3-8.老優
「負けたー!」
完敗だ。
作戦は見事にハマった。追い込み一辺倒からの脚質転換は上手く行ったはずだ。
マークしていたタカノロイヤルは完全に封じた。ドウネンブラウンのことも忘れたいたわけではない。十分に注意し、上手く対処できたはずだ。
道中に大きな不利もなかった。
そして最後にオレの切り札でもある最終スキルを発動させ、その上の差し替えされたのだ。
これを完敗と言わずして、どう言うのだ。
思い返しても反省すべき点が思いつかない。つまり、何度これを繰り返そうともオレが勝てるべき展開が想定できない。
つまり、オレがドウネンブラウンより弱かったというふうに結論づけるしかないのだ。
ウイニングランをするドウネンブラウンを見ながらふとオレは小さな違和感を感じた。騎手もドウネンブラウン本人も完璧なレースぶりに満足そうだ。でも、ドウネンブラウンの歩幅、少し変じゃないか。
いつも、もっと大きなストライドで伸びやかに走ってなかったか?
オレは地下馬道でドウネンブラウンを待つことにした。
「おや、ビーアンビシャス君。
こんなところでどうしたんだい。わたしに祝福でもかけようと待ってくれてたのかい?」
「おめでとう。見事なレースでしたよ」
「ありがとう。本当に祝福が来るとは思わなかったよ」
「いや、それだけのために待ってたわけじゃ……
なんか気になって……
どこか変じゃないのか?
脚とか……」
「……わかってしまうのか。観客たちは上手くごまかせたと思ってたのだがな」
「やはり、どこか……」
「そりゃ、そうさ。
わたしの最終スキルは特別でね。
脚への負担がそりゃまぁ半端ないのさ。
これまでも2段スパートは使ったことがあったが、まさか3段目を使う日が来ようとはね」
そのまま短い沈黙があったが、ドウネンブラウンは話を続けた。
「いやね、実を言うと去年の秋の天皇賞も同じ状況に追いやられてね。聞いているだろ、わたしがサワダジーニアスに見事に出し抜かれたレースを。
あのときも3段スパートを使おうか悩んだものさ。そして使わぬまま負けた。
後悔したよ。どうしてわたしはあそこで切り札を使わなかったのかって。
怖かったんだね。切り札を使って壊れてしまうのが。
もうあんな後悔は二度としたくない。
そう思って今年は使わせてもらったよ。
でもやはり、予想通りっていうか、わたしの脚は耐えきれなかったようだよ」
「そうだったんですか……」
「でもね、後悔はしてないよ。
切り札を使ったからこそ、お前に勝つことができたんだからね」
「脚の方は?」
「別にこうして普通に歩けるし、さっき見せたように走ることだってできる。
でもね、レースで全力で走ることはできないだろうね。
これで引退さ。
何度も言うようだけど後悔はないよ。
こうして栄光の中で引退できるんだから」
オレはなんて言葉を繋げようか悩んだ末に。
「寂しいです。憧れの馬がいなくなってしまうことが」
「何を言ってるんだ。
これからはお前の時代だろ?
これで名実ともに日本のリーダーだ。
少なくとも栗東のボス馬ってことで威張り倒せるぞ」
「そうは言っても……」
「そうだ、せっかくだから1つ頼みがある。
後悔はないと言ったが1つだけやり残したことがあるんだ」
「やり残したこと?」
「そう、ジャパンカップだ。
去年、秋の天皇賞に負けて腑抜けて未出走だったジャパンカップでフランスから来た2頭に勝ち逃げされてね。
なんでも今年も揃って2頭で来日するらしい。あいつらをギャフンと言わせてやりたかったんだが、どうやらそれもできなさそうだ」
「フランスからの2頭?」
「そう、そのやり残しをお前に頼みたいんだ。
日本のリーダーホースとして、あいつらに吠え面をかかせてやってくれ」
「わかりました。
でも、出走レースを自分で自由に決めることができるはずもなく……」
「それは問題ないさ。
お前がやる気出して好調を維持していれば、お前のとこの調教師がジャパンカップに出走させない理由がない。
今日負けたからって意気消沈してたら別だけどな。
まぁ、去りゆくオレの勝手な頼みだ。
好きにしてくれ」
言うだけ言うと、ドウネンブラウンはさっさと地下馬道を先に行ってしまった。
オレはその姿を見送った。
去りゆく老優に敬意を示して。