最近のなろうを見てて思うこと
最近よく学校で話すオタク友達に鬼滅の刃を薦められた。私はふと聞いてみた。「そういえば、前に君が話してたごとよめとやらは、今どうなってんの?」と。
友達は「しらね、もうブーム終わったからどうでもよくなった」と
、、、、、、、、いやどうでも良くないよ、君と一緒にアニメイトに行った時間を返してくれ
喉の奥にでかかったがなんとかこらえた
この会話を数日前にしてから少し考えた事がある。いったいいつからオタク向けの製品は消費製品になったのかと
いや、もしかしたらずっと前から、もう長い間そうなのかも知れない。もしそうだとしたら何故自分は気が付かなかったのか。
元々はサブカルチャーであったオタク文化が、一般化されてもう長い事になる。少なくとも5年以上前からだろう。
それまでは一つのコンテンツに長い間ファンが着いていた。ニコニコでいう御三家みたいなものだ。特定のコンテンツに多数のファンが集まり、それを盛り上げる。それはアニメだけではなく、ボーカロイドやライトノベルにも言えることだった。
近年衰退したと囁かれるコンテンツの一つにボーカロイドが挙げられる。「初音ミク」という偶像に対し、ボカロPだけではなく絵師や視聴者は「初音ミク」をただの歌を歌う機械ではなく、「偶像」としての価値を見出だした。
しかし今ではボーカロイドの動画においてサムネイルに初音ミクや、その他ボーカロイドキャラクターの絵が使われているものは少ない。
もはやボカロを支援する人にとって初音ミクとはただ音の鳴る機械としての価値しか見出だせなくのったのである。(その理由としてハニーワークスやカゲプロなどのせいする人もいる)
何故ボーカロイドは衰退したのか、その理由の一つとして私は「ボーカロイドの一般化」であると考える。ボーカロイドと一般化とは、言うならば「産業としてのコンテンツ」ということ、つまり金を生み出すようになったからである。
ボーカロイドの曲を歌う歌い手のCD、カラオケ、音楽ゲーム
それらを消費する人にとっては初音ミクは「偶像」である必要は無い。そうなると何が起きるのか。
より多くの人に受け入れて貰うために「売れるものを作る」人が増え、「作りたいものを作る」人が減るのだ。これが一般化である
すると古くから初音ミクを応援していた人は「つまらなくなった」と言って抜けていってしまう。
私はこれは初音ミクだけに該当する事ではないと思う。例えばなろう小説ではどうだろうか
元々は個人サイトであった「にじふぁん」が完全に法人化して、小説家になろうになってからとても多くの小説が発表されてきた。
それらの中には多くの人気を博し、書籍化やアニメになった作品もある。
、、、、、、、何かに似てはいないだろうか
今や新しく小説を書こうとする人は新しい小説を求めてはいない。また高校生が、おっさんが、サラリーマンが異世界にとんでいく。平凡な少女が転生し、王子様と恋をする。オタクの高校生が学校一の美人に告白される
「小説家になろう」は変わりつつある。昔のような個性を求める、オナニーのような作品は発表される事は少ない。
皆が同じような作品を書き、それに皆が同じように読む
なんだか少し奇妙な感覚に陥るのは私だけだろうか