8.決裂
帰りのHRも終わり、ようやくこれから部活の時間だ。ワクワクした気持ちを胸に抱え、片手に部活のノートを持った弘樹は二年二組の教室を出る。
丁度その時、隣の教室からも帰りのHRの終わりの声が聞こえてくる。タイミングの良さに思わず口端が上がった時、誰かが目の前を横切った。
んん?とよく見て見ると、それは藍だった。ちらほらと教室を出てくる生徒の間を縫うようにして階段へ走っていく姿が見える。
…どうしたんだ?
まあ今から凛に聞けばいいかと弘樹は二年一組の教室へ入って行った。
部活のノートを手に、弘樹は早速大河の元へ行く。
「わりぃ、これ渡すの忘れてた」
「お前持ってたの?失くしたかと思って焦ったわ」
「ごめんごめん」
大河が安心したようにノートを受け取って席を立った時、凛が周りをきょろきょろと見渡しながら弘樹と大河の元へやって来た。
「ねえ、藍見なかった?」
「木村?」
大河が後ろ席を振り返るってみるが、藍の姿も荷物も既にない。
「ああ、あいつならさっき階段下りてったけど。なんでか知らねーの?」
「うん…。なら私も行こうかな!じゃあね!」
「またな」
弘樹の言葉に少し考え込むようにしていた凛は、結局そのまま教室を出て行った。去って行く後ろ姿を見ながら、大河は不思議そうに口を開く。
「珍しいな。あの2人大体一緒なのに」
「先生とかに用事があったんじゃね?」
「そっか。……あー…」
その時、大河はカバンの中からおもむろに一枚のクーポンを取り出した。某ファストフード店のものだった。
「今日までなんだよ、行かない?」
「え?何?奢ってくれんの?」
「いいよ」
「うん?マジ?」
冗談で言ったのに予想外の答えが返ってきた。何を企んでいるのかと弘樹は訝し気に大河を見ると。
「マジ」
そう言う大河はいたって真面目な表情で。これから気軽に奢ってくれようとする奴の顔つきでは無かった。
「…おう、どうも」
「何驚いてんだよ」
大河は笑いながら荷物を手にして教室を出て行った。それに続くように、弘樹も教室を出て行くが……
一体何を聞かされるんだか。
いくつか思い当たるものが無いわけでは無いが、果たして素直に話してくれるのか。
……一人で抱え込みすぎなんだよ、大河も木村も。
先に歩く友人の後ろ姿を見ながら、弘樹はそっとため息をついた。
現在、時刻は十六時前。あともう少しで美術部の活動が始まるという時間である。藍を除く六人の部員たちがイーゼルや紙を用意している中、右田が凛の元へとやって来た。
「今日木村先輩お休みですか?」
「……ねえ…?」
あと少しで部活の時間になるというのに藍は現れない。課題の再提出後の部活から、いつもより気合の入った藍をずっと見ていたので、休むとはあまり考えられなかった。
…でも弘樹が見かけたって言ってたし、ほんとにもう帰ったのかな……
凛は上着のポケットからスマホを取り出し、五分ほど前に送ったメッセージに返信が来ているか確認してみたが……。
「今日部活休むの?笑」15:50
既読すら付いていない画面を見て、凛はため息をつきながらスマホをしまう。
「多分来ないかも。何か用事があるんじゃない?」
「…珍しいですね」
藍の席の場所を見ながら言う右田に苦笑する。
「ねー」
頼られない自分へのいら立ちからは目を背けて、凛は準備を再開した。
さて。そんな藍は今一体どこにいるのかというと。商店街の雑貨屋でアクセサリーを見ていた。可愛らしい雑貨にあふれた店内で藍が手にしていたのは金色で縁取られた、奥が透けて見えるような青い涙型のイヤリング。そっと耳に当て、鏡を見てみるが、買わずに元あった場所へと戻した。二、三個別の商品でも試してみるが、やっぱり買わずに戻してそのまま店を出る。
何かいつもと違う事をすれば気が晴れるかもしれないとぶらぶらしてみているが、結局特に変わらずだった。
