4.ラーメン屋
野球の知識、素人です…すみません…雰囲気で分かっていただけたら…
部活も終わりすっかり陽も暮れた頃、藍は家への道を帰っていた。彼女の頭の中には、先程吉野から言われた言葉がループしている。
『お前の絵は全部生きていない』
なんとなく意味は分かる。意味は分かるが、じゃあどうすればいいのか。
『ちゃんと見て描けよ』
見る って何……
明確な答えが持てずにモヤモヤしながら歩いていると、道の真ん中に小石が一つ落ちていた。わざわざ小石ごときにとおせんぼされるかのようなイライラを覚えた藍は………
思い切りその小石を蹴った。
……そして、盛大に空振りした。
「……………」
軽く崩してしまったバランスを整え、自分の足の後ろにある小石を見て、両手で顔を覆う。その時、
「木村!」
聞き覚えのある声にビクッと肩を揺らす。そろぉ…と後ろを振り返ると、そこにはやはり想像した通りの人物が、自転車に乗ってこちらにやってきた。
……ば、バレてないよね!?見られてないよね!!?
先程の奇行を思い出し、内心は汗だらだら。そんな藍の思いつゆ知らず、大河は自転車を降りて彼女の隣に並んできた。
「一人?」
「そっちこそ」
「監督に呼ばれてて。なーそれより飯行こ飯!」
「今から!?」
「もちろん!何食べる?」
…あぁ、だ、大丈夫っぽい。よかった!あんなの見られたら恥ずかしすぎて死ぬわ!!
ひとり安心していると、大河が藍の鞄をひょいと取って自分のカゴに入れてしまう。
「あ!」
「早く!」
彼は笑いながら自転車に乗って漕いで行ってしまう。
「待ってよ!」
彼の強引さにこっそり感謝して、藍は慌てて大河を追いかけた。
…因みに自転車は結構なスピードで走って行くので、いくら鞄が無かったとは言えど追いつくのは割と大変だったという…。
店内は仕事終わりのサラリーマンであふれていた。ラーメン屋とか久しぶりだし、というか家族でしか来たことないし、友達と来るのは大体ファミレスだったし、いやラーメン好きだから別にいいんだけどさ…と、藍はおっかなびっくりしながらも大河の後に続いていく。
入店当初は少々ビビりがちだったが、店内を満たすラーメンの匂いにそんなことはいつの間にか気にならなくなっていた。カウンター席に並んで座った藍と大河は大した会話もすることなくじっと注文した料理を待っていると、とうとう藍の目の前に塩ラーメンが置かれる。
「塩ラーメン小お待たせしましたー」
「ありがとうございます」
ほかほかした湯気を惜しみなく出しているラーメンを手元に持ってくると、お腹がきゅうと鳴る。やっぱり普通盛の方がよかっただろうか。でも注文した時には正直そこまでお腹は減っていなかったのだ。…足りなかったらその時追加で頼もう。
藍がそう考えているうちに、大河の注文したラーメンも届いたらしい。
「お待たせしましたー。味噌ラーメン大盛と餃子・チャーハンセットでーす」
「あざっす」
大河は嬉しそうに自分の元へ料理を降ろした。熱々の料理たちは、それはそれは美味しそうなのだが…。藍は彼の注文した料理に釘付けだ。
「……よくそんな食べれるね」
まあ部活後だったし分からなくはない。ないけど、自分の注文した量と見比べて、やはりじっと見てしまう。さすが男子だ…
「普通じゃね?逆にそれで足りるの?餃子いる?いただきます!」
大河は会話する時間も惜しいとでも言うかのように、元気よく食べ始めた。
「うん。大丈夫。…まああんま食欲なかったし…。いただきます」
声が段々尻すぼみになる。自分の中の棘に気付かないふりをして食べ始めた。
「ん?ごめん今なんて言った?」
美味しそうにラーメンを食べながら大河が聞いてくる。…本当に美味しそうに食べるよね。作った人絶対嬉しいと思う。
「ああ、いや、いただきます、って。てか何か今日機嫌良いね」
「ん!んんんんん!(あ!そうなんだよ!)」
目をパッと輝かせた大河は、ぶんぶんと頷いて口いっぱいのラーメンを急いで飲み込む。その姿に藍が苦笑していると、
「聞いてよ!部活にめっちゃ上手い後輩が居るんだけどさ」
そう言った彼は、以前の部活での出来事を話し始めた。
◇◇◇
グラウンドいつものようにでは野球部が練習に励んでいた。現在はシートノック中。シートノックとは、簡単に言えば守備練習。個々の守備力はもちろん、チーム全体としての連携を強化するためにも行われる練習方法だ。
