『尊厳を無くした人と無くさせた人』
「どうしたんですか、ロービエン」
「今し方、神のご友人に会ってきたよ。酷い惨状だった」
カトリーヌは揺らめくかと思ったけれど、椅子から優雅に立ち上がる。
「あら、そうですか、どうお思いになりまして?」
「どう?それを私に聞くのか!あれは神の友人への扱いではない!
イオくんには尊厳を持つように叱りつけたが、君への憤怒が勝る。君は彼女に歓待する約束をしたのではなかったのか!」
「歓待の約束の前に、イオさんはわたくしの衣装を侮辱なされました。これは係争でございます」
「係争?」
「はい、係争とは己の尊厳を守るために行うもの、イオさんがわたくしの尊厳を踏みつけたため、わたくしは彼女を許しません」
「君の尊厳とはなんだね」
「わたくし自身の美です。
わたくしは自身を高く律しております。
優美に優雅に、ミレにお喜び頂けるよう、所作に気を配っております。
わたくしに芸術の才能はそれほどございません。ならばミレを楽しませる務めを果たすには、己を高めるしかないのです」
「それは確かにトーリスの本分だ!
それがなぜ、あのような醜悪な所行に繋がるのだ」
「わたくしは研鑽を重ね、ミレに高き美を披露しているのです。
そのわたくしをわたくしの努力の及ばぬ所で貶めるのは、決して許されることではありません。わたくしはイオさんを許しません」
「納得はできないが、君の言い分は理解する。
しかし、君はまだ若い、伝承をよく聞くべきだ。
まだ知る者は多くないが、侮辱を許すのも人の度量。それこそが人の高きだとある。そうだ、また共に十字の石の森に行こう。話数は」
「話数?また伝承ですか」
「うむ」
「こ、ここでまた伝承を持ち出すのですか?」
「ん?」
「わたくしが気持ちを話したのに、ロービエンは伝承で、わたくしの口を封じるのですか?」
急にカトリーヌが泣きそうね。
カトリーヌは普段飄々としているわりに、稀に感情が激するから、泣くのはいつも唐突に感じられる。
ワタシにだけは見せる表情だけど、ロービエンは慣れてないから、困ったようだった。
「いや、口を封じようとしている訳ではないが。どうしたんだね、君らしくない」
「わ、わたくしはロービエンに気持ちをわかってほしいんです!伝承は今はやめてください!」
「そうは言うが、伝承は人類の英知だ。それで話をするのが悪いのか?」
「悪いです!伝承なんて、わ、わたくしとロービエンの関係に、なんの意味があるのですか!」
「よくわからん、なにを怒っているのだ、カトリーヌ、聞き分けなさい」
「いやですっ、わたくしこんなロービエンは嫌いです、だってわたくし気持ち話したのに、なんで伝承なんて聞きにいかなきゃいけないんですか」
「あーカトリーヌ?勘違いしていないか、君を怒っているのは私だ、これ以上怒らせないでくれ」
「いえ、わかりました!ロービエンもわたくしをお嫌いなんでしょう?!わ、わたくしの噂は知っています!だけど、わたくしだって、イオに傷つけられたんです」
「あーカトリーヌ?ようやく理解したよ、君は、私の本心を聞きたいのか」
カトリーヌが頷きながらも年相応に泣きじゃくり、ロービエンは瞳に怒りを宿したまま吐き捨てる。
「ならばカトリーヌ!これだけは言っておく、私は他者の尊厳を踏みつけにする者が大嫌いだ!イオくんを追放する程度ならともかく、あの窮状に追いやっておいて、言い訳は許さん」
カトリーヌが驚きに目を見開いて言葉を無くしていると、ロービエンはそのまま踵を返し、薔薇の小道に消えていく。
「ロービエン?あの、ロービエン?」
カトリーヌが動揺して立ち竦んでいたから、ワタシも悲しくなって、一言しか言えない慰めをかける。
