表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
黒い短編集  作者: 衣月
21/27

絡繰りの実験


人間は昔からそうだ


やれ占いだやれ神頼みだと

自分の未来さえ

自分自身で決めることができない


弱くて自分に自信のない生き物であり

同時にどんな生き物よりも

強く神を信じる生き物でもあるのだろう


けれど

ああそれでも

もし俺が未来を決めることに

どうしようもなく迷う日が来たとしたら

俺はきっと

今この手を染める血の色を

何度でも何度でも思い出して

ただ一つの決意した未来しかない道を選び続けるだろう


これは俺がした最大の実験の話だ







俺はまだ科学者として駆け出しで

どんなことをすれば人間の生活が豊かになり

どんなことをすれば人間は幸福になるのか

何も分からなかった


知的好奇心だけは人並み外れたものがある

そう自負はしていた

つまりは俺は知りたがりだ

とにかく気になったことは犠牲の多寡を問わず調べた


だからこの実験も行ってみた



大好きな双子の友達だった

顔は黒子一つぐらいしか違いはない

泣き黒子があるのが弟で鼻の頭に黒子があるのが兄


小さいときに二人は両親を亡くして

それ以来ずっと二人で支え合って生活していた


12フランで二人を買ってくれた俺の叔父さんに

よく試薬の実験に使われていて

お腹を苦しそうに抱えていることもあった



お、そうだ

俺の家についても言っておこう

俺の家は代々医者や研究者を多く出している

たまに唯物論を唱えるやつもいたが

大体はみんな

人間の幸福に貢献する仕事をしてきた


数年前の流行り病や飢饉で貧しくなったこの国では

重宝される程度には業績もある

比較的裕福な家だ


有効な肥料の改良

安全な薬の開発

地質や水質の改善

機械関係も割合得意な家系だ



新薬の研究に従事する叔父さんは

家族に試薬を飲ませるのは

最悪の場合家が途絶える危険があるので

二人の体質のそっくりな被験体が欲しかったらしい


その二人は幼い頃から俺の家にいた




二人は俺より少し年下で

あくまで家族ではなく友達として接していた

それは二人がそれを望んだからだ

俺は本人の意見を尊重しようと努めているので

二人は友達だった

二人の深い繋がりに俺が入れることはない

俺と一歩引いた先で

いつも顔を擦り付けるように

お互いだけを頼り見つめていた


そんな深い繋がりを見て

俺は何を思ったのだろうか

未だに分からない


俺は気づけば二人に対して冷たくあたるようになった

意識的にではなく、結果的にそうなっていた

二人の話しあう姿を見つけては

何かにつけて片方を呼び出し

自分のすべき面倒事を一緒にさせて

もう一人は隣町に数日間置いたりした


弟の方が挙動不審さが楽しくて

よく仕事をさせた

兄に全てを委ねているのがよく分かり

仕事が終わると一目散に兄を探して

爪を噛みながら街中駆け回っている背中を

いつも俺は無表情で屋根裏から見下ろしていた


あのとき俺は何を考えていたのだろう?






