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 私は対人恐怖症だ。

 別に「殺されるかも」とか「殴られるかも」といったことを心配しているのではない。単に言動が予測できず、相手が何を考えているか分からないから苦手なのだ。


 人は知り合いに出会うと「いいお天気ですね」などと挨拶する。

 しかしこれに決まりきった回答はない。


 饒舌な人なら

「いやぁ、ホントにねぇ。こないだまでずっと雨続きだったのに。おかげで急に暖かくなって、もう体が追いつかないわぁ。服だって何来ていったらいいか分かんないもの」

 などと返すのかもしれないが、私にはそんな芸当は到底できそうにない。


 できるのは精々「そ、そうですね……」とモゴモゴ返事をすることくらい。そして引きつった薄ら笑いを浮かべ、ペコペコと会釈を繰り返しつつ後ずさりするのだ。


 この挨拶、「いいお天気ですね」だけがくるとは限らない。

「最近どう?」などもあるはずだ。


 なんて答えたら良いのだろう。困ってしまう。この緊張感は相当のものだ。


 何も試されていない場面で無意味に神経をすり減らす必要はない。理屈では分かる。しかし理性と思考が一致しないのだ。


 一例を挙げたわけだが、こんな感じで人が苦手なのだ。「苦手」の説明になっていない気がするが、とにかく苦手ということで。



 で、何故自分は人が苦手なのか考えてみた。

 そしてまず真っ先に出る答えは「よくいじめられたから」だ。


 しかしこの理由付け、卵が先かニワトリが先かといった状態だ。最初から人が苦手だった気がする。

 常にオドオドし、変な言動を繰り返し、まわりから浮いていた。それでからかわれたのだ。


 いじめといっても、まわりを数人に囲まれて「バーカ」「アホ」「消えろ」などと言われる程度だ。軽いものだろう。


「○○菌がうつる」などとからかわれ、鬼ごっこや変な遊びに使われることもあったが。


 私は何人かが近付いてくるとビクビクし、そのようにからかわれる度に顔を真っ赤にしてうつむいた。そして泣きそうになりながら逃げ去っていた。


 こんなのは大抵何回かあれば慣れてきて、冷静になれるだろう。そうなれば大事にしなくて済む。

「いい加減にしろ!」と怒るもよし、無視するもよし、

「なんだよアホ!」と適当に相手をしてやってもいい。


 けれど理屈ではなくからかわれることが苦手で、こうなる度に頭が真っ白になった。捕食者に見つかった小動物のごとく、必死で逃げた。

 それで反応を面白がられ、からかわれ続けたのだ。


 多分、強い人なら私のようなタイプを見るとイライラする。「強くなった人」もそうだろう。


「私はもっと辛く、苦しい目に遭ってきた。精神を病んだこともあった。それでも乗り越え、立ち直り、強くなったのだ。ほんのちょっとのことで怯えたり引きずったり、泣き言を言ったりする奴を見ると虫酸が走る。この根性なしめ」と思われるのではないだろうか。


 実際に自分がそのようなことを言われたことはないが、話を見聞きし、心理を分析するとそう感じる。


 でも人は皆、思考回路やメンタルが違うのだから、この弱さもある程度「どうしようもない」のだ。


 大事の後でもケロッとしている人もいれば、小さなことでいつまでもクヨクヨする人もいる。起きた物事の内容と、「自分だったらこうする」という物差しだけでは相手の心を汲めない。小心者にガツンと言ったところで、改善するどころか固まってしまうのではないだろうか。

 と、開き直っておく。


 さて、話を戻そう。

 自分が対人恐怖症な理由は「いじめられたから」だと思っていたが、どうやらこの「いじめ」というかからかいは、問題になる程のものでもない。

 というか、最初から人が苦手だったので「いじめられたから」というのは後付けだ。


 では何故最初から人が苦手だったのか?


 私が次に疑ったのは「発達障害」だ。


 私は本屋の医学書のコーナーでいくつか発達障害に関する本を買い、インターネットでもそれらについて調べた。そして「ああ、やっぱり」と思った。


 当てはまる特徴が多かったのだ。

 人になじめない。空気を読めない。こだわりが多い。

 私がまわりになじめない理由は、きっと「発達障害」だ。


 しかし事例に感情移入しているうちは気付かなかったが、冷静になると疑問点が出てきた。

 このような特徴というのは多少、誰にでも当てはまるものだ。集団行動が苦手な人も多くいるだろう。


 それに私は人の意見に流されやすく、何でも鵜呑みにしてしまう。


「貴方は短気で衝動的。後先考えずに行動する」

「貴方は知的で冷静。強い慈愛の心がある」

「貴方は残虐性を持っている」

「お前は劣等感の塊で、のろまでグズ」

「貴方はきっと天才だ」


 このようなことを誰かから言われたら、きっと全部真に受けて「ああ、そうかもしれない」と一喜一憂するだろう。


 これでは何に関するどんな情報を得たって「これは私のことだ」と思ってしまう。自分を客観的に見られていない。


 冷静になって発達障害の特徴を見返してみると、当てはまらない部分も多い気がしてきた。これは違うようだ。


 ちなみにさっきのいじめ(からかい)の話でも、「バーカ」と言われる度にショックを受けてワンパターンな反応を繰り返したのは、「相手の言うことを何度でも、必ず真に受けるから」だ。


