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黒い短編集  作者: 衣月
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神になれない人間の話


――人間追いかけるべきものは何だったのだろう――



世界一美しい歌声とうたわれる女性と世界一美しい姿とうたわれる女性

美しさでは世界に勝る者などいない二人の女性は、しかし非常に体が弱くかった

もし無理でもしようものなら、すぐにその美しさごとこの世から消えるだろう


この世にその美しさを永遠に引き継がせよう

二人の遺伝子をもつ少女を作る計画が生まれた

また、体が弱いと困るので体が健康で、歌声も姿もそうそう劣らない男性の遺伝子を持ってきた


三人分の遺伝子で一人の少女を作る

DNAの合成やタンパク質を媒介とした連結、やれることは何もかもやった

たくさんの研究者が体を病み心を病んだ

長い年月がすぎた



その間に美しい姿の女性は死んだ

あまりにも過激で残酷な感情が殴り書きされた遺書が見つかり、自殺と決まった


世界中の人間が彼女の写真をかき集めて、世界中の人間が彼女の姿に整形して、世界中の人間が彼女の葬式に参列した

彼女の遺体はいっそ美しいと感じるほどに残酷な姿だった




健康そのもので、血液型が合い、流産の経験もなく、多産にも耐えた体で、産まれるまでずっと監視されてもストレスではなく、言われた通りに動く女性の肚を借りた

このとき一番金が動いた


少女はこの醜い大人の世界に向けて大きな産声をあげた

その声は予想を裏切るものではなかった

母の声には多少届かないが、それでも美しい声であると一声で分かった

姿の美しさの判別はつけがたいものの、目の美しい翠色は青みがかっていて母親よりも深みのある美しさだった

男性の性質も受け継いだのか、少し唇の形が左上がりだった


科学者は喜んだ

科学が生命の神秘を手中に収めた、と

神を超えた、と




なんの苦しみからも隔離され、しかし適度に体に負荷を与えられて、ある程度の強度の体に育てられた


教育はプロの先生が面白おかしく、歌やピアノの練習は毎日5時間、美しいプロポーション作りのために三才にはすでにバレーや水泳などの運動は欠かせなかった


美しい美しいと言われ、最高の管理された環境で、しかしたくさんの迷いを重ねて少女は育っていった


少女のもう一人の母親が死んだ

彼女も自殺だった

遺書は彼女が読み上げて録音したもので、世界中に売られた

内容は神への懺悔ばかりだった

――私は、世界一の美しさで、世界一の醜さを作ってしまいました――




美しく強い少女には、しかし友達はなかった

話せば聞いてくれる友達も、研究者という名の監視からの金ほしさの子だけ

少女には母親も父親もいなかった

あるのは、たくさんの歌が録音された媒介と、たくさんの写真や映像が録画された媒介と、わずかばかりの唇が左上がりの男性の写真

少女を産んだ母親は、金だけ握って新しい男性と幸せな生活を送り、少女を産んだことをひたがくしにした


少女は孤独だった

誰も少女自身を見てくれなかった

少女を通して二人の美しい母親を見ていた


研究者には気付かれないように少女は何度も遺書を聞いた

自分そっくりな声が、自分を世界一の醜さと呼んでいるのが、たまらなく悲しかった




少女は成長して美しい女性になった

それは母親とは少し違う

世界一と呼ばれるには十分すぎ、母親の両方の美しさをしっかり受け継ぎ、かつ表情豊かで人好きする印象を与えるような、才能や知性にあふれる女性だった


世界が待ちに待った美しい女性が生まれた

ついに歌が売り出され、世界中で世界記録に残るほど売れた

研究者はたくさんの学会に出てたくさんのパーティーを開いた

美しい女性は見世物だった




研究者は一つだけ心配していることがあった

美しい女性の二人の母親は自殺していた

だから遺伝子的に強く影響を受けた美しい女性もいつか自殺するのではないか、と


研究者は監視を強化した

確かに美しい女性はときに情緒不安定で暴れる癖がついていた

暴れだすと体に傷がつくのを恐れて、手錠や足枷や首輪で少しも動けないようにさせられた




美しい女性は歌えなくなった

美しい女性はストレスで声が出なくなった

医者をたくさんあたったので歌える喉には戻ったが、歌うのは心因的原因で全くできなかった


度重なる手術と断食で体は残酷なほどやせ細り、もはや美しいといえる要素は何もなかった


美しい女性は美しかった女性になった


それが分かった瞬間

研究者は美しかった女性を捨てた

遺伝子のサンプルと卵子だけをもらって

お金なんて少しも与えなかった




外の世界は研究室とは違って醜くて美しかった

たくさんの感情が混在するなかで、確かに相手を思いやることもできた

目的も打算もない、愛情があった

それは美しかった女性の知らない思いだった


美しかった女性は生きた

今までが嘘だったかのように、生き生きとして、その生き様こそが一つの美しさであるかのように生きた



そして

誰よりも早く、美しかった女性を見つけて

誰よりも早く、美しかった女性を助け

誰よりも早く、美しかった女性の人権について研究者と争った男性を

美しかった女性は愛した


男性は実の父親だった

美しかった女性に初めて家族ができた


男性はずっと、美しかった女性に会うために研究者に通って、そのたびに追い返されていたそうだ

男性は本当は娘と二人で暮らしたいと思っていた


二人きりの親子は幸せだった

静かでささやかで、でも掛け替えのない温もりに満ちていた

だから父親の死は娘にとって深い絶望だった


男性は研究者にひそかに殺された

完璧な自殺に見せ掛けて、殺し屋に命を奪われた

研究者の神たる力を侵させまいと、研究者の神たる人間を自由に扱う権利を侵させまいと



美しかった女性は研究者が殺したとすぐに察しがついた

だから美しかった女性は思った

「神と奢れる者に、人間の規則で戦っても勝てない」



美しかった女性は研究室に火を放った

それは賭けだった

うまくいけばもしかしたら研究の資料やサンプルも燃えて全て消える

失敗すればすぐに掻き消され美しかった女性は研究者に殺される

そんな無謀な賭けだった



火は小さかった

例え誰もこの小さな火を消そうとしなくても、決して全焼はしないくらいだった


しかし火を放ったとき、地震が起きた

騒ぎ立てて逃げ惑うほどではなく、ゆりかごを少し強く揺すられた赤子が感じる揺れくらいだろう

決して起こらないと計算上は決まっていた場所だった

防音防火設備の整った研究室は、耐震設備には何の金も注ぎ込まれていなかった


研究室だけでなく、地平線まで見渡す限りの建物は、見る間に崩れて均された

あたかも本当の神が踏み付けたかのように


火はいつの間にか消えていた

今考えると、それは必要のない行為であったようにも見えたし、あるいはこの一連の崩壊の始まりの発火であったようにも見えた



美しかった女性は、歌った

美しい美しい声で、歌った

最後に聞いて久しい歌声は、無音の世界に広がった


無音の世界は気付くと赤く輝いていた

どこかでついた火が建物の残骸を燃やしているらしい


熱風の中で喉が渇いた

それでも美しかった女性は歌い続けた





彼女の耳はもう聞こえない

壊れる音が鼓膜を裂いた

ただ記憶の奥の歌を聞いていた



彼女は言った


――私は、世界一な美しさで、世界一の醜さを作ってしまいました――

――人間追いかけるべきものは何だったのだろう――


そして、吹きすさぶ風に煽られた本が何度も同じページを開くように、繰り返し繰り返し歌いました


「神よ、私は美しくなどありませんでした どうか私達の罪を燃やしてください」と




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