「ワタシもカトリーヌの気持ちわかるわ。ワタシも最初イオが許せなかった、イオの味方になろうとしたのにカトリーヌが侮辱されるなんて思わなかったから」
カトリーヌはワタシを見ると、ぐすぐすと涙をこぼして、慰めてと言うように、抱きついてくる。
「レリぃ、れりぃ」
カトリーヌも大変ね、ロービエン好きだったから、ああ言われたら辛いわ。
カトリーヌは泣くのに一生懸命で、ワタシはその髪を撫で、暖かい頬に触れてる内に貰い泣きしてしまって、カトリーヌを抱きしめながら泣いた。
黒の時間が終わると、カトリーヌはワタシにお礼を言って、また館に戻って行った。
もう少し慰めてあげたかったんだけど、カトリーヌは甘えるのが下手だから、律儀に約束を守ったんだろう。
そのあとはいつもの休息所で、紫赤の空を眺めながらなんとなく時間を潰していると、思わぬ人物が現れる。
それはドレッドヘアに白シャツ黒いジャケット、ベルトから鎖を垂らした男の人、トキ。
「トキ、大した用がないならバラ庭園には来ない方がいいわ。トーリスで公演を続けるつもりならね」
トキは浮かない表情で、ボソボソと答える。
「いやよお、イオ裸になっただろ、迷ってたんだけどさあ、やっぱ俺、イオんとこ行くわ」
「あらイオを見捨てないの?」
「なー、やっぱ見捨てた方がいいよな、だって、あいつそのへんの男に裸みせてんだろ?やだぜ俺、助けたって俺何も得しねえしよ。
見限りたいんだけどさあ、なんだろうな、よくわかんねえ」
「一途なとこはいいと思うわ」
「あ、いや、で、レリーさ、イオに会う許可くんねえか、俺行ったら禁忌に触れちまうだろ」
そういえばトキはカトリーヌの嘘を信じたままだったわね。
ワタシはカトリーヌの友達でもあるから嘘をバラす気はないけど。
「許可するわ、いってらっしゃい」
「おう、行ってくる」
そしてトキは、短く気合いをいれて休息所を出て行く。
こういう一途な想いを向けられるほど、イオは魅力ある女性かしら、ワタシはそう考えて、一応イオのことを考える。
イオの今の状況は……。
想像するだけで気持ち悪くなって、すぐに考えるのをやめた。
ワタシ醜悪なのはキライ。
「おおイオちゃん、可愛いねえ」
「ぁ、や」
頭がよく回らなくて、男の人が優しく髪を撫でてくれて、私は何も考えず、ポーッとなすがままになる。
言うことを聞くとみんな優しくしてくれるから、劇のない時はずっと言いなりになって、ただ眩むような陶酔に身を委ねていた。
男の人たちは私にただ優しいだけの囁きをくれるけど、私が拒否すると、その優しい言葉がすぐに怖い言葉に変わるから。
それが怖くて、だから私はせめて最後の綺麗を馬鹿にされないよう、男の人たちの間で身体をくねらせ、嬌声をあげながら、ぼんやりと心を潰して時間を過ごしていた。
長いことそんな淫蕩とした部屋で長い時間を過ごしていると、自分が恥ずかしいことをしてるのかどうかさえ、わからなくなる。
でもそれはなにも悪いことばかりじゃなくて、あの劇で圧迫された私の心には、この時間が与えてくれる優しい言葉と陶酔が僅かながら癒やしになって、このおかげで私は自分を無くさずにすんでいた。
これで生きてくしかないよね、ってトーリスの男の人の胸板をなでてると。
……尊厳を捨ててはいけない!って誰かが言った。
珍しく聞こえた厳しい口調に、意識がほんの少し、冴えてしまって、目を開くと、男の人たちの後ろにロービエンがいて、見知った人だからほんの少し恥ずかしくなって、私は首を一生懸命横に振った。
私はここでいいよ。
もうね全部わすれたいの。
どうせ堕ちきってるんだから、もうかまわないで……
そんな私に嫌気がさしたんだろう。何回か話した気もするけど、朦朧としてる内に、ロービエンはいなくなって、それから黒の時間が来て、次はまた見知った人がくる、トキ?
