼らは手持ちの金が無くて、でも自分の家あてに請求書を送りたく無かったのだ。学園をサボったのが家の者にバレると困るから。そんな時思い出したのだろう。私が個人商会を持っていて、自由に使える稼ぎがかなりあることを。私はその時、これは一度では済まないだろうと思った。このまま何も言わずに私が払えば、それに味をしめてきっとこの行為はエスカレートするだろうと。甘い味を覚えたらそれを忘れられないという事は、彼らの街遊びの行動が証明していた。これを公にせず咎めもせず放置すれば、きっと彼らは自ら破滅してくれるだろうという予感があった。だから私はワザと、家として対処してもらった。これは侯爵家への殿下からの支払い要求だと。もし事が明るみになった折に私個人とのやりとりとして有耶無耶にされてはたまらない。まあ彼らは次第にお金の請求が自分のところに来ないという気楽さに浮かれて、誰が払っているかなど気にもしなくなったようだけど。
とりあえず私は殿下との婚約を破棄することにした。そうすれば何かあっても私は無関係でいられる。婚約破棄は意外と簡単に済んだ。私の両親は諸手を挙げて賛成したし、王家もそれまでの私への扱いを長々と真顔で語ったら心を病ませたと思ったらしく、申し訳ないと折れてくれた。陛下は、殿下の行動が落ち着くまでしばらく婚約者はすえないとおっしゃっていた。そして殿下の怠惰ぶりは知っていたから、婚約破棄の書類はわざと固く細かい文章の書類形式にしておいた。おそらく彼は読んでいない。彼の、文章がいっぱいのお固い書類は読まずにサインをするという悪癖を利用した。だから彼はずっと私のことを婚約者だと思っていたのだろう。
私は殿下と婚約破棄したことを、仲の良い令嬢達の茶会で伝えた。夜会でお母さまが仲間のマダムに伝えた。紳士クラブでお父さまが伝えた。王家からはわざわざ発表してもらうことをやめてもらった。まだ殿下の婚約者を選定する気のない王家も同意した。そう、あえて彼らの耳に入らないようにしたのだ。もちろん彼らがもう少し愚かでなければきっと気づいただろう。誰かに問いただせばすぐに露見する、そんな秘密でもなんでも無いことだったから。でも支払いが拒絶されることも婚約破棄が公になることも無かったことで、彼らは気づかなかった。私が婚約者である事、私に請求書を回すことがいつしか彼らの当たり前になってしまったのだ。
婚約破棄が彼らを除いた社交界に知れ渡ったころ、我が家にフィリップ様が突然現れた。私は王家の人間とはかくあるべしという高潔な精神と王者の気配を持った彼に望まれるなど思ってもみなかった。でも、同時にチャンスだと思った。彼の誘いを受けて隣国に渡れば私は解放されると。そしてフィリップ様という強力な後ろ盾があれば、いつかあの阿呆達の泣き面を拝める日が来るだろうと。私はサラゴットに留学しても家の者に彼らの調査を続けてもらうようにして両親に計画を話した。殿下に対して私と同じように思っていた両親は一も二もなく賛成して更に詳細な行動記録を三人全員取ることとなった。
私が留学してしばらくしてからリナリア様と殿下達が一緒に行動しているという情報が入った。どうやら男達三人全員がリナリア様の気をひこうとしているらしい。リナリア様の行動記録を取ることも追加してもらった。
サラゴットで留学している間に、私はフィリップ様に熱烈に求婚され婚約者候補から正式な婚約者となり、そして結婚した。私は祖国の籍がまだ残っている状態だったので、その手続きと挨拶も兼ねて帰国することになった。帰国して王城に滞在しているとお父さまが沢山の資料を持って訪ねて来た。手紙でおおよそのことは聞いていたが、詳細な記録を見ると改めてとんでもない事になっていた。浪費は言わずもがなだが、私が学園に居ないのにも関わらず何故か私がリナリア様に嫉妬して彼女をいじめていると彼らは思い込んでいた。どうやら、殿下の婚約者に嫉妬される可哀想なワタシアピールをしたいリナリア様が私の名前をあちこちで出しているようだった。もちろんほとんどの人は何言ってんだコイツ状態だったが、パトリック殿下達は私が婚約者のままだと思っているため、それを信じてしまったらしい。そして私と一緒に話を聞いたフィリップ様は、彼らは生かしておく必要があるのかと言い出した。わあ過激。でも完全に同意だわ。
とりあえず陛下ご夫婦と、側近二人とリナリア様のご両親にもお話ししないとね、とフィリップ様が宣って翌日一堂に会した皆様に調査書・請求書を見て頂いたら、揃って頭を抱えていらした。リナリア様以外は寮生活だったため、普段の彼らに対する判断材料は学園の成績のみだったようで、クラウス様はほどほどのところをキープしていたし、フリッツ様は身体的な授業の成績は良かったため、気づかれていなかったらしい。リナリア様は友達になった令嬢のお家にお泊まり会に行くと言って外泊を頻繁にしていたらしいが、それがまあヤリ部屋へ通っていたということがわかり、男爵は蒼白になっていた。
夥しい数の請求書と行動記録。誰がどのように振る舞い、金を使い、遊んでいたかがこれ以上ないほど証明された。その場で、それぞれの家は彼らと縁を切ると宣言した。
その後、返済について話していると、彼らが更に学園の卒業パーティーで私に何か言いがかりをつける気でいるという情報が入って来た。皆、一瞬で無表情になり、そっちがその気ならば、その場を利用してやろうということになった。どうせ貴族が縁を切るのは余程のことだと噂になる。その卒業パーティーで彼らが事を起こすならばそれを返り討ちにして、その場でこれらを追求した結果の絶縁という形にすれば皆納得するだろうと。相手は所詮学生の、子どもの考えること。貴族社会を渡り歩いてきた狡猾な大人に敵うわけはなかった。
「シェリーナ、難しい顔をしているね。何か気になることが?」
いけない、つい思い出して無言になってしまっていたわ。
「いいえ、フィリップ様。改めて大好きだと思っていただけですわ」
「そんな可愛いことを言って…」
フィリップ様は私の頬を両手で包むと顔中にキスの雨を降らす。それを受けながら私はうっとりと目を閉じた。
元殿下の婚約者になってから辛いことばかりだったが、今こうしてフィリップ様とこんなに早く結婚できたのもあの王子妃教育があったからでもあるので、ある意味感謝している。私が彼に会うことは、もう、二度と無いだろう。ようやく、彼を憎らしく思う呪縛から逃れることができる。
さようなら、私の愚かな元婚約者様。
読んでいただきまして、ありがとうございます。誤字報告も助かります。ありがとうございます。感謝!