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東塔に続いて北塔が崩壊した。
何が起きているのかは分からないが、悪魔と死刑囚の戦闘が続いていることは想像出来た。
今も激しい戦闘音が微かに聴こえてくる。
すると、砦からこちらに駆けてくる聖騎士達の姿が見えた。その足取りと表情には焦りが表れており、何かがあったことは間違いない。
聖騎士達から戦況の報告を受け、軍の指揮を執っていたレイは驚愕の余り、言葉を詰まらせた。
「有り得ない…中級悪魔が九体だと?」
各塔に向かった三人の死刑囚と中級悪魔の戦闘が繰り広げられており、塔の方から響いている激しい戦闘音が砦の外まで聴こえてくる。
想定では多くても五、六体の中級悪魔がいると考えていた。しかし、倍近い十体もの中級悪魔がおり、死刑囚達は一人で三体を相手にしているという報告をレイは聞かされた。
この時はまだ、バグに幻術を掛けた蛾の悪魔は姿を見せておらず、聖騎士の報告では九体だが、実際は十体の中級悪魔がいることになる。
最初は冗談かと思ったが、この状況で聖騎士達が嘘の報告をするとは考えられない。全てが事実であると理解するにつれ、レイの表情に動揺が走る。
上級悪魔が不在であることは不幸中の幸いと言える。
それでも、死刑囚の全滅は免れないとレイは確信していた。
レイだけではなく、他の聖騎士達も死刑囚の全滅を想像した。
「死刑囚がいても悪魔には勝てないのか」
と、聖騎士の一人が呟いた。
まるで、死刑囚の三人に縋り、期待していたかのような発言にレイは不快感を覚える。
「クソッ、悪魔を倒せるかもしれなかったのに」
と、別の聖騎士が悔しそうに言った。
連鎖するように他の聖騎士達からもそれぞれ同じような言葉と想いが漏れ出していく。
ふと、レイは気付いた。聖騎士を含めた騎士達の間に流れている空気を。
皆は帝国を荒らし、民衆を苦しめた大罪人である彼らに帝国の未来を託し、希望を抱いている。死刑囚が帝国を救ってくれることを願っているのだ。
本来、帝国と民衆を護るはずの騎士達が誇りを蔑ろにし、忌むべき死刑囚に救いを求めている。
レイは許せなかった。
騎士だけではなく、誇り高き聖騎士すらも自らの力で戦うことを放棄し、死刑囚に縋っていることが、どうしても許せない。
死刑囚の敗北を確信した聖騎士達の表情に落胆の色が見え、レイは凄むような声音を飛ばす。
「少し黙れ」
聖騎士達は彼の鋭い眼光に気圧され、口を噤む。
とりあえずレイは憤る気持ちを押し殺し、戦況を整理して軍の行動を考えなくてはならなかった。
現状、悪魔の軍勢を帝国が押しており、優勢に見える。
しかし、中級悪魔が戦場に降り立てば戦況は一瞬で引っ繰り返るのは間違いない。今は死刑囚の三人が足止めをしているため中級悪魔が戦闘に参加して来ないが、時間は余り無い。
何か打開策が無いか思考を巡らせるが、妙案は浮かばない。十騎士を失い、疲弊し切った帝国軍に中級悪魔を打破する手段は皆無。絶望的と言える戦力差である。
帝国軍が取るべき最善の選択が『撤退』であることはレイも理解していた。
頷くように瞳を閉じ、すぐに開くと聖騎士達に撤退の命令を伝えようと言葉を走らせる。
「すぐに撤退の準備を――」
と、言葉の途中でレイは口を止めた。
顔を上げ、砦の中に意識を傾ける。違和感を覚えたレイはジッと砦を見遣る。
「どうされましたか?」
と、一人の聖騎士が尋ねた。
それに対し、レイは呟くように答える。
「音が……止んだ」
彼が言った『音』が死刑囚と中級悪魔の戦闘音であることをすぐに理解する。
聖騎士達は砦に意識を傾けると、帝国軍と低級悪魔の戦闘音が聴こえてくる。しかし、その奥から聴こえていた死刑囚と中級悪魔の激しい戦闘音と衝撃音が聴こえない。
崩壊した北塔と東塔、唯一残っている南塔からも戦闘音が聴こえなくなっている。
それが意味することを全員が察するのに時間は掛からなかった。
「……終わった」
と、一人の聖騎士がポツリと言った。
「終わったって、どっちが?」
と、別の聖騎士が恐る恐る尋ねた。
『どっち』とは、悪魔か死刑囚か。
誰も分からない問いに答えるかのように砦から雄叫びのような声が上がる。
その猛獣のような咆哮は悪魔のものだった。
「終わりだ。もう勝てない」
「帝国の、俺達の負けだ」
「最初から無駄だったんだ」
「今更逃げても意味がない。どうせ死ぬんだ」
と、聖騎士達の悲痛に染まった声が溢れ出る。
「それでも聖騎士――」
――それでも聖騎士か!
と叱責の声を飛ばそうとしたがレイは思わず声を詰まらせた。
彼らの表情は絶望に染まり、全身の筋肉が弛緩した姿は見るに堪えない。
まるで死んでいるような彼らにレイが何を言っても届かないだろう。
戦うことを放棄し、死を受け入れた彼らの心を動かすことは不可能だった。
悪魔に敗れ、右腕右眼を奪われ、戦えなくなった騎士王の言葉は届かない。
レイ・ルルシオン騎士王は無力である。
今のレイに聖騎士である彼らを絶望から救い出すことは出来ない。
それを察したレイは己の無力さに打ち震え、奥歯を食い縛ることしか出来なかった。
その時だった。
崩壊した東塔から大地が轟く程の衝撃音が響き、全員の視線が集まる。
レイを含めた全員が顔を見上げた。
「……岩?」
と、レイは首を傾げた。
東塔跡の遥か上空に浮いているのは、塔の頭だった巨大な瓦礫。
――何故?
という疑問が全員の脳裏に浮かぶ。
浮いていた巨大な瓦礫は落下し、轟音と共に土埃を高く舞い上げる。




