『山の住人』
オーミカと言う男性は、ものすごく変わった人に見えた。
澄んでるのに奥行きのある不思議な音声で、表情も透明感があり、飄々としている。
ただなんで来たのかはわからない。
カトリーヌは呆れたように言う。
「オーミカさん、イオさんの父親とおっしゃいましても、子も親もひとつの人間、イオさんと何か関係がありまして?」
「うん、僕とイオは親子で、他人だよ。
そこは君と気が合うね」
これはトーリスと言わずブレンダンでの普通の考え方、子供は光の球から産まれてくるし、両親が何もしなくても一人の人間として成長する。
だから、多少は特別な感じがしても、他人と大きな区別はしないのが普通。
むしろ、親子関係を全面に出すのは、恥ずかしいことでさえある。
だって、親子だって仲良しなら仲良しになれるから、親子って理由を使って一緒にいるのは、自分の魅力だけでは引き止められない己の人望の無さを露呈するようなもの。
だから、親子で仲良しな場合でも、友人と言う言い方が好まれる。
でもオーミカの理由はそれと違ったようだった。
「スミさんと違って、山の人間は冷たいんだ」
「山の人間?」
ワタシの疑問に、カトリーヌが微笑む。
「あら、レリーは伝承やトーリスに関わらないことはお疎いのでございますね」
「ええ」
素直に聞いちゃったのはワタシの失敗。
カトリーヌにだったからいいけど、他の人にだったら、どんな噂を流されるかわからない。
カトリーヌはワタシを撫でてから講釈してくれる。
「山の人間というのは、人間同士の交わりに嫌気が差して、山で孤独に生きる者の総称でございます。
孤独に強く、人の前に姿を現さない。違いますか?」
「うん、だいたいそれでいいよ。僕が山の人間になったのは五十年ちょっと前かな、僕はもう五十年、切り株に座っていたよ」
「五十年?」
「うん」
「一つの切り株に、ごじゅう年?!」
驚いてワタシが聞くと。
オーミカはケラケラと笑う。
「うん、好きな人を待ってね」
カトリーヌが僅かに身を乗り出す。
「まあ、深い愛ですね。五十年も愛されるなんて、どのような方ですか」
カトリーヌも興味を持ったみたいだ。
五十年の愛、ワタシも興味あるわ。
オーミカは特になんでもなさそうに話始める。
「僕が愛したのは、ブレンダンの果ての障壁の向こうの人だよ。だから話したこともないんだ」
果ての障壁?呼び名が違うから、それは思い出すまでにちょっと時間がかかった。
果ての障壁はきっと鏡面のブレンダン、または陸続きの鏡のこと。
ブレンダンの湖や山の向こう、もしくは反対側の光の高原、緑光の草原の向こうには透明な壁がそびえ立ち、そこから先は誰も通ることのできないブレンダンの果てになっていた。
でも壁は透明だから、向こう側の世界は見ることが出来て、その先にはブレンダンと全く同じ景色が広がっている。
湖から見ると同じ形の湖、緑光の草原の向こうには全く同じ緑光の草原、鏡でない証拠に向こう側の人も時々現れて、こちらに手を振ってくれたりする……らしい。
ただ向こうの人はこちらを無視するのがほとんどで意思疎通は難しい。
ワタシはその壁に行ったことはないけれど、このオーミカと言う人は声も届かないそちら側の人に恋をした?
「鏡の向こうの、話もできない相手が好きになったの?」
「うん。彼女を見て、僕は一瞬で好きになって、ただ一年お互いを見続けた。
向こうも好きだったのかな?
ずっと二人で見つめ合ってね。
目を離したらいなくなってしまうかと思うと、一瞬も目が離せないんだ。
恋に落ちたのは一瞬なのに、目を離す一瞬が怖くて、僕とあの子は切り株に座って一年見つめ合ってた」
一年ずっと見つめ合う?素敵な話ね。
カトリーヌも興味津々。
「それからどうなったんですか?」
「一年くらいしたある日、彼女は立ち上がって、木々の向こうに消えて、どうしてだろう?それからは二度と帰って来なかった。もう何十年も経つのに一度も現れてくれないんだ、あれだけ好きだったのに不思議なものさ」
「一年見つめてたのに、離れたら二度と来なかったの?変な話ね」
「うん、女性は不思議だね。
僕はまだ好きだったから、数年はまた会いたくて座ってたよ。
哀しい焦がれるような気持ちでさ。
そうやって延々と待ち続けて、もう数年もすると恋する想いも小さくなって、あの一年はなんだったんだろう?って疑問も湧いてきてさ。
今はただ彼女があの時どういう気持ちだったのか聞きたくて、待ち続けてるんだ」
「会っても喋れないのに?」
「うん、でも彼女がもし、向こうの世界の恋人を連れて、僕の前に現れたら満足すると思う。
だって恋人を紹介してくれるってことは、彼女は今幸せで、あの当時彼女も僕を好きか、好意に気がついてたってことだからね。ちょっとした意地みたいなものなんだ」
「いい話ねえ」
ワタシは言って、隣のカトリーヌも満足そうに微笑んでから、一度目を閉じて、オーミカに目を開く。
「良い作り話でしたけど、でもそれがイオさんとどんな関係がありまして?」
「作り話?心外だな、僕は嘘は言わないよ。彼女をまだ待ってるんだから」
「あら冗談がお上手ですのね、よろしいですか?イオさんはスミと言う女性から15年ほど前に産まれました。あなたが父親で、五十年も別の女性を待っていたなら、話に辻褄があわないでございませんか」
言われればそうね、じゃあ作り話?
