Red
前話とは関係ない話です
前話の続きはまた別のときに
真夜中を告げる鐘が鳴る
今宵の舞踏会も終演
物語のお姫様たちは
煌びやかなドレスを翻し
エスコートのままにホールから消えていく
召使もグラスやバイオリンを片付け
人気も静まったその部屋の扉を閉じた
風と虫の鳴き声が月明かりとともに窓から差し込む
ピアノも眠った鏡の間に
シャンデリアの蝋燭もなく
鏡に映った月の光だけが
赤いドレスのドレープを拾う
誰かが忘れた扇に触れる白いレースの手袋
夜の星を溶かしたようなブロンド
そしてルビーより赤い柔らかなくちびる
靴音が扉の向こうから響き
真夜中だけのダンスの始まりを告げる
僕は扉の前に立つ
胸の高まりを聞きながら
ほんの少し笑みが溢れてしまう
その微かな期待をごまかすように
髪を整え襟を正し
壁から首を出した男鹿の目を一瞥して
その白い扉を押した
鏡の間に待つ赤いお姫様のために
さぁ今日も始めよう
寝静まった城の片隅で
僕ら二人だけの恋物語を
ソファに体を預けた赤いドレスに
僕はまっすぐ近寄る
優雅に扇を揺らし
酔いもない凜とした瞳を僕に向けた
僕は儀礼どおりに手を差し延べる
紳士的な笑顔も忘れずに
少し満足げ に乗せた手に
軽いキスを落とすと
その腰に腕を寄せてホールの中心へ誘った
僕の腰に手を添えて
伴奏もなく一歩を踏み出す
見つめ合う瞳には
幸福とともに
飲み下せない迷いが絡む
けれどこの胸に灯るのは
安息のためいき
赤い薔薇を添えたブロンドが
月のこもれびに光り
何度その美しさに目を細めただろう
まるで羽があるようにその足は軽やかで
けれどヒールが床を叩く音はしない
いくつもの鏡が僕らを見つめる
けれどそこに映るのは僕だけ
回るたびに赤いドレスが広がり
その長い睫毛が震える
僕は問いかけた
どうして
まだ君は僕に会いに来るんだい?
青い瞳と白い肌は
妖精が悪戯をするように
そっと僕に絡み付いた
まだ僕のことを忘れられないのだろう?
君が僕を殺そうとした日なら
僕も忘れないよ
鏡の間での舞踏会が終わり
二人きりでもう一度だけ踊ろうとした夜だった
ほら、とても鮮やかな手つきだったから
僕はあのグラスを傾けようとした
小瓶の中身は知っていた
でも君は知らなかったみたいだね
僕 が君を愛しすぎたことを
ねぇ
君は覚えてる?
町で泣く一人の君を城に迎えた日を
僕はあのとき一目で恋に落ちた
貧しい姿さえ君は美しかった
大切に育てた
未来の君をさらに美しくするために
成長するたびに美しく輝いていく君を
見守れるだけでよかった
でもあまりに眩しい君の笑顔に照らされて
もう周りの婚約者なんて目に入らなくなった
マスカレードでさえも
君しか見つめられなかった
僕は本当は
美しい君を娶りたかった
けれど
君は僕と身分が違いすぎる
ねぇ
君は知らなかっただろう
君から離すためにこの家が
僕を遠方へ出張させたことを
ねぇ
君は知らなかっただろう
僕はこの豊かな生活を捨ててでも
君を愛しつづけたかったことを
君の手に映える赤いワイン
混ざったのは眠り薬ではなく白い毒
僕はもういっそ
そのまま死んでしまいたかった
君に殺されるなら幸せだった
それなのに
ああ
どうしてあのとき
君は僕のグラスを飲み干したんだ?
僕はいまだに分からない
君が血を吐いて倒れ
僕の腕に抱かれながら
赤をこよなく愛した君は
やはり赤に包まれて死んだ
僕はその後
全て王族の意思に委ねられた
いや、 あるいは
最初から僕の運命なんて決まっていたんだ
僕には変えられる当てなんてなかった
気付けば僕は国を治める地位に立たされていた
ただ望むことは
幼い頃の君のような悲しい子供を減らすことだ
僕は何度も君から貧しさを聞いた
そんな僕だからきっと叶えられるだろう
そんな日々のなかでも
ふと目に入るのは
君の愛した赤ばかり
君の墓に赤い薔薇を飾り
僕の部屋を赤い布で覆い
それでも満たされない時間を
ただこの夜に塗り潰す
謎を闇に潜ませて
ああ
僕は君に聞きたいことばかりだ
君はどうしてあの日毒を入れたの?
君はどうしてあの日自分で毒を仰いだの?
君はどうしてまだ僕に会いにくるの?
いや
僕は本当はこの答えを知っている
君の枕に常に隠されていたナイフも
揺らしたグラスを僕の手から奪い
儚く綻んだ笑顔も
今ワルツを踊りながら
こんなに深く絡み合う視線も
僕は全て繋げられる
でも今はまだいい
夜が明けるまで
このまま二人きりで踊りたい
赤い時間だけが僕の恋
もう結ばれなくとも
それでも愛しつづけると誓えるのは
君とのこの時間だけ
誰も知らないこの時間だけ
まぁ夏らしく
ちょっと涼しい話を