六話笑顔で繋がれた家族
親の愛情を感じられるのが、いつまでか分からない。
彼女が親の愛情を感じられなくなったのは、丁度六歳になる頃だった。
愛されていなかったわけではなかった。
愛されていたか、どうかで言われると愛されていたと断言出来る。
では、何故彼女が親の愛情を感じられなくなったのか。
それは、だいぶ前に遡る。
「アヤメー。いい子にしてたかー?」
父が、アヤメを抱き抱え笑顔でそう言った。
アヤメは、幼い頃夕方まで教会に預けられていた。
それは、両親が冒険者だったからである。
冒険者とは、夢中になってしまうものらしく夕方まで両親は帰ってこなかった。
当然、アヤメにとってそれは寂しく辛いことであった。
しかし、我慢することが出来た。
何故ならば、両親から冒険の話を聞くのは楽しかったし、何よりも両親が帰ってきた時二人の笑っている姿がとても魅力的に感じたから。
だから、アヤメは明るい笑顔で答える。
「うん! あのね、あのね、アヤメ今日シスターと一緒にシチューを作ったんだよ!」
はしゃぐ子どもを見て、父は大きな掌でアヤメを優しく撫でる。
「凄いなー。アヤメは。いいお嫁さんになるんじゃないかー?」
「もう。あなたってば、アヤメにはまだ早いわよ」
笑い合う両親を見て、アヤメは思う。
ああ。本当にこの二人の子どもに生まれてこれて良かったと。
寂しくても、辛くても、夕方になれば今のような幸せな時間がある。
その短い時間でさえ、アヤメにとっては宝物のような時間だった。
「分かるもん! アヤメ大きくなったら、優しくてかっこいい人と結婚するのーー」
アヤメの言葉に父が驚愕の表情を浮かべて。
「そ、それってもしかしてパパか?」
「違うよー! パパよりもかっこいい人だもん!」
アヤメは頬を膨らませて、悪ふざけする父を見る。
父は、ショックを受けて凹んでいる。
そして、今度は母が温かく優しい手でアヤメを撫でる。
「アヤメはきっと素敵な人と結婚出来るわ。だってこんなに可愛いんだもん」
天使のような笑顔。
その美しさが、アヤメにとっての憧れだった。
いつしか、自分もこんなふうに綺麗になりたいと感じていた。
「どうやったら、ママみたいにきれいになれるの?」
「え? わたし??」
戸惑い、父に助けを求める母。
そんな姿も、可愛らしい。
そして、父が母の代わりに答える。
「ママみたいになりたかったら、辛いことがあっても笑うんだ。アヤメの明るい笑顔に救われる人がきっと現れる。パパたちは、アヤメが楽しそうに笑っているのを見るのが、一番幸せだからな!」
意外だった。
アヤメが、二人の笑っている姿を見て幸せなのと同じように、両親もそう思っていたのだ。
ニッコリと笑う父を見て、アヤメはでも。と考える。
「それだけで、本当にママみたいに可愛くなれる?」
「もちろんだ! 男だってアヤメの笑顔にイチコロさ」
父のような強い人に。
母のような優しくて美しい人に。
そう願って、アヤメは周りがぱっと明るくなるような笑顔で。
「うん! アヤメ頑張る!」
精一杯微笑んだ。
そしてその日が終わり、朝となる。
「パパとママまた冒険に行っちゃうの?」
出掛けようとする両親を引き止め訊ねる。
すると、父と母は笑顔でアヤメの頭を撫でながら。
「アヤメがいい子にしてたら、早く帰ってくるよ」
「今日はアヤメの誕生日だもんね。帰ったらケーキでお祝いしましょ?」
今日はアヤメの誕生日。
冒険には行ってしまうが、家族三人でケーキを食べられる。
その頃のアヤメには、それがとても嬉しかった。
「本当? 絶対だよ? 絶対早く帰ってきてね!」
「ああ。だからいい子にしてるんだぞー?」
「うん! いい子にしてる!」
アヤメは笑った。
父も母も笑顔を浮かべる。
そして、二人は出かけていった。
それが、アヤメが両親と交わした最後の会話。
早く帰ってくる。
そう言ったはずの両親が帰ってくる日はなかった。
後から話を聞くと、両親はその日ある洞窟に冒険に行ったそうだ。
そこで、魔獣に襲われ命を落としたらしい。
それからそこは悪魔の洞窟と呼ばれるようになった。