 ここで思考を動かして、

「何故私がバカと言われなきゃならない? バカだと思われた部分はどこだ? 人をオモチャにすることに時間を費やして何度も何度も人をからかう、こんなこと以外にすることのないあの連中の方がよっぽどバカなのではないか?」

 としっかり考えていれば、からかわれる度に顔を真っ赤にすることもなかっただろう。


 まぁ実際バカだと思われていただろう。人とまともに話もできないし、「いいお天気ですね」と言われても逃げるような人間だから、みんなどう接していいか分からなかっただろう。


 それが悔しくて、作文の時間はここぞとばかり張り切った。

「私には心がある。意思がある。うまく言えないだけで言いたいことはいつだってあるんだぞ!」と。


 おかげで人とそこそこ話せるようになった今でも、練りに練った文章力が生きて……ないわ。


 まぁとにかく、「発達障害というわけでもないのでは?」という結論に至った。


 次に私はスピリチュアルに走り、スターピープルやインディゴチルドレンの項目を読んだ。

「人とちょっと感覚が違う人」の話だ。そして「ああ、私はこれかも!」と思った。

 しかしこれはさっきの話と同じだ。私はなんでも「Yes」と受け取る。もう自信がないというか、分からない。よってスルー。


 私はマイペースに「答え」を探した。

 なんとしても……いや、それなりに納得できる「理由」と「社会への対策方」を得たい。(自分の欠点への対処法? 受け入れない。)


 世の中には何の意味もない「バーカ」といった悪意が存在する。知性ある人間ならばそういう人間への対処法や見分け方(一目瞭然なのだろうか)があるだろうが……。

 私は正直善意と悪意、正論と暴論を見分けることができない。

 どれが自分にとって必要な言葉なのか。どれが聞き入れるべき意見で、どれに抵抗すべきなのか分からない。


 よって今度は頑固になり、変な場面で意地を張って抵抗したり、人の意見を受け入れなくなったり、かと思えば怪しい方面や悪意あるものに対して鈍感になり足を突っ込んだりした。


 いやこれも後付けのような気がする。

 最初から妙に頑固なところがあったし、妙に素直に真面目に受け取りすぎるところもあった。

 自分で自分がよく分からない。


 そして最後に疑ったのが、自分が「エンパス」である可能性だ。

 エンパシーは共感能力。私の解釈が間違っているかもしれないが、誰かの感情や痛みを無意識に受け取ってしまう体質だ。


 私は、「これかもしれない!」と感じた。


 ……勘のいい人ならお分かりかと思うが。これはさっきまでの話と一緒だ。


「発達障害」「スターピープル」「インディゴチルドレン」「エンパス」

 私はイエスマンで、なんでも「そうかも」と捉えてしまう。

 自分で自分の特徴をつかむことが困難だ。


 しかしそれも、エンパスであるということなら説明がつくのでは……?


 心が混乱してしまうのは、知らないうちに色々な人の感情を受け取って疲れ、自分の心を見失っているから。

 ショックを受けやすいのは、人の怒りや悪意を感じやすいから。

 人が苦手で避けるのは、人のエネルギーを受け取らないための防御法。


 このように仮説を立てられる。


 しかしこれも自分の過去の言動を思い返してみると覆った。


 私は、人の気持ちが分からなさすぎて困っている。嘘偽りを見抜くことなど到底不可能だ。人と話が噛み合わないことが多く、「こないだ言ったでしょ!」と呆れられることも多い。


 また、人の話を聞いていない。重要なことを誤解したり聞き逃したりする。特に待ち合わせに失敗した記憶が六つほどある。

「集合場所を間違えた」のが一回。

「アクシデントにより集合時刻に集合場所にいなかった」のが一回。

「約束を忘れていた」のが三回。

 あと一つは「原因不明」。


 原因不明というのは……

 ある待ち合わせの時、私は自分が不注意であることを自覚していたため、集合場所と集合時刻を間違えないよう、必死になって把握していた。そしてちゃんと集合時刻に、集合場所にいた。なのに何時間待っても誰も来なかった。

