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ガラガラガラ
教室のドアが開く。開け閉めの際に大きな音がする、立て付けの若干悪い引き戸だ。
俺は、出来るだけ平静を装い、ドアの方を見た。入ってくるのが彼女だとは限らない、舞い上がって醜態をさらす真似だけはしたくなかった。ドアを開けた人物が、教室に入ってくる。
その瞬間、俺の視界はスローモーションになった。
きっちりとセーラー服を着た彼女が、そこにいた。触ればきっとさらさらであろう、エンジェルリングを光らせたショートカットの髪、快活そうな大きな瞳に、ちょっと気の強そうな眉、ちっちゃな鼻に、相手が誰でも分け隔て無く優しい言葉を紡いでくれる可愛い口。
遠き日の憧憬、小さな天使が、俺の前に舞い降りた。
「あ、おはよう」
彼女は、部屋に入るなり、俺を見付けて挨拶をしてきた。鼓動が早くなり、顔が紅潮していくのを感じながら、俺は必死に言葉を返した。
「お、おはよう」
彼女は、自分の机に荷物を置きながら、言葉を続けた。
「朝早いんだねぇ、君。えーっと、竹中君だったよね」
「ああ、うん。そうかな」
彼女が俺の名前を呼んでいる。たったそれだけのことで、俺の感情は昂ぶった。もう聞くことは無いはずだった、この声。さっきまで記憶も朧気だったのに、今は鮮明に蘇ってくる。俺は、何とも締まらない返事を返すことしか出来なかった。
「職員室に行ったらさ、もう鍵開いてるって言われて。こんな早くに誰が来てるんだろう、って思っちゃって」
そんなことをいいながら、彼女は、俺の方に近づいてきた。そして、俺の前の席に座ると、真正面から話しかけてきた。
「ね、何してるの?」
俺は一瞬固まってしまった。こんなだったかな、ファーストコンタクトは。大好きな彼女が、二人きりの教室で、息づかいすら聞こえてきそうな距離から無邪気に話しかけてくる。俺は、感極まって抱き締めなかった自分を褒めてやりたかった。
「あ、えーと、本を読んでいるんだ」
彼女は、俺の読んでいる本を覗き込む。ち、近いよ、近いって。そして、その体勢のまま、上目遣いで俺の方を見た。
「ふーん。こんな朝早くから、学校来て本読んでるの?」
「!!!」
彼女から、女子の何とも言えない良い香りがした。それくらい、距離が近かった。