ワタシも不満に思ったけれど、オーミカはまあ待ってって透明な笑顔を見せる。
「僕は五十年あの子を待っているけれど、スミさんがね、そんな僕を1日だけ変えたんだ。
彼女は物腰が柔らかいけれど、熱烈な女性だよ。想い人を待ち続けた僕の気持ちを1日だけでも変えるくらいにはね」
「スミさんがあなたを変えたんですか?」
「うん1日だけね。いや人生全般かな?彼女のおかげで僕はまた喋るのが好きになって、人を無視することをやめたんだ。
彼女の熱烈な愛情にほだされて、緑光の草原で1日だけスミさんを抱いて、イオが生まれた」
1日のそれでイオが産まれたなら奇跡的なことね。
普通は数十年して一人産まれるかどうかなのに。
カトリーヌは別のところに呆れたみたい。
「呆れた。あなたは想い人を待っていながら、別の女性を1日抱いたんですか?」
「うん、スミさんは2年間、僕の気持ちを変えようとしてくれたし、魅力的な女性だから好きにはなっていたからね。
でも僕はやっぱり障壁の向こうの人を好きだった。
だから断ったんだけど、スミさんはあるお願いをしてくれた」
「それが1日?」
「そう、スミさんの願いが1日だけでいいから結婚して、私を愛してほしい。
なんて可愛いもので、僕も彼女の気持ちが嬉しかったから、だから1日だけ結婚する約束で切り株から離れたんだ。
僕は彼女を愛し、幸せな時間を過ごしたけれど、スミさんには申し訳ない気持ちでいっぱいでね。
今日はスミさんに頼まれたからここに来たんだ」
「オーミカさんはイオさんの味方なんですね?」
「うん、味方だよ。今日もイオの様子を見て協力するためにきたんだ。
それでさっき会って来たんだけれど、でもイオは狂っていた、僕はしかたなく、君たちに忠告を与えにきたんだ」
イオが狂ったって言葉を聞いて、ワタシはまた居たたまれない気持ちになる。
「どんな忠告?聞いてあげるから言って」
「スミさんをあまり怒らせない方がいいよ。いやもう遅いから、謝った方がいい。
彼女は愛情がとてつもなく深い人なんだ。最初ちょこっと喋ってその後の6ヶ月、スミさんを無視し続けた僕を喋らせるくらいにはね」
半年無視されても粘り続けるなんて、すごい執念ね。
「彼女は聡明な人だけれど、怒ると過激になる。
イオを狂わせた君たちを二度と許さないよ。
だから君たちもイオとスミさんに謝って、イオを正気に戻す手伝いをした方がいい、今ある地位にお別れしたくないならね」
忠告してくれたみたいだけどワタシは話半分に、でも心のどこかで怯えながら言う。
「でもトーリスの人じゃないなら何もできないわ、カラリスやランピスの人間なんてくだらない」
「そう?まあ君の好きにしたらいいよ、僕は君の涙に興味はないから」
カトリーヌはもう相手にするのをやめたみたいだった。
「ご忠告ありがとうございます。オーミカさん、わたくしからもご忠告しますけど、鏡の向こうであなたが待ってる彼女、あなたを男として認識してなかったんじゃありません?
あなた女性にしか見えませんもの、待つだけ無意味です」
「うんきっとそうだろうね。
だからトーリスは苦手なんだ。
じゃあ僕は行くよ。もう言いたいことも伝えたからね。あとはスミさんにイオのことを伝えて、僕は愛らしいスミさんの力になるよ」
それでオーミカは去ろうとし、ワタシを見て立ち止まる。
「そうだレリー、なんとなく話してて思ったんだけれど」
「ええ」
「君はトーリスに向いてないよ。普段はカトリーヌに守ってもらってるんじゃないかな。トーリスの人間はもっと華々しく、陰険なんだ」
「あら」「え?」
確かにワタシ、カトリーヌに守ってもらってる。
「トーリスを離れて、もっと色んな場所に行ってごらん、そして価値観を増やすといい、君の魅力はそうした方が花開くから」
トーリスを離れてどこかに?
その一言は印象に残って、色々想像したあと、ワタシはまたイオのことを考えた。
「イオ、もうすぐ劇場につくわ。がんばって」
「……」
気の触れたイオを劇場に連れて行く役目は、ワタシになった。
音声はどうやっても防げないけれど、人の声を出す場所は喉の上の方にあってそこに何かを当てていると声自体が出なくなる。
イオの半開きの口の奥にまでローブのフードを詰め込んでるから、イオは身体をたまに揺すってむずがってる。
そうされると簡単に地面やワタシの身体をすり抜けてしまって、薔薇庭園を抜けるまでにも長い時間かかった。
そこで男の人に声を掛けられる。
「おうイオ!」
誰?薔薇庭園の門には黒く地味な服装の男性が立っていて、ワタシは立ち止まる。
黒いジャケットに白いシャツ、たくさんの鎖のついたこの衣装は、イオを迎えに行った時イオと一緒にいた、トキと言う男性だ。
イオの知り合いかと思うと、ちょっと心は竦んだけれど、薔薇庭園に入られるのは嫌だから、追い出すことにする。
「じみな人は消えて、目触りよ」