 そして後で、「どこで何をしていたの」と注意されたのだ。


 別に待ち合わせに限らず万事この調子だが、待ち合わせは特に苦手だ。ここまでくると完全に自信を失ってしまう。そんなわけでますます人が怖くなる。


 ……話を戻そう。

 詳細は言えないが悪意ある人に騙されたこともある。そして、下手な近付き方をして猫を驚かせてしまったことが二度ある。


 相手の嘘を見抜いてしまうなら、騙されることはないはず。

 相手の意識に共感してしまうなら、おっかなびっくり猫に近付いて驚かせてしまうこともないはず。


 間違いない。私は共感するどころか、人の気持ちを理解していない。完全に。


 また、私が真に受けるのは、人の「言葉」である。これは人の深い部分や奥底ではなく表面的な部分しか見えていないからだと思われる。


 そもそも情報を見ると、エンパスは優しくて純真で穏やかな人が多そうだ。


 ……自分はエンパスではなさそうだ。


 しかし共感能力に近いものは、ある程度誰にでもあるのではないだろうか。



 例えば誰かにニワトリを手渡され、次に刃物を渡され「ニワトリを殺せ」と命じられたら。


 ワイルドな方なら

「あ、食べるの? 分かった」と答えるかもしれない。


 ちょっぴり心ない方なら

「えー? 返り血で服とか汚れない?」と思うかもしれない。


 けど多くの人は、理屈抜きに

「嫌だ」と感じるのではないだろうか。


「このニワトリは、温かい。血が通っている。まばたきも、息もしている。心臓が脈を打っている。生きているんだ。殺したくない」と思うのではなかろうか。


 食べるために殺すのであれば、嫌がってしまう心を納得させる言葉はいくらでもある。


「世界には食料がなくて飢えて死ぬ人もいるんだ。食べ物があるのはありがたいこと。殺すのは悪いとか嫌だとか、可哀想なんて思いは偽善であり傲慢だ。命に感謝して食べるべきだろう」

 といった理屈があるはずだ。


 けれど理屈より速く、今目の前にある相手の息づかいを感じ、相手の「痛み」や「苦しみ」を想像して固まってしまうのは、「共感」の類ではないだろうか。


 抵抗なく食べられる人は冷酷だ、という話ではない。殺したくないなどと言うのは間違いだ、という話でもない。

 ただ……


「理屈を越えた共感力は多くの人にあるだろう。そしてそれが時として辛いこともあるだろうな」という話だ。


 戦争の残虐性を表す資料とか、カエルの解剖とか、世界が時々見せる残酷さの片鱗が。


 もう一度言うが、私の解釈は色々と間違っているかもしれない。申し訳ない。


 私は人が苦手な理由を、自分以外の人が考えた言葉や理屈に当てはめて考えてきた。

 血液型占い、星座占い、心理テストなどでも「そうかも」と頷いた。


 誰かの言葉ではなく自分の考えで、一言で結論を出すなら……


「なんにでも過剰反応するから」だ。


 私は必死で、いっぱいいっぱいで、攻撃的で、常に藁にもすがるような思いで何かを支えにする。自分は弱いと思い込んでいる。劣等感とコンプレックスで溢れている。


 だから「バーカ」と言われて「は?」と返す余裕がない。


「強くなりなよ」と言われても

「そんなの分かってる! けどこっちはそれどころじゃない!」といった心境だ。


 答えを求め、安心と平和を求め、残酷さに耳を塞ぐ。心が溺れているのだ。

 すべての理由は後付けで、先に立つ原因など無い。強いて言うならそういう「性格」だ。



「ある程度の残酷さは許容しなさい。みんなそうなんだよ。生きるためには必要なんだよ。けどそのラインは絶対に越えないでね。越えたら罰があるから。そして人前で安易に、性や残酷さについて語っちゃいけないよ。どっちも暗黙の了解。表に出したらみんなが不快になるんだからね。ちゃんと空気を読むんだよ」


 世界がそう言ってくるように感じる。

 一人一人意見は違う。誰もそんなこと言っていない。けれど確かに聞こえる。


「人」や「社会」を「一体感のある何者か」と捉えていたから怖かったのだ。

 よく見ればみんなバラバラだ。「日本」などという代表的な意思はどこにも存在しない。「ある」とさえ信じなければ。


 だいたい世界は人間のものじゃない。そんなこと誰も決めていない。目の前の人間の言葉だけを聞いて、世界のイメージを形作ってはいけないのだ。人間がなんと言おうと、人間以外のものの方が圧倒的に多い。


 人間は自然に頼りっきりだ。というかそうするより他に方法がない。どこまで行っても地球なのだから。そしてこの体は、生き物なのだから。


 植物が出してくれる酸素がないとダメ。魚や牛や豚がいてくれないとダメ。水がないとダメ。火も、電気も、磁石も、太陽も。化学物質だって元は全部自然物だ。そして一つでも消えたらしっちゃかめっちゃか、大混乱だ。


