『ランピスからのお客さん』
それから数日経って、藍紫の空の暗さの中、黒い人影が館に戻ってくる。
ワタシはトキって思って、プッチアを掴み二階の床をすり抜けて、一階の玄関まで瞬時に降り立つ。
「トキっ」って叫んだけれど、よくよく見ると、玄関に居たのはトキじゃなくって落胆する。
茶色のウェーブのかかったセミロングの髪、若草色のタイトスカート、薄い灰色生地に黒い横線が下方に入ったブラウス、アンサンブルの上着、白夜石の首飾りをつけた、地味ながら配色はまあまあな女の人。
「神のご友人はどちらにおられます?」
服は見れたものじゃないけど、表情や立ち姿に品があるからランピスの人間?
追い出してもいいけど、今はバラ庭園では夜会をしているから、そこに呼ばれるようなランピスの人間は迂闊には馬鹿にできない。
ランピスは話芸に力を入れている通り。
トーリスとの交流も時々はある。
カトリーヌもいないし、追い出していいか判断はつかない。
「神の友人に何のよう?」
追い出すか決めかねて、そう尋ねる。
「ええ、神のご友人を一目見たくてランピスから劇を見に来ましたの、ただイオさんが劇をお休みになられてると聞いて、こちらに」
礼節がなってなかったら追い出そうと思って、唇を見ていたけど、ワタシより口の開き方上手ね。
これがランピスでも中以下の人間だと口を閉じたまま話したり、話す言葉と口の開き方が間違ってたりするから、話芸に通じたランピス上流の人間で間違いない。
礼儀や教養の大部分は口の開き方、音声、仕草の優美さで決まる。
伝承を知る量を比べるのはそのあとのこと。
このくらい流暢な口運びなら、ランピスでも上流の人間ね。
「ランピスのお客さんね。夜会は楽しめた?」
「はい、色々な方と歓談しましたが、中でもシドニアさんと楽しい時間を過ごせました」
「そう、良かったわね。ワタシは付き人のレリー、イオのところに案内するわ。衣装も地味で会話はできないけど、それでもいい?」
「お願いします」
そういえば名前聞き忘れたわ。
初めてのお客さんで緊張したけど、会話はあまりしないまま、ワタシはイオの部屋の扉を開ける。
「イオ、お客さんよ」
そう言った瞬間だった。
「イオ!」
って女性が大きな声を出して、早足で近づき、ワタシはちょっと驚く。
「神の友人に会えたのがそんなに嬉しい?」
女性はイオの前にかがみこんで、ワタシに微笑む。
「ごめんなさい、静かに会いますね。神のご友人が狂ったとお聞きしましたが、それは今も?」
「話せばわかるわ」
「ああ神のご友人どうか私とお話しをしてください、イオ、神のご友人」
って名前を呼び始める。
ミレへの愛情が強い人なのかしら?
その人の声は情感が溢れるもので、イオへの悪意はなかったから、ワタシはホッとして、部屋の絨毯に腰を下ろす。
それから、大した時間も経たない内に黒の時間が来て、世界が暗く染め上げられる。
黒の時間が来ると、お客さんの態度が少し変わって、イオに言い聞かせるようになる。
「イオ、ごめんなさい。ずっと探していたんだけどね。
あなたの禁忌を解く術はなかった」
禁忌?言われた内容に驚く。
この女性はイオの禁忌を解きに来た?
それならただのお客さんじゃないわね。
イオの禁忌の話を知ってる相手はそんなに多くない。
カトリーヌが数人には話したから知る手段がないとは言えないけれど、完全な内容を知るには、かなりの人脈と時間を掛けないと難しい。
トーリスにはイオの味方はいないし、もし味方がいるとすれば、この人がイオの母のスミ?