一周、二周と内野でボール回しを行い、内野ゴロの練習に入った時。ファーストで送球を受けた一年の相澤がボールを弾いてしまった。
「見ろっつってんだろ!」
ホームベースを守備位置としていた大河は叱咤を飛ばす。
「はい!」
相澤が弾いてしまったボールは、ショートがカバーをして練習は続行。一通りのシートノック練まで終えところで監督から指示が飛んだ。
「休憩」
「「「はい!」」」
マネージャーがタイマーを五分セットしてスタートする。一斉に給水へ行く部員達を見ながら、自分も水筒を持った大河は相澤の元へ向かった。
部員達から少し離れたところで水を飲んでいた相澤は、大河の姿を見つけると少々驚いた顔を見せた。
「なんだ?もう怒んないから安心しろ」
「いや…」
歯切れ悪く相澤を横目に水をグイッと飲むと、大河は口を開いた。
「さっきのお前にしては珍しかったな」
「…すいません」
「なんで謝るんだ?」
「…気ぃ抜いてました。あれじゃ試合終わってます」
驚いた。いつの間に視野が広くなっていたとは…
相澤のいた中学は、強豪とまではいかないものの、県ベスト8にも入った事のある学校だったらしい。彼はそこで副キャプテンを務めていたとか。少々短絡的だが、技術はそこそこ。だがそのせいか、時折基礎練習をおろそかにするような態度が見え隠れするようなことが多々あったのだ。
相澤は居心地悪く感じたのか、大河からふいと目線を逸らした。後輩の成長を嬉しく思いながら、大河は言葉をかける。
「お、分かってんじゃん」
相澤は変わらず目線を逸らしたまま。
「ならいいけど。…徹底的に真似してみるといいよ」
「真似…っすか?」
訝しげな顔でこちらを見てくる相澤を、大河はニヤリと笑ってみせた。
「なめてるだろ」
「いや……まあ」
図星を付かれ、相澤は大河から目線を逸らした。
「上手い奴の視点で自分のプレーを見るって事。その為には徹底的に真似するのが一番早い」
ハッとした顔で相澤は大河を見た。
「重心の移動の仕方とか送球フォーム、あと…目線とか。プロの試合見て真似しよう、ってのは思うだろ?それを練習中もやれってこと。なんたって目の前でやってるんだからな。考え方だって聞けるかもしれない。全部吸収するんだよ。そいつのポジションを自分が任されても…いや、取って食うぐらいの気持ちで」
大河の言葉に、相澤は思いつめるように黙った。そんな彼を見て、大河はやはり嬉しくなったのだ。今までじゃどこか突っぱねる様子があったのに、今は一度受け入れて考えようとしている。……この姿勢があるかないかで、これからの伸び率は大きく変わると思うから。
「お前上手いんだからさ!勿体ねーぞ!」
ニッと笑った大河は、相澤の背中を思い切り叩いた。前のめりになりながらも、相澤の背筋はスッと伸びる。
その時、タイマーのブザー音が鳴った。
「集合!」
「「「はい!」」」
大河の号令を合図に、部員達は監督の元へ一斉に走り出した。
◇◇◇
気付いたら大河の注文した餃子とチャーハンの皿はすでに空になっていた。ラーメンもあと少し。
「で、その子、今は瀬尾がお手本なんだ?」
「らしいんだよ!今日も監督に褒められてたしさ!変わったよあいつ」
しみじみと、にこにこしながら頷いて話す大河がより一層眩しく見えた。
「いい先輩してるじゃん」
「そうだといいけどな。すいませーん!替え玉一つお願いしまーす」
「あいよー」
藍がふと大河のお皿を見ると、すべて空になっている。食器を大河を何度も見比べた後、一拍遅れて思ったことを口にした。
「まだ食べるの!?」
「あ、木村も頼む?」
「要らないよ!」
今日の夜は幾分か過ごしやすい気温だった。秋の虫が静かな音を奏でる中、大河は藍を家まで送り届けてくれた。
「ありがとな、付き合ってくれて」
「ううん、楽しかったよ」
「そっか。じゃあまた明日」
「またね」
大河は自転車に跨り、手を軽く振って去っていく。藍も手を振って、遠ざかる大河を見つめた後家に入った。
「ただいま」
振り返らなかった藍は知らない。大河が道を曲がる直前で立ち止まり、家に入っていく藍の後ろ姿を見つめていたことを。
…道端の小石を盛大に空振りした後、めちゃくちゃ落ち込んだ様子だったのを一応心配していたことを。
………まあ、藍が知った時の事を考えると、その事は知らなくて良かったのかもしれないが。