 もしも変に威張っている人間がいたら、その人こそ身の程知らずで浮いた存在なのだ。

「何を威張っている? 自然に生かされている、自分たちの立場を理解しているか?」といったところだ。


 自信がないのが正解。

 人として悩むことこそ正解。

 そう思うと気楽なものだ。


 とはいえ自信があるのもないのもただの個性で、どちらが正解ということもない。というかどちらのタイプも必要だ。



 このエッセイのタイトルは「人を信じられない理由などなかった」だが、これはそのまま、その通りの意味だ。


「でも、私は人に嫌な目に遭わされた。簡単には信じられない……」という方もいるだろう。


 ではもう一つ、同じ意味の言葉を出してみる。


「世界を信じられる理由などない」



「信じられない理由はない」=信じる

「信じられる理由などない」=信じない


 百八十度違うじゃないか、とお思いかもしれない。けどどちらも同じ意味だと思う。

 つまり「信じる理由」も「信じない理由」もないのだ。


 悪いことが起こる可能性はいくらでもある。それでも人は皆、ある程度世界を信じている。信じないと生きられないのだ。


 貴方は寝る前に、「誰かがこの家に放火して、私は焼け死ぬかもしれない」と思うだろうか。

 私は怖いニュースを見た後だとそう思う。幽霊番組を見た後は霊が出るかもしれないと思う。けれど実際、そうなったことはない。


 けどなんの心配もせず眠った日の次の朝、目が覚めたら目の前の壁にスズメバチが引っ付いていて、驚愕したこともある。


 不安を消したいのか煽りたいのか一体どっちなんだ、とお思いかもしれない。が、つまり……


「無駄に心配してもさほど意味がない」ということだ。


 ある程度の心配なら身を救うかもしれないが、大抵の心配は的外れだ。

 そして先は読めない。危険性を考え出したらキリがない。


 隕石が降ってくるかも。ミサイルを打たれるかも。町中ですれ違う人は通り魔かも。突然正体不明の奇病にかかって死ぬかも。核爆弾のスイッチが誤作動するかも。政治家と技術者がグルになって、何か重要な事実を隠蔽しているかも。


 もっともっと、自分には想像もつかないような危険が山ほどある。そして大抵の人間は、その無限の可能性の中のわずか1%の危険にのみ焦点を当てていると思う。


 海でサメだけを恐れるようなものだ。

 海にはゴンズイとかウミヘビとか、なんかよく分からない危険生物がウヨウヨいる。鋭い岩や、流れの急に強くなるところ、深いところなど色々ある。


 何がなんでも危険性について考えたいなら、もっと視野を広げてありとあらゆる危険に対して万全の策を投じるべきだ。

 が……


 猫に引っ掛かれても猫が苦手にならない人がいる。

 引っ掛かれてもいないのに怖がる人もいる。

 自転車でこけて自転車が怖くなる人がいる。

 ならない人もいる。


 怖がろうと怖がらなかろうと、それは経験に基づくものというより個性だ。

 どういう目に遭い、どう感じるかは人によって違う。同じ目に遭っても、まるで違う受け取り方をするかもしれない。


 だから信じる理由も、信じない理由も……


 なんにも、ない。


 私が人を恐れたのは、いじめが原因というわけでもなかった。

「過剰反応するせい」だったが、過剰反応する理由も該当データなしだった。よくよく紐解いてみれば後には何も残らず、「原因」は見当たらなかった。


 まだまだ「私が人を恐れるのは、前世で何かあったからに違いない!」などと迷走するだろうが、いずれにせよ答えは同じ。


「人を信じられない理由」が私にあるならば、他のみんなにだってあるはずだ。それを理由に「人が苦手」と言えるはずだ。

 でもそれを言わない人もいる。

 きっと賢いのだと思う。

 人は皆、同じ素材を生まれ持ち、それぞれに違う思いを乗せているのだと思う。


 自信があるのも、ないのも、人を信じるのも、信じないのも、過去を参考にするのも、しないのも、全部自由なのだ。


「私は辛いことを乗り越えて強くなった」という人もいる。

 が、多分、明るく楽しく優しく、いつも幸せそうな人にだって、壮絶な過去を持つ人が多いのではないだろうか。「私の過去はこうでした」などと自分から言い出すことが少ないだけで。


 最近そう思う。

 辛い目に遭っているのは、みんな同じ。

 そして、「辛い目に遭った」と言わない人だって、色々抱えていたことがあったんじゃないかと思う。


 人は未知のものが怖い。

 私は「人が何を考えているか」が分からないから怖かった。


 だから……

 もう少し、理解を深められるようになりたいと思う。

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