仏師の浄め
全ては仏の御心のままに
かつてあらゆる国を渡り歩き
あらゆる地で仏像を彫ってきた
仏の真の御姿を
一本の木から掘り起こす術を求めて
ただ修行を積んだ
その果てにして
仏は我の前に光を指し示した
今も仏を彫っている
仏の御姿を
此岸に御広めする為に
人々に仏像を寄贈すると
誰もが頭を垂らし崇める
これこそが真の仏の御心、と
幾筋もの涙を頬へ流す
それは全てを許すような
美しく貴い御姿
崇高かつ至高
その仏の存在に人々は
声を枯らして奉る
それこそが我の今世の使命
この命ある限り
我は仏の御姿を彫り続けよう
「貴方の彫る仏像は、それはそれは美しいと聞いたわ」
都に呼ばれ宮中へと招かれ
簾の向こうで姫は仰有った
帳台に座す姫の声は
夢に浮かぶ泡のように
切なく透き通り
消えそうなほどにか細く
そして可憐だった
「それはこの世の者とは思えないほど、とも」
落ち着いた声色が
簾を通り抜け我の首に手を回す
心を惑わせ快楽を
目の前に逆さ吊りにする
助けるように手を差し出せば
闇色の世界へ溺れるような
立ち込める香さえも
妖艶な誘惑のよう
我に帰ることもなく
幻のような現に言葉を発する
「この目が捉えた仏をただ彫るばかりです」
簾の向こうに
まだ見ぬ姫が美しく微笑みを
浮かべているのが見えるようだ
「貴方は幾多の仏像を、その手が触れた仏を」
甘やかに震える湿った声
「人々に与えてきたのですね」
眠りに誘われるのは
その愛らしい声の所為のようだ
「それが使命です」
この答えさえ
ここでは付け焼き刃
今は霧の最果てに隠れてしまった
こんな心地は生まれて初めてだ
「そう…」
寂しげな声が簾を弄んだ
場に似つかわしくない答え
けれど二の句では
元の声音に戻った
「譽れ高い貴方に、是非彫っていただきたいの」
「この世で最も美しい仏像を」
簾が揺れ
白い手が微かに目の端に咲く
そして
それはそれは美しい
まるで天女の産んだ錦の花のような
まるで羽衣から零れる朝露のような
清く気高い凛とした御姿が
そう、姫が
我の前に華開いた
「私を仏にしなさい」
……嗚呼
言葉さえ口から出るのを躊躇った
奇蹟を目の前に
涙と共に拝跪する一つの魂
奇蹟というべきこの御姿を前に
この魂はこの華と同じ人間ではない
最早我の存在の価値さえ
無となるだろう
「姫…」
意思と無関係に動いた唇
無意識故に
奥底を抉り掻き出す
「…貴女の体を彫りたい」
「遺憾ながら、これほど美しい方をこれ以上美しくする術を、私めは持ち合わせておりません」
「しかしながら、その御体を、まるで天を揺らす歌姫のように稀代なる美しさのその御体を、この手で刻みたいのです」
姫は微笑んだ
小さな唇は
蕾から満開の桜へと変わる
盃の底は空の蒼に染まった
美酒に浮かぶ一片の花弁のよう
真珠を織り交ぜた白雪の肌を
濁りなく煌めく刃がなぞる
これが夢幻なら
どうか終わらないでほしい
弾ければ
そう、まるで舞姫の狂気
胸に頬に腹に
錐を入れては抉り
至高の仏を掘り出してゆく
溢れかえる血酒を
舌で掬いながら
仏になりゆく姫は
絶え絶えの息を口の端から注ぎ
蜜の喘ぎを紡ぎ出す
それはこの世には有り得ない
御仏の歌のよう
その声は
私の理性を少しずつ吸い出していく
甘く優しい罠にかかりながら
それでも沼の底へと
堕落という美しさを
初めて口に含み
その退廃美に酔いしれる
きっとこの方は
どんな仏像でも敵わない
美しく清き仏になられるだろう
「貴方の手は、本当に美しい」
姫の赤く白い手が
我の木に乾いた手を擦る
小さな秘め事のように
「この手がいくつもの仏を作られた」
甘い吐息が手に吹きかけられる
密やかな疼きを残して
姫と我の中で砕けて煌めく
「そして私も」
「貴女様に美しいと言われるべき人間などいません」
姫から笑みが零れた
それは一瞬で顔から剥がれ落ちた
長く艶やかな黒髪が
そっと小さな顔に口づける
最後の慰めのように
「いいえ…私は美しくなどありません」
「私は本当は、仏になどなっていい存在ではありません」
哀しく切ない声が
刃が刺さる度
言葉を繋ぐ
肉や皮膚が削げる度
血と共に想いが伝わる
「貴方は存じ上げないでしょう、私が貴方を見ていたことを」
愛らしい胸はなくなり
腹は筋肉だけとなり
子宮は抜かれた御体は
気高さをより一層増し
美しい仏へと進んでゆく
「始まりはとても澄んだものでした」
「ただ見つめていられればそれで充分でした」
「けれど日に日に想いは重なり、もう底は見えません」
「激しく燃える炎は重い煙を発します」
「貴方が他の人へ、その手が触れた仏を授ける度」
「嗚呼何度その泣く姿を斬りたくなったことでしょう」
「私は穢れました」
「貴方を私だけに縛りつけてしまいたいと思う日々」
「けれど、美しい貴方に触れれば、貴方は穢れてしまいます」
「だからせめて、この体」
「貴方だけの美しい仏になりたいのです」
胴を短くし
手足を長くし
そう、花のように美しい
「姫…」
「何でしょう」
我は笑いかけた
その美しい御姿に
「もうすぐ完成致します」
「貴女様は、清らな仏となります」
姫は微笑み返してくださった
それは穢れのない
心満ち足りた微笑み
二つの赤い体は
幻のように戯れる
薄い唇が重なれば
それだけで癒しとなる
救いのように
慈しみのように
それはただ仏のように
姫は秘めやかな喘ぎを
清く気高い魂と共に
天井の向こうの空へと放った
肉体も精神も仏となった
姫の散華
姫の全てを見つめて
我は強く言った
「貴女様は本当に美しい」
「私めだけの仏です」