前編
琴美「それでは、この三枚のカードの中から好きなモノを取ってください」
客A「えっと、じゃあ、これで」
琴美「さて……あら、『死神』ですか、なるほど……」
客A「死神……」
琴美「ふふっ、安心してください。死神の啓示は悪いものばかりではありません」
琴美「『物事の終わり、そしてそこからの再出発』、過去を清算し、新たな道へと進むのが吉と、そう示しているのです」
客A「でも、今こんな気持ちで新しい恋なんて……」
琴美「大丈夫、焦る必要はありません。……こちらが今後のあなたを善い方向へ導くアドバイスを記したカードです。さあ、あなたの手で、引いて下さい」
(数分後)
客A「ありがとうございました……私、頑張ってみます!」
琴美「はい、あなたの未来が善いものとなるよう、祈っています」
琴美「……………………」
琴美「はぁ」
客が見えなくなったのをしっかりと確認し、椅子にもたれかかる。
私、柊木琴美は占い師だ。
占い師、などと言っても、未来予知とか、心を読むとか、そんな超常的な能力は無い。
何の変哲もない地球に生まれた、何の変哲もない日本人。その辺で売ってるタロットカードを使い、その辺に売ってる本に書かれたカードの解釈を垂れ流す、そんな人間だ。
実力だって大したものじゃない。先ほども言ったが未来が見える訳でも無いのだ、願いが成就するかは十割十分本人次第。思い通りに行かなかったからと態々こちらに足を運ぶ律儀な御方も珍しく無い。稼ぎで言うなら高校生のアルバイトといい勝負といったところだろう。でも、
客A「私、頑張ってみます!」
先程の客の笑顔を思い出す。最初にやってきた時はこの世の終わりとでも言いたげな顔をしていた彼女を立ち直らせたのは紛れもなく自分だ。胸の内にある承認欲求が僅かに、だが確実に満たされているのを感じる。
琴美「しかし失恋か……」
占いに来る人もその内容も様々だが、割合として多いのは恋愛関連だ。
好き嫌いという目に見えない不確定要素を求める恋愛という行為は、
恋愛占いを行う身でありながら、私にはそういった経験は一切無かった。単語自体は知っているし、それを扱った書籍も読んだことはある。だがそれはここで無い別の世界の話であり、私の知る世界に反映させるのはいささか想像に難すぎた。
琴美「そんなにいいものなのかね、恋愛って」
そんな不謹慎極まりない発言は、幸い誰の耳にも入ることなく消えた。
琴美「ふぁ、あふっ……今日はそろそろ終わりかな」
日が傾き、カードの柄が見えづらくなってきた、店じまいの時間だろう。
琴美「今日は三人かぁ、家賃足りるかなぁ」
琴美「ま、帰って寝るか。いや、お酒でも飲もうかな?確か冷蔵庫につまみ残ってたし、多少は贅沢しても罰は当たらないよね……っ!?」
がちゃんっ
折り畳み式のパイプ椅子が地面に落ち、安っぽい衝突音が辺りに響く。
薄暗い路地の物影に人がいたのだ。悲鳴を上げなかったのは奇跡に近い。
人影「…………」
琴美「…………えっと、お客様、ですか?」
思わずそんな質問をしてしまうくらいには、私は平静を失っていた。そもそも、いったいいつからいたのだろうか、
人影はその声に反応するかのようにこちらに顔を向け、そのまま興味を失ったかのように俯いた。質の悪い電灯がぼんやりと照らす視界ではその風貌をはっきりと捉える事は出来ないが、かろうじてその人影が若い少女である事は分かった。
琴美「あ、あの?こんな所で何してるのかな?」
少女「…………」
琴美「おうち、帰らないの?」
少女「…………」
この少女、一切喋らない。呼吸に合わせて身体が動いている辺りちゃんとした生き物である事は間違いないのだが、こちらの質問に何か答える気は無いらしい。
琴美「はぁ……」
少女「…………」
琴美「帰りたくない?」
少女「…………」(コクリと、彼女が頷く)
琴美「ここ以外に、行く当ては?」
少女「…………」(首を横に振る)
琴美(これ、大分めんどくさいなぁ)
おおよその状況は把握できた。だがこちらとしては迷惑以外の何物でもない。無視して帰るか、警察にでも通報するのが正しい行動なのだろう。
が、
少女「…………ッ」
琴美「…………」
少女「…………」
琴美「…………」
琴美「あー……しょうがない、か」
琴美「ほら、来な」
少女「…………?」
