『レリーとカトリーヌ』
レリーを困らせるその子の口から出るのはおかしな醜い言葉。
「醜いの、私ね、醜いから!」
劇で浴びた黒い渦が口から漏れ出すみたいに、醜いとか外に出ちゃダメ!とか、よくわからない笑い声とか、そんな言葉を次々に吐き出してる。
レリーはそういう言葉を嫌う子だから、「そういうのはやめて」って私に色々言って、でも醜い私は会話をしてくれなかったから、レリーは呆れてどこかにいってしまった。
私は醜い私にすごく憤慨する。
せっかくレリーが来てくれたのに、変なこと言わないで!って、それなのに醜い私は気づくことなく、天井に向けて黒い言葉を吐き出してる。
誰もいないのがわかってないみたい。
私は醜い私の相手にちょっと疲れてしまって、もういいもんって、拗ねたから、醜い私の意識の底に潜って、黒の時間みたいにぼんやりしながら、醜い私がいなくなるのを待つ。
それがいつになるのかはわからないけど、いつかいなくなってくれるといいな。
イオが狂ってしまった。
ワタシは逸る動悸を抑えて、イオのいた牢獄から出ると、すぐにカトリーヌを探した。
カトリーヌはバラ庭園の休息所に座って、自らの背から広がる少し鋭角な3対の綺麗な羽を、楽しそうに弄くっていた。
羽っていう概念は伝承に詳しくないと出てこない言葉。
「いい加減にして、カトリーヌ!」
「どうかしましたかレリー?」
今見てきたイオの様子を思い出すと何かしてはいけないことをしてしまった気がして、その短い言葉を載せるだけで、ワタシは勇気がいった。
「イオが狂ったの、もう戻らないかもしれない、聞いてる?カトリーヌ!」
カトリーヌは僅かに逡巡を見せたものの、羽を弄るのをやめて、あらそう、って興味なさそうに言った。
責められそうになると、考える時間を作ろうとするのが、カトリーヌのクセ。
カトリーヌとは八年の付き合いだけれど、彼女がこんなにまで他人を追い詰めたのは今回が初めてだった。
カトリーヌはハァっと、言葉を出す。
「あの子、敵対してきたのに、何を考えてるのかしら。理解できませんね」
……トーリスのしきたりに従えば、イオが先にカトリーヌを傷つけた。
元々ワタシたちはイオを尊敬し、好意的な感情を寄せていたのだ。
人はミレを楽しませるために生まれたのだから、石の雨とそれに伴う神の友人になることは、人としての最大の目標で、トーリスのほとんど全ての人間がそれを目指す。
そんな中、石の雨が降り、トーリスの者ではないイオが、神の友人に選ばれたと知れると、トーリス中の人が怒り妬み、憎悪した。
ただ、ワタシとカトリーヌはそんな周りと違って、イオが物を動かしたことに純粋に感動し、友達になりたいと思った。
服装はとんでもなく地味で変な女の子って聞いていたけれど、それでも物を動かすなんて誰もしなかったことだから、その子を尊敬し、友達になりたいって願った。
トーリス中の人が彼女を憎んでいる中、ワタシたちは彼女の味方になる意思を固めて、苦労して付き人になる権利と詩人を集める権利を得て、ロービエンを付き添いに、イオを迎えに行った。
ワタシもカトリーヌも単純に嬉しくって、イオの力になりたかったのだ。
それなのに、イオは出会った当初、ワタシのプッチアだけを褒めて、カトリーヌやロービエンの衣装を褒めなかった。
それはワタシには理解できない光景だった。
衣装の美麗さが誇りであるトーリスでは、衣装の褒め方に著しい差をつけると、あなたが嫌いなので、敵対しますと言う強い宣言になる。
イオはあの日ワタシの衣装しか褒めなかったから、会ったその日に、カトリーヌとロービエンに嫌いだって宣言したのだ。
それがカトリーヌをものすごく傷つけて、怒らせて、係争を始める。
係争は相手を失意の底に落とすか、追放するまで続く。
ただ係争となれば、イオの持つ神の友人と言う立場は強い。
イオに対しトーリス中が妬みや憎悪を向けていることを差し引いても、ミレの友人という強い立場を使い、トーリスのしきたりを上手に使えば、どんな相手にだって勝つことができる。
そんなイオが相手だからカトリーヌは遠慮なく本気を出して、交友、立場、禁忌までをも利用して、イオとの係争を交えた。
イオも当然、争って来ると思っていたのに、そんな素振りを見せないどころか、イオはただ指示に従い、禁忌を結び、蹂躙され一方的にやり込められた。
それはカトリーヌもワタシも、地をすり抜けてしまったかのような呆気なさ。
ミレの友人という偉大な立場の人間が、気味が悪いくらい策略にはまっていく様は、何か間違ったことをしてしまったんじゃないかって、ワタシでも不安に思ってしまった。
それでも係争中は上辺を取り繕うのが常だから、イオの本心が読めないまま、劇はどんどん過激になり、そして、今、イオは気が触れてしまった。
そこまでされてようやく気づく、イオはきっとトーリスの常識が通じない人間だったのだ。
今にして思えば、ロービエンは知っていたのかもしれない。
イオはトーリスのしきたりを知らないで、礼を失しただけだって、だからロービエンは一瞬怒りを見せたものの、あの日すでにイオを許していた。
ワタシはトーリスのしきたりしか知らないから、カトリーヌがしたことを間違ってるとも思えない。
イオの軽はずみな行動はカトリーヌを酷く傷つけたし、係争はそういうもので、お互いが辛い想いをするから、滅多なことでは行わないもの。
それをイオは宣言したんだから、この位は仕方がない。
だけれど、イオに悪気がなかったのなら、カトリーヌはやりすぎてしまったんじゃないか、とも思う。
ワタシももう少しイオにトーリスのことを教えてあげるべきだったんじゃない?
気が狂う前に。
カトリーヌは気を取り直し、上品に微笑む。
「おかわいそうなイオ、狂ってしまわれるなんて、係争は怖いものでございますね」
「ワタシ思うのだけど、イオは係争のこと知らないんじゃないかしら」
「まあ教養のない。
それでもわたくしは係争を続けます。
優美に、優雅に、上辺を取り繕って。
そうだレリー、あの劇、評判大変よろしかったのよ。トーリスであれほど大っぴらに悪口を言える場などございませんから、これからも満席でしょうね」
「喜んでいいのかしらね?イオ狂ったのに」
何かもやもやする。
でも係争で勝ったカトリーヌは満足そう。
「狂ったイオさんも素敵ですね。
観衆の方々も、日頃の鬱憤をミレのご友人に受け止めて頂いたのが、嬉しかったようでございます。
罵るだけの劇ですもの、イオさんが狂っているなら、いっそセリフを無くし、イオさんを舞台に這いつくばらせて、街のみなさんに罵っていただこうかしら、狂ったなら何もわかりませんし」
「あのカトリーヌ、係争だから強くは言わないけど、ワタシは、イオを劇に出すのはなにか嫌、だってイヤな気持ちになるから」
そうは思ってもトーリスのしきたりだと問題はなくて、どうしたらいいかは迷ってしまう。
「劇は義務です。迷ったときは伝承に従った方がよろしいんじゃないかしら」
伝承?
もやもやはするけど、ワタシの考えなんかより、伝承に従うべき。
狂ってる人の伝承は。
「狂った人間はトーリスから放逐するのが伝承」
「レリーは、物知りでございますね。あなたのおっしゃるように、狂った人間はトーリスには居られません。
でもイオさんは神のご友人、歓待しなければならない。
それなら劇に出すしかないんじゃないかしら。イオさんは禁忌を結んでるから、劇に出さないと禁忌に触れてしまうわ。それこそお可哀相、係争はたかだか二百年、ですが禁忌に触れれば永遠に一人ぼっちですもの」
「そう…ね」
カトリーヌは常識はわきまえている人ではあるし、禁忌は破ったら危ないから、劇に出すのが正しい?
でも気の触れたイオをまたあの罵倒の渦に?
ワタシが逡巡していると、……カトリーヌはくすくすと笑う。
「じゃレリー、イオの付き添いをお願いしますね、もうおひとりじゃ劇場に来れないでしょうから、連れてきて差し上げて」
「そうね、わかったわ」
「あと劇の台詞も無くすので、イオご自身のローブで喉も塞いでくださいね、劇でおかしなこと言って禁忌を破ったら可哀想そうですから」
「そうねえ」
ワタシも悩んだものの、他にどう考えたらいいかわからず、それに賛意を示した時。
まるでそれを咎めるように、スーッと染み込むような声が聞こえる。
「いつ来てもトーリスだね。形にばっかりこだわって、心は醜くできている。僕はそれが苦手だよ」
誰?
バラ庭園を近づいて来たのは、服の地味な女性。
服はイオに似ている茶色のローブに宝石を散りばめた細いブレスレットを嵌めて、エメラルドの髪飾りをつけていた。
ワタシより身長はちょっと低くて、見た目は13才くらい。
髪はショートカット、顔の造作は綺麗。
でも服は地味。
カラリスの人間が、なんでバラ庭園に?
カトリーヌが嘆息する。
「不快な服でございますね、トーリスの華麗な衣装の中ではさぞ目立つことでしょう」
「ねえ、出て行って地味、視界の邪魔」
こんな地味な人にバラ庭園にまで入られるなんて、最悪ね。
ワタシたちは追い出すために口々に貶してみる。
地味とか醜いとか、茶色のローブが気味悪いとか。
その地味な女性は、変なことを言い始める。
「君たちは、僕の貶し方を知らないの?」
カトリーヌが眉をひそめる。「今貶しているではございませんか、あなたの服、不快です」
「違うよ、僕を貶すならこういうべきだ。
男の魅力がなにもない、君を好きな女性は一生現れないよってね」
男の魅力が何もない?
「まさか、あなた男?」
でも女性にしか見えないけど。
「うん、今のは傷ついた」
その女せ……、男は満足したのか、さらにワタシたちのところに近づいて来て、休息所の前で挨拶する。
「久しぶりに貶されてやっとトーリスに来た気がしたよ。やあ初めまして、僕はオーミカ、イオの父だよ」




