十話アルマの過去 二
この世界は人間に優しくはなかった。強くなければ何も守れないのだ。アルマは憎んだ。この世界の不条理を自分自身の無力さを。
自分の少し先を歩く女性を見て、アルマは数分前の出来事を思い出す。
地面に倒れ伏す母親の姿を見て、アルマは駆け寄る。
「お母さん、お母さん!」
返事がない。咄嗟にアルマは母親の手を握る。
いつも、母親が自分の手を握ってくれたように。だが、いつも感じていた温かい手の感触はだんだん冷たくなっていく。
これが、今まで自分の手を握ってくれていた、自分の頭を撫でてくれていた母親の感触?
「お母さん! 起きてよ! 僕を一人にしないでよ!」
アルマは叫んだ。受け入れ難い現実を前に幼い少年は叫び続けた。きっと生きている。微かな希望を胸に抱き続けて。
「起きて……いつもみたいに大丈夫だよって笑ってよー……」
母親の笑っている姿、母親が自分の名前を呼ぶ姿、母親との沢山の思い出が込み上げてきて、目から涙が溢れてくる。
そんなアルマを女性は悲しげな表情で見つめて、母親に突き刺さった矢を抜く。
そして、俯き、静かにアルマに伝える。
「この矢には、毒が塗られています……君のお母さんはもう……」
「なんで……これからも家族三人で幸せに暮らせると思ってたのに……村の人たちにももう会えないの?」
全てを失った。
しかし、ひょっとしたら村の人たちの中で誰かが生きているかもしれない。そんな期待を込めて投げた質問だった。
「ごめんなさい……きっと村の人たちも……」
淡い期待だった。いや、本当は理解していたのだ。けど、信じたくない現実だった。弱い自分が許せない。自分は逃げるだけで、何も出来なかった。お父さんと、お母さんを守るって約束したのに。
「ねえ……お姉ちゃん」
「どうしましたか?」
「僕は魔物が憎いよ……僕から全てを奪った魔物たちが憎い。許せないよ……だから、力が欲しい。あの魔物たちを倒せるぐらいの力が……」
子どもにここまで言わせるほど、この世界は魔物に負けてしまったのか。女性は考えていた。
ここに少年を置いていくわけにはいかない。だから、どこかに預けるつもりでいた。しかし、少年が強くなりたいと望んでいるのなら。
「分かりました。私が君を強くします。私の名前はユキ。少年の名前は?」
「アルマ、です……」
「よろしくお願いします! アルマくん」
優しく微笑むユキの姿はまるで、母親のようだった。
僕は強くなるよ。お母さん、見ててね。
そして、現在。
「師匠、どこまで行くの?」
「師匠って私の事ですか? 恥ずかしいので、普通に名前で呼んでください」
頬を赤らめて、恥ずかしがるユキの今の姿に魔物を倒した時の凛々しさなどどこにも無かった。
「じゃあ、ユキさん。どこまで行くの?」
「とりあえず、近くの町に行きます!」
自信満々に、答えるユキ。その表情からは少し子供っぽさを感じさせるものがあった。
「あっ分かった! 武具を揃えるんだね?」
「いいえ。まずは食事です! 強くなるためには栄養を蓄える必要がありますから」
ぐぅーとユキの腹の音が、静かな森に広がっていった。
「ユキさん、お腹減ってるの?」
「実は、迷ってしまって二日間何も食べていないんです」
「よくこの森で迷えるね。ほとんど一本道だよ。この森」
方向音痴にも限度というものがある。アルマは呆れた表情でユキを見る。
ユキはあははと笑いながら、頬をぽりぽりと掻く。
「精霊って知ってますか?」
唐突に、ユキから質問が投げ掛けられる。
「精霊って言ったら、この世界で知らない人なんていないよ。常識だよね?」
「それもそうですね。私はその精霊に気に入られてて、お話が出来るんです。だから道を訊ねたら、嘘の道を教えられちゃったみたいなんですよ」
どこまでも、呑気に笑うユキ。アルマにはよく分からない人物であった。このまま付いていって正解なのか不安になってくる。
「それって気に入られてないんじゃないの? きっと嫌われてるんだよ?」
「アルマくん。子どもの割には可愛くないですね。お姉さんちょっと傷付いちゃいました! 戦闘の時は精霊さんたちは強力な力を貸してくれるからいいんです! まあやりすぎちゃう時もありますけど……」
何かを思い出すように苦笑を浮かべながら、歩くユキ。その表情に興味が湧き、アルマは訊ねる。
「精霊さんと仲良くなれれば強くなれるってこと?」
「うーん簡単に言えばそうなんですけど、精霊さんは気まぐれですからね。自分から仲良くなるのは難しいですね」
強くなるのは、そんなに簡単ではないことを知り、アルマはため息をつく。
その様子を見て、ユキが何かを思い出したように手を叩く。
「でも、努力してる人を精霊は見てくれています。頑張り続けていれば、きっと精霊も振り向いてくれますよ!」
「なんだか、それだと僕が精霊に恋してるみたいだよー」
「いいんじゃないですか? 誰かを愛する気持ちはきっと力になります。たとえ、その相手が精霊であっても」
それは現実の話ではない。精神的な話に過ぎない。しかし、アルマにはユキの言った言葉が強く胸に響いた。誰かを愛する気持ち。
アルマは見る。眼前の黒髪の女性を。こうして見ると、とても美人である。視線に気付いたユキも、きょとんとした顔でアルマを見据える。
「どうかしたんですか? アルマくん」
「ううん、なんでもないよ!?……ただ」
「ただ?」
「ユキさん、可愛いなって……」
視線を逸らして、頬を染めるアルマ。
そんなアルマをしばらく、不思議そうに眺めるユキ。しかし、アルマの発した言葉の意味を理解してユキはみるみる顔を真っ赤に染めていく。
「え? 可愛いって……私が? だめです! だめです! そんな事を言われたら照れてしまいます!」
手で顔を隠し、しゃがみ込むユキ。
そして、微かに開いた手の隙間からチラッとアルマを見て。
「アルマくんは、悪い子どもです」
「僕だって恥ずかしかったもん……」
森の道の真ん中で互いに、顔を赤らめて照れ合う二人。精霊たちはこの二人の様子をずっと眺めていた。