そういえば今は何時だろうとスマホを鞄から取り出して見てみると、凛から二通のメッセージが来ていることに気付いた。
「今日部活休むの?」15:50
「変顔スタンプ」16:03
◇◇◇
今日の六限目の最中、ふと窓の外を見ると三年生がグラウンドで体育をしていて。視界に麻由子が入ってきたのも偶然で。
練習試合の日の事。図書室での事。………初めて麻由子とすれ違った時の事。
本当は部活を休むつもりなんてなかった。だからあれは衝動的な行動だった。最近はずっと麻由子の事が頭にあって、何もかも中途半端で、でも心配されたくなくて。そして今は誰とも会いたくなくて。
帰りのHRが終わったと同時に、そのまま玄関へと駆け出した。
◇◇◇
凛からのメッセージを確認した後、スマホの電源を完全に切って鞄にしまう。そのまま藍は、向かいにあったお菓子屋に入っていった。
ところ変わってとあるファストフード店の2階。窓際の席では、カウンター席で並んで食べる男子高校生二人がいた。
「…なあ」
「んー?」
「なんで奢ってくれたの?」
ポテトを食べながら聞く弘樹にちらりと視線を移した後、大河は外の景色を見ながら口を開いた。
「俺の気持ち」
「……」
弘樹はじとっと大河を見る。そしてもっと詳しく言えとばかりに大河の言葉を待った。そんな弘樹の視線を感じて大河は苦笑した。
「…あの試合、お前に一番迷惑かけたから。…ごめん」
眉根を寄せて絞り出すように口にして、大河は視線を落とした。眉根をきつく寄せる彼を見ながら、弘樹は大河が奢ってくれたポテトを静かに見つめる。そして、自分の残りのポテトをそっと大河のトレイに置いた。残り数本しか入っていなかったが。
大河はハッとしたように弘樹を見ると、彼はニヤリと笑う。
「俺の気持ち」
ふっと笑った弘樹は、窓の外に視線を向ける。大河は目の前に出されたポテトと弘樹を交互に見る。大河の行動に笑いそうになりながら、弘樹はもう一度口を開いた。
「次は完璧に抑えてやる」
「…ああ」
二人は互いに口元を緩め、トレイに広げられた残りのポテトに同時に手を伸ばした。
気分転換に失敗した藍の机の上には、大量のお菓子が入った袋が置かれていた。部屋は服が脱ぎ散らかされたままだし、ベッドの上で買ってきたチョコを食べて漫画を読んで……。まさにやけ食い真っ最中である。
動画が見たいと鞄からスマホを取り出して電源をつける。ふとメッセージ欄を見て見ると、追加のメッセージは何も来ていなかった。画面をじっと見た後、机に液晶を下にして置いて布団に寝転がる。
自分が悪いのは分かってる。ぎくしゃくさせて迷惑かけて心配かけて。
凛に一言、河西先輩の事を悩んでる、って言えればいいのに、どうしてかその一言が口に出せない。
……あれかな。やっぱりもっと可愛かったら自信がつくのかな。美男美女でお似合いって言われる二人の間に入っていける勇気なんてないし。今までの距離の方がラクだったのに。楽しかったのに。
………瀬尾に嫌われたくない。
「あー…」
今更どうしたらいいかなんて分からないよ………
体育館での終業式が終わった。吹き付ける風が冷たくて、足早に教室に戻ろうとする生徒たちで溢れていた。
あの部活を休んだ日以来、藍と凛の間には微妙な空気が流れたままだった。もちろん会話はするのだが、なんというか込み入った話はしないというか、深入りしないというか。必要最低限の会話ばかりという状況だった。
階段を上がって行く途中、凛は藍が目の前にいることに気付いた。会話のチャンスを伺っていた凛は藍の隣に並ぼうとするが、気付いた藍が逆に足を早めて先に上がって行ってしまう。
そんな二人の後ろ姿を、大河と弘樹は心配そうに見ていた。
帰りのHRも終わり、浮足立った生徒達が次々に帰宅していく。
