聖少女
闇が恐くて仕方なかったの
狭くて冷たい鳥籠に
たった一人取り残されたようで
暗い夜の世界は
目を凝らしても何も見えなくて
つんざく静寂を消し去ろうと
必死に小さな手で耳をふさいでも
逃げる道もわからなくて
縮こまって小さく蹲るだけ
触れえぬ先の尖った氷柱が
温かな胸に食い込んでくるの
深く深く
心臓を貫くみたいに
だからいつも
暖かな光に包まれようと
そっと太陽に細い腕を伸ばすの
まるで向日葵みたいに
いつも小さな太陽になって笑うの
そんな私を見て
誰もが言うわ
君は天使のようだ
君は聖少女だ
この光の中にずっといられたら
どんなに幸せだろう
どうか私を光の中にいさせてください
白い光を降らせる太陽に願ったの
そして太陽が沈んで
夜の帳が降りた暗い空になれば
月明かりに守られた窓辺に行って
眠くなるまで風に揺られるの
そして少し物思いに耽るの
私もいつか好きな人ができて
蜂蜜をたらした紅茶みたいな甘い恋をして
きっとその人のことを思いながら笑うでしょう
瞬きながら輝く星に祈ったの
いつか私に好きな人ができますように
そして両想いになって
その人に愛されますように
風にそっと飛ばされて
星が舞うように流れたの
ある日の夜
風が家を叩いて嘆くような声を上げ
窓に激しく雨粒がぶつかってくるその日
何の前触れもなくドアが開いて
濡れた黒い影が家に飛び込んできたわ
一晩泊めてくれませんか
暗くて道に迷いそうだ
彼は袖の張り付く腕を上げてフードを下ろし
一振り水を払った後の顔を上げたの
その顔を見たとき
私は息が止まりそうになったわ
寸分の狂いもなく整った
端正な強くも美しい顔
そして
何も映していない空っぽな翠の双眸
雷に打たれたみたい
両目が吸い寄せられたの
急に頬が熱くなってきて
胸が激しく鳴って
苦しくて目を背けたかったけれど
どうしても出来なかった
まるで窓に張り付く雪みたいに
目が彼から離れなくなったの
そして思ったの
ああ
この人が私の待っていた人なんだ
この人に会う為にここでずっと過ごしてきたんだ
胸の奥から
計り知れない炎が湧き上がった
幼い背筋に
めくるめくときめきが上ったのを感じたわ
壁一枚外が吹き荒れたその夜に
どうしても興奮して眠れなくて
ソファに寝転がる彼のところへ行ったの
二人きりの部屋で小さなランプの下
私の心臓の音は風より大きかったわ
綺麗な顔を見つめて
知りたいことをいろいろ聞いたの
そのときも空っぽな瞳
年齢は私より一つ年上
仕事は絵描き
趣味は旅行で、今日もその帰りだったこと
隣町に家があること
家族はいないこと
知り合いも少ないこと
でもいくら聞いても名前は教えてくれなかったの
彼は大きな鞄を持っていたの
着替えが入っている鞄とは別に
傷一つない黒い高価そうな鞄
大事そうに膝の上に乗せているから
瞳を覗き込んで聞いたの
その中には何が入っているの
そのとき初めて
彼の瞳に光が射した
笑ったの
彼の綺麗な顔が
青くて冷たい
たった独りの月みたいな笑顔だった
また熱いときめきが生まれて
胸から指先まで身震いがしたの
これはね
パパみたいな
甘くて優しいテノールが
楽しげに宙を舞う
細い指先が旋律を奏でるように鞄を開けて
私に中を見せてくれたわ
そこには少女がいたの
僕の愛する人形だよ
彼は綺麗な手で彼女を慎重に抱き上げ
どんな恋人の抱擁よりも優しく彼女を抱きしめたの
彼は人形の透き通った翠の瞳を
愛おしげに見つめていたわ
輝きを散りばめた細い金の髪を
宝石に触れるように撫でたの
その重なった一つの影に
私の入る隙はなくて
ただどうしようもなく
美しく完成された
魅せられずにはいられないものだった
一枚の美しい絵を前に
私は登場人物ではなく
それを見て感嘆する傍観者
まるで砕けて散った星のように
私は彼の意識から消された
惨たらしい痛みだけを残して
そのとき
鼓膜の底で何かが切れる音がしたのを感じたわ
胸に咲く炎の色が変わるのが分かった
私はそっと自分の部屋に帰って
死を貪るように眠ったの
枕に全ての涙を吸わせながら
厚い雲が尚も空を覆う朝を向かえ
重々しい体を起こして
彼の様子を見に行くと
人形を抱いたまま眠る美しい寝顔
ため息がもれてしまう
人の持ちうる美を全て納めた
何の躊躇いもない貌
白百合のように清く
薔薇のように甘く
蓮のように艶やかに
目蓋のない人形は
翠の目を見開いて私を見ていたの
白に限りなく近い金髪は
手入れが行き届いて毛先まで整っていたわ
レースを降らせた白いドレスは
細い躯を優雅に彩っていたの
その姿は
私が見ても見とれてしまうくらい
綺麗な姿だった
でも私はその少女に手をかけたの
腕をもいで
足を外して
首を取って
目を抉って
腰を折って
彼の空っぽな瞳を直したくて
彼が人に興味を示さないから
こんなに孤独な瞳をしているのだと思って
彼を導きたい
あるべき光の世界へ
暖かな光を教えたい
蒼天の素晴らしさを見せたい
闇は冷たくて哀しいでしょう?