私は男の人の隙間から胡乱な眼差しでトキを映す。
混ざりに来たのかなって思ったけど、トキは私を見て驚いて、泣きそうな顔をしたから、ちょっと恥ずかしくなって、顔を横に逸むける。
淫蕩とした感触がまた始まって、頭がとろんとして、ずっと逃げていたいのに、男の人たちの優しい言葉の中から、トキの「お前らどけよ!」って言葉がちょっとずつ大きくなっていく。
ずっと続いてた感覚が止まって、腕に強い感触がして、気づくと私の身体が宙に浮いて、私はたたらを踏み、部屋の景色に動きが加わる。
あ……え?
トキは手早く私を背中に担ぎ上げ、身体がトキの背中にずりあがり、トキの首と後頭部が目の前にあって、私は反射的にトキの首に腕をかけ、背中にしがみついてしまう。
え、何?なにをするの?
トキが歩くたびに身体が揺れ、目に映る景色が前に進む。
ぼんやりした視界が明瞭になって、それで少しずつ理解できてくる。
もしかして私、外に連れて行かれる?
「外は嫌!」
「ああ?」
部屋にいた男の人たちがトキを追って出てきたけど、トキがどうやってかわからないけど、走り出して、その男の人たちを引き離していく。
外?外に出される?出たらローブを、醜いのは嫌、醜いのは嫌……。
スーッと動悸が激しくなって、頭の中がぐるぐるして、一生懸命、トキの、耳にお願いする。
「や、やめてトキ、私ね?外でたくないの、あの中がいいの」
「うるせえ!黙れよイオ、君!俺を裏切ったんだぜ、最低の女だ。俺も混ざろうかと思ったけどよ、なんでイオなんて助けてんだよ」
「ぅや、ごめんなさい」
トキは怒っていて怖くて、私は劇の罵声を思い出してしまって、何も言えなくなる。
館はもう後ろで、バラ庭園に私は晒されてる。
気づいたら醜い服と靴がまた身にまとわりついて、私は動悸が激しくなってトキの背中から下りようとする。
バラ庭園までなら人はあんまりいない。
「おろして、私この醜いの着ていたくない」
「着とけっ!裸で外でる女がどこにいんだよ!俺、なんで君みたいなの好きになっちゃったんだろうなあ」
「あ、うん、綺麗な格好するね。したいなら何してもいいよ、だからねおろして」
「そういう意味じゃねえっ!なんで嫌いになれないんだよ俺、降りんなよ、降りたら滅茶苦茶罵るぜ!」
トキはずっと泣きながら、文句を言いながら走りつづけて、でも私が背中から下りようとすると物凄く怒鳴った。
外にでるのが怖くて、罵声が怖くて、トキが怖くて、トーリスの通りに出たら沢山の人が居て、次々に過ぎ去って、色んな人が私に罵声を浴びせてきて、私の心はもうどうしようもなくなって、外の状況がわからないようトキの背中に顔をうずめて泣きじゃくった。
どうしたら終わるの?どうしたら、ここから逃げれるの?
そうしたら、走っているトキの声が少し柔らかくなる。
でも私への悪口は変わらない。
「あーあ、君のその焦げ茶一色の服って地味だよなあ、周りの奴はみんな馬鹿にしてるぜ、イオは泥みたいだって」
……心が叫びそうになって、私はトキの背中にぎゅうって掴まる。
そうしていると、トキが私を揺する。
「おう、着いたぜイオ、降りろ」
私が恐る恐る降りて周りを見ると、渦巻きを主体とした細かい紋様の刻まれた白い天井に白いベッド、小さな部屋、そこは昔トキに会いに来たとき、一度来たリベーだった。
でもそこに今は他の人がいた。
トキだけでも怖いのに、トキの他に、昔トキと一緒に私を罵った赤橙のドレスの女の人と、初めて会う黒い帽子を被った男の人がいて、私はすぐにでもここから逃げ出したくなる。
最初に口を開いたのはトキだった。