俺はもう大人だ

といっても業績なんて何もないただの知りたがりの研究者見習いだが


そして二人ももう仕事を何にするか考え始めていた



俺は考えていた

自分の研究するべきことを知るために


人のためになるとはどういうことだろうか

不幸とは何を指し幸福とは何を指すか

あくまで理性的に探究心の赴くままに


たとえば

誰かしら死ねば悲しむ人が必ずいる

でもそれはある種仕方ないものだ

死なない人間はいないのだから

人は生まれた瞬間から誰かを悲しませることを運命づけられている


悲しみはどちらかといえば不幸に入るだろう

そして人は極端に不幸を避けようとするものだ


不幸な出来事があるから嬉しいときに幸福だと思えるはずなのに

待っていればいつか幸福が転がりこんでくると

ぬるま湯にいつまでも浸かっていたがる

それ自体が不幸だと気付くこともなく


まったく

周りを見渡せばそんな人間ばかりだ

本当は自分で掴みにいけば手に入ることさえ知らずに

誰かが幸福をくれないかと

自分の足元に目を走らせるだけ



そこで俺は一つ気になることができた

もしこのぬるま湯に浸かれないような状態になったら

人間は自分から幸福を掴みに行くのだろうか


おもしろい


幸福を与えられるものではなく見出だすものだ

それが俺なりの答えだ

ならば人間は不幸の中に居続ければいつかそれに気付くのか

実験してみよう


もしこの結論が出たならば

きっと俺のすべき研究が見えてくるだろう





何日も俺は機械の開発室に篭った

何回も食事も風呂も睡眠も忘れて

何度も大きな段ボールが運び込まれ

何倍ものゴミが外に掃き出された


大量の本が天井まで山を築き

芳しいインクの臭いが

金属のぶつかり合いで爆ぜた空気と混じって

立ち入る人を拒んだ


壁にはたくさんの写真を貼った

あらゆる角度から撮られた一つの対象は

複雑な曲線と柔らかみがあり

どこをとっても本来機械にはない感触を纏っていた


煙草のフィルターが灰皿を針山にし

嫌な湿り気が黄褐色の液体を作っていた


空調はこもりきった空気を掻き回すだけで

薄暗い部屋に機械音を足しただけだった




久々に金属の厚い扉を開けると

朝の薄紫の空が窓を染めていた

何かが肩から剥がれたように

体が重さから解放された


準備はできた


まだ未熟な技術だが

ここまでの出来なら不満はない


俺は自室のベッドに横たわると

満足感に包まれて眠った

次に目覚めたのは二週間後の夜だった


実験を始めるのに最高の夜だった






結果から言おう

実験は成功だった

計画どおりに全て進んだ


あと俺がすることは

これからどうなるかを見守るだけだ


俺はあの夜一人の人間を殺した

察しのとおり双子の片方、俺は兄を選んだ


俺より遥かに高い背が

その夜はベッドに投げ出されていた


医学書とにらめっこしながら

慎重に気道と声帯の位置を確認して

死なない程度にメスで一気に切り

声をあげられないようにした


起き上がって苦しむ兄に

ペンを持たせて弟に向けて遺書を書かせた

手短に今にも知らない人間に殺されそうだと記し

弟は兄の死を気にせずに自分の好きな道を歩むようにと書き添えて


書き終えた兄の首にメスを当て

動脈が完全に切れるほど強く刺した


逆滝のように吹き出た血は夜の闇に紛れて真っ黒に艶めいていた




次の日弟が最初にそれを見付けた

そのときの絶叫は今でも忘れられない

そこに兄の死体はなかった

黒く固まった血が床に広がり

血まみれの遺書が転がっているだけだった

俺は遺体のない葬儀を慇懃に執り行った

弟は涙で遺書をぐちゃぐちゃにしながら棺の中に兄の姿を見出だしていた

鼻の頭の黒子以外は同じ顔の兄を


弟は一ヶ月部屋から出てこなかった

俺はその間

毎日、いつ弟が部屋を出るかと楽しみにしながら

開発室に積み上げていた本の整理をしていた


機械の構造、電子回路から始まり

視覚による認識構造、記録の圧縮方法

絡繰りの箱の解き方、粘膜の乾く速度と瞬きの回数

筋肉の動き、肌の感触に似た物質

毒の種類や致死量、人間の急所や殺人方法

その他ジャンルはさまざまだった



部屋から出てきた弟は窶れていたが

突然体を鍛え始めた

彼は殺された兄を想い

こんな不幸をこの国から減らしていくために

治安を守る仕事に就くと決めたらしい


俺は弟が自分の意思で何かを決めたところを初めて見た

彼なりに考え抜いた結論はとても気高いもので

全てが俺の予想通りだった





あのときから何年が過ぎただろう

俺は今遺伝子について研究している

どんな年でも飢饉にならずにすむ植物を作っている

だが今必要とされているのはこんな研究ではなかった


今この国には大量殺人鬼がいる

目撃情報はかなりあり

どの人も一貫して背が高く鼻の頭に黒子があるという

そしてその情報を聞いて回っている警察の一人と黒子以外は同じ顔だと言う


この国は恐怖に震え

夜外出するのは禁じられた

この国全体が不幸の中にあった



そして警察の一人はいつも夜になると街に繰り出し

殺人鬼を捕まえようと歩き回った


しかし彼は一度も殺人鬼には会えずに

ただ事件だけは数え切れないほど起こるばかりだった


警察関係者も何人も殺された

護身に長けた者も一瞬で殺されていた

毒殺、絞殺、刺殺、撲殺、轢殺

他にも数限りない殺人方法で殺された



彼は網を張ろうとしたらしい

俺に多額の金を積んで頼ってきた

俺はたくさんの監視機器を作らされた

これを頼むとき彼は言った



兄を殺人で亡くしたのはずなのに誰もが兄の姿を口ずさむ

それでも俺は兄のために戦いたい

いや、兄のためではない

この国の幸福を掴むために

不幸を終わらせなければ



幸いにしてか

彼は俺の作った機器で殺人鬼の足取りを少しずつ把握できるようになった


待ち伏せをしてみるも現れなかったが

何故かいつも待ち伏せる場所には

得体の知れない半身ほどの箱が転がっていることに気付いた






そして彼は出会った

その日は満月が明るい夜だった


恐怖に静まり返った街

それは俺の家の目の前だった


俺は空の大きな黄金の月から目を離し

事の一部始終を見ていた



同じ人間が鏡合わせになっているかのようで

しかし年齢と表情は明らかに違っていた

一方は無表情でまだ青年に満たない顔

鼻の頭には黒子があった

一方は厳しく険しい眉を寄せた皺の滲む顔

目の下には泣き黒子があった


月光の舞台に

俺は心が踊った


絶唱のようにさえ聞こえる叫びが上がり

二人は切りあった

血の赤さは夜の陰を流しながら双方に降り注いだ

しかしその血を流すのは一人だった


一方は刃が当たっても

肌の裂け目から黒い内部を見せるだけだった


しかし刃が体に刺さると

鈍い金属音を立てた


そして一人は力尽きて倒れた

最期に兄の名を言いながら


もう一人も倒れた

たくさんの機械の部品をばらまきながら




全ての結論は出たらしい

やはり人間は不幸の中にあれば

幸福を掴もうとするのだ


俺は家から出て二つの体に近付いた

そして憐れにも実験の犠牲になった二人を抱きしめた



もし俺が科学者として

多くの人を幸福にしようと思うなら

俺は不幸の中にいればいい


自分が不幸の中にあるとき

きっと俺は幸福を掴めるようにと努力するだろう


ああ

俺はいままでたくさんの人を不幸にした

けれどこれは決して誰も知らない

俺が一人で背負うことだ

人を不幸にした以上に

俺は人を幸福にしなければいけない


これで俺の未来は決まった

俺はただこの絡繰りの決めた未来を歩むだけだ




弟の体を兄の墓へ連れていった

力無く垂れる手足を俺の体に巻き付け山奥へと進んだ


血まみれの体は月の光に溺れて

とても息苦しい


盛り上がった土の横には深い穴が待っていた

弟を兄の横に寝かせて俺は祈った


二人がまた出会えることを願って


悲しげな歌が聞こえた気がした

二人への鎮魂歌のように


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