一人となってしまったアヤメはその日泣き続けた。
両親は何も残さず、アヤメを一人置いていってしまった。
その現実は、幼かったアヤメにはあまりにも残酷で。
「早く帰ってくるって言ったのに……どうして……アヤメの誕生日祝ってくれるんじゃなかったの?」
思いをぶつける。
けれど、そのアヤメの叫びに答えてくれる人はいなくて。
アヤメは泣いては眠り泣いては眠りを繰り返した。
そして、数日が経った。
「アヤメちゃん。ちょっといいかな?」
部屋のドアがノックされ、眠っていたアヤメは体を起こした。
聞こえてきた声は、教会のシスターのものだった。
しばらくしても、返事がなかったからなのか、ドアは勝手に開かれる。
「ごめんね。勝手に入ってきちゃって……」
アヤメは母が亡くなってから、シスターと話す事は避けてきた。
何故ならば、母に似て優しくて美しいシスター。
無意識に、シスターと母を重ねてしまい悲しくなるから。
「どうしたの?」
視線は合わせず、訊ねるアヤメ。
すると、シスターは優しく微笑んだ。
その微笑みが、さらに母を連想させる。
忘れたいのに。忘れなくてはいけないのに。
「ちょっとアヤメちゃんと話したくなっちゃって」
「アヤメはシスターと話したくない……」
そっぽを向き、興味がないと意思表示。
すると、またしてもシスターは優しく微笑んで。
「それでも私はアヤメちゃんと話したいんだ」
その笑顔を見て、アヤメの中の何かがぷつりと切れる音がした。
そして、立ち上がりシスターを憎むように見て。
「じゃあ……笑わないでよ! なんでそんなに笑ってるの?」
「だってアヤメちゃんのお父さん言ってたじゃない? 辛いことがあっても笑うんだって。そうすればママみたいに可愛くなれるからって」
笑うなと言ったのに、笑顔のままのシスター。
それだけではなく、父の言葉を使い、母を話に出してきた。
そのあまりにも、空気の読めない行いにアヤメは腹を立てて。
「シスターが、アヤメのパパとママを語らないでよ!!」
叫んでいた。
これで、シスターは呆れて帰るだろうと思っていた。相手などしていられないだろうとそう思っていた。
しかし、アヤメの目の前にいる女性は変わらず笑顔のままだった。
口を抑えて笑い。
「もう。どこで覚えたの? そんな言葉」
そうなのだ。
アヤメはまだ六歳。
何故、アヤメがこんな言葉を使えるようになったのか思い出す。
それは本だった。
両親の帰りが遅くて、何もすることがないアヤメは本を読んでいた。
しかし、まだ六歳のアヤメには読めない文字がたくさんあった。
それを教えてくれたのは。
他でもない。目の前にいるシスターだった。
文字の読み方も、料理の作り方も、笑顔の練習もシスターはいつも傍にいてやってくれた。
次第に、涙が込み上げてくる。
慌てて、シスターが駆け寄る。
「大丈夫!? アヤメちゃん?」
「シスター……ごめんなさい。アヤメ……シスターに酷いことを」
涙が止まらず、途切れ途切れに声を出した。
シスターはそんなアヤメを優しく撫でながら。
父と母がしてくれたみたいに。優しく。
そして、シスターは微笑んで言った。
「そう思ったなら、笑ってよ。ね?」
「なんで……」
「だってそれがアヤメちゃんとアヤメちゃんのお父さんとお母さんとの絆でしょ?」
驚きにアヤメは目を見開いた。
ずっと忘れていた。
いや、忘れていたのではない。
逃げていたのだ。
父が言ったように、笑っても。
笑っていたのに、誰も幸せになんかならなかった。
笑っても無駄だと、逃げ続けてきたのだ。
けれど、このままアヤメが笑わなければ父の言った事を否定することになってしまう。
「アヤメちゃんたちの家族の絆を私に見せて?」
シスターが今日何度目かになる微笑みを見せる。
その顔を、じっと見つめ。
アヤメも、優しく微笑んだ。
ぱっと部屋中が光り輝いたそんな気がした。
これは笑顔で繋がれた家族の物語。
家族の絆の物語。
その日から、アヤメは何があっても笑い続けようと心に誓った。
しかし、彼との出会いを境にその誓いは破られることとなった。