私は小さな太陽になるわ
あなたを救う為に
胸の炎が捩れながら燃える
熱くて触れられないくらい
もう戻せないくらい躯を崩して
暖炉に投げ捨てたわ
赤い炎が一瞬で黒くなったの
彼はやっと目覚めたの
愛おしい気持ちが胸に落ちてきて
私は微笑みながら挨拶をしたわ
でも彼は私に視線も注がずに
青ざめた顔をしたの
僕の人形は?
体を起き上がらせ
周りを見渡したの
その姿はとても一生懸命で
胸がまた激しく鼓動を打って苦しくなったの
そっと幼い腕を伸ばして
彼を抱きしめたの
ママみたいな
優しい愛情の抱擁
冷たい温もりが私の肌に触れる
遠い蜃気楼に歩むような
これでいいの
後は私が光を教えるだけ
人形は燃やしたわ
急に腕から温もりが消えたの
黒い炎が燃え盛る暖炉に
彼は飛び込んだわ
燃え残りをまさぐって
土に還された人形を
また大切そうに抱いたの
そこには
どこまでも綺麗で
どこまでも安らかな笑顔
皮膚が焼ける音
肉が焦げる匂い
体が灰となる姿
そんな恐ろしい事実全て
今が現実であることを忘れさせたわ
深く感じ入るような酔いと
暖かな悪夢に包まれて
静かに目蓋を閉じたの
明かりもなく炎も燃え尽き
静まり冷え切った部屋の底
私は記憶をなぞりながら
すべきことを続けるの
過ちを償うように
また彼がこの地上に
独り生まれて来たときに
煌く光へ導く為に
私はビスクの肌になる
私は華奢な肢体になる
私は細い金の髪になる
私は深い翡翠の瞳になる
全ては彼の為に
記憶の中で生き返った人形は
私に姿を見せてくれるの
その少女の躯を寸分違わず
私はただ目の前に作り出す
永い永い時間をかけた
けれど想いは枯れることなく
時に磨かれて一層美しくなった
費やした時間は
少女を一層正しく映し出す
その姿が目の前の
鏡の中の像と重なった
鏡に映るこの像は
決して私ではないの
彼女は彼の理想の少女
彼に愛される為の人形
私は人形になった
さぁこの心臓を止めて
人の温もりを捨てて
薔薇を褥に眠りましょう
この狭くて暗い闇の柩の中で
彼が柩を開けるときまで
深く深く眠り続けるの
彼の為に全て棄てたの
けれど後悔なんてない
彼の為だから
恐い闇の中にもいられるの
次に目覚めれば
また彼に出逢えるから
でもどうして
瞳からは涙が流れるの
けれどなぜ
呼吸も鼓動も目蓋もない
人形の目から零れるというの
理由も分からない涙
けれどこれが最後の滴
私はあなたに光を教えてあげる
愛されることの温もりを
愛することの美しい光を
私はこの冷たい器の中で
あなたを愛するわ
また逢えるかどうかも分からない
永い永い時の中
それでも変わらず想い続けるの
この身はもう私には動かせないけれど
それでもあなたを愛することはできるの
そしてまたあなたに出逢う
嗚呼そのときは
ずっと私のことを愛して
生まれ変わったあなたに
愛され抱かれるまで
私は待っているわ
次に目覚めるのは
あなたに抱かれたとき
そのとき知るでしょう
あなたとの光の百年の刻
私は永遠の聖少女
あなたに愛されるまで待ち続けるの
冷たくて哀しい闇の底で
この身永久に留まろうとも
それはまたあなたが死んでも同じ
老いもせず美しいこの躯
壊れる日まで無と還る日まで
あなたを永久に愛し
あなたに何度でも愛されましょう
もう決して穢れぬ想いだけを抱いた
私は聖少女