琴美「早く来なって、寝床くらいは貸してあげるから」
少女「…………」
琴美「来なくても良いけど、明日の朝にそこ居たら通報するからね」
少女「…………!?」
琴美「そんなに睨まなくても、別に取って食いはしないって」
琴美「さ、行きましょ」
少女はこちらを睨み、ひどく警戒しながらこちらの後に続く。
誰も信じられないとでも言いたげなその姿を見て、私はため息をついた。
琴美「ここよ、ほら、入って」
少女「…………」
琴美「とりあえずシャワー浴びなさい、着替えは……まあ、これで良いか、ほら」
少女「…………?」
琴美「さっさと入んなさいな、その汚い身体で部屋うろつかれたら困るの」
未だに警戒心を隠そうともしない少女をシャワー室に突っ込み、その間に自分の作業を始める。化粧を落とし、歯を磨いてフロスを掛け、服の汚れをはたいて皺を伸ばす。
丁度終わった頃にシャワーが空いたので手っ取り早く浴びる。どんなに疲れていても、こういった手間は惜しんではいけない。清潔感の無い占い師の言葉など、いったい誰が信用するのか。
少女「…………」
琴美「ねぇ、あなた名前は?」
少女「……え?」
琴美「名前よ、無いって事は無いでしょ」
少女「…………」
琴美「あなたがこちらを信用するかどうかは勝手だけど、こっちとしてはどう呼べば良いかも分からない人間を自分の部屋に置いておきたくないの。偽名でも良いから教えなさい」
少女「…………」
少女「…………廻」
琴美「えっ?」
廻「めぐり……輪廻って字の後ろの奴で廻」
琴美「そ、私は琴美。じゃあお休み、さっさと寝なさい、廻」
廻「えっ、あ……」
廻「……まさか、ここで?」
何やら不満げな声が聞こえたが、それを理解する間もなく、私は眠りについた。
占い師の朝は早い、訳でも無い。
通学、出勤、開店準備。多くの人間が慌ただしく動くこの時間帯にわざわざ占いをしに来る奴はいない。いたとしても、それはニュースなどでの簡易的なもので事足りる。
早朝からバイトを入れる事もあるが、今日は無い。目を覚まし、時計を見ると、短針はすでに上を向き始めていた。
琴美「んぅ……あ?」
廻「…………ん」
琴美「そっか、そういやそうだっけ」
さて、ここで考えてみて欲しい。
私が住んでいるのは慎ましい間取りの一人用アパートだ。寝るための布団を二組用意する意味も金も隙間もないし、ソファーなどという贅沢品も当然無い。
では、昨日連れてきたもう一人は、いったいどこで寝たのでしょう。
その答えが、これだった。
琴美「ったく、私は抱き枕じゃないっての」
廻「む……んあ……!?」
琴美「おおっと、びっくりした。そんな急いで距離とらなくても良いでしょ?何かするなら昨日やってるって」
そういいながら目を覚ました少女、廻の姿を見る。
顔立ちはそれなりに整っていると言えるだろう。ただ、手入れの行き届いてないプリンの様なバサバサの髪のせいで、見ている者には何となく悪印象を与えてしまっている。
遠間から見ても分かる肌の荒れ具合や目元に濃く残るクマもその印象に拍車をかけていた。元が線の丸い童顔なのにもったいないと思う。
琴美「まあ良いわ、私はそろそろ仕事に出るから」
廻「…………え?」
琴美「帰りたきゃ勝手に帰んなさい……ああ、朝ごはんは冷蔵庫のモノ勝手に食べていいから、じゃ」
廻「あ……!」
何とはなしに気まずさを感じ、私は逃げるようにその場から立ち去った。
琴美「……やっぱり、まずかったかな」
琴美「でも警察とかに来られるのは避けたいし……」
そう、私が廻という少女を引き取ったのは善意によるものではない、ここで何かしらトラブルを起こされると、こちらとしてはかなり困る事情がある。
琴美「職質とかされたら……私、間違いなく追い出されるかならなぁ」
そう、私はこの占い活動に、正式な許可をもらっていないのだ。
日本では通行以外の公道の勝手な使用は禁止されている、当然、路上での占いは禁止対象だ。警察や地方の役場に申請すれば許可が下りる場合もあるが、大抵は拒否される。私もまた、その例に漏れる事は無かった。
つまり私の活動は立派な法律違反、通報されるのは勿論、自分が通報するのにもリスクが伴う状況なのだ。前日の廻に対して言った言葉もただのはったり、あそこに留まられてもこちらから通報する事は多分出来なかっただろう。
