『ミレ』
迷惑?私って迷惑?
湖の対岸に回ってちょっと行くとそこがブレンダンの果てで、透明な壁があるから、その先には進むことはできなくなる。
その先にはブレンダンとそっくりな鏡で映したような世界が広がってるけど進むことができないから、だからその果ての場所に着いたところで、行く宛がなくなって、ぼんやりと湖のほとりに座る。
湖の周りは森や草原、泥しかなくて人がいないから、一切の音がしない。
世界を賑やかにできるのは人間だけで、湖はその意味を痛いほど噛み締める場所。
迷惑?私が行くだけで迷惑?そんなに私ってダメなの?
いるだけで恥ずかしい?
トキに馬鹿にされたことに自分がじんわりと傷ついてるのに気づいて、ちょっと泣きそうになる。
「……だったら友達なんて言わなきゃいいのに、どーせ私には神マネ講座しかないからいいですよ~」
ぐずぐずと鼻を鳴らしながらそんなことをぷつぷつとボヤいて、目の前の湖の景色を眺める。
湖の近くには私のローブと同じ色の泥のぬかるみがあって、それを見ると余計に悲しくなる。
そこの泥は服を一分醜くするから、みんな嫌がってる。
周りからみたら私は泥の服を着てるのと同じ色。
でも私の服は触っても醜くしないもん。
だから泥じゃないのに。
泣いてる内に黒の時間になってしまっていたから、真っ暗になって、湖も木も草も光のポワポワさえも何も見えなくって、ただ地面の感触だけがする。
黒の時間は、1日に三時間だけある世界が真っ暗になる時間、暗くて退屈なのに、でもどうしてだか、樫の木の癒やし、とも呼ばれている不思議な時間。
これからどうやって生きて行こう?
やっぱり友達なんて作るのやめようかな。
私と一緒は恥ずかしいみたいだから、友達はいらない。
小さい時からずっと馬鹿にされてたから、バカにされるのはもう慣れてる。
それに私にはやりたいこともあるから、友達や恋人がいなくても、物さえ作れるようになればそれでいい。
物は作れない仕組みになっているから難しいけど、でも私は信じてるから、いつかきっと何かはできる。
私はイオ、神さましか物を作ったことのないこの世界で、初めて物を作る人。
そうしたら、馬鹿にしてる人たちだって、もうちょっとは優しくなる。
そう考えた時、周りの闇がより深くなった気がした。
でもこれは精神的なものではなくて、人が来たことによるもの。
黒の時間は何も見えなくなるけど、人が目の前にいたらほんの少しだけ黒が濃くなる。
だから黒が深くなったならきっと目の前に人がいる。
でもどうやって黒の時間で動いたんだろう?動けるには動けるけど、結構気力がいるのに。
それにさっきまでここには人がいなかった。
前にいるのは---
「誰?」
恐々とそう言葉をかけたら、女の子の綺麗な声が返ってくる。
「あなたはこの世界が憎い?」
聞き覚えのない声。
私はこの子を知らないけど、あなたって言ってるから、向こうは私を知ってる?
「憎い?なんで?」
「だってあなた、みんなからバカにされてるでしょう?多分ブレンダンで一番馬鹿にされてるわ。衣装は地味で、神マネ講座なんて意味不明なことしてるから、ふふふ、バカみたい」
それなら私のこと知ってる?
質問してる振りしてバカにしてるのかも?
そう思ったから気にしてないフリをする。
「バカにされても憎くはないよ。だって私にはやることあるから」
それが女の子にはちょっと不満だったらしい。
「憎いんでしょう?」
「ううん」
「イオ、素直になって、あなたは世界が憎いの、この世界がどうしようもなく憎いから、人の交わりから逃げ出して、見果てぬ生にうつつを抜かすの」
見果てぬ生?
「ちがうよ」
「ちがう?本当に憎くない?」
「う……ん」
憎い?なんとなく否定したいのに、それを否定することができない。
憎んでる?……何を?
バカにされ続けてることを?衣装が地味なだけで一生の立ち位置が決まってしまっていること?
それとも別の何か?
