013
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四体の中級悪魔とバグの戦闘が起きていた南塔では異変が起きていた。
その異変に悪魔達が気付くのに時間は掛からなかった。
『死体ガ消エタ?』
と、狼頭の悪魔が口にすると他の三体の悪魔達も異変に気付いた。
首を斬り落としたはずの人間の死体が、綺麗に消えていたのだ。頭も、胴体も、更には岩床に広がっていた血溜まりまでも一滴残らず消え失せていた。
『何故ダ?』
と、昆虫の悪魔が首を傾げた。
少し遅れて蛾の悪魔が異変の正体に気付く。
『ッ! アノ人間ハ幻術ダ!』
と、蛾の悪魔は叫んだ。
幻術作用のある霧を発生させ、バグを幻術に陥れた蛾の悪魔は幻術に長けた悪魔である。故に、幻術に使われた魔力の残滓を感じ、戦っていた人間が幻術だったことを見破った。
しかし、今頃見破ったところで既に手遅れと言える。
「ようやく気付いたか。遅すぎる」
と、不意に聞こえてきた人間の声に振り返る悪魔達。
部屋の隅に立つ人影を見つけ、悪魔達はジッと眼を凝らす。
何故、今まで気付けなかったのか不思議なくらいに堂々と立つ姿に悪魔達は動揺を覚える。
そこには、殺したはずのバグが立っていた。
「百八回」
と、唐突に数字を口にした。
悪魔達はその数字が意味するものを察することは出来ない。悪魔達の疑問に答えるようにバグは言う。
「お前達を殺せた回数だ。俺の幻影と戦っている間にお前達を殺す機会は百八回あった」
そう口にしたバグが冗談ではなく、本気で言っていることは殺気に満ちた薄紅色の瞳が語っている。
悪魔達は幻影に踊らされていた事実が不愉快極まりなかった。その表情に憤りを滲ませ、今にも襲い掛かって来そうだ。
猿の悪魔が僅かに足を動かした瞬間、バグの鋭い瞳が殺気を放ち、動きを封殺する。
殺気を放っただけで、まるで槍を突き刺されたかのような痺れが全身を駆け抜け、猿の悪魔は体を震わせた。
『イツカラ気付イテイタ?』
と、蛾の悪魔が恐る恐る尋ねた。
「塔を上る前から気付いていたさ。姿と魔力は完璧に消していたようだが、殺気が漏れていた」
と、バグは言った。
暗殺者としての職業病と言えなくもない。
殺気に敏感であることは己の殺気を完璧に消すのに必要不可欠な能力であった。自分すら客観的に見ることが出来ない者に、敵を見定めることは出来ない。
得体の知れない中級悪魔と正面から戦うなど危険度が高すぎると考えていたバグは幻影を使い、強さを見極めることを優先した。
敵の弱点、隙、癖などを見切る能力に優れたバグは幻影と踊る悪魔達を外から眺め、既に中級悪魔の強さと能力は把握していた。
なにより、バグが重要視するのは狙った敵が『殺せる』か『殺せない』か区別すること。
そして彼が出した結論は、
『容易く殺せる』である。
悪魔達に隠している力があると考慮しても、四体の中級悪魔を確実に仕留められると判断した。故に、バグは姿を見せたのだ。
何より、これ以上の傍観は時間の無駄と言える。
「答え合わせは終わりだ。そして、お前たちも終わりだ」
と、バグは淡々と言った。
『我々ヲ相手ニ勝テルト言ウツモリカ!』
と、狼頭の悪魔は吠えるように叫んだ。
「逆に聞くが、俺に勝てるのか?」
と、バグは挑発するような声音で言い返した。
『ソノ舐メタ口、斬リ裂イテヤル』
と、昆虫の悪魔は四刀を握る腕を構える。
身構えると同時に腕の一本に違和感を覚え、視線を落とす。
『……俺ノ腕ガ』
と、気付いた時には昆虫の悪魔の腕が一本消えていた。
まるで、鋭利な何かに斬り落とされたように腕の関節から先が綺麗に失われていた。
「手頃な剣があったんで借りている」
と、バグは言った。彼の手には昆虫の悪魔が持っていた剣が握られている。
悪魔達に驚愕と動揺が電撃のように駆け巡った。
――いつの間に奪った?
と、悪魔達の脳裏を同様の疑問が埋め尽くす。
剣と腕の一本を奪われた昆虫の悪魔は痛みすら感じず、奪われたことに気付かなかった。
誰も気付けなかったという事実は悪魔達の胸に焦躁と恐怖を生む。
――この人間は全力で殺さなくては、自分たちが殺される。
そう直感した悪魔達は無意識かつ反射的に全魔力を開放し、臨戦態勢に入ろうとする。
そして、悪魔達は咆哮を上げようとした。
だが、それよりも速くバグは動いていた。
バグの姿が残像と共に消えると、瞬きよりも短い一瞬で、四体の悪魔の間を黒い風が吹き抜ける。
気付いた時にはバグは部屋の端から端まで瞬間移動し、悪魔達の背後に姿を現した。そして彼は首を振り返らせると言う。
「わざわざ、敵が全力を出すのを律儀に待つ間抜けがいるか?」
と、悪魔達に問い掛けた。
しかし、その問いに答える悪魔はいない。
バグの体が振り返ると同時に、悪魔達の首に赤い筋が走る。そして鮮血を噴き出すと、悪魔達の首が落ち、ゴトリと音を立てた。
『……速過ギル』
と、首だけになっても生きていた昆虫の悪魔は言った。
人間では有り得ない生命力に少し感心したバグは当然のように言い返す。
「お前たちが遅すぎるんだ」
そう口にした彼の口角は不気味に笑っていた。
薄紅色の瞳が怪しく光り、褐色の肌がバグの不気味さを一層際立てる。
逃げることも、見ることも不可能な彼の存在は、歩く『死』そのものである。
狙われれば、必ず死ぬ。
その『死』から逃れることは出来ない。
まるで――
『――死神』
と、昆虫の悪魔は言い残すと絶命した。




