五話エルフの幼女
町の大浴場。湯気がもうもうと立ちこめる。
男湯だけでも、大した広さを誇るこの浴場に、アルマは一人湯船に浸かっていた。
「まさか、僕以外に誰もいないなんて。この広いお風呂を貸し切りってバチとか当たらないよね?」
急に自分が貴族にでも、なったかのように感じ浮かれるアルマ。
しかし、そう思っていられるのも束の間。
新たに浴場に入ってくる人物の姿にがっかりした表情を浮かべる。
「ん? 見かけない裸だね。誰かな?」
湯気に隠されていた姿が確かなものとなって、アルマの目に映し出されていく。
その姿を見た瞬間、アルマは重大なミスを侵してしまったのではないかと不安に駆られる。
そして、訊ねる。
眼前の人物。
訂正。眼前の幼女に。
「名前を言う前に一ついいですか? ここは男湯ですよね?」
「ん? そうだけど?」
不思議な事を聞かれたというように、純粋な翠色の瞳がアルマを見つめる。
幼女から言質を取り、男湯であることは確かめた。男湯であるというのなら、今のこの現状。
アルマに非はない。あるとするならば、むしろ眼前の幼女の方で。
「じゃあ、どうして男湯に女の人であるあなたが入ってるんですか?」
「あー。それは僕がここの主人だからだよ!」
奇妙なポーズを取り、高らかに宣言する幼女を前にして、アルマは頭を抱えていた。
もしかしたら、この町ではそう言った文化が取り入られているのかと、そこまで考えたところで幼女が再び口を開いた。
「気にしなくても、誰にも言ったりしないからさ。そんなに思い悩まないでよ? ね?」
軽口で、言ってくる幼女にアルマは反論する。
「なんで僕が悪いみたいになってるんですか!早く出ていってください!」
「分かってないなー。ただ女湯に入って何が楽しいんだい? 男湯から覗いて見るからこそ、夢があるんじゃないか。さー、君も一緒にこの先の楽園を覗こうじゃないか」
幼女は壁の一部を指差し、アルマがそれを目で追うと、そこには掌より少し小さいサイズの穴があった。
アルマは呆れ顔で溜め息一つ。そして、念の為確認する。
「あれはなんですか?」
「覗く為に僕が作ったんだ。それよりも僕も一つ質問いいかい?」
予想していた事が的中し、現実から目を背けるアルマに、幼女はアルマの体を見つめて問いかける。
「なんですか?」
「君のその体。どうしてそんなに傷だらけなんだい?」
その言葉に、アルマが自身の体を見る。
そこには、刃物で斬られたような跡がたくさん残っていた。
当然、自分の体なのだからアルマも気付いていたが、どうしてこんな傷があるのかまでは記憶が無いのだから分からない。
すると、ハッと幼女が顔を上げ。
「ま、まさか覗きのし過ぎで女の子に斬られたとか!?」
もし、そうだとすればアルマは過去の自分を許さないだろう。
そうでないことを信じながらアルマは答える。
「そんなわけないじゃないですか……転んだんですよ」
「いや、どんな転び方したらそんなふうになるんだい?」
さっきまでとは、一変して冷静になる幼女。
「なんかすっごい転び方したんですよ! ドガガガみたいな。 恥ずかしいから言わせないでください!」
「それで通すつもりなんだ……まあ別にいいけどさ」
諦めた様子で、小さく溜め息をつくと、明るい笑顔に戻り幼女が迫ってくる。
「それよりも、君。目の前に裸の可愛い可愛い女の子がいるのになんとも思わないの? もっと僕に魅了されてくれて構わないんだよ?」
自信たっぷりに、色々なポーズを取って体を見せびらかしてくる幼女。
そんな幼女をアルマはばっさりと切り捨てる。
「まず、自分の事を可愛いとか言ってる時点でちょっと……それに僕は幼女趣味はないんですよ」
幼女という言葉に反応して、硬直。
そして、唇の端を引き攣らせながら幼女は。
「よ、幼女……僕エルフだからこう見えても君より結構歳上なんだけどなー。お姉さんに向かって幼女って言うのは、さすがに酷すぎるんじゃないかなー?」
森の妖精エルフ。
確かにエルフの見た目は、人間よりも若いと聞く。よく見れば、幼女の耳が尖っていることに遅れて気付く。
実際どれだけ若く見えているのか、気になったアルマは訊ねる。
「ちなみに何歳なんですか?」
「うーん今年で二百歳ぐらいかな?」
見た目は幼女だが、年齢はお姉さんと言うより、お婆さんであった。
アルマは、眼前の現実を受け止められないというように、小さく呟いた。
「詐欺じゃないですか……」
浴場から上がると、カウンターの近くのベンチに腰掛けるアヤメの姿があった。
濡れた髪が、彼女の美しさを底上げしている。
アヤメは、アルマに気付くと駆け寄ってくる。
「お風呂どうだった? 疲れはとれた?」
「えっと……変態がいました」
そう言うと、アヤメは首を傾げて周りにたくさんのはてなを浮かべていた。
すると、背後から叫び声が聞こえる。
「誰が変態だよ! アヤメちゃん騙されちゃダメだよ! この男は覗きのし過ぎで女に刺されまくった変態なんだよ!」
「あなたにだけは変態と言われたくないです。それに覗いたんじゃなくて転んだって言ったじゃないですか!」
アルマと、幼女の会話を、左右交互に見ながら、あたふたして聞くアヤメ。
「二人ともなんの話してるの!? それにまたツバキは覗きしてたの?」
「う……」
覗きは常習犯であった。痛いところをつかれたとでも言いたげに、体が固まるツバキと呼ばれた幼女。
翠色の髪が濡れているが、こちらに魅力を感じないのは何故だろうかと疑問に思うアルマ。
「僕は無実だー!!」
盛大に叫ぶツバキの声が室内に響いた。
「でも、良かった。アルマくんが楽しそうに話せているところが見れて……」
帰り道。
アヤメがそんな事を話した。
しかし、アルマは不機嫌な顔を浮かべ。
「そんなに楽しそうにしてましたか? 僕」
「ん。してたよ?」
幼女と話して、楽しそうにしていたなど不覚。などとつまらない考えをアルマがしていると。
アヤメが俯き、震える声で呟いた。
「ねぇ……アルマくんはどこにも行かないよね? あたしを一人にしないよね?」
楽しい日々が永遠で無いことをアヤメは知っていた。けれど、アルマと過ごした今日という時間はアヤメにとってかけがえのない時間だった。
信じたい。
信じたいけれど怖い。
もし、また約束を破られたら。
しかし、アヤメの呟きも想いもアルマには届かなかった。