そう気づくと、納得できるところもある。
イオが狂う少し前、裸のイオと何度か喋って驚いたんだけど、イオは話すとき口の開き方をほとんど間違えない。
仕草も優美で可愛げがあって、トーリスのワタシから見ても、ちゃんとしていた。
それはイオがちゃんとした礼節を教養のある誰かから教わっていたということ。
この人がスミならそれも納得、ランピスの上流の人間に15年教わって来たんだから、イオもそれに近い教養が身についているのだろう。
スミらしき人物がイオに謝る。
「ごめんなさいイオ、あなたが結んだのは解けない禁忌。
あなたに禁忌を結ばせた女性は、残酷な人ね。
あんな劇にイオを一生縛り付けるなんて」
解けない禁忌もあるのね。
ワタシも禁忌を結んでるからその内容に耳を集中する。
「聞いてイオ、その残酷な女性は、イオの禁忌に願いを混ぜさせなかった。
願いを混ぜない禁忌は、ミレに捧げるだけの物になり、決して結びが解けなくなる。
だから、イオ、あなたは生涯あの劇に出続けなければならない。
子供の頃、もっとあなたに禁忌のことを教えておけば良かった。今はそれを悔やんでるわ」
イオの禁忌は解けないけど、ワタシの禁忌は願いがあるから解ける?
スミはカトリーヌを残酷って言っていたけど、それは少し酷い話。
確かにカトリーヌは侮辱に対しては少々過激な面があって、今までも名誉を失墜させたり、追放させたり、ちょっとやり過ぎかなってところはあった。
それは認めるけど、やっぱり一番の友達を貶されるのは嫌。
「カトリーヌは残酷なんかじゃないわ。あなたのイオはね、味方になろうとしたカトリーヌに強い侮辱をしたの。それならどうなったって仕方ないわ、これは係争なんだから」
「レリー」
「何?」
「あなたたちにとっての係争ってなにかしら、トーリスではない私には少しも理解ができない、礼を失しただけのイオにこんなにまで残酷な仕打ちができる強い感情なの?」
そういわれれば言葉に詰まるけれど、私に係争を教えてくれたカトリーヌは教えてくれた。
『係争になれば手心を加えてはなりませんよ。あなたがあなたでいたいのならば、決して相手を許してはならぬのです。ですから、レリー、わかりますね。トーリスの者の出で立ちを貶す際は、あなたも相応の覚悟をもちなさい。侮辱するとはそういうことです』
「係争は係争よ、カトリーヌはそう言っていたから」
どうして手心を加えてはいけないのかは、今もわかっていないけど、係争はそういうものって理解はしてる。
それに今回はカトリーヌが強く怒る理由があるから、普通の係争とは違う。
スミが咎める。
「係争は係争?狂わせといて残酷ね」
怖い声。失敗したかしら。
ワタシは声をかける気にもならず、スミももうワタシと話す気はないようで、その後は細々とイオに声をかけ続けていた。
今のイオに声をかけても効果なんてないって思っていたのだけど、ある言葉を言われた時、イオがほんのちょっと反応する。
「劇見たわイオ、内容は気にしてないから安心して」
その瞬間、イオが「え?」って明瞭な言葉を返して、ワタシはハッとする。
イオが起きた?
ううんイオはまた不明瞭な言葉を出し始めたけど、ワタシにはその一瞬の言葉がイオが目覚めた反応に思えて妙に印象に残った。
もしイオが起きたら、トキは諦めなきゃいけないし、ワタシの禁忌もそのまま?
