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1-8.老害

「アンビー……」


 昼の飼い葉を食べていると、いつものようにジュンがやってきたのだが、なんかおかしい。いつもハイテンションなジュンのテンションが異常に低い。

「G1だー!」って昨日まで、あんなにはしゃいでいたのにどうしたんだろう。


「わたし、もうアンビに乗れないみたい……」

 悲しそうにジュンがつぶやく。


 なんだって!

 オレはジュンの鞍上が気に入ってるんだから、いまになって鞍上を変更とか困るんだけどな。


「まだ正式に言い渡されたわけじゃないんだけど、聞いちゃったの。

 先生のところに遠野さんが来て、『ビーアンビシャスの菊花賞は自分にまかせろ。自分が鞍上なら神戸新聞杯だって差し切っていたはずだ』って言ってるの」

 遠野って言うのは関西のベテランジョッキーだ。

 G1も何回か勝ったことがあるが、オレは特に上手いジョッキーとは思っていない。当然、神戸新聞杯の鞍上が遠野に代わっていても、スギノミサイルに勝てたとは思えない。

 遠野はどちらかというと、調教師や馬主たちにうまく取り入っていい馬をまわしてもらっているだけって気がする。

 ただベテランジョッキーの機嫌を損ねると、まだ若手である藤森調教師としては、いろいろやりにくいのだろう。

 前走勝っていれば別だが惜敗となると、馬主の手前、専属のジュンをムリに乗せ続けることも難しいだろう。

 ジュンとしても大先輩に逆らうと、この世界で生きていくのは大変だろうし……

 ここでオレに愚痴を言うくらいしか出来ないんだろう。


 そして今度の菊花賞で負ければともかく、遠野ジョッキーに乗り変わって優勝となれば、そのままオレの鞍上は二度とジュンに戻ってこなくなってしまう。

 オレとしても、ジュンに鞍上を戻してほしくても、今度の菊花賞は決して負けるわけにはいかない。手を抜いてわざと負けるとか論外だ。

 つらいなぁ。


「ごめんね、アンビ。愚痴言っちゃって。

 アンビは気にせず頑張るんだよ。アンビならきっと勝てるって信じてるからね」

 いい子だなぁ、なんとかしたいなぁ。でもなぁ……


 その日の午後のトレーニングで鞍上は遠野となった。

 オレだってトレーニングではジュン以外に何人も乗せてきたから、それは別にいいんだが、心情的にはやるせないものがある。


 遠野はいきなりオレにまたがると何も言わずに急に手綱を引いた。

 わかってるとは思うが手綱はハミにつながっているのだから、急に引かれれば痛いんだ。ジュンなら必ずひと声かけてから軽く手綱を引くだけだ。それで十分にオレには意思が伝わる。つまり馬のことを尊重していたわってくれているわけだ。

 それが遠野の場合、一方的に自分の意思だけで馬をコントロールしようとしている。完全に馬を下に見て、自分の言うがままに動けばいいという態度だ。


 もとから悪かった遠野の印象が一気に最悪となった。


 それからのトレーニングもひたすら強引。無駄にムチを振るってオレの馬体を殴りつけるし、コーナーでは強引な体重移動をしてくるので、走りにくいとしか言いようがない。

 最悪だ、こいつ。


「うーん、思った以上にズブいな、コイツ。

 ムチ入れても反応が鈍いし、コーナーもぎこちない」

 トレーニングを終えて出たのがこの一言だ。

 すべてオマエのせいだよ。


 コイツはダメだ。

 コイツの鞍上じゃ満足に戦えない。

 スギノミサイルに勝つどころか、まともな勝負の舞台に立つことさえ出来やしない。とんだ老害だ。


 オレは一計を案じることにした。


 翌日のトレーニング、遠野がオレにまたがってオレの腹にカカトで蹴りを入れてくる。いわゆる進めの合図だが、オレは無視する。

 遠野は何度もオレの腹に蹴りを入れる。最初の蹴りはごく普通の感じだったが、二度目以降の蹴りは明らかに悪意を持って痛く感じるように蹴ってくるのがわかる。

 オレは変わらずに無視し続ける。


「なにしてやがる、このバカウマ。さっさと進まないか」


 遠野はいきなりムチを振るってきた。

 まぁ予想通りではある。

 オレはヒヒーンと甲高く鳴いて、軽く後ろ足立ちした。いわゆるフェラーリのエンブレムみたいな感じだな。


 遠野はさすがに落馬まではしなかった。まぁ傷つけるのが目的じゃないから、落馬させないように気をつけてはいたからな。

 慌てて遠野がオレから降りたので、オレは遠野をそこに置いたままさっさと歩き出した。

 遠野は走ってオレに追いつくと、オレの手綱を捕まえて、グイっと思いっきり後ろに引いた。だから、それ痛いんだって!

 普通そんなことしたら馬が狂ったように走り出して、あんた引きずられるよ。そうなると下手すれば大怪我しちゃうよ。

 さすがにそれは不味いな。


 どうしてくれようかと考えていると、遠野はいきなり怒りに我を忘れて、ムチをオレに向かって思いっきり何度も振り下ろしてきた。

 なにしやがるんだ!


「やめて!」


 この光景を物陰から見ていたらしいジュンが走ってきたかと思ったら、オレをかばうように遠野とオレの間に割り込んできた。

 だが、遠野のムチが止まらずにジュンの顔を一撃した。


 遠野にムチで殴られてそこに倒れ込むジュン。

 うわ、計算外だよ……


 ジュン、大丈夫だろうか。


 遠野もこの状況に呆然と立ち尽くす。


「ジュンちゃん、大丈夫か?」

 近くで見ていた厩務員の石脇さんがジュンに駆け寄る。

 騒ぎを聞きつけた藤森調教師も駆けつけてきた。


「大丈夫ですから……」

 ジュンが顔を抑えたまま、弱々しく返事をする。

「いや、大丈夫じゃないだろ。顔がミミズ腫れになってる」

 石脇さんに付き添われて、ジュンは救護室へ向かうことになった。


「いったい何事ですか、遠野さん」

 藤森調教師の問いかけに、遠野はしどろもどろになってる。


 オレのトレーニングを中止にするわけにもいかないらしく、今日のトレーニングは調教助手の田橋さんの鞍上で急遽行われることになった。

 うーん、オレの計画のせいでひどいことになってしまった。

 オレとしては遠野をひたすら怒らせて、「こんな馬の鞍上なんてやってられるか」と遠野の口から言わせようと思っていただけなのに……

 反省しよう……


 翌日になって顔にシップを貼った痛々しいジュンがオレの馬房に現れた。


「アンビー!」


 なんか前以上にハイテンションだな。大声に他の馬たちが驚いてるじゃないか。

 少し自制しなさい。


「またアンビに乗れることになったよー!」


 おー、それは吉報。

 あの後、関係者で話し合いが行われ、遠野がジュンを傷つけたことは示談とする代わりに、菊花賞のオレの鞍上をジュンに戻すことになったようだ。

 うーん、これぞ結果オーライ。


 でも、ジュン。女の子なんだから、もう少し顔とか大事にしようよ。

 せっかく可愛い顔立ちしてるのが台無しだよ。

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