そんな中、凛は机の上に置いている一枚のプリントを見ていた。一昨日、進路の事で吉野に話があって職員室へ寄った時、他学年にも配るようにと言われた冬休み中の部活の課題が書いてあるプリントだ。早く藍に渡さないとと思っていたのに、こんな時間まで渡せずじまいになってしまっていたのだ。
いつ声をかけようかと、タイミングを計るようにそわそわしている凛の元へ、弘樹がため息をつきながらやって来た。
「そんなに気になるなら早く声かけろよ」
「ひっ!」
「うわっ」
凛が肩を揺らして驚いたことに弘樹も驚いた。振り返った先が弘樹だったので、凛は安堵のため息をついてから文句を言う。
「驚かさないでよ」
「驚かしてないし。てかお前らまだ喧嘩してんの」
その指摘に、凛はすい―…と目を逸らす。
「…してないよ」
「うそつけ」
ぺし、と凛の頭を叩いてから、弘樹は彼女の前の席に座った。
「何があった?」
「…弘樹たちも知ってることだよ?試合の後すぐ帰っちゃうし部活はサボるし既読無視だったし…」
言いながら凛は机に伏せた。こんなに悩むならもっと強引に解決に動けばよかったけど、今更何て言えばいいのか…
弘樹はそんな凛の様子を見ながら、頭をポンポンと叩いて仕方なさそうに笑った。
「寂しかったんだな」
「あはは…そうかも」
今までそんな事は無かったから。そうか…私、寂しいのか。そんな事にも気付かなかったんだ。
言葉にすると気持ちは落ち着く。凛は少し顔を上げて苦笑した。
と、その時。
「あ!凛、これ渡すんだろ?」
弘樹が小声で凛に呼びかける。凛の机の上にあるプリントを持ち上げながら言う彼の視線の先では、藍が荷物を持って出口へと向かっていくところだった。凛もそれに気づいて慌てて立ち上がる。
「い…行ってくる!」
凛が藍の元へ歩き出すと同時、ロッカーの整理を終えた大河が荷物を抱えて自分の席に戻ってくるところだった。大河は自分の席に荷物を置くと、藍が置き忘れていったらしい筆箱を手に取って声をかける。
「木村」
振り返った藍は、大河が差し出してくれた自分の筆箱をあっ、と小さく呟いて受け取る。
「…ありがと」
「藍!」
そこへ凛の少し慌てた声が飛んできた。藍は足を止めて凛の方を向く。
「…これ」
凛は手に持っていてプリントを藍に渡した。
「冬休み中の課題とか。…昨日渡すつもりだったんだけど遅れちゃって……」
「…ありがとう。わざわざごめんね」
藍は笑顔を向けながらプリントを鞄にしまう。そのまま帰って行ってしまいそうな雰囲気に、凛はぎゅっと拳を握って藍を見る。
「藍…何かあったなら話聞くよ」
「何急に」
藍の口から思ったよりも冷えた声が出て、凛は一瞬怯みそうになる。だが今日を逃せば冬休みに入ってしまう。凛はお腹に力を込めて言葉を続けた。
「…だって昨日も試合の時も先帰っちゃうし」
「それは用事があったから」
「話したくないなら良いんだけど。でももし何かあったなら」
どうしたら藍は話してくれるんだろう。凛は制服の裾を握りながら必死に話すが藍が受け入れる様子は無かった。
「だから何もないから」
答える藍は笑顔が引きつり、手が白くなるほど鞄のひもを強く握っている。
「ほんとに?藍いつもそうやって一人で抱え込むじゃん」
「だから」
「誰かに話したらちょっとは気が楽になる「何もないって言ってるでしょ‼」
食い気味に藍が叫び、教室内が一気に静まり返る。遠巻きに見ていた生徒も、友達とおしゃべりして教室に残っていた生徒たちも一斉に二人の方を向く。
流石にこの視線に気付かないほど藍もバカではない。
「…じゃあ」
藍は顔を伏せ、足早に教室を出て行った。そんな後ろ姿を、凛は呆然と見つめることか出来なかった。
八つ当たりだよ、バカ……
自分に対するいら立ちがムクムクと込み上げてくる。
藍は家までの道のりを全速力で走って行った。