琴美「流石に家に連れ込むのは……いやでも、他の案も思いつかなかったし」
琴美「はぁ……面倒ね」
人目に付きにくい狭い路地の一角、占いを行う場所として私はこの場所をかなり気に入っていた。街灯が少なく、昼であっても不気味な暗さが漂うその非現実感に惹かれるのか、客は少ないが途絶える事はほとんどない。
客B「……あの」
琴美「ああ、こんにちは、今日はどうされましたか?」
私は先の暗い未来から逃避するように、目の前の仕事に集中した。
琴美「……今日はここまでね」
成果はそれなり、明日は朝からバイトを入れてい事もあり、通常よりも早めに切り上げ、家に帰ることにした。
琴美「そういえば……あの子、どうしているかしら」
見慣れた帰路を歩きながら、今日の朝の事を思い出す。
琴美「……流石に雑すぎたかしら」
子供の世話などやったことの無い私には正しい対応などまるで分からない。そもそも彼女が大人しくしている保障などどこにも無い、下手したら、財産を持ち逃げされているかも……
琴美「まあ、盗られて困るもの、無いか」
その日暮らしが精一杯の現状では将来の貯金など夢物語。へそくりなんてものも無い。盗られて困るものと言えば…………食器ぐらいだろうか
琴美「はぁ……何やってんだろうな、私」
自分が優秀だなんて思ったことは無かった、それでも、何とか生きていけるだろうと、自分なら何だかんだ上手くいくだろうと、根拠のない空想を持って生きていた。
だが現実はどうだ、法律を破り、胡散臭い占いで小銭を稼ぎ、まともに働こうともせずに怠惰に生きているだけ。家から漏れる他人の声が、光が、暗い路地を歩く私の胸をえぐる。
琴美「あ“ぁ……今日は、駄目な日ね」
心の具合がよろしくない。こんな日は、さっさと帰ってヤケ酒をキメるに限る。明日は早朝からバイトがあるが、いったん忘れよう、明日の事は明日の自分が何とかするだろう。
そんな情けない決心をした頃にはもう、自宅であるアパートは目の前だった。
琴美「……あれ、電気消えてる?」
自分の部屋の入り口に立った時、ふと気づいた。もう寝てしまったのか、それとも本当に夜逃げでもされたのか。
まあ、些細な問題かと気に留めず、扉を開けた。
琴美「……あぇゃ!!??」
廻「…………」
琴美「あ、あんた、何やって……」
結論だけ言うならば、廻は寝ても逃げてもいなかった。
だが、玄関に座り込み、扉を虚ろに見つめているなどと誰が予想しようか。
思わず妙な悲鳴を上げた羞恥もあり、文句の一つでも言ってやろうとして、だがその気持ちは彼女の顔を見た途端にしぼんでいった。
琴美「あんた……泣いて……?」
廻「…………っ」
琴美「ああ、ちょ……えっと、その……えぇ?」
分からない、何も分からないが、彼女は体育座りのまま、嗚咽を漏らして泣き始めた。
何で泣いてるのとか、このままだと事案ではとか、近所迷惑かもしれないとか、様々な考えが浮かんだが、私の選んだ行動は、
琴美「……ああもうっ」
廻を、抱きしめる事だった。
琴美「……どうしたのさ?」
廻「……一人で……何したらいいのか分からなくて……寂しくて……」
琴美「……電気つけて、本でも読めばいいじゃない」
廻「……電気代、無駄にしちゃうから」
琴美「何よ、その変な気遣い」
思わず笑ってしまう。人肌に触れたのが功を奏したか、廻も段々と落ち着いてきた。
そこで私は、少し彼女と話してみようと思った。
琴美「廻……あなた、これからどうしたいの?」
廻「……分からない、でも、家に、戻りたくない」
琴美「…………そう」
廻「迷惑……ですよね」
琴美「まあね……でも、良いわ、しばらく置いてあげる」
廻「え……?」
琴美「勿論ずっとは無理、でもせめて、自分がやるべき事を、自分でちゃんと決められるようになるまでなら……少しは力になってあげる」
廻「なんで……ここまでしてくれるんですか?」
琴美「さあ……でも、私、占い師だから」
琴美「人の悩みを、放っておけないの。だから」
ぐりゅうううううう
廻「……………」
琴美「……………」
廻「……………」
琴美「…………今のって」
廻「………私、今日何も食べてなくて」
琴美「はぁ、まあ、そんなところだろうと思ってた」
琴美「ホラ、来なさい」
廻「え……?」
琴美「一緒にご飯、作りましょ?」