そう思ったら不安になってきて、起きないでって小さく呟いて、自分が嫌になって、でもそれを否定することはできなかった。
イオはそのあとは起きることはなく、ただ時間だけが過ぎていき黒の時間が終わる。
黒の時間が終わるとスミは光涙を拭き、「会わなきゃいけない人がいるからごめんなさい」ってイオの多分額にキスして、すぐに部屋をあとにした。
その優しげな女性は、扉からでる前にワタシに一瞥をくれる。
「いつか後悔させるわね」
その黒い言葉に、ワタシはドキッとして、動けなくなって、……後を追うことは出来なかった。
イオが起きたのは、それから一週間ちょっと経ったトキがいない時間だった。
ベッドに座っていたイオがいつの間にか裸になってて、ワタシに声をかけて来たから。
「レリー、醜いの脱いだから、もうね、見てもいいよ」
「そう?」
イオが起きるのを心待ちにしていたワタシだけど、イオが起きたことは、そんなに嬉しくなくて、むしろ落胆してしまう。
なんで起きちゃったのかしら。
これでカトリーヌと一言しか話せないし、トキも諦めるしかなくなる。
ワタシの短い恋も終わりね。
まあいいけど。
イオは恥ずかしそうに裸を手で隠して、ワタシはでも一応、イオに微笑みを向ける。
「良かったわねイオ、あなた何週間も、気が触れていたのよ」
「そうなの?」
ワタシは頷いて、でも何かイオを見ていたくなくなる。
この子の顔とか裸は綺麗だから視覚的には平気なのだけれど、見ていたくなくて、ワタシは視線を逸らす。
それがイオを傷つけたらしい。
「裸でもダメ?」
「ダメじゃないわ」
言いながら仕方なく、ベッドに座るイオを見つめる。
胸はそこそこだけど、顔は綺麗で仕草は可愛いし、口もちゃんと開くし、裸なら気に入る男の人も多そう。
トキは?そう思ったら、会わせちゃいけない気になって、トキに会いに行きたくなる。
「ワタシ、用事があるの、楽しい時間を」
って言って、部屋をあとにする。
今はトキと話したかった。
「んだあレリー?」
トキはバラ庭園に入って来たところでワタシはホッと安心して、光綿をふよふよと使って、トキの前に降り立つ。
できるだけ可愛くみえるように、ちょっと降り方に気をつける。
「トキ、イオのことだけど」
イオって言った瞬間、トキは真剣な眼差しをして、ワタシは複雑な気持ちになる。
でもそれは別に平気、そもそもトキを好きになったのなんてここ10日ほどで、ワタシもそれを知ってて好きになったんだから、諦めはついてる。
「イオになんかあったのか?」
諦めはついてるのに、その瞬間ワタシの口からついて出たのは、自分でも驚く言葉だった。
「起きたわ。でも、トキのこと話したら、嫌いだから会いたくないって言ってた。だからこれからは会わせられないの」
すごい嘘ね。言った瞬間自分が惨めになって、ちょっと泣きそうになる。
「イオが起きたのか?」
「でもイオはあなたに会いたくないって」
言い終わってトキの反応を伺う。
イオを諦めてくれる?そんな期待をしてしまって、ますます自分が惨めになる。
でもトキはかえって喜ぶ。
「おっほー!イオらしすぎんだろ!
じゃあ俺しばらく会うのやめちゃおっかなん!しばらくしたら行くけどな!
なあレリー、俺の気持ち伝えちまったか?」
「まだ」
「おーしっよくやったレリー!俺さあ!告白されんのが好きなんだよ」
褒められた?
トキが嬉しそうな理由はわからないけど、トキから褒められたから、ちょっと照れて、ワタシはそれをもう一回聞きたくなる。
「お礼は一回だけ?それならイオにあなたの気持ち伝えちゃおうかしら」
「おいおい意地悪すんなよ。レリーあんがとよう、感謝してるぜえ!」
「そ、そう?」
「じゃあ俺もうここには来ねえよ。ひっひ、そっかあ起きたかイオ、あとは劇どうにかしてやりてえなあ」
「トキ、あの」
「なんだ?」
「もう会えない?」
「あ?」
わからないわねワタシ!慌てて言い訳を考える。
こういう時はプッチアのステッキも、お城も役に立たない。
「イオの劇のこと、あなたに相談しに行っていい?と、トーリスの情報もあげられるし、力になれるかもしれないから」
「おういつでも来いよ」
トキにこれからも会える?そう思ったら少し苦しさが和らぐ。
「どこでなら会えるの?ここにはイオがいるし」
「じゃあ会う場所決めとこうぜ」
「決めるのはワタシでいい?」
「んだあ?」
「四日に一度とか、そのくらいで会いたいのだけど」
「四日に一度か、まあいいぜ。場所どこにする」
「それは、そうね」
ワタシはトキがバラ庭園を出るまで、隣に浮かび、一生懸命話しながら、お見送りをする。
その話したほんの短い時間が夢のように感じられて、ワタシは館の美しい玄関で、さっきまでのトキとのやりとりを思い返して、幸せな気持ちになる。
トキとまた会える?
四日に一回?
自分のほっぺたを触ると暖かくて、ワタシは玄関に設えられた椅子に座って膝上の人形と戯れる。
玄関の水と光の芸術を見ながら喜んでると、水と光の玄関に誰かがやってくる。