考えていると私の前に何かが差し出されたのがわかる。
戸惑っていると、闇の中で少女が囁く。
「さあイオ、私の手を取って、あなたの未来はここから変わる、私があなたを引き上げて、輝かせてあげる」
私の人生が輝く……?本当に?
恐る恐る少女の手のひらに手を重ねると、ちょうど黒の時間が終わって、紫と赤の輝きの下で少女が笑うのが見えた。
その女の子は年齢はわからないけど、私と同い年よりちょっと上くらいの見た目をしていて、綺麗な子だった。
髪は金で目は碧色、服は真っ白で薄い大きな布一枚を幾重にも重ねて纏っていて、後髪の左側には何かのお面を被っていた。
「そのお面はなに?」
女の子の後頭部にあるお面はあんまり見たことのない形をしていた。
「これ?これはある動物を象ったもので、悪い霊に紛れるためのものね。
ネックレスは、世界に流れる力を象ったもの」
彼女の指し示した首元にはネックレスがかかっていて、細い金を折り曲げて、縦横に重ねた眼を三角にしたみたいな形状の飾りがついていた。
それも綺麗だけど、それよりも動物のお面?
動物なんて、大通りに彫られた装飾の中にしか存在しない。
人の着る衣装の中にもほとんど現れないから、それならこの動物のお面はすごく珍しくて、人気があるもの。
みんな服は派手なのを好むけど、動物とかそういう珍しい装飾もすごく好きだから、私もついついお面に目をやってしまって、わーっ!て感嘆する。
「この動物ってなに?黒くて目は細くて笑ってるみたい」
「可愛いでしょ?」
「触っていい?」
女の子は私がお面に興味を持つとは思わなかったみたいで、ちょっと考えたあと、好きに触らせてくれる。
「どうぞ」
「う、うん」
黒くて耳のある動物のお面はお面だけあって硬かった。
でもどっちかな、お面だから硬い?動物は硬い?ランピスの大通りにある彫り物の動物も硬い。
それなら動物は硬い?柔らかいなら、柔らかいまま神さまも作るよね?
「このお面って動くの?」
「動かせるけど、自分からは動かないわ」
「動物は動かない?動物なのに?」
「象ったものだから動かない」
「変なの、神さまなら本物をつくればいいのに」
私が言うと、女の子はちょっと微笑んで、他に聞かなきゃいけないことあるんじゃない?ってお面を動かし自分の顔を隠す。
「何?」
「私の名前」
あ、忘れてた。
女の子はしっかりした人みたいだから、昔、スミが教えてくれた通りに挨拶する。
「初めまして私はイオです。私はあなたのことが好きなので、よければあなたのお名前を教えてください」
私が正式な挨拶をしたから、女の子はお面をとってフワッと微笑む。
「ありがとうイオ、あなたの好意がわかってとても嬉しいです。私はミレ、私もあなたが好きです。もしあなたが嫌でないのなら、お互いが望む内は一緒にいましょう」
望む内は一緒?こんな好意的な返事を貰ったことはなくて、胸の底にじわじわと嬉しさが溢れる。
「うんっ一緒にいよ!ミレって、ミレの塔のあのミレ?」
「それに因んで付けられたの」
ミレの塔は、街の中央にある大時計のすぐ近くにある尖塔。
レンガを積まれた空まである塔なんだけど、入り口は常に閉まっていて、誰も入ったことはないって言われてる。
壁をすり抜けようとしても、途中で止まってしまって、結局は外に放り出されるから、中がどうなってるかはわからないままだ。
伝承ではミレの塔の頂上にはミレっていう神さまがいて、ブレンダンの出来事をのんびりと見つめているらしい。
神さまのいるブレンダンで一番神聖な建物だから、ミレの塔の前で公演を行うのが、ブレンダンの芸術家たちにとって最高の誉れとされていた。
ミレは神さまを意味する名前だから、普通なら物怖じしてしまうけど、ミレは服や容姿も綺麗だし、珍しい動物のお面もあるから平気なのかも。
ミレは自分の名前に大して興味がなかったみたいで、スッと私の手を取る。
「さあ、行きましょイオ、あなたの